第2部エピローグ 未来にまく希望

 数多くの王国の貴族と騎士の家を巻き込んだ名家要人の襲撃事件は王国中を驚かせた。

 主要五家の座を狙う分家、権力に取り入ろうとする貴族など関わった多くの家が処分され、没落していった。

 だが、その中で誘拐犯の一人、バレン=ウォートのみは行方が知れないままであった。


「おじ様、おはようございます」


 朝食をとっているカルーナの下へ、身なりを整えたエリカが現れた。


「ようエリカ。今日は一人で起きられたみたいだな」

「い、いつまでも子供じゃありません。特に、今日は大事な日ですから」


 顔を赤くして目をそらす。

 彼女は朝が弱く、つい最近まで使用人に起こしてもらっていた。

 一人で起きられるようになった今でも、たまに寝坊をしてしまいそうになるのだが。


「あー、なあエリカ。そろそろその“おじ様”ってのやめてくれねえか。まだ三十代の前半だぜ、俺は」

「何故でしょう、カルーナおじ様はカルーナおじ様では?」


 そう言われてしまうと泣けてくる。

 最近はフロスファミリアの子供たちにもその呼び名が定着しつつある。

 泣く子も黙る治安維持部隊の鬼の隊長が形無しだ。


「エリカ様、お迎えに上がりました」


 カルミアが顔をのぞかせる。エリカはカルーナに頭を下げ、部屋を後にした。


「……やれやれ。ちったあ元気になって良かったぜ」


 グラキリス家も処罰の対象となり、中心人物のひとりであったサンスベリア=グラキリスは身分を剝奪され、財産も没収された。

 孫娘のエリカ=グラキリスは幼いこともあり、また人質にされた被害者ということもあり処分は免れ、その身柄は分家に預けられることとなった。


「カルミアさん、もうグラキリスは主家ではないのですから私の世話はしなくてもいいのですよ?」

「いえ、サンスベリア様から貴方を任されております。お帰りになるまで私がお守り致します」


 今もサンスベリアは投獄され、エリカとは会えないままだ。

 最初は寂しさを見せていたが、エリカは徐々にその元気を取り戻していた。

 それもやはり、事件を契機に知り合った子供たちの影響が大きいのだろう。


「オウカ様からもお願いされていますので」

「律儀ですね」

「はい、エリカ様を救い出して頂いた恩は生涯忘れません」


 二人で馬車に乗り込む。

 御者が手綱を操り、馬車は進み出した。




「陛下、お呼びですか?」


 シオンは、国王ルドベキアの下にいた。

 あの事件以降事後処理などで国王も忙しく、まともに話せるのは久しぶりだった。

 人払いのためか、謁見の間には国王とシオン以外は誰もいない。


「ああ、トウカたちのことだ。あれから大事はないか」

「はい、特に変わったことは……」


 シオンは頷くとともに不思議に思う。

 わざわざそれだけならば人払いをする必要はないはずだ。


「魔族の娘の様子はどうだ?」

「し、知っておられたのですか!?」


 思わず発してしまった言葉にシオンは口を押さえて辺りをうかがう。


「案ずるな。ここには余とお前しかいない」

「は、はい……しかし何故」

「ふっ……捕らえられていたにしてはおかしい点が多いからな。少し、話してくれるか」


 シオンは王の下へ歩み寄る。

 そして、トウカから伝え聞いた限りのことを伝えた。


「……そうか、この件は今しばらくは余の胸の内に留めておいたほうが良いだろう」

「はい、今はまだ時期が悪いと思います」


 魔王が倒れたとは言え、世界ではまだ魔族との戦いは続いている。

 先日のように、魔物が人々を脅かすこともある。

 魔族との戦いの傷跡は、人の世ではまだ癒えていないのだ。


「今は、あの子の成長を見守るとしよう」

「はい」


 積極的にかかわるわけではないが、国王がマリーのことを知っている。これはトウカたちにとっても大きい安心材料になるはずだ。


「だが私は王として国を守る責務がある。もしもの時は手を貸すことはできんぞ」

「はい、心得ております」


 信頼できる協力者は多いほうがいい。だが、それはリスクを伴う。

 地位も立場もある者は力になれる。だがそれ故に動けないこともある。

 シオンもドラセナも、協力することはできても全ての地位を投げ出してまでと言うわけにはいかない。

 もしも家すべて、国すべてを背負わなければならないとき、果たしてトウカたちの味方で居続けることができるだろうか。


「そう言えば今日なのだろう?」


 深刻な表情になっていたシオンにルドベキアは話題を変えた。


「はい。私もこの後、同席することになっています」

「私からも、祝いの言葉を届けてやってくれ」

「へ、陛下からのですか?」

「二度も国を守った英雄に余が礼を尽くさなくてどうする」


 魔物討伐の件は要人襲撃事件と関連してすぐに国中に広まった。

 騎士団長シオンを中心に、主要五家の若き騎士たちが誘拐された子供たちを救い出し、国に侵入した魔物を討伐したとされ、魔王討伐に続いて再び英雄フロスファミリア姉妹がもたらした明るい話題として人々はその報を喜んだ。


「今は民が安心して平和を享受できる世の中を作ることが先決だ。経緯はどうであれ、結果は事実として評するのが余の務めだ」

「陛下……」

「話は以上だ。下がれ」


 シオンは礼をして謁見の間を立ち去る。

 ルドベキアは一人、誰もいなくなった部屋で思案を巡らせる。


「魔王の娘……か」


 その行く末は希望か、それとも――。




「あ……」

「や、やあドラセナ」


 朝市での買い出しの途中、警邏中のドラセナとフジはばったり会ってしまった。

 二人はあの日以来、気まずい関係が続いたままだった。


「あれからケガはどうだい? 何事もなければいいんだけど……」

「……」

「ドラセナ?」


 できる限りいつものような口調で語りかけてみたものの、ドラセナからの反応は薄い。


「えーっと……ドラセナ……さん?」

「し、知らない!」


 ドラセナは瞬間的に耳まで赤くして踵を返してしまう。

 あの日以来どう言葉をかければいいかわからないのは彼女も同じだった。


「えーっと……最近忙しくてね」

「そ、そうなんだ……」

「手が足りなくて買い出しも、病院の片付けや整理も満足にできない」

「ふ、ふーん……」

「誰か、手伝ってくれる人がいればいいんだけどね……」


 フジはドラセナの反応をうかがう。

 距離感がつかめないのはお互い様だ。だが、今のままでいいわけはない。

 少しでもそばで。距離を縮めることさえできれば。


「……お医者さんが仕事できないと町の人が困るもの、騎士として放っては置けないわ。暇な時間があったら少しは手伝ってあげるわよ」

「ありがとう。それは助かるよ」


 ドラセナはフジの笑顔を見てまた慌てるようにそっぽを向く。

 どうもその表情には弱いらしい。


「そうだ。この後ドラセナはどうするんだい?」

「えっ!?」

「時間があるなら一緒に行かないか?」

「えーっと……それって、その……デ」

「あれ、君もトウカたちに呼ばれてるんじゃないのかい?」


 フジは首を傾げて言う。

 ドラセナは嬉しいような、照れくさいような表情で固まっていた。


「……ドラセナ?」

「呼ばれてるわよ! 行―きーまーすー!」

「ええっ、何だよいきなり!?」


 涙目でドラセナはやけになって叫ぶ。

 ちょっと期待してしまった自分がバカみたいだと悔しくなる。


「うるさい、いちいち女心を弄んで!」

「人聞きの悪いことを言うなよ!?」


 そして口喧嘩が始まる。

 道行く人が何事かと振り返るが、いつものことだとわかるとすぐに歩き出す。

 毎日のように繰り返されていた二人のやりとりは、既に市場では知らない者はいないのだった。




「トウカ様、マリーのリボン忘れてます!」

「ええ、昨日はここに置いてたはずなのに!?」

「昨夜、繕う所があるって部屋に持って行かなかった?」

「ああ、それ! 取って来ます母さん!」

「ママ、はやくー!」


 朝からフロスファミリアの家は上へ下への大騒ぎだった。

 ドタバタと女性陣が走り回っていた。


「随分と騒がしいな」

「トウカ様とマリーが一緒に寝坊したみたいで……」

「……実家でよかった」


 オウカが眉間に皺を寄せ、レンカが苦笑する。

 これがもし自宅からであれば確実に遅刻だ。


「馬車が来たぞ」

「ええ、もうそんな時間!?」


 グロリオーサが姿を現し、トウカが狼狽うろたえる。マリーの用意ばかりでまだ自分の髪のセットをしていなかった。


「……くしをよこせ」


 オウカが見かねて申し出る。トウカを鏡の前に座らせ、髪を整え始める。


「では、私たちは先に馬車に乗っています」

「ああ」

「ほらマリー。行くわよ!」

「先に行くねー、ママたち」


 鞄を抱えてキッカとレンカがマリーを伴い部屋を出ていく。

 せわしない様子に、グロリオーサもローザも溜息をつく。


「まったく、朝から騒がしい……」

「でも、こんなにこの家に活気があるのは久しぶりですね」


 ローザの言葉も事実だった。

 あの事件から数か月。徐々に家の中でも明るい声が聞こえるようになっていた。

 事件後、キッカのラペーシュ家も関わっていたことからその処罰の対象となった。

 家格は落とされ、一族内の地位も末席に追いやられた。家名の存続が何とか許されたのもキッカがさらわれた被害者であったことと、ラペーシュ卿が離反を企てていたという証言が暗殺実行犯のジョンから得られたための温情措置であった。

 だが、実質ラペーシュ家の勢力は再起不能。それではあまりにキッカが不憫だと、処分を知ったオウカとトウカは父に猛抗議した。事件の解決に大きく貢献した彼女の処分としてはあまりに可哀想だと。

 そして、同様に彼女のことを案じていたグロリオーサはキッカを本家で預かることを決めた。

 ラペーシュ家も、家名再興の可能性が繋がったことを喜び、キッカの本家預かりを快諾したのだった。

 家の没落に加え、半ば道具のように利用される形で家を出されたキッカはしばらく悲嘆に暮れていたが、オウカとレンカの支えや頻繁に様子を見に来たトウカとマリーによって徐々に心を開いていった。笑顔を見せるようになったのは半月ほど前だった。


「オウカ、トウカ。先に出ているぞ」

「うん。すぐに行くから」

「こら、動くなトウカ」


 顔を動かすトウカを強引にオウカが鏡に向ける。

 オウカがトウカの髪にくしを通している姿を見ることなど、いつ以来だろう。かつては当たり前のように見ることのできた光景が戻ってきたことに、父と母の二人はそろって目尻を下げ、そっと部屋を後にした。


「……ねえ、オウカ」

「何だ?」


 鏡越しに見る姉の顔は、面倒そうに見えてどこか楽しげだ。


「私ね、一つ決めたんだ」


 オウカは無言でトウカの髪を結いあげている。


「これから、マリーは私たちの世界でたくさんのことを学んでいく。その中で、マリーは自分が魔族だってことに悩むことがあるかもしれない。辛いこともたくさんあると思う」

「……ああ」

「その時に、ちゃんと立ち向かうための力は必要だと思う。この間みたいに魔力の暴走を起こすわけにはいかないから。だから……」


 オウカは、妹の言葉を待つ。何を言いたいのかはわかっている。彼女はその背中を押してあげるだけだ。


「だから?」

「魔術を……マリーに教えてあげようと思うの」

「……そうか」


 オウカは反対しない。むしろその意思を尊重する。

 年齢的にはまだ早すぎる。本来なら学院を卒業する十二、三歳ぐらいが本格的な魔術の修行開始の時期だ。


「止めないんだね」

「問題があるなら止めるさ」


 二度と暴走を起こすわけにいかない。その為には魔力のコントロールを学ぶ必要がある。

 だが、ノアに言わせれば魔法は日常で使う中で次第に覚えていくものであり、マリーのように異常な魔力量を持つ彼女の場合は、その過程で大きな被害が出ることは想像に難くない。

 だからこそ、人間社会で生きていくためには魔力を編み上げ、一つの方向性をもって形を作り上げる魔術を覚えさせることが最も良いのかもしれない。


「母親はお前だ。私は後見人として、その是非を判断するさ」

「もう、都合のいい時だけ後見人になって」


 抗議するトウカ。だが、不器用ながらオウカの気持ちは伝わってくる。

 彼女がこうやって一歩引いて見てくれているからこそ、間違えたりはしない。

 二人の関係が修復されてから一年。新米の母二人は支えあって一人娘を育て続けている。


「さ、できたぞ。行こうか」

「うん」


 玄関を出ると、春の香りが二人を迎えた。

 トウカの家の周りには負けるが、フロスファミリアの庭園が誇る花々が満開で門までの道を彩っていた。


「もー、遅いよママとお母さん。エリカたち、もう着いてるかもしれないよ」


 眉を吊り上げてマリーが待っていた。馬車の中で待っていられなかったらしい。


「ごめんね、待たせて」

「さあ、行こうか」

「うん!」


 マリーは二人の間に割って入り、右手にトウカの、左手にオウカの手を握る。

 そして、笑顔で手を振って一緒に馬車へと向かう。


「マリー」

「なーに?」


 無邪気な笑顔が見上げた。赤いその目はまっすぐ大好きなトウカを見つめている。

 この笑顔を未来へ繋げていく。魔族だからと言って理不尽な運命に負けないようにこの子を強く育てていく。それこそが彼女の使命。


「入学、おめでとう。マリー」

「うん、ありがとうママ!」


 今日はマリーの入学式。

 一年前、三人が出会ったその日に、マリーはたくさんの人に見守られて学校へと上がるのだった。




 第二部 完

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