第26話 秘めたる思い

 シオンが無事であることは、この間カルーナさんから教えてもらった。

 ひとまず安心した。これで大事な友達を失わなくて済んだ。でもそれは、私が託した解毒剤の効果があったという事だ。ゴッドセフィア家の本家か分家の関与は間違いない。だけど、私がやったという事は有り得ない。

 それをカルーナさんもわかっているのだろう。シオン襲撃についての取り調べはあまり厳しくなかった。恐らくは、私たちゴッドセフィア家の動きを封じて犯人が直接動くのを待つためだ。


「捜査、どうなってるんだろうなぁ……」


 私の拘束がカムフラージュの意味を持っているからか、最大限の配慮がされているみたいだ。

 与えられた居室の居心地は悪くない。でも、外部との連絡は制限され、本も読めないし鍛錬もできない。一日中こうやって物思いに耽ることしかできなかった。


「鍛錬……か」


 考えたら昔はこの言葉が嫌いだった。

 鍛錬という事は騎士としての腕を磨くという事。弓の腕を磨くという事は戦場で相手の命を奪う技術を身に着けるという事。ゴッドセフィア家の一人娘である私は、否応なく跡を継ぐために技術と魔術を教え込まれた。


 人の命を奪う力なんて嫌い。痛いのは嫌い。だから鍛錬も嫌い。

 王立学院に入学した頃は毎日家に帰ったら行われる鍛錬が嫌で仕方なかった。

 かと言って学院にいても、当時のシオン達との仲は最悪で、口を開けば家の貶し合いが起きる。安息の場なんてどこにもなかった。


 だから放課後は帰宅時間ギリギリまで学院の図書室で本を読んでいた。本を読んでいる間は、物語に没頭している間は嫌なことから全てを忘れられた。

 ああそうだ。そんな時にフジと出会ったんだ。


 彼も図書室の常連だった。共に本が好きな者同士、よく話すようになった。ウィステリア家とは確執が無いので親戚も両親も何も言うことはなかった。


 将来医師になる為の勉強を頑張っている彼が眩しかった。そして、フジもそんな人を救う技術を持つ自分の家に誇りを持っていた。

 それに比べて自分がしていることは人の命を奪う為の訓練。人を救うための勉強をしている彼とは真逆だった。

 でも、それが騎士の家に生まれた者の宿命だ。私自身いずれケガもする。場合によっては死んでしまうかもしれない。

 私は逃げたかった――


「うわあ……考えたら凄い事言ってたわね」


 家から逃げ出したいあまり、私はフジにお願いをした。

「結婚してください」って。

 子供だからその意味する所がよくわかっていなかったけど、家を出れば何とかなるって思っていた。

 でも、よりによって選んだ方法がそれかと、当時の自分に説教をしたくなる。さすがにフジも驚いていたけど、その後の彼の言葉に私は救われたんだと思う。


『結婚は無理だけど、僕が守ってあげるよ』

『え?』

『僕が戦うことはできないけど、ドラセナがケガをしても、死にそうになっても、僕が必ず治してあげるよ』


「まったく……子供の頃だからってよく言うわよ」


 それに、結局戦うのは私じゃないか。でも、守ってくれると言う言葉が私の支えになってくれたことは確かだった。

 あれから鍛錬にも真剣に取り組むこともできたし、フジが間に立ってくれたお陰でシオン達とも仲良くなれた。

 卒業までずっとフジには助けられてばかりだ。


 だから、初めて頼られた時は嬉しかった。


『家を出たい。協力して欲しい、ドラセナ』


 家を出るなんて一大決心だったはずだ。シオンやオウカが忙しかったと言うのもあるけど、そんな重大な決断を一番に打ち明けてくれた。

 私にできることは最大限手伝った。家出の段取り、医院の場所の確保と申請、必要な物の手配。私の持てる権限をフルに使ってフジを助けてあげた。子供の頃の恩返しだ。

 不謹慎だけど、二人で色々と計画している時がちょっと楽しかった。


 あ、でもまた恩返ししなくちゃいけない。フジがいなかったら解毒剤をシオンに使うことはできなかった。私に容疑がかかったあの状況で、薬を受け取るなんてよく決断できたものだと思う。


『君を疑ったことなんて一度もないよ』


 あの一言で私の気も軽くなった。オウカも必死に庇ってくれた。

 少なくとも、フジとオウカには疑われていないって確信できた。


『もしシオンが死んだら、僕も捕まえてもらって構わない』


 カッコつけすぎだ。まったく、随分無茶するなぁ。結局シオンが助かったから良かったけど、もしかしたら本当に捕まったかもしれないのに。


 逆の立場ならどうしていただろう。ゴッドセフィア家の地位も名誉も懸けてまで、最後までフジを信じていられただろうか。


 答えはイエスだ。昔からフジを疑ったことなんてない。

 ずっと信頼している一番の友達だ。


 ――友達?


 何かが引っ掛かる。その言葉は違う気がした。

 オウカやトウカ、シオンも大切な友達だ。でも、フジを大切に思うのと同じ感情じゃない。


 あれ?


 もしかして私――




「くそっ……」


 拳を壁に叩きつける。

 救えなかった。ラペーシュ卿は、ここに運び込まれた時はまだ生きていた。

 瀕死の重傷とは言え、もしかしたら救える可能性はあったかもしれない。


「魔術さえ使えれば……」


 もちろん確証はない。だが、オウカが来るまでは持ったかもしれない。意識を取り戻して、最期に言葉を交わす時間くらいは作れたのかもしれない。事件の解決に繋がる重要な証言を引き出せたかもしれない。

 両の腕に刻まれた刻印を恨めしく感じる。どうして、魔術を封じられてから立て続けに魔術に頼りたい状況が訪れるのか。


「何とかしないと……」


 このままでは、いつか取り返しのつかない事になる。一番救いたい人を救えないかもしれない。そもそも何のために自分は医師を目指したのか――


「……いけないな。私情を挟み過ぎだ」


 深呼吸をする。

 落ち着け、フジ=ウィステリア。この仕事をする限り死は付いて回るものだ。一人の死で心を乱すなんて未熟な証拠だ。

 今は医師として自分ができることをする。実力不足は、魔術に頼らなくても治療できるようにこれから頑張れば良い。


「そうだ。シオンの包帯を替える時間だった」


 ラペーシュ卿のことですっかり後回しになっていた。就寝前に彼の傷の経過を見なくてはいけない。

 シオンは大人しく治療に従ってくれるので治りも早い。やはり回復なくして満足に仕事ができないと理解しているからか、無理して仕事に復帰しようとは思わないみたいだ。もう少しで退院できるはずだ。




「……遅いな」


 いつもならとっくに包帯を替えに来る時間だ。でも随分慌ただしい雰囲気だったから急患でも来たのかもしれない。

 魔術医師フジ=ウィステリアの開業した病院は王都で知らない者がいないほど評判になっている。王国でも一部の人々にのみ許されていたウィステリアの技術が民間にもたらされた影響は決して小さくない。

 衛生観念や予防の知識が浸透して、今年だけで随分病気による死者が減った。

 ケガの治りも早く、仕事に早期に復帰できるのも大きい。その活躍は国王陛下の耳にも届いている。

 ウィステリア家からの強い干渉がないのも、国王の不興を買いたくないからだろう。


 まったく、一人で大きく国を変えるなんて凄いな、僕の親友は。

 トウカとオウカは魔王を討伐した。ドラセナも女性という風当たりの強い立場で一人、ゴッドセフィア家を背負っている。

 ……僕だけが何も果たしていない気がする。ただ与えられた騎士団長と言う役職を黙々とこなしているだけだ。


「よいしょ……っと」


 体を起こす。せめてフジの負担は減らそう。

 傷も随分と癒えた。動いてもそれほど痛みはない。退院も近いだろう。

 これくらいなら自分から彼の元へ行っても良いはずだ。


 廊下に出る。フジがいるのは診察室か。それとも重症患者の対応をしているのなら処置室か……まあいい。リハビリがてら歩くとしよう。


「――グラキリスの屋敷にそいつは入ったそうだ」


 足が止まる。

 廊下の角を曲がった所で誰かが話をしている。この声はカルーナのものだ。


「つまり、サンスベリア殿が黒幕か?」


 相手はオウカか。

 サンスベリア=グラキリスが黒幕?

 一体何の話をしているのだろう。


 二人の話は続く。ゲンティウス卿やグーズベリー卿などの関与。主要五家の分家の関与。

 ……どうやら一連の事件に関りがあるらしい。僕を襲った犯人もその中にいるのかもしれない。


「ブルニアを殺した奴も恐らくこいつらだ」


 ――え?


 驚きで言葉の理解が追い付かなかった。

 今、カルーナは何て言った?


 ブルニアヲコロシタヤツ。


 はは、何を言っているんだろう、カルーナは。だって兄さんは……


 ――兄さんはまだ団長室かい?


 何だこの記憶は。


 ――ああ、建国祭にも行かずに黙々と書類とにらめっこだ。


 そうだ、思い出した。


 ――相変わらずだなぁ、兄さんは。


 兄さんが亡くなったあの日。

 僕は城にいた。

 兄さんに頼まれていた魔王軍の根拠地の情報を持ち帰って。

 城でカルーナに会って。


 ――よし、団長室に行ってブルニアを驚かせてやろうぜ。


 駄目だ。


 ――真っ暗だね。


 これ以上は。


 ――妙だな。今日は外に出る予定はなかったはずだが。


 思い出しちゃいけない!


 ――シオン、中に入るな。ここにいろ。


 やめてくれ!!!


 ――あ。


 ランプに照らされた団長室で僕が見たのは。


 胸に。

 短剣が。

 刺さった。


 ――にい……さ…ん?


 うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!




 包帯の替えを持ってシオンの病室を訪ねる。


「シオン、遅くなってごめん。包帯を替えようか」


 ノックをして呼びかけるが病室からの返事はない。

 寝てしまったのだろうか。

 友達としては寝ている所を起こしたくはないけど、医師としてそうはいかない。


「シオン。入るよ」


 戸を押し開く。すると、冷たい空気が吹き込んで来た。

 外からの風?

 換気のために窓を開けているのだろうか。それにしても室温が低すぎる気がする。


「程々にしないと風邪を引くよ――」


 病室を覗き込む。部屋の窓が開け放たれて、風雪が吹き込んでいる。


 シオンの姿はどこにもなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る