第37話 信じるべきもの

「キッカ……マリーが魔族って」

「さっきこの子が使ったものが何か、あんたならわかるでしょ!」


 キッカが思わず声を荒げる。

 レンカも理屈ではわかっていても、マリーがそれを使ったという事実に理解が追い付いていなかった。


 術式を用いずに放たれた先ほどの行動は明らかに攻撃魔法だった。

 人間では魔力を放ち、なおかつ大型の魔物を吹き飛ばすほどの爆発を起こすことはできない。

 できることと言えば技の威力を魔術で増幅することだが、マリーは武器を持っていない。

 純粋に魔力のみで相手にダメージを与えることは魔族にしかできないことだった。


「マリーが……魔族」

「全然気づかなかった……何が目的でオウカ様たちに近付いたの?」


 叩きつけられる敵意。

 だが、人と魔族の確執を知らずに育ったマリーにとっては、キッカが何に怒っているのかわからない。


「私、お姉ちゃんが何を言ってるのかわかんないよ……」

「とぼけるな!」


 怒鳴り声に身をすくませる。

 さっきまで皆を守ろうとしていた姿とはまるで違うキッカに、マリーは恐れを抱く。


「あんた達のお陰で、どれだけ人間が死んだと思ってるの……この間の討伐戦だって、うちの人間がいっぱい死んだのよ!」


 レンカとエリカも表情が暗かった。

 キッカ同様に魔王討伐戦で親類を失った気持ちは彼女たちにもよく理解できたからだ。


「私は魔族を絶対に許せない……本当ならあんたなんて……」

「キッカ、それ以上は!」

「く……」


 レンカに制止されて、我に返る。

 これ以上魔族への恨みをマリーにぶつけても何の意味もない。


「……エリカを助けてくれた事は礼を言うわ。でも、あんたと一緒に行くことはできない」

「やだ、お姉ちゃん待って!」

「近付くなって言ってるでしょ!」


 マリーが怯えた表情でキッカを見つめる。

 その表情にキッカも言葉に詰まる。


「……行くわよ、レンカ、エリカ」

「で、でも……」


 泣きそうになっているマリーを前に、レンカは戸惑う。

 エリカも、なんと言葉をかければいいか見つけられないでいた。


「いいから!」


 強引に二人の手を引き、キッカは奥へと進んで行く。

 暗い森の中に独り、マリーだけが残された。


「……お姉ちゃん?」


 三人が消えた先に声をかける。

 言葉は返ってこない。


「ねえ、おねえちゃん……」


 涙が頬を伝っていた。

 文句を言いながらも自分のことを面倒見てくれたキッカから初めて発された明確な拒絶。

 レンカも、エリカも、迷う表情の中に自分に対しての怯えを含んだ眼差しを向けていた。


「やだ……やだよ……置いていかないで!」


 叫ぶ声は森の闇へ消えていく。

 追いかけたいが、キッカに言われた言葉が足を前に進めさせてくれない。


「キッカお姉ちゃん! レンカお姉ちゃん! エリカぁ!」


 取り残されたという事実がマリーに突き付けられる。

 それは、マリーが最も恐れていることでもあった。


「私が悪いなら謝るから! 魔族ダメならやめるから! 一人ぼっちになるのはやだああああ!」


 父と母を亡くして、それを知らないまま地下神殿を出たマリーは両親に置いて行かれたと感じていた。

 新しい環境にアキレアやノアもついてこなかった。

 それは、マリーが人間社会で生きていくためにトラブルとなる要素を少しでも減らそうとした二人の配慮でもあったが、彼女にとっては知らない環境に取り残されたに等しい。

 だからこそ、マリーは誰かに一人で置いて行かれることに過剰なまでに恐れを抱いていた。

 信頼できる誰かと一緒にいることを望み。そこから引き離されることを何よりも怖がった。


「わああああ!」


 自分の下から大好きだった人が離れていく。

 それは彼女のトラウマを強く呼び起こして感情をかき乱す。


 ――悲しみでに。


「あ……ぐ……」


 心臓が突然強く脈打った。

 一度跳ねた鼓動は何度も繰り返し、痛みが胸を締め付ける。


「な……に……これ」


 この感じは以前も経験していた。

 春の終わりに一度、食事中に気を失った時に。


「痛い……いたいよ……」


 ふらつきながら近くの木にもたれ掛かる。

 早まる鼓動は収まる気配もない。


「だれか……たすけて」


 胸を抑える。

 体の中で何かが渦巻いている。

 魔力のコントロールを学んでいないマリーにはそれを制御する術がない。


「キッカお姉ちゃん……レンカお姉ちゃん……エリ……カ」


 その声は届かない。

 次第に視界も狭まってきた。


「おかあさん……ママ」


 浮かぶのは、大好きな二人の母の笑顔。

 手を伸ばす。

 いつもなら誰かがこの手を取ってくれた。


 涙が一筋流れる。

 伸ばした手は何も掴めずに地に落ちたのだった。




「キッカ!」


 レンカの言葉に耳も貸さず、キッカは二人の手を引いてどんどん先へと進む。


「待って、キッカ!」

「……うるさい」

「お願い、話を聞いて!」

「うるさい!」


 キッカが足を止める。

 その手は掴んだまま。背を向けた彼女の表情はうかがい知れない。


「キッカはこれで本当に良いんですか?」

「……相手は魔族よ。何を企んでいるのかわからないじゃない」

「それは……そうかもしれませんが」

「私は年上としてあんた達を守らなくちゃいけないの。危ない目に遭わせたくないのよ」


 握る手に力が入る。

 それは、微かに震えているようにも感じた。


「魔族と人間の関係が良くないのはわかります。でもあの子は……」

「いい子だって言いたいの?」

「……少なくとも、私には悪には見えません」

「いい魔族なんて、あんたはいると思うの?」

「……わかりません。でも……私は」

「じゃあどうしろっていうのよ!」


 キッカが振り向く。

 歯を食いしばって堪えていたが、言葉とともに涙が溢れ出していた。


「……ずっと家でオウカ様が正しいって言われてたのにトウカ様とは仲直りしているし……せっかく仲良くなれたと思った子が魔族だって……私は何を信じたらいいのよ!」

「キッカ……」


キッカがずっと押し込めていた気持ちを初めて見せた。

だがそれは、少女が抱え込むにはあまりに重かった。


「この一年で、私の信じてたものが滅茶苦茶だよ……もう、訳わかんないよ」


 家に言われたことが正しいと信じて、自分の気持ちも押し殺してたった一つの価値観だけを疑わないようにしてきた。


「魔族は悪い奴じゃないの? 何でマリーが魔族なのよ? 私は何を恨めば良いのよ!」


 だが、彼女が目の当たりにした現実はそれら全てを否定した。

 自分の価値観が根元から揺らいだ。

 その矛盾を許容するにはキッカは幼すぎた。


「教えてよレンカ……あんた頭いいじゃない。どうすればいいのか教えてよ!」


 すがりながら泣きじゃくる。

 年上だからとか、ラペーシュだからとかもうどうでもよかった。

 家の言うことを信じたい。だが、もう信じて裏切られるのは嫌だ。

 なら、自分は何を信じて行けばいいというのか。


「……キッカさんはマリーをどう思ったんですか?」

「え……?」


 これまで二人を見ていたエリカが言葉を挟んだ。


「キッカさんが感じたマリーという子は、どんな子でしたか?」

「……素直な子よ。元気で、いろんな人に好かれるような子だなって」

「好きでしたか?」

「……たぶん」

「なら、それでいいんじゃないですか?」


 エリカに言われ、キッカはきょとんとする。


「……魔族だってことは驚きましたけど、それでもマリーはマリーです。それは変わらないと思います」


 拙い言葉ではあったが、キッカにはそれが重く心に響いた。


「……私もそう思います。魔族は魔族です。でも、マリーはマリーじゃないですか」

「あんたたち……」

「私たちは子供なんですよ。そんなに難しいことを考えなくてもいいじゃないですか」


 レンカが苦笑する。


「……まったく、年下に教えられるなんてね」


 キッカが涙をぬぐう。

 深呼吸して気持ちを入れ替える。


「あんたたちはこのまま森を抜けなさい」

「キッカ?」

「キッカさん?」

「誰か人を見つけたら助けを求めなさい。私も絶対後から追いつくから」


 キッカは走り出す。

 ここに来るまでに歩いてきた道を反対側に。


「いいわね、任せたわよ!」


 全力で走る。

 その先にいる、自分を心から慕ってくれていた魔族の少女目指して。

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