第49話 見えない繋がり

「……爺さん、また食わなかったのか」


 カルーナが頭をかく。

 サンスベリアは昨日から何も食べようとしていなかった。

 彼も逮捕されてから治安維持部隊の下で取り調べが行われていたが、他に関わった人物がいずれも名家の人物ということもあり、捜査は難航していた。

 特に、サンスベリアは中心人物の一人でありながら主要五家の一角。

 他の人物からの証言で関与が次々と明らかになったとはいえ、その罪状を取りまとめるだけでも膨大な手間をかけていた。

 後日、正式な取り調べが行われるまで謹慎することになっていたのだが、あいにくグラキリスの屋敷は先日の一件で人が住める状態ではない。そのため分家であり、主要五家のウルガリス家で当分の間監視をすることになっていた。


「エリカの無事がわかるまで、儂は何も口にしないと言ったはずだ」

「……その気持ちはわかるけどな。ったく、孫娘が大事ならこんなことすんじゃねえよ」


 吐き捨てるようにカルーナが出ていく。

 サンスベリアは彼の言葉をなぞる様に呟く。


「……大事だからこそ、罪に手を染めたのだ」


 エリカの父――サンスベリアの息子は本来なら彼の後を継ぎ、グラキリスを盛り立てていくべきはずの存在だった。

 だが騎士団長の座にはブルニア=アスターが、戦の主力部隊たる第二騎士団の長にはブルニアの前の騎士団長であったグロリオーサ=フロスファミリアの娘が、それぞれ就いた。

 かつてのグラキリスの家の力であれば、有無を言わせずに己の派閥で立場を独占することもできただろう。だが、魔王との戦いが続く中で実力主義の傾向が強くなり、グラキリスという家名の威光だけではもう権力の座に居座ることが難しくなってきていた。

 そこへ、昨年の事故だ。エリカの父と母、そしてそのお腹の中にいた孫も犠牲になった。

 もし、お腹の子が無事に生まれていればグラキリスを継ぐ嫡男であったかもしれなかった。そしてエリカはその姉として立派に支えたはずだ。

 エリカはその日、たまたま熱を出して屋敷で寝込んでいて難を逃れていた。

 次期当主を失い、サンスベリアに子は他におらず、嫡流はエリカのみ。

「グラキリスはもう終わりだ」「沈みゆく船に同乗する者はいない」と次第に支援者も離れ始めていた。これまで蓄えた富を用いて繋ぎとめていても、後継者がまだ若いという事実はどうしようもなかった。


 このままでは、エリカが成人するときにはどれだけグラキリスの力が衰えているのかわからない。老い先短い自分もいつまでエリカのそばにいてやれるかもわからない。

 そして、彼は禁断の手段に出た。自分たちが堕ちて行くのが止められないのであれば、他家も堕ちてもらうまで。主要人物を失い勢力を伸ばすことさえできなければ、主要五家として名を馳せるグラキリスへの下と再び人は戻ってくる。全ては跡を継ぐエリカの地位を盤石にするためだった。


 だが、その結果が今の状態だった。

 計画は露見し、全てを失い、孫娘は連れ去られた。

 老いた彼には孫娘を助ける術もない。苦々しくもフロスファミリアに頭を下げるしかなかった。

 だが、帰ってきた返事は彼にとって意外すぎる言葉だった。


 ――娘の大切な友達ですから。


 貸しを作るつもりも、見返りも何一つ考えない答え。

 オウカ=フロスファミリアも、シオン=アスターも、友達だからという理由で他家の人間を助けようとした。恐らく、同行したドラセナ=ゴッドセフィアやフジ=ウィステリアも同様だろう。そこに何一つ打算的な考えはない。

 血筋や家柄にとらわれず、お互いの力を補いながら力を合わせる姿。権力闘争に明け暮れて他の弱い所を暴きあうような自分たちの時代とはかけ離れたものだ。

 国王陛下が若い世代に期待しているというのはそう言った理由からなのかもしれない。


「時代が……変わったのか」

「――ええ。そして、貴方にも消えていただくのが良いでしょう」


 サンスベリアは立ち上がる。

 この部屋には自分一人しかいなかったはずだ。

 そもそも、廊下を誰かが歩く音も聞こえていなかった。誰がこの場に来たというのか。


「――サンスベリア=グラキリスですね?」

「……何者だ」

「名乗るつもりはありませんが……何者かはすぐにご理解いただけるでしょう」

「むっ!?」


 サンスベリアは驚愕する。

 己の影の中から黒い触手のようなものが出て全身に絡みつき、動きが封じられる。


「む……う……魔族か」

「その通り……貴方の命をいただきに参上いたしました」


 家具の影が膨れ上がり、その中からノアが姿を現す。

 丁寧な言葉遣いの奥に、サンスベリアは言いしれない殺気が己に向けられていることを感じ取っていた。


「まったく……分家という人間社会の繋がりというのは面倒だ。貴方を捜すのに随分と手間取りました」

「……儂の命が魔族の貴様に何の意味がある?」

「あなたにそれを知る必要はありません……ですが」


 ノアが掌をサンスベリアに向ける。

 彼を締め上げる影の触手が体中に食い込み、軋んだ音を立て始める。

 首にも食い込み、声を上げることすら許されない。


「ぐ……おお……」

「八つ裂きになるほどの大罪であると言うことだけは教えておきましょう」


 ノアの手が徐々に閉じて行く。

 あの手が握られた瞬間、サンスベリアの命は絶たれる。


「爆ぜろ――」

「エ……」


 彼の脳裏に浮かんだのは孫娘の名前。

 そして、ようやく己が手にかけた人物を理解するに至る。


 ――そうか、あの男も同じ気持であったのか。


 愛する孫娘が無事でいてくれれば、地位を命を投げ出すことも厭わない。

 だが、理解するには遅すぎた。

 せめて、あの子が無事でいることだけが唯一の心残り――。


「お爺様」


 ドアが外から小さく叩かれた。

 そして、投げかけられた言葉の主は小さな女の子のもの。


「ただいま帰りました。ご心配をおかけいたしました」

「エ……」


 サンスベリアの目が見開かれる。

 待望であった孫娘の無事な声。だが何故、今この時にここへ来てしまうのか。


「お屋敷が燃えてしまったので、ウルガリスのお屋敷にいらっしゃると騎士団の方に聞きました」


 ノアはドアへと視線を向けている。エリカにこの状況を見られるわけにはいかない。


「お爺様、いらっしゃるのですか?」


 ドアノブを回す音が聞こえる。

 サンスベリアは必死に声を出そうともがいた。

 と、次の瞬間に首の戒めが僅かに緩んだ。

 ノアはサンスベリアの目をじっと見つめ、目で語り掛ける。


 ――わかっていますね?


 ノアのもう片方の手はドアへ向けられている。

 下手に助けを求めたりすれば自分だけではない、目撃者のエリカすら殺す気だということは彼にはすぐにわかった。


「エ……エリカよ……中へは入らなくてよい」


 開きかけたドアが止まる。


「さ、昨日より体調がすぐれぬ故な。風邪かもしれん……お前に感染うつすわけにもいかん」

「そ、そうでしたか」

「うむ……無事でよかった。疲れたであろう、少し休みなさい。積もる話は後で聞こう」

「はい……あの、お爺様」


 エリカはドア越しに呼びかける。


「一つだけ、お爺様に謝らなければならないことがあります」

「……マリー=フロスファミリアのことか」

「……やはり、知っていたのですね」

「噓をついていたことを、謝りたいと?」

「いえ、そのことではありません」


 エリカの言葉にサンスベリアはいぶかる。

 そして、彼女は続ける。


「……私、マリーのことが好きです。大切なお友達だと思っています。お爺様には付き合うなと言われましたけど……その言いつけを聞くことはできません」


 声が震えていた。

 隠れて言いつけを破るのとは違い、真正面から自分の意思をサンスベリアに伝えようとする。

 記憶する限り、彼の意向に反したのはこれが初めてだった。


「……前に言ったな。良い友達は互いに支えあい、互いに欠けている所を補い合うものだと」

「はい……」

「お前にとってマリー=フロスファミリアはその様な存在なのか?」

「はい。マリーのお陰で私は多くのことを考え、そして知ることができました。たとえお爺様に反対されても、私はマリーと友達であり続けます」


 はっきりとした、己の意思を伝える言葉だった。

 いつもサンスベリアの言葉に従い、それが正しいことであると疑わなかったエリカ。

 両親を失ってからは唯一の身寄りであるサンスベリアと共にあったが、彼にできたのは忙しい執務の合間に言葉を交わすだけ。

 気丈にしていたが、エリカにとっては肉親の愛情に飢えていた時間でもあったはずだ。

 だが、マリーが現れたことによりエリカは再び心からの笑顔を取り戻した。

 出会いの時の様子を語る姿。建国祭でカルミアと噓をついてでも会いに行き、帰ってきたときの姿。どれも両親を失ってから見ることが少なくなった年相応のものだった。


「……そうか。それならば好きにするがいい」

「お爺様……?」

「だがそこまで真の友として認めたのであれば、グラキリスの名に懸けて決して裏切ることはならん」

「……はい、グラキリスの名に懸けても」


 迷いのない言葉にサンスベリアは心が軽くなる。

 強くなったものだと。それがマリー=フロスファミリアとの出会いによるものであるというのなら、感謝を伝えなくてはならないだろう――叶わぬことだが。


「少し疲れた……お前も下がりなさい」

「はい。ありがとうございました、お爺様」


 エリカが立ち去り、そして部屋に静寂が戻っていく。


「……待たせたな魔族よ」


 もう思い残すことはなかった。彼にはエリカが立派に家を継ぐ確信があった。

 堕ちた自分とは違う。信じられる誰かと共に手を取り合って、新たなグラキリスを作り上げてくれると。


「このサンスベリア=グラキリス、もはや何の憂いもない。この首を取るがよい」


 ノアは目を伏せ、何も語らなかった。

 サンスベリアはその様子をいぶかる。


「……ふっ」


 短く、ノアが溜息をつくように息を吐いた。

 彼の手が上がる。覚悟を決めたサンスベリアは目を閉じる。


「……む?」


 だが、何も起こらなかった。

 突然拘束が解け、サンスベリアは床に倒れこむ。

 顔を上げた時には、ノアの姿はどこにもなかった。




「……何だ、殺さなかったのか?」


 隠れ家に戻ってきたノアの様子を見てアキレアが意外そうな表情を浮かべた。

 その嗅覚で血の匂いがしない事を不思議に思ったのだ。


「お前が考えを翻すなんて珍しいな。いきなり慈悲の心とやらでも降って湧いたか?」

「そんなつもりではありませんよ」


 からかうような口調のアキレアをおいてノアは椅子に座る。


「全てはマリー様のためです」

「はあ? あそこの爺さんが生き残ることと、マリーと何の関係があるって言うんだ?」


 ノアも独自の調査でグラキリス家が本来の跡継ぎを事故で失い、その娘を祖父が後見していると言うことを掴んでいた。

 これでサンスベリアが亡くなれば、エリカ=グラキリスは本当に天涯孤独となってしまう。


「……マリー様の友人を、あの方と同じ境遇にするわけにいかなかっただけです」

「……はっ、難儀な性格だな」

「何とでも言ってください」


 彼にとって最優先はマリーだ。彼女さえ幸せに暮らすことができれば何も言うことはない。

 もしもどこかで自分がサンスベリア殺害に関与したことが漏れればエリカはマリーを恨む可能性もある。

 そしてエリカを手にかければ、今度はマリーとトウカたちの不興を買う。

 これからマリーは学校へ通うことになる。そこで彼女を支えられる存在が一人でも多くいるに越したことはない。


「……まったく、人間社会は面倒ですね」


 無関係なようで、必ずどこかが繋がっている。

 魔族社会ならもっと利害関係ですっぱり切り捨てることもやりやすいのだが。

 その複雑さと面倒さに、ノアは不満を漏らすのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る