第43話 君との約束
爆発音と、その直後のフジの絶叫はトウカたちの耳にも届いていた。
「ドラセナ!?」
「ダメだ、行くなトウカ!」
動揺したトウカはドラセナの下へ向かおうとするが、それをオウカが制止する。
「でも、ドラセナが!」
「私たちが行って何になる!」
トウカは言葉に詰まる。
彼女らが向かっても適切な処置ができるとは限らない。
見ればフジは既に動き出し、森の奥へと向かっていた。
「フジに任せるんだ……」
歯を食いしばってオウカは耐えていた。
オウカはドラセナと共に騎士団でも数少ない女騎士として、友人として共にいた間柄だ。付き合いは誰よりも長い。本当なら誰よりも駆けつけたいはずだった。
「……わかった」
姉の気持ちをトウカも汲み取る。
光球はいまだに飛来し、襲い来るそれを残るメンバーで迎撃する。
「無事でいて……ドラセナ」
そう願うが、トウカの胸騒ぎは収まらなかった。
「キッカちゃんたちはこの辺りで身を低くして。絶対に顔を出しちゃだめだよ!」
近くにあった窪地に子供たちを押し込む。
マリーちゃんの魔力はこの位置ならば角度的に届かない場所だ。悪いとは思ったけど、ドラセナを放っておくことなんてできなかった。
「ドラセナ、どこだ!」
ドラセナは爆発に巻き込まれた後、吹き飛ばされて森の奥へ消えていった。
僕は魔力の飛び交う中を全速力で駆け抜けて彼女の捜索へ向かう。
「ドラセナ!」
しばらくして、一緒に吹き飛ばされた弓と矢が落ちているのを見つける。
近くには何かが通り過ぎた跡が雪に刻まれている。
その先に、彼女がいた。倒れたままピクリとも動かない。
胸騒ぎを覚えた僕はすぐに駆け寄る。
「ドラセナ……」
その姿に言葉を失う。
鎧は粉々。頭から出血もしている。服もどんどん血に染まっていく。
手や足の状態から骨折は見られないが、ダメージは深刻だ。
肋骨や鎖骨などの骨折、内臓の損傷と様々なことが頭の中を巡る。
「う……フ…ジ?」
「ドラセナ!?」
わずかに反応があった。消え入りそうな声だった。
「ごめん……ドジった……」
ドラセナがうっすら笑うが、その目の焦点は合ってない。
「喋っちゃダメだ。すぐに処置する」
まずは止血だ。この出血量は命に関わる。
「くそっ、暗くて患部が見えない……」
傷の状態も夜の闇で分かりにくい。それに、思った以上に出血が多い。
どれだけ抑えても止まらない。動脈も傷ついているのか。
このままだとドラセナは――
「冗談じゃない……術式展開――――ぐあっ!?」
馬鹿か僕は!
動揺で懲罰術式のことを忘れるなんて。
「ぐ……う……」
痛みのあまり悶絶する。どうしてだ。どうして今なんだ。
ドラセナを救うのに、どうして今、使えない魔術が必要なんだ!
「く……そ……」
恨めしい。この両腕に刻まれた文様が恨めしい。
せめて片方だけなら、無理を押してでも使い続ける。だが、ドラセナの治療に使わなくちゃいけない術式は少なく見積もっても二つ。しかもある程度の使用時間が必要だ。この両腕ではそれだけの術式の行使に耐えきれない。
「フジ……」
ドラセナが手を伸ばす。
「あり……がと……」
「喋っちゃダメだ、今すぐ治療するから!」
手を握って言葉を返す。
だが、どうやって。治療のための術式を使い続けることができない。手術するにも明かりも道具も足りない。
「フジ……頑張ってるの、知ってるから……」
「ドラセナ……?」
「いい……お医者さんに……なってね」
どうしてそんな言い方をするんだ。
「あーあ……こんな……ことに…なるん……だったら……」
ドラセナの手から力が抜けていく。やめてくれ、そんなことを言わないでくれ。そんな言い方、まるで――。
「ふざけるな……」
そんな未来は認めない。だってあの日、ドラセナと約束したじゃないか。
――ドラセナがケガをしても、死にそうになっても、僕が必ず治してあげるよ。
騎士になれない僕が、誰かを守ることのできる唯一の手段。
みんなにはない僕だけの武器。それを、今使わなくていつ使うって言うんだ!
「うわああああ!」
無茶でも、無謀でもやるしかない。
魔力を励起させた途端に全身を激痛が貫く。
無茶な魔力行使に体が悲鳴を上げる。
不完全でもいい。少しの間だけでいい。
魔術を使わせて欲しい。
「術式……展開――――」
まずはこの術式だ。この邪魔な術式を何とかする。
「『介入』『解体』」
ウィステリア家から出る前に、僕が唯一受け継いでいた秘術だ。
だけど激痛で集中できない。魔力を思い描いた通りに行使できないから術式が不完全だ。
でも、そんなことを言っている場合じゃない。僕が発狂するか、意識を失うか、死ぬか術式が消えるかだ。
「術式……解体!」
魔力を帯びた指を左腕に食い込ませる。
複合術式の発動で懲罰術式が二重に作用する。相乗効果で与えられる激痛はいつもの数倍だ。
「ぐああああ!」
気を抜くと意識が持って行かれそうだ。
諦めてたまるか。心を強く持て。僕は何のために医術を学んできたんだ。誰を守ろうと頑張ってきたんだ。
そうだろう、フジ=ウィステリア!
「みつ……けた!」
術式の根幹部まで介入することは今の僕にはできない。だけど、この激痛を送り込んでくる術式の部分を見つけ出した。
「ああああ!!!」
強引にその場所を焼き潰す。
『解体』の術式の効果の一部を使って、その部分を機能できなくする。直後、痛みの度合いが下がった。一時しのぎにしかならないけど、今だけは痛みは軽減されるはず。不十分だが今はそれで十分だ。
「はあ……はあ……」
術式を解除する。頭が割れそうなほどに痛い。
激痛のあまり意識が切れそうだ。でも、僕の戦いはここからが本番だ。
「最後まで……持ってくれよ」
落ち着いている余裕がない。いつ意識を失うかもわからない状態で再び魔力を励起させる。相変わらず痛みは激しい。だけど、これならまだ行ける。
「術式展開――――『
術式を使い、ドラセナの体の状況を把握する。損傷個所、早急に処置すべき場所を洗い出す。状態は想像以上に深刻だった。この場で失った血液を補充することは難しい。だからまずは損傷個所の修復とこれ以上の出血を抑えることだ。
「術式展開――――『修復』」
続けざまに術式を展開し、読み取った損傷個所に術式を送り込む。
治癒力を強化して傷を塞いで行く。この術式なら完治をさせることはできないが、損傷個所に薄い膜を張って出血を止めることはできる。あとは安静にしていれば数日で完治するはずだ。
出血が止まった。内臓の損傷の応急修復も完了だ。
「これで……どうだ……」
頭痛が酷い。痛みは軽減できているとはいえ、立て続けに術式を発動して魔力を運用していれば苦しみは長時間続く。むしろ、よくここまで持った方だ。
意識が朦朧としていた。視界が傾いている、頬に固い感触があった。
いつの間にか倒れていたのか。
「ドラセナ……?」
呼びかけるが彼女からの反応がない。力を振り絞って這って顔を近づける。
――呼吸が止まっていた。
「そんな……」
認めない、こんな結末はお断りだ。
マリーちゃんを助け出したとしても、その過程で誰かが命を落としていたら何にもならない。これから生きていく中でそんな重い罪をあの子に背負わせるわけにいかない。あの親子が心から笑顔で暮らすためには今、ここで誰一人欠けちゃいけないんだ。
「術式……展……開」
残された最後の手段を使うことを決意する。
修業が完了する前に家を飛び出したから存在は知っているけど使った例がない。
そもそも、『術式解体』と違ってこの術式自体が研究段階だ。
魔力の運用や術式の構築について、まだ確立しきっていない。
「――――『転化』」
魔力を生命力に転化させる。
生命力というものがどんな存在なのか、まだ家では解析しきれていない。
だが、理屈なんてどうでもいい。家は人の生命力を活性化させる方法を見つけている。それを使うだけだ。
死の淵から蘇生させるには魔力を惜しんでいられない。そのために全魔力を注ぎ込む。
「『浸透』」
魔力を運用するたび、懲罰術式から激痛が送り込まれる。
それは家が僕の術式を止めるかのような錯覚を覚える。
――失敗して、ここで家の秘匿と恥をさらす気か。
うるさい、黙れ。
――この女は間に合わない。
違う、僕が間に合わせてみせる。
――そもそも目の前の命を見捨てたくないなど、傲慢だ。
そんなことはわかってる。これは僕の
――救えない命もある。
それもわかってる。でも、彼女だけは救いたいんだ。
――お前が死ぬかもしれない。
いいさ。だって、カッコいいじゃないか。
好きな人を命懸けて守るなんて。
「起死……回…生!」
成功しても失敗しても、僕は魔力を使い果たす。
そうなればもう動けない。
でも、この術式だけは成功させる。
例え、一族の誰もが成功させていない研究段階の術式でも。
だって、僕が救おうとしているのは“一つの命”じゃない。
その人の人生、取り巻く人々の日常、繋いでいく命。
それら全てだからだ。
僕の魔力が両手の間で一つの形になっていく。
それは、雪の結晶の様に美しく光り輝いていた。
「でき……た……」
感傷に浸っている暇はない。すぐに行動を起こせ。
理論上はこれを体内に送り込むことで術式が作用し、生命力が全身に浸透していくはずだ。
だが、生成できたこれがまともに作用するのかわからない。
ここから先は誰も試したことがない。だけどこれに
傷口は塞いでいる。だから彼女の口元へ持っていく。
「……お願いだ、口を開けてくれ」
ダメだ、反応がない。
そもそも呼吸の止まっているドラセナがこれを飲み込めるわけがない。
無理やりねじ込んでも口の中じゃダメなんだ。
心臓付近、肺の位置に送り込まないと十分な効果が見込めない。
「ドラ……セナ……」
徐々に力が抜けていく。魔力切れの副作用だ。
嫌だ。あと少しなんだ。
切開する力も残されていない。
何か手は――
「……ごめん」
身を乗り出す。
生成した生命力の塊を口に含み、そのまま僕はドラセナに唇を重ねる。
人工呼吸の要領で空気と一緒に術式を押し出す。
お願いだ。死なないでくれドラセナ。
恐る恐る顔を離してドラセナの表情を見る。
血色がいい、脈も正常だ。呼吸も再開している。
疑問の余地はない。術式は成功だ。
「よかっ……た……」
これでもう大丈夫だ。
気が抜けた途端、力が抜けて崩れ落ちた。
頭も痛いし、魔力切れで全身に力が入らない。
意識が暗転していく。
ごめんみんな、僕はここまでだ。
あとのことは頼む。
ああ、目を覚ましたらドラセナに謝らなくちゃ。
非常時とはいえ、女性に対して失礼なことをしてしまった。
怒るだろうな……でも、もしかしたらあっさり許してくれるかもしれない。
いつもの笑顔で「非常時だったんだから仕方ないわよ。気にしないで」って。
そう言ってくれたら助かるな。
ちょっと残念だけどね――。
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