第38話 小さな騎士団

 それは怒りを抱いていた。

 矮小な存在でありながら、獲物となる存在でありながら自分に過分な行いをした存在に。

 それが、かつて自分を従えていたものの忘れ形見であることなど理解しないまま。

 報いを、あがないを、罰を。

 胸中に去来するのはそればかりであった。

 魔物は匂いを辿って元の場所へと戻って来たが、そこにいた獲物の姿が見えなくなっていたことに不満を抱く――いや、一匹だけ残っていた。


 それは、木にもたれかかって目を閉じていた。

 目の前まで近寄るが、逃げる素振りはない。

 逃げた獲物もその辺にいるだろう。

 まずは腹を満たすために目の前の獲物をいただく。

 牙を剝き、その首を狙う――何かが魔物の横面に当たり、動きが止まった。

 それは一回だけではなく、二回、三回と衝撃があり、首や体、脚に当たる。

 痛みはないが煩わしい。魔物はおもむろに横を向いた。

 そこに立っていた少女と目が合う。

 どうやらあれが雪を固めたものをぶつけていたのだと魔物は理解した。


 少女は細長い棒を両手で握り、魔物にその先を向けていた。

 震えるその姿はあまりに頼りない。

 立ち向かって勝てる相手ではないことを十分に彼女は理解している。

 だが、逃げようとしなかった。

 恐怖に震えながら、必死に逃げ出したい気持ちを抑え込んで敵意を魔物にぶつける。


「そ……その子から」


 その先を言えば後戻りはできない。

 明確に敵であることを魔物に示すことになる。

 だが迷いを振り切って覚悟を決める。


「その子から離れろ、この化け物っ!」


 敵意に反応し、魔物が大きく吠える。

 腰を抜かしそうな恐怖に少女は――キッカは耐えた。

 怖い。逃げ出したい。死にたくない。

 戦闘訓練を受けていない彼女は武器の扱い方も、立ち回りのやり方も、術式の使い方も知らない。

 だが、意識を失っているマリーを守るため戦うことを選んだのだ。

 もう引けない。


 武器を持ち、敵意を露わにした相手に対して魔物も臨戦態勢をとる。

 地を蹴り、まっすぐキッカへと向かってくる。

 キッカは横に跳んで突進をかわす。

 魔物はそのままの勢いでその先の大木に頭から突っ込む。


「やった!」


 力はないが精一杯知恵を絞って考えた戦い方だった。

 魔物は獲物を襲うため勢いよく突撃してくる。キッカはそれを利用したのだ。


「え……」


 だが、その考えは浅はかだった。

 魔物が突っ込んだ大木は音を立てて倒れていく。

 激突した場所から真っ二つに折れていた。

 魔物が振り向く。

 小さな存在が中途半端なダメージを与えたことにより、プライドが傷つけられたのかその眼は鋭さを増していた。


 再び魔物が駆け出す。

 一度目でダメならもう一度。

 キッカは魔物の動きを見て跳ぶタイミングを計る。


「今だ!」


 キッカが地を蹴る。

 ――だが、魔物は彼女の目の前で制動をかけていた。


「え……?」


 無防備に宙に飛ぶキッカ。

 魔物はその場で反転し、遠心力を加えて尻尾をその体に叩きつけた。


「がふっ……!」


 虫のように叩き落され、バウンドしながらキッカは地面を転がっていく。

 その先にあった大木に叩きつけられるようにして、ようやく止まった。


「う……」


 たった一撃だった。

 それだけでキッカは戦う意思と力を奪われた。

 頭と背中を打ち付け、肺から空気を吐き出して意識が朦朧としていた。


 考えが甘かったことを後悔する。

 本当なら魔物と戦うことは想定していなかった。

 ただ泣いているはずのマリーを連れて森を抜けようとしていただけだった。

 でも、魔物に襲われようとしている小さな子を目の当たりにして黙って見ているなんてできなかった。

 そんな事をすれば一生自分が許せなくなる。


「ま……だ……」


 雪を掴む。

 冷たい。まだ感覚は生きている。

 骨も折れていない。まだ立てる。

 歪んでいた視界が回復してきた。

 魔物は――マリーの下へ向かっていた。


「マ……リー……」


 早く助けなくてはいけない。

 まだ体は痛い。それでも立ち上がる。

 覚束おぼつかない足取りでキッカは魔物へ向かう。

 力が入らなくても、拾い上げた棒を振り上げて威嚇する。


「……こっち……向け……化け物」


 魔物が再びキッカを視界にとらえる。

 邪魔をされたことに怒りを覚えていた。

 注意を引くことに成功したキッカは、少しでも魔物を引き離すため走り出そうとするが、ダメージの残る足がもつれて転んでしまう。


「逃げ……なきゃ……」


 這ってでも進む。

 魔物は数歩でキッカに追いつき、前足を持ち上げ、その背中へと振り下ろす――


「キッカ!」


 名前を呼ばれ、意識がようやくはっきりする。

 見上げれば魔物は右の前足を振り上げた状態で動きを止めていた。

 ――その身に、金属の糸を巻き付けて。


「大丈夫ですか、キッカさん!」

「レンカ……エリカ」


 レンカはブレスレットから何本ものかずらを放ち、腕、頭、胴体と魔物の各部に巻き付かせてその動きを封じていた。


「バカ……先に行けって言ったのに」

「……長くは持ちません。私が動きを封じている間にマリーを!」


 魔物が吠える。

 己の身を縛るものへのわずらわしさから暴れる。


「くっ……うう……」


 抵抗する魔物の巨体を何とか制しているが、その表情には一切の余裕がない。

 本来のかずらの使い方なら力を受け流して体勢を崩すなどの運用もできるが、レンカはまだ本格的な修行を積んでいないために魔力の練りが足りない。

 ただ魔力を流し込んで動きを阻害することぐらいしかできない。

 時間稼ぎしかできないことはわかっていた。

 だが、命がけでマリーを守りに行ったキッカを放っておくことなどできなかった。


「マリー……」


 キッカは立ち上がる。

 魔物の足の間を抜けて気にもたれているマリーの下へと向かう。

 早く連れてこの場を離れなくては。

 そう思った矢先のことだった。


 ――それは、ずっと機会をうかがっていた。

 隙を見つけ、狙いを定めるために。

 獲物は四匹。選ぶは一匹。

 確実に仕留めるために決定的な時を待っていた。


 そして、その時が来た。

 獲物を得るのに邪魔な同類まものはその内二匹と対峙している。

 一匹は木の傍にいて捕えにくい。

 残る一匹だ。

 この魔物は、糸のようなものを持つ人間の後ろに離れて立っている小さな人間を狙うことに決めた。


 枝の間で息を潜めていた魔物が音もなく降下する。

 落下速度を加え、高速で少女に迫る。


「――え?」


 少女――エリカが気づいた時には、もう遅かった。


「きゃああああ!?」


 突然の悲鳴にキッカが足を止める。

 見ればレンカのすぐ後ろを通り過ぎた鳥型の魔物がエリカの体を鉤爪で押さえ込んでいた。


「そんな、もう一匹!?」


 怪鳥が羽ばたく。

 勝利の鳴き声を放ちながら、エリカとともにその巨体が舞い上がる。


「キッカさん、レンカさん! 嫌ああああ!」

「エリカーっ!」

「エリカさん!」


 レンカが手を伸ばすが届かない

 動きを封じられているのは彼女の方も同じだった。

 二人の目の前で怪鳥は姿を森の夜空に消していった。


「うっ……ごほっ!」


 エリカが連れ去られたことで動揺した。

 レンカの魔力の集中が乱れる。


「ごほっ……こん……な……時に」


 身の丈に合わない魔力運用がレンカの体に負担をかける。


「お願い……あと……少し……」


 レンカの願いも空しくかずらから光が失われる。

 こうなれば最早ただの金属の糸。

 力が緩んだ瞬間を獣型の魔物は見逃さなかった。


「グオオオオ!」

「ああっ!」


 頭を振り乱し、かずらを無理やりほどこうとする。

 糸で繋がっているレンカの体がその動きで振り回される。

 魔物がかずらを力尽くで振り払う。

 その勢いでレンカも空中へ放り投げられた。


「きゃああああ!」


 枝を折りながら地面に墜落する。

 雪がクッションになったお陰で命こそ助かったがレンカは衝撃で気を失っていた。


「レンカーっ!」


 叫ぶキッカの前に魔物が立ちはだかる。


「あ……」


 足がすくんだキッカに容赦なく巨体が突っ込む。

 跳ね飛ばされてキッカの体は軽々と宙に打ち上げられた。

 キッカが地面に落下したのを見て、魔物は再度マリーに向き直る。

 まずは恨みの募る相手を殺そうというつもりだった。


 魔物は歩を進める。

 だが、その足に重みがのしかかる。


「だめ……行かせ……ない」


 キッカが魔物の後ろ足にしがみついていた。

 腕の力もほとんどない、だが引きずられながらもその手は離さない。

 ラペーシュの者に見られれば何と言われるかわからない無様な姿だが、キッカにはそんなことはもうどうでも良かった。


「だって…………って……ない」


 意識はとうに失ってもおかしくない。

 だが、たった一つの気持ちが彼女を突き動かす。


「まだ……言えてない……」


 正直許してもらえないかもしれない。

 それでも、言わなくちゃいけない。

 頑固で素直になれない自分が、マリーにできる唯一の償い。


「酷いこと言ってごめんって……私、まだ言えてない!」


 噛みついてでも抵抗する。

 最後までマリーを守る。

 あの人なら絶対にこんな状況でも諦めたりしない。

 ずっと生き方や価値観を家に決められてきたキッカの中で唯一確かなこと。

 それがオウカのようになりたいという気持ち。

 もしここでマリーを見捨てれば、憧れのオウカの隣に立つ資格などなくなる。

 いつかの日のため今、キッカは諦めるということだけは選びたくなかった。


「グアアアア!」


 魔物が後ろ足で蹴り上げる。

 振り解かれたキッカは再度地面に叩きつけられた。

 もう指先も動かせない。


 だが、唯一の勝利があった。

 魔物がキッカを弾き飛ばした後も彼女の方を向いていた。

 マリーよりも先にキッカの排除を優先することを決めたのだ。

 これならマリーが先に殺されることはない。


「はは……やった……」


 心残りはある。

 マリーと仲直りしたかった。

 レンカやエリカも一緒になって遊びたかった。

 憧れの人の傍で色々と学びたかった。


「オウ……カ……さま」


 魔物の前足が持ち上がる。

 爪が月明かりにギラリと光る。

 痛いのだろうか。それとも痛みも感じずに死ぬのだろうか。

 どちらにしろ、もう目の前がぼやけて来てよくわからない。


 魔物の足が振り下ろされる。

 キッカは目を閉じた。


「――瞬華終刀しゅんかしゅうとう


 誰かの声が聞こえた。

 風が吹き、雪が舞い上がる。


 魔物の雄叫びが聞こえた。

 魔物の足が宙に飛び、巨体が倒れ込んで地を揺らす。


 キッカが目を開ける。

 舞い上がった雪が降るその中で、彼女は佇んでいた。


「良かった……間に合った!」


 その人が振り向く。

 出会った時に、あんなに酷いことを言ったのに。

 反発ばかりしていたのに。

 どうして守ってくれるのだろう。

 どうしてそんな、心からの笑顔を向けられるのだろう。


「トウカさまぁ……!」

「よく頑張ったね、キッカ」

「はいっ……!」


 頑張った時間は無駄ではなかった。

 報われた想いでキッカの中で張りつめていた糸が切れる。


「あとは任せて」


 足を失い、怒りに燃えて立ち上がる魔物にトウカは剣を向ける。


「術式展開――――『加速』」


 魔物と同時にトウカが走り出す。

 キッカの涙を無駄にはしない。


 ――次は、私が守る番だ。

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