第36話 マリーの騎士

 時間は少しだけ遡る。

 森から王都に繋がる道をバレンは左腕を押さえて歩いていた。


「はあ……はあ……まったく、とんだ災難だ」


 魔物に襲われたときは彼も死を覚悟した。

 だが、懐に忍ばせていた魔術の結晶が襲われた拍子に飛び散り、魔物の動きが鈍った。

 そのため一度嚙みつかれた際に腕をケガを負ったものの、辛うじて逃げることができたのだ。


「……あの人質も死んだな」


 崖下に広がる森を見下ろす。

 恐らくまだ人質の少女たちはあそこにいるはずだ。

 小屋から脱出してもしなくてもあの魔物に見つかれば逃れられるとは思えない。


 これで家の再興はかなわないだろう。

 左腕はケガを負い、右の手首はフロスファミリア家襲撃の際に骨折している。

 活動するにも回復まで時間が必要だった。

 まずは王都へ向かい、治療と逃亡の準備を整えなくてはならない。

 どこかで馬でも調達できれば助かるのだが――。


「……しめた」


 バレンの向かう方から馬がこちらへ走って来るのが見えた。

 負傷しているとはいえ、相手が一般人なら馬くらい奪えるはずだった。

 道に立ちはだかり、馬の進路を塞ぐ。

 バレンに気付いた騎手は馬を止めた。


「お前は……」


 そして互いに顔を見て驚く。


「誘拐犯のもう一人、バレン=ウォートだな」

「ちっ、オウカ=フロスファミリアか!」


 反射的に身構える。

 が、それよりも早くオウカの背後で馬に乗っていた人物が動き出していた。


「――動かないでください」


 トウカが一瞬で剣を抜き、彼の喉元に剣の切っ先を突きつけていた。

 剣を抜こうとした体勢のまま、バレンは動きを封じられた。


「と……トウカ=フロスファミリア……」

「抵抗しなければ手荒な真似はしません」


 それはバレンが想定していた以上のスピードだった。

 彼の掴んでいた情報によれば、妹のトウカ=フロスファミリアは姉に比べて魔術の力に劣るということと、剣の腕だけは警戒すべきということだった。

 だが、オウカは王国最強として名を馳せているため、精々オウカの下位互換程度にしかとらえていなかった。

 ここに及んでトウカの実力を見誤ったのはバレンにとって痛恨のミスだった。


「……投降する」


 手を広げ、無抵抗を示す。

 程なくしてドラセナたちも加わり、バレンは拘束されたのだった。




「子供たちはどこだ」


 捕らえたバレンを詰問する。


「この崖の下にある小屋の中だ……だが、無事かはわからん」

「……それはどういう意味だ」

「それに、そのケガ。何があったの?」


 オウカに続き、ドラセナもバレンに問う。

 子供を監禁していただけにしてはバレンの負傷は説明ができない。


「魔物に襲われたのさ。お陰で人質も連れずに逃げる羽目になった」

「魔物と遭遇したのか」

「……子供たちが襲われるかもしれないわ。急ぎましょうオウカ」

「ああ……」

「オウカ、これを見て!」


 バレンの所持品を改めていたトウカとフジが血相を変えてオウカを呼ぶ。


「どうしたトウカ?」

「これ……マリーの腕輪が……」


 荷物から現れたのは見覚えのある装飾が施された金の腕輪。

 それを彼女らが見間違えるはずがなかった。


「貴様……マリーから奪ったのか!?」


 掴みかかろうかという勢いでオウカがバレンに詰め寄る。

 その剣幕にドラセナが慌てて彼女を止める。


「……それがどうした。そんなに取り乱すほど値打ちのあるものなのか?」

「くっ……」


 それを言うことはできない。

 だが、腕輪がここにあるということはマリーは魔力を制御できていない状況にある。

 一刻も早く子供たちを見つけなければいけない。

 取り返しのつかないことになる前に――。


「爆発!?」


 それは、唐突に鳴り響いた。


「みんな、あれを見て!」


 ドラセナが指し示したのは崖下の森だった。

 その一角で光が炸裂していた。


「どうしてあんなところで爆発が……?」


 その答えにオウカはすぐに辿り着く。

 小屋に火薬の類があるわけがない。

 だとすれば他の手段で爆発を起こす方法を持つ存在がいる。

 想定されるのは――魔法だ。


「トウカ、まさかあそこに……トウカ?」


 振り向いた先に妹の姿はなかった。


「ちょっと、トウカ!?」


 ドラセナの悲鳴に似た叫びが聞こえ、オウカはそちらへと振り向く。


「マリーっ!」


 それは今まさに、トウカが崖下へ飛び降りる瞬間だった。

 仮に爆発の原因がマリーであったとするなら、彼女が魔法を使ったということだ。

 マリーがそんなことをしたことは一度もない。

 一体どんな状況にあるのか。

 どう考えてもあの場所で何かが起きている。

 故に躊躇せず、彼女は崖を下る決断を下したのだ。


「トウカ、なんてことを!」


 フジが慌てて崖下をのぞき込む。

 オウカも目を凝らしてトウカの行方を追う。


「……大丈夫だ。『強化』の術式を使って岩場を飛ぶようにして降りている」

「……びっくりさせないでよ……って、それも十分凄いわよ!?」


 ドラセナが目を丸くする。

 フロスファミリア家が体術に長けているのは知っているが、落下しながら次から次へと岩を蹴って速度を抑えながら崖を降りるトウカの動きは、術式込みとは言え超人技だ。


「やれやれ、我が妹ながら仕方ないな」

「オウカ、まさか……?」


 オウカが続いて崖の先に立つ。


「一番の近道だからな。術式さえ使えば不可能ではないみたいだ」

「無茶よ。一歩間違えたらただじゃ済まないわ!」

「……これは母からの受け売りなのだが」


 オウカが呟く。

 それは、バレンたちが屋敷を襲撃したときに母のローザが口にした言葉。


「母親は子供が危険に晒されているなら命がけで守るものらしい」

「オウカ……」

「マリーの母親として、あいつに負けるつもりもないからな」


 オウカも妹の後を追って飛び降りる。

 術式も発動し、比較的バランスのとりやすい緩やかな斜面を選びながら降りていく。


「はぁ……まったくあの姉妹は」


 ドラセナは呆れながらも嬉しそうだった。

 あの手がつけられないほど悪化した姉妹仲が随分と良くなったものだと。

 感情のまま飛び出すトウカに、それを呆れながら後に続いてくれるオウカ。

 いつだってドラセナたちはそれを追いかけて大冒険に巻き込まれたのだ。

 本当に今の姿は昔の頃に戻ったようだった。


「フジ、私たちも行きましょう」

「え?」


 フジは耳を疑う。


「まさか、正気かい?」

「早く行かないと追いつけなくなるわ」

「いや、僕は……」

「大丈夫よ。『強化』くらいなら使えるでしょ?」


 確かにフジも『強化』など基本的な術式は修めている。

 だが、彼は懲罰術式のお陰で満足に術式が使えない状態だ。


「ドラセナ、今の僕は術式を……」

「グダグダ言わない、男でしょ。ほら行くわよ!」


 フジの抵抗も空しく、彼の手を取ってドラセナも飛び降りる。


「うわああああ!?」


 フジの悲鳴を残して二人も崖下へと身を躍らせた。


「……馬鹿かあいつらは」


 残されたバレンは肩をすくませる。

 魔物のいる場所へわざわざ飛び込んで行くなど正気の沙汰ではない。

 隠し持っていた刃物で手首を巻いていたロープを切る。

 戒めから解かれ、自由になる。


「ちょうど馬も残されているな。これを使って王都まで――」


 風が通り過ぎたと思った。

 その瞬間、バレンは自分の体が軽くなった感じがした。


「――は?」


 状況がわからなかった。

 何故、伸ばした手があるのか。


「あ……あああああああ!?」


 痛みで脳がようやく理解する。

 左手が切断された。

 それも刃物などではない、もっと別の得体の知れない何かによってだ。


「――本当に優しい方だ。いや、甘いと言うべきでしょうか」


 バレンの目の前で岩の影が不自然にうごめく。

 それは宙に延びると、次第に人の姿を形作って行く。


「いや……それで良いのでしょう。それがあの人らしさであり、あの方のためでもある」

「ま、魔族だと!?」


 影が消えたそこには魔族の青年、ノアが佇んでいた。

 突如姿を現した存在にバレンは手首から先を失った左腕を抑えながら後ずさる。


「馬鹿な……どうして魔族まで」

「知る必要はありません……これから死ぬあなたには」


 ノアが腕を振るう。

 その手に集めた魔力を変質させ、風を起こす。


「刃と成せ」


 バレンの体勢が崩れる。

 脚が不自然な方向へ曲がって――否、切断されて太ももから先が落ちた。


「ぎゃああああ! 脚が、脚が!」

さえずるな」


 冷酷な言葉が投げつけられる。

 まるで虫けらを見るような、いや、それ以下の汚物を見るかのような眼でノアはのた打ち回るバレンを見下ろしていた。


「ああ、いけない。あまりに感情を高ぶらせるわけにはいかないのでした……ですが、あまりの怒りで我を忘れてしまいそうですね」


 怒りに満ちた緑の瞳が夜の闇の中で爛々と輝く。

 人ならざるその特性は明らかに魔族のもの。

 恐怖でバレンは絶句する。


「影よ、戒めとなれ」


 ノアがバレンの影に魔力を打ち込む。

 影が紐のように伸び、宙に飛び上がってバレンの体へ巻き付いていく。


「さあ、闇よ。抉り削りて食すがいい。己が望むがままに」

「な……何をする気だ」

「あの方を危険にさらしたむくいをその身で受けるがいい」


 影の中へ体が沈んでいく。

 それも徐々に、接地している部分がじわじわと失われていくように。


「やめろ……やめてくれ」


 恐怖で絶望に染まってゆくバレンの表情に、ノアは何の感慨も湧かない。


「すぐには殺しません。意識を残したまま体を削り取られていく恐怖を味わいながら消えて行きなさい」


 バレンには何故自分が殺されるのかがわからない。

「あの方」とは誰なのか。

 自分が魔族の怒りを買う程の何をしたというのか。


「あなたは決して触れてはいけないものに触れた……それだけです」


 耳まで影の中に浸かった彼にその言葉は聞こえない。

 意識が途切れるのと、影の中に落ちて視界が真っ暗になったのがどちらが先なのかもわからないまま、バレンの体は影の中に溶け込むように消えて行った。


「……気は済んだか?」


 いつの間にか傍の岩にアキレアが座っていた。


「……いえ、まだ粛清すべき者たちが残っています」

「あいつらに加勢しなくていいのか?」

「私のことを知っている三人以外の人間がいます。姿を見せるわけにはいきませんよ」

「……だが、マリーに何かあったらどうする気だ?」

「心配いりませんよ」


 アキレアの問いを事も無げに答える。

 その表情には微塵の躊躇ためらいもない。


「人間の世界で『騎士の誓い』というものは重いそうですね」

「は?」


 唐突な話にアキレアが訝る。


「身命を賭して、誓いを、大切なものを守る。それが人間の騎士だそうです」

「だから何の話だそりゃ?」


 最初は、ただ仮宿として利用するつもりだった。

 一時的な避難先として機能すればよかった。

 だがあの日、命がけで種族も違う、人間の敵と言われていた魔王の娘を守ろうとした女性の姿を見てノアはマリーをトウカに預けることを決めたのだった。


「トウカさんが、マリー様の騎士だということです」

「……ああ、そう言うことか」


 マリーを守ると誓ったトウカの覚悟は本物だ。

 この世界で、本気で魔王の娘を自分の娘として育てる気だ。

 彼女は後悔などしないのだろう。

 ――そう、例え世界を敵に回したとしても。

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