第11話 残された繋がり

 足下に転がる炭をオウカが拾い上げる。燃え残った部分とその場所から推測するにテーブルの脚だろう。この場所で何度共に食卓を囲んだか、今となっては遠い昔のことのように感じる。


 一昼夜の間燃え続けた火は朝方にはようやく鎮まり、オウカは焼け跡を訪れていた。もしかしたら何か無事な品物が残っているかもしれない。だがそんな淡い期待は目の前の現実に塗り潰される。


「……溜息しか出ないな」


 目を閉じれば今でもトウカの家の様子がはっきりと浮かぶ。扉を開けばテーブルでお菓子をつまむトウカとマリーが出迎え、奥に行けばトウカの仕事部屋兼自室とマリーの自室、そしてオウカが使っていた客室だ。


 だが、目を開けばそこは真っ黒になって焼け落ちた家屋。共に過ごし、笑顔に包まれた家はもうどこにもない。オウカは家に訪れることが不定期だったのであまり私物は置いていなかったが、トウカとマリーはそうはいかない。トウカのお気に入りの食器や筆記用具。マリーが大事にしていたぬいぐるみや絵本。友人知人に頂いたもの。全部が灰になってしまった。


「やれやれ……何か残っていないものか」


 家の残骸をひっくり返すが、ぼろぼろに炭化したものや灰になったものしか見つからない。トウカの剣が見つかったが、高温で鞘は燃え、剣も刀身が曲がってしまっていた。彼女の部屋は執筆の資料や原稿が置いてあったので燃え方は激しい。ほとんど何も残っていなかった。


「……やはり辛いな、これは」


 これまで積み重ねてきた人生が一度に否定されたような喪失感。オウカはそれを経験しているだけにトウカの心中は理解できる。ここへ連れて来なかったのも、この惨状を前に平静を保てる確証が持てなかったからと言うのもある。


 それに今のトウカはまともに動ける状態ではない。体の怪我ももちろんだが、マリーも家も失い、心が深刻なダメージを受けていた。フロスファミリアの屋敷の自室で朝から食事もとらずにこもったままだ。


「ふう……せめて何か持ち帰りたいものだが」


 マリーの部屋の跡へ入る。こちらは少し焼け残っているものはあるが、原形をとどめておらず、持ち帰ってどうにかできるものはほとんどない。せめて何か見つかればと祈るように瓦礫をどかす。ここで何も見つからなければ本当にマリーとの繋がりが何も残らないことになってしまう。だが、オウカは諦めたくなかった。三人の五年間が、何も残らなかったなどと認めてしまうようで。


「……む?」


 ベッドの残骸の下に、煤で黒くなってはいたが原形を留めていたものを発見する。小さかったために火の手を上手く避けられたのだろうか。オウカが手に取ってみると、それはどこか見覚えのあるものだった。


「……もしや、あの時の小箱か?」


 マリーが魔力の蓄積によって最初の暴走を起こしかけた時、彼女を救う決め手となった魔力封じの腕輪が入っていたあの箱だった。あれ以来、この箱はマリーにとって大切なものを収めておく宝箱になっているとトウカからも聞いていた。


 ずしりと、重みを感じる。中に大切な物が詰まっている証だった。この家で暮らす五年間でマリーが大切にしているものが多く収められている。何よりも三人を繋ぐ物だと思えた。


 そして鍵が壊れていないかオウカが確認しようと触れた時、待ちかねていたかのように小箱の蓋が開き、その中のものが目に入った。


「これは……!?」


 居ても立ってもいられなかった。オウカは小箱を抱え、急いで屋敷へと向かった。




「オウカ様、お帰りなさいませ。何か見つかり――」

「トウカは部屋か!」


 屋敷に戻るなりオウカがレンカを問い詰める。その剣幕に隣にいたキッカも目を丸くした。


「は、はい。ですがお身体よりも、その……心の方が」

「私も、とてもどなたかとお話しできるご様子とは……」

「トウカ!」

「オウカ様!?」


 脇目も振らず階段を駆け上がる。キッカとレンカの止める声も聞かず、トウカの部屋の扉を開け放つ。


「……マリー?」


 カーテンも閉め切った暗い部屋。ベッドから体を起こしたトウカが虚ろな目のまま、オウカに目を向ける。


「オウカか……何の用?」


 感情のこもらない低い声。顔を覗き込めば肌も荒れ、髪も整っていない。


「寝ていないのか」

「眠れるわけがないよ……だって、目を閉じると……」


 震えそうになる声をぐっと堪え、トウカはその先を語る。


「あの時の……マリーの顔、思い出しちゃうから」


 それは手を取って逃げようとした時のこと。カレンの言葉に一瞬ためらい、マリーが見せた恐怖の表情。


「あんな顔させたくなかった。ずっと笑顔で、平和で暮らして行けるって思っていたのに!」


 たった一瞬の表情だった。だが、彼女にとってはこれまで積み上げたものが一瞬で崩れ落ちた瞬間だった。たった一つの、「魔王を倒した」という嘘が招いた結末だ。


「どうして私たちがこんな目に遭わなくちゃいけないの! 家も燃えちゃって……何もかも無くなっちゃった。もう何も残ってない」

「トウカ……」


 だが、その“何か”はあった。懐からそれを出し、彼女に示そう。そう思った矢先にトウカから出た言葉にオウカは動きを止めた。


「――オウカはいいよね、平気でいられて」

「……何だと」


 それは、思いもよらない一言だった。いつも相手のことを考え、優しい言葉を紡ぐ。そんな彼女の口から初めて聞いた他人を蔑むどす黒い感情。


「顔も服も真っ黒だよ。家に行ってきたんでしょ……よくできるよね。私は思い出の場所が燃えた跡なんて辛くて見てられない」

「……」

「マリーのことだって、ずっと私がそばにいた。オウカはたまに来るだけで母親の自覚なんて――」


 オウカの手が振り抜かれる。トウカの言葉を遮って鳴り渡った音に、見ていたキッカとレンカが身をすくませた。


「……オ、オウカ様」


 頬を張られたトウカが俯く。静まり返った部屋の雰囲気に耐えられずキッカが声を上げた。これまでも二人の言い争いや本気の剣の立ち合いは何度も見てきたが、それでもお互いへの敬意があり、本当に険悪な雰囲気になることはなかった。ここまでトウカが相手を傷つける言葉をぶつけ、オウカが妹の頬を打った姿など二人とも初めて見る光景だった。


「……やり場のない辛さのあまりに、思わず心にもない言葉をぶつけてしまったのなら今ので許してやる」

「オウカ……?」

「だが、もし本気で今の言葉を吐いていたのなら、私はお前を一生許さん」


 見上げた姉の顔にトウカは驚かされた。その表情には怒りよりも悲しみが色濃く出ていた。今にも崩れ落ちそうなほど傷ついた心を支えて必死にトウカを見据え、気丈に振る舞おうと努めようとしている。そんな、初めて見る表情だった。


「平気なわけがないだろう……マリーと、お前と共にいられたあの場所は私にとっても大切な場所だったんだ!」

「あ……」


 最初は後見人のつもりだったのに、マリーと出会って戸惑いながらもオウカはもう一人の母親役を受け入れた。誕生日や建国祭は遅くなっても必ず一緒に過ごそうと予定を調整していたこと。一緒になってマリーを守るために戦ったこと。思い出すのはそんな光景ばかりだった。


 言葉にすることはほとんど無かった。それでもトウカと一緒に母親として勤めようと努力していたのを一番近くで見ていたのは誰だったのか。


「だからこそ、何でもいいから見つけたかったんだ。私たちが確かに親子だったという証を。お前だって、この五年間は簡単に諦められるものじゃないだろう!」

「……うん」


 返事をする言葉に嗚咽が混じる。自分がどれだけ酷いことを言っていたのかをようやく気づかされる。オウカも同じだったのだ。共に過ごし、共に笑い、それでも一歩退いた立場からトウカたちを見守っていた。だからと言って五年間もう一人の母親として心を砕き、若くして魔王の娘の母親となったトウカを陰ながら支えてきた彼女がこの状況に心を痛めないわけがない。


「私まで潰れたら誰がお前を引っ張り上げられる! マリーの母親は私たちしかいないんだぞ!」

「ごめん、オウカ……ごめん」


 そんなオウカに対してあまりにも酷い言葉をぶつけてしまった。マリーを失った悲しみがトウカの心まで侵していたのだ。


「……それに、何もかも無くなったわけじゃない。探した甲斐はあったよ」


 ようやく懐から小箱を出す。膝の上に置かれたそれを見てトウカが顔を上げた。


「これ……マリーの」

「開けてみろ。まだ私たちは確かに繋がっている」


 恐る恐る箱に手を伸ばす。マリーが大切にしていたこの箱を勝手に開くことに後ろめたい気持ちはあったが、確かな繋がりが残っているというオウカの言葉がトウカを絶望の淵から押し上げる。


「……っ」


 言葉にならなかった。マリーの宝物の中に埋まりながら、その中心に大切に置かれていたのは「大好きなママとお母さんへ」と綴られた小さな便箋だった。


 そして、そこには日頃の感謝の気持ちと、どれだけマリーが二人のことを大切に思っているか。また、二人が自分を大切に思っていることをどれだけ嬉しく思っているかが述べられていた。


 五年前は人間の文字も書けなかった。そんなマリーが多くの人と関わり、学び、気持ちを文字に乗せて伝えることができるようになった。それはこの五年間でマリーと培ってきた確かな証でもあった。


「あれ、まだ何か……」


 文章は終わっていたのだが、まだ便箋に続きがあった。巻き取られている場所に重みを感じる。


「これは……勲章か?」


 銀色に輝き、剣を模った小さな勲章。マリーにとっては自分を守り続けてきた二人を象徴するものだった。それが二つ。形は少しばかり整っていないが刀身や柄に紋様を刻み、思いを込めて細工をしたことがわかる。


 そして、トウカはマリーの言葉を思い出す。あれはオウカの式典の朝の会話だった。


 ――ママだって、勲章をもらっていい立場だと思うんだけどなあ。


 目立たない様に。世間の注目を浴びないようにと、日の当たる場所に背を向けたトウカ。そんな彼女が正当に評価されていないことをいつもマリーは歯がゆく思っていた。それでも、自分だけは母を称えてあげたい。そんな気持ちで用意していたものだった。


「マリー……」


 涙が止まらなかった。自分がどれだけ小さなことで沈んでいたのか。こんなにもマリーは自分のことを思っていてくれた。確かにあの時、マリーは一瞬だけ恐怖の意志を見せた。だが、これまで培って来たものが全て壊れたとは到底思えない。マリーの深い所には、確かに二人への愛情があったのだから。


「……今は泣け、胸くらいは貸してやる」

「オウ……カ?」


 嗚咽を漏らすトウカをオウカが抱き寄せる。自分だって辛いのに、それでも妹の背中を撫で、優しく微笑んで支えようとしてくれる。


「たまには姉らしいことをさせてくれ」

「オウカ……あ……ああ――!」


 そんな姉の気持ちに、ここまで抑え込んでいた気持ちが溢れ出す。本当は思い切り泣きたかった。バラバラになってしまいそうな程に傷つけられた心を、何かに縋って支えてもらいたかった。


 言葉にならない声をあげ、トウカがその胸で涙を流す。五年間、もしかしたら家を出てからずっとトウカはこうして誰かに全てを吐き出して、そして受け止めてもらいたかったのかもしれなかった。




「トウカ様は?」

「寝不足に加えて泣き疲れだ。寝てしまったよ」


 部屋の外で待っていた二人の前に、オウカが出てくる。その表情は穏やかで、安心した様子だった。


「これで立ち直ってくれたらいいんですけど」

「もう大丈夫だ。目が覚めたらいつも通り……いや、これまで以上に強くなっているさ」


 キッカの言葉に確信のある言葉が返る。迷いを振り切った時のトウカの強さは誰よりも彼女が理解しているからだ。


「あ、オウカ様。どちらへ?」


 黒髪をなびかせ、歩き出すオウカにキッカは声をかける。従騎士である彼女らは場合によっては仕える彼女に同行する必要があるからだ。


「……焼け跡を引っ掻き回した上に涙で服も濡れてしまった。着替えも兼ねて風呂に入って来る」

「あ、それなら私がお背中を流して――レンカ?」


 後を追おうとしたキッカだが、レンカが手で遮りそれを押し留める。


「……人払いは、済ませておきます」

「それはありがたい。気を使わせて済まないな」

「いえ……ごゆっくりなさってください」


 わずかに笑みを返し、オウカが歩き出す。キッカは二人のやり取りの意味が分かっていないようだった。


「ちょっと、何で止めるのよ?」

「キッカ……お仕えするのなら、そばにいることだけが忠義ではないって覚えた方がいいですよ」

「どういう意味……あ」


 ようやくキッカもその意味に気づく。体を清めるのはあくまで建前。オウカが本当に求めているのは一人になれる場所だということを。


 トウカが立ち直り、もう心配はない。だからやっとオウカもずっと張り続けていた気を緩めることができる。だがそうすれば声を抑えておくことはできないだろう。次期当主と言う立場上、周囲の目は避けねばならない。レンカはそんな彼女の気持ちを汲み取ったのだった。


「はあ……ほんと未熟者よね、あたし。こんなことでオウカ様のお役に立てるのかなぁ」

「そんなことはありません。キッカのさっぱりした性格はとても皆さんのお役に立っていますよ」

「……褒めてるの、それ?」

「さて、どうでしょうか」


 いたずらな笑みを浮かべるレンカにキッカは頬を膨らませる。だからレンカはちゃんとフォローを入れてあげる。


「でも、お二人を元気付けて差し上げられるのは、そんなキッカだと思いますよ?」


 それは自分も彼女に支えられている一人だからこその言葉だった。家が没落し、それでもオウカの近くにいる権利を勝ち取り、家の復興に向けて前向きに歩み続ける。そんなことができる精神力は並外れている。体が弱くて騎士になることを諦めていたレンカはそんな彼女の不屈の姿を見てどれだけ勇気付けられていたことか。


「私たちも、いつかトウカ様たちみたいになれたらいいですね」

「道のりは……遠過ぎるけどね」


 お互いを補いあい、支え合って強くなっていく。かつて分かたれた二人の道も今は共に歩いている。それが自分たちの境遇によく似ている気がして、キッカも苦笑いを浮かべるのだった。




 そして、夕食の席にトウカは姿を現した。あれほど消沈していた様子から一転し、その眼には強い意志をみなぎらせている。そうなることを確信していたオウカは、待ち望んでいた気持ちを抑え、腕を組んだままで視線を向けた。


「ようやく戻ってきたか」

「うん、迷惑かけてごめん……ふふ、オウカ酷い顔だよ」

「フッ……お互い様だ」


 お互いに泣きはらして赤く腫れた目を見て笑いあう。いつもの姉妹のやり取りが戻って来たに皆も安堵する。


「……それで、どうする気だ。一応シオンたちには報告してある。騎士団も魔族が関わっているとなれば出ることになる。お前がわざわざ何かをする必要はないんだぞ?」


 答えはわかっている。だが、その意思を言葉にし、確固たるものとしてオウカは求める。


「あの日、マリーを引き取って育てるという意思を通したのはお前だ。私はその意思を尊重すると約束した。ならばお前は何をする。その意思を私に示してみろ」

「マリーをこの手で取り戻したい。オウカ、協力して」


 それはあの日、地下神殿で対峙した時にマリーを守ると示した揺るぎのない迷いのない瞳。確固たる思いを胸に、トウカは最も過酷な選択を選ぶ。


「フッ……請われるまでもない」


 それでこそ我が妹だ。その笑みからはそんな言葉が聞こえてくるようだった。


「……でも、そのためにはまだ力が足りない。だから――」


 彼女の言わんとしていることはオウカも理解していた。彼女は家を出て独学で剣を修めた。下地は元々家で受けた訓練によって培われたものだが、それが完成する前に彼女は家を出た。才能と努力だけで鍛え上げた力だけでは、完全にフロスファミリアの剣技をものにしたとは言えない。


「――父さん、剣と魔術を教えて。もう負けたくない。大切な物を守るために、もっと強くなりたいの」

「私も同様の気持ちです父上。マリーは私にとってもかけがえのない娘です。それを取り戻すため、もっと力が欲しい……目の前で何もできないのはもう嫌なのです」


 フロスファミリア家当主であり、二人の父であるグロリオーサはその視線を受け止める。二人の決意に何一つ迷いはない。母のローザも微笑みを湛えていた。


「まったく、片方は縁談の話も全部断り、嫁には行かん。もう片方は途中で諦めた剣を再び教えろと言ってくる……二十五にもなってお転婆二人は落ち着かんものだ」

「本当ね。マリーちゃん以外に孫の顔は見られるのかしら」

「……それについては申し訳なく思ってます」

「……面目次第もありません」


 父母の愚痴に二人は猛烈な申し訳なさを覚える。この家の跡継ぎはオウカ以降が未定のままだ。一族からも養子の話がたびたび出ており、家のことを考えるとそろそろ身を固めて欲しいというのは父母の思いでもあった。


「早い所片を付けて、私たちを安心させろ」

「父さん。じゃあ……!」

「過酷なものになると思え」

「はい、父上!」


 姉と妹が頭を下げる。それはかつて剣の訓練を始めると告げた日の姿を思い起こさせ、つい懐かしさを覚えた両親は微笑み合うのだった。


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