第35話 脱出
脱出を決意した四人だったが、外側からかけられている
「このっ! このぉ!」
キッカが何度も扉を蹴飛ばしたり体当たりを試みたりするがびくともしない。
椅子を扉に叩きつけもした。
だが、子供の力では壊すこともできない。
「はぁ……はぁ……せっかくあいつが出て行ったのに」
窓も兄弟が改造したのか、格子があって脱出は不可能だ。
時間が経てば経つほど、バレンが戻って来るかもしれないために焦りが増す。
「どうにかして外のあれを壊さないと」
「でも、どうやって壊しましょう……」
エリカの問いに誰も答えられない。
そもそもこの小屋も避難場所として作られているため、最低限の物しか置かれておらず、壁や扉を壊せそうな道具も置かれていない。
仮にあったとしても扉のわずかな隙間を縫って外の閂だけを破壊する手段があるといえるのだろうか。
「……私がやってみます」
「レンカ?」
意外な申し出に誰もが驚く。
体調も悪く、その
「これを使います」
レンカが右袖をまくり上げる。
「あ、それ……」
レンカの右腕にあるものに、マリーは見覚えがあった。
フロスファミリアの屋敷で二人が初めて出会った時、その不思議な動きに目を奪われたのをよく覚えていた。
「ブレスレット……?」
「巻き付いているのは……金属の糸でしょうか?」
キッカとエリカがまじまじとそれを見つめる。
一見するとただの鈍色の金属のブレスレットだ。
「誘拐犯の方たちも、これが値打ちのないものだと思っていたようですね。でも……」
レンカが目を閉じる。
右腕を胸の前でかざして深く息を吸う。
「魔力……注入」
ブレスレットに巻き付いていた糸に淡い光が灯る。
続いてそれが
「凄い凄い、勝手に動いてる!」
「
フロスファミリア本家はオウカとトウカのように体術に長けた者が多い。
キッカのラペーシュ家も同様だ。
体術を魔術で補助することでフロスファミリアの一族は騎士として地位を築き上げてきた。
だが、レンカのロータス家は体術の資質に恵まれていなかった。
そのため、あくまで補助の位置付けであった魔術分野を磨くことで一族内での地位を確立した。
この
「これに魔力を注げば思い通りに動かせます。体の弱い私のために家が持せてくれた物です」
「これを使えば、確かに扉の隙間から外へ糸を伸ばせますね」
「ええ。重い物も持ち上げられるので外から扉を開けられるはずです」
「……そんな便利な物があるなら先に言いなさいよ」
口を尖らせるキッカに、申し訳なさそうにレンカが答えた。
「……ごめんなさい。家からラペーシュの前で使うなと言われていたんです」
フロスファミリア本家に預けられる際にレンカに家から厳命されていたことだった。
対立しているラペーシュに技術が漏れれば自分たちの地位が揺らぎかねない。
だからこそ、彼女も使用については細心の注意を払っていた。
だが、このような状況で
レンカも家からの言いつけを破る決心をしたのだった。
「……それともう一つ、理由があったんです」
「理由?」
「ええ……今の私が使いこなせるかわからなかったものですから」
レンカが
意思を受けた糸は手元から伸びて行き、扉の隙間から外へ出る。
そして、扉を塞いでいる
「う……ごほっ……ごほっ!」
「レンカ!?」
「お姉ちゃん!?」
「レンカさん!?」
レンカが咳き込む。
膝をつくと同時に、彼女の手元から伸びた
慌てて周りに三人が集まる。
「……魔力の集中を乱されると、使えなくなってしまうんです」
だが、そのための集中は体調を崩しているレンカには強い負担となっていた。
「……だから使うのを
「……肝心な時に足を引っ張ってしまうのが怖かったんです」
溜息をつくキッカに、レンカは目を伏せる。
やはりロータスは使えない。
そんな言葉が出てくるのかもしれないと思うと、レンカは心が痛んだ。
「仕方ないわね……よっと」
「キッカ……?」
おもむろにレンカの腕を肩で担ぎ、キッカは彼女の体を支える。
「あたしが支えるから、あんたはそれ、頑張って使いなさい」
「怒ってないんですか……?」
「……怒るも何も、あたしだってそうしたわよ」
レンカの不安はキッカにもよく理解できた。
自分の家の技術を用いながら力になれなかったとなれば家の不名誉にも繋がる。
ならば
だが、彼女はそれをしなかった。
家の命令に逆らってでも力になろうとしたのだ。
「いくらでも足を引っ張ればいいわ。あたしは引きずって前に進んでやるから」
「……ありがとう、キッカ」
レンカは再び力を集める。
一度は
「頑張ってください、レンカさん」
「がんばれ、レンカお姉ちゃん」
「……はい」
声援を受け、レンカも身を奮い立たせる。
幼い二人と、口は悪いが優しい親戚の姉の力になるために。
扉の外から何かが擦れる音が聞こえてくる。
「やあっ!」
レンカが強く念じる。
直後、扉が徐々に開いて行く。
遂に、扉を封印していた戒めが解かれたのだった。
「……やった」
真っ先に声をあげたのはキッカだった。
「やったじゃない、レンカ!」
「はい、やりました……」
続いてレンカも言葉を紡ぐ。
次第にマリーやエリカからも声が上がり、重かった雰囲気が和らいだ。
だが、これはまだ脱出への第一歩に過ぎない。
外は日が落ちて暗闇が支配していた。
この中を歩いて王都へ向かわなくてはならない。
「皆、行こう」
小屋の中にあった防寒着を着て外へ出る。
幸いこの日は満月が出ていた。
暗いとはいえ雪が積もっており、月明かりに照らされて足元はよく見えた。
「ここ、どこなんでしょう……」
エリカが周りを見渡して不安を口にする。
何も知らないまま連れてこられた彼女たちは、どの方向へ向かえばいいのかわからなかった。
「もしかして、ここは北の森じゃないかしら……」
「かもね……めったに人も行かない場所だから」
レンカの推測を肯定する。
王都郊外の森ならば狩人あたりが小屋を訪れてもおかしくない。
だが、キッカもレンカも小屋に閉じ込められてからそのような人物を見たことがない。
となれば人がめったに訪れない場所。
なおかつ、先ほどバレンが述べた「ここから出ても森で野垂れ死にするだけ」という発言。
それらから結論付けられることは、脱出が困難な場所ということだ。
「……でも、動かなきゃダメね」
「そうですね。ひとまず南へ向かいましょう」
マリーもエリカもその方針に頷く。
そして、四人が歩き出そうとしたその時だった。
「……何か聞こえない?」
「……ええ」
近くの茂みがガサガサと揺れた。
何かが近づいて来ていることをすぐに理解する。
「まさか、あいつが戻ってきたんじゃ……」
キッカは三人の前に立つ。
音の主が近づいてくるごとに四人は後ずさる。
バレンと違い、彼女らにとってそれが幸運だった。
――黒い影が茂みから現れる。
その体躯は明らかに人のそれではない。
大型の獣。いや、その大きさは魔物と言えるものだった。
予想もしていなかった存在の登場に四人は言葉を失う。
それが月明かりが差し込む場所へ歩み出たことでその姿が
――その口元は紅く濡れていた。
「みんな、走って!」
キッカの叫びに弾かれた様に全員が走り出す。
「グガアアアア!」
獣も咆哮する。
背を向けて逃げ出す子供たちを本能的に獲物と認める。
「何でこんなところに魔物がいるのよ!」
先頭を走るキッカに合わせ、全員木々を縫うように走る。
巨体の魔物は小回りが利かず、スピードを上げて追うことができない。
お陰で子供の足でも逃げることができているのだが、根本的な解決というわけではない。
「あっ!?」
雪の積もった森という足場の悪さ。
普段から広い庭で駆けているフロスファミリアの子供たちと違い、エリカはこういった悪路に慣れていない。
張り出していた木の根に足を引っかけ、転倒してしまった。
「あ……」
その背後に魔物が迫る。
群れから脱落した獲物は格好のターゲットだ。
「エリカ!」
「マリー、ダメ!」
エリカの窮地にマリーが気づく。
握っていたレンカの手を振り払い、走り出す。
「エリカーっ!」
キッカは恥じた――エリカの転倒とマリーの飛び出しに気付くのが遅れたことを。
レンカは祈った――幼い二人の目の前に迫る絶望からの救いを。
エリカは求めた――助けを。
マリーは手を伸ばす。
だが、エリカまでは果てしなく遠い。
魔物が牙を剥いて飛び掛かる方が早い。
そして、マリーは思った。
この手よ届けと――魔物にいなくなれと。
「うああああ!」
溢れ出る想いが手に集う。
その正体をマリーは知らない。
だが、確信があった。
手が届く。
エリカを助けられる。
「エリカから……離れろーっ!」
無我夢中でそれを解き放つ。
具象化した想いが光の塊となって手の平から飛び出す。
飛び掛かろうとしていた魔物に空中で避ける術はない。
直撃。直後、爆発が起こる。
「くうっ!」
「きゃあ!」
突然の爆発にキッカとレンカが目を眩ませる。
エリカも直上で起きた爆発に頭を抱えて身を伏せる。
爆風が収まると、そこに魔物の姿はなかった。
どうやら爆風を受けて森の奥へと吹き飛ばされたらしい。
「助かった……んですか?」
エリカが呆然として、煙の残る空を見上げる。
「え……今のは……?」
突然の出来事にレンカも事態を呑み込めていない。
「……っ!」
その中で、キッカだけが動き出していた。
レンカの手を引き、マリーを追い抜いてエリカの下へ辿り着く。
「エリカ……良かっ……」
「近付かないで」
マリーが歩み出そうとするが、キッカが発した言葉でその足を止める。
振り向いたその眼差しは、先ほどまでの近しい存在に向けらるものとは違う。
明らかに敵意と警戒を含んだものだった。
「キッカ……?」
「キッカさん?」
「お姉ちゃん?」
その背に二人を隠し、キッカはマリーに向かい合う。
まるで二人をマリーの下へ行かせまいとするかのように立ちはだかる。
「こいつ……魔族だ」
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