第3話 異変

 式典も佳境に差し掛かった頃、マリーは向かいの貴賓席にエリカがいないのに気付いた。


「エリカ、どこへ行ったのかな?」

「カルミアさんが残っているし、こっちに来るんじゃない?」


 カルミアがトウカとマリーの視線に気づき、会釈を返す。

 彼にとってエリカは大事な存在だ。

 そんな彼が何の心配もなく送り出してくれる場所は限られている。

 トウカやマリーの下はその数少ない一つだった。


「エリカちゃん、いつもいい感想くれるから、参考になるのよね」

「あー、それ私じゃ参考にならないってこと?」


 マリーはむくれるが、語彙の面では昔から本を日常的に読んでいるエリカの方が多い。

 まだ彼女には意味の分からない言葉が多いため、ありきたりな感想になりやすかった。


「じゃあ、次回作はマリーの全面監修で行く?」

「……一応、エリカにも感想求めてみて」


 視線を逸らすマリーに、トウカも思わずクスリと笑ってしまった。

 そんなことを言っていると、ドアが開く音がした。

 入ってきたのはエリカだった。


「ほら、やっぱり」

「エリカ、いらっしゃい」


 笑顔で出迎える母娘。

 だが、エリカは俯いたまま、言葉も、反応する仕草も返ってこなかった。


「エリカ、どうしたの?」


 その代わり、おぼつかない歩調で歩み出す。

 ゆらゆらと揺れながら近づいてくるエリカに、マリーも訝る。


「ねえ、エリカってば」


 歩み寄り、マリーはその肩を掴む。

 触れられた手にようやくエリカは反応を見せる。

 その手に視線を移す。続いてマリーの顔へと――その瞳に、光は宿っていなかった。


「エリ――」

「うああああ!」


 異変を感じるよりも早く、エリカの手がマリーの首をとらえる。

 壁に押し付けられ、両手で締め上げられる。


「あ……ぐ……」

「ああああ!」


 腕を掴んで解こうとするが、エリカの細腕から信じられない力が出ていた。

 成長期の違いで元々対格差はあったが、それを差し引いても異常なほどだ。

 徐々に脚が床から離れ、壁に押し付けられたままその体が浮いていく。


「エリカちゃん!?」


 豹変したエリカに驚いたトウカがすぐさま駆け寄る。

 だが、大人の力でも全く手を緩めることができない。


「エリ……カ……なんで」

「ううぅぅぅ!」


 一度も見たことのない憎しみに満ちたような歪んだ形相。明らかに正気じゃない。

 指が首に食い込み、マリーは苦しさで脚をばたつかせる。


「フジ、子供たちお願い!」

「わかった!」


 プリムラとジュリアンを預け、ドラセナも加わる。

 両腕をトウカと二人で抱えて、力づくでマリーから引きはがす。


「ごほっ……ごほっ!」


 ようやく息ができたマリーが膝をついてせき込む。

 エリカが自分の首を絞めるなどと言うあり得ない事態にまだ混乱から立ち直れない。


「どうしちゃったのエリカちゃん!」

「しっかりしなさい!」

「ああああ!」


 髪を振り乱して物凄い力で抵抗をする。

 大人二人の拘束ですら止められない。


「きゃあっ!?」

「ぐうっ!?」


 振りほどかれ、トウカとドラセナが壁に叩きつけられる。

 次にエリカが視界にとらえたのはフジだった。


「ごめん、エリカちゃん!」


 迫るエリカは勢いこそ凄まじいが、防御する素振りがない。

 その腕をかいくぐり、鳩尾に掌底を叩きこむ。


「ご……ふ……ああああ!」

「止まらないのか!?」


 呼吸ができなくなったのにもかかわらず、エリカは動きが鈍くなるどころか更に乱雑な動きでフジを弾き飛ばす。


「ぐは……っ!」

「ううぅ……」


 フジが床に叩き付けられる。

 そして、エリカは隅で怯えるプリムラとジュリアンを視界にとらえた。


「プリムラ! ジュリアン!」

「おとうさぁん!」

「おかあさぁん!」


 幼子二人に手を伸ばすエリカ。

 だが、すんでの所で後ろから現れた人物が彼女に組み付いた。


「いけません、エリカ様!」

「カルミアさん!?」

「遅くなりました、皆さん!」


 向かい側で異変を察知したカルミアも到着し、エリカを後ろから羽交い絞めにする。

 起き上がったトウカとドラセナも腕をとり、三人がかりで組み伏せる。


「……くっ、なんて力だ!」

「子供の力じゃないわよこれ!」

「お願いエリカ、目を覚まして!」


 だが、暴れるエリカはまるで魔術を使ったかのように、騎士二人にトウカを加えても気を抜けば振り解かれそうなほどの力。

 マリーも呼びかけるが、正気に戻る気配も見えない。


「……え?」


 必死に取り押さえる大人三人から離れていたために、マリーが真っ先にそれに気づいた。

 乱れたエリカの髪の隙間から見える首筋に、光る細いものがある。


「ママ、エリカの首の所に何かある!」

「わかった!」


 腕を抑えながら、トウカがエリカの髪をかき上げて首筋を確認する。

 そして、そこに刺さっている光る針状のものを見つけると、迷わず引き抜いた。


「あ……う……」


 針が抜けた途端、エリカの体から力が抜けて倒れ伏す。

 抗う様子が無くなり、トウカたちも拘束を解いた。


「……何これ」


 トウカは、抜いた針を凝視する。薄く桃色に光りを放っていた。

 抜いた途端にエリカが沈静化したということは、これが彼女を狂わせていたというのか。


「トウカ、私にも見せて」

「うん……えっ!?」


 次の瞬間、その針が先端から崩れ始めた。

 見る見るうちに彼女らの目の前で光の粒になって行く。

 数秒後には、針は跡形もなく霧散していた。


「消えた……」

「まさか、魔力で作られて……?」


 見間違えていることはあり得ない。

 エリカの首筋を見るが、そこには小さく刺さった痕が残っていた。


「エリカ様、しっかりしてください!」


 カルミアの叫ぶ声に、二人も我に返る。

 すぐに駆け寄ったフジが脈をとり、エリカの容態を確かめていた。


「命に別状はない……でも」

「――これは!?」


 袖を捲り上げて見えた腕にカルミアは言葉を失う。

 腕にはあちこちに内出血のあとが残っている。無理に力を発揮したため、肉体への負担が出ていたのだ。


「骨は折れていないけど、手足を激しく動かしたから傷だらけだ……こんな女の子が」

「……お金はいくらかかっても構いません。どうか、綺麗に治して差し上げてください」

「勿論だよ。アヤメにも頼んで全力を尽くす」

「……ありがとうございます」


 先程までの形相とは打って変わり、穏やかな、いつもの優しいエリカの表情に戻っている。

 皆、彼女の無事に安堵するが、一体何が起きたのかわからないままだった。

 こんな子が自分から親友やその家族、知人らを傷つけるとは考えにくい。


「……フジ、ドラセナ。魔力で針を作ること、それと刺した相手にこんなことをさせるのは可能?」

「まず、最初の質問だけど不可能じゃないよ。でもいちいち魔力をそんな形に固定化する意味が見出せない。それなら普通の針に魔力を注いだ方がずっと効率がいい」


 魔力による物体の具現化。それはかねてより研究が進められていたことでもある。

 だが、無から有を作り出すことはかなり難易度が高く、作り上げ、さらに長時間維持するとなれば要求される魔力は膨大なものになる。現時点では実用化の目途は立っていない。


「二つ目に関しても同様よ。直接魔術をエリカちゃんに施すならともかく、魔力を針状に固定化、さらに対象を狂わせる術式も組み込むとなればそれ相応の魔力が要求されるわ」


 今回、エリカに施されたものを考えると次の仮定が成り立つ。

 まず、魔力を極細の針状に固定化。物理的に刺さるように属性を付与。さらに刺した相手の精神を狂わせる術式を内包させ、刺さったと同時に、あるいは任意のタイミングで発動するように組み込む。そして、エリカの行動から恐らく魔力による身体強化も加えられている。


「身体強化の術式と精神錯乱の術式、そこに形状と属性の変化の術式……全部針の具現化と言う形にまとめたとしても、術式が三つも必要だ」

「何よそれ……それじゃあまるで――」


 ドラセナが言う前に、階下の中庭の方が騒がしいのに皆は気づいた。

 バルコニーから身を乗り出して下を覗き込む。


「そんな!?」


 トウカは目を疑う。

 式典に集まっていた観客たちが皆、騎士たちの静止を振り切って舞台に雪崩れ込もうとしていた。鍛え上げられた騎士たちを力づくで押し倒す行動、一人や二人ならまだしも、群衆全員がそんな行動をとるなんて明らかに異常だ。


「まさかこの人数全部にさっきの術式……嘘でしょ」


 ドラセナが青ざめる。術式に理解がある者ほど目の前で起きていることへの衝撃は大きい。

 舞台上では、逃げ場を失った国王や大臣ら、そしてオウカたちが取り残されていた。

 登ろうとする群衆を辛うじて撃退しているが、長く持つとは思えない。

 式典のために彼女らは武装していない。異変に気付いた周辺の警備をしていた騎士たちが武器を持ち出すが、相手は国民だ。刃を向けることができず救援に向かえない。


「……フジ、ドラセナ、カルミアさん。子供たちを連れて父さんたちの所へ。フロスファミリアの貴賓席にいるはずだから」

「それは良いけど……トウカは?」

「オウカを助けに行ってくる!」


 言うや否や、トウカが手すりを飛び越える。


「ママ!?」

「ドラセナ、マリーをお願い!」


 中庭に着地し、前を見据える。

 目指すは舞台上の王国要人たちの下。

 亡者の様に舞台に押し寄せる群衆の中へトウカは飛び込んでいく。


 一体何が起きているのか。何故こうなったのか。何もわからない。

 だが、今この状況を止められるのは彼女トウカしかいなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る