第11話 一つの命

 オウカが慌ただしくトウカとマリーのいる部屋の扉を開く。


「マリー、マリー。しっかりして!」


 ベッドの傍らでトウカはマリーの名を呼び続ける。

 トウカにもたれ掛かり、マリーは意識を失っていた。

 床にはスープの器が落ちており、どうやら食事をしている最中に気を失ったらしい。


「トウカ、何があった!」

「オウカ! マリーが突然気を失って、全然目を開けないの!」


 マリーの体を揺らして呼びかける。

 だが、ぐったりとしたマリーからは反応が返ってこない。


「どうしよう、私何か良くないものでも食べさせたんじゃ!?」

「落ち着け。いつも食べさせていたものだろう。お前のせいじゃない」

「でも、でも!」


 何とか宥めようとするが、完全にトウカは冷静さを失っていた。


「トウカ、離れて」


 そんな彼女の横に、フジが座り込む。

 パニックになっていたトウカは、ようやくオウカと一緒に部屋に入ってきたフジの存在に気づく。


「フジ、どうしてここに?」

「話は後で。ここは僕に任せて」


 落ち着いた口調で語りかけ、トウカを落ち着かせる。

 マリーをベッドに横たえると、フジはマリーの容体を確認する。


「……すごい熱だ」


 その状況を確認し、思わず息をのむ。

 子どもが日常でかかるような病気ではないことが一目でわかるほどだった。


「いくつか質問させてもらうよ」


 トウカはフジの言葉にうなずく。そして、これまでのことを話した。

 ひと月前から熱が続いていること。

 食欲不振に全身の倦怠感など、できる限りの情報をフジに告げる。

 だが、フジの最後の質問にトウカは言葉を失った。


「薬は、飲んでいないのかい?」


 病人がいるのに薬がどこにも見当たらないことを不審に思われた。

 食事中に倒れたのなら、食前に飲ませたとも考えられない。


「それは……」

「そもそも、何で僕に言ってくれなかったんだい? もっと早く対応できたかもしれないのに」


 トウカは言葉を紡げない。

 親しい間柄だからこそ彼を巻き込むことを恐れたのだが、それを説明することができなかった。

 だがフジにとっては親交がある医者の自分が頼って貰えないという不自然な状況になる。


「君が優しいのを知っている。だからこそこんな事になるなんて考えられない」


 トウカならばマリーを助けるために手を尽くすはずだ。

 オウカもいるだけに余計に今の状況が不可解と言える。

 つまり、そうせざるを得ない何か特殊な事情があると考えるのが自然だ。


「オウカ……」


 俯いたまま、トウカは自分の肩に置かれた姉の手を強く握る。

 そんな彼女にオウカは瞑目して首を振った。


「トウカ、病気に関してフジ相手に嘘は通じない」

「マリーちゃんを引き取ると聞いた時から気になっていたけど……思った以上に込み入った事情みたいだね」


 二人は共に頷く。


「話して欲しい。マリーちゃんを助けるためにも」


 これ以上黙っていることはマリーの為にもならない。

 オウカに促され、トウカも頷く。


「わかった……でも約束して。決して口外しないって」


 二人の決意を受け止め、フジも頷いた。




「マリーちゃんが魔族……しかも、魔王の娘?」


 想像以上の事態に、フジも動揺を隠せなかった。

 国中が知っている姉妹による魔王討伐の英雄譚。だが、その真実は全く違っていた。

 魔王は既に死んでおり、二人はその事実を隠して娘のマリーを保護した。

 確かにこの事が国に知れたら大事になる。二人もただでは済まない。

 事の重大さに言葉を失う。


「魔族の体のことはよくわかっていない。だから我々の薬が毒になる可能性があるし、医師に診せればどこかでマリーが魔族だと判明してしまう可能性がある」

「……僕に相談できないわけだ」

「以前、マリーがフジの所で治療してもらったと聞いた時は正直不安を覚えたがな」

「あの時、特に違和感はなかったよ。仲睦まじい親子だなって思ったくらいさ」


 一通りのことを話し終え、トウカはマリーの傍にいた。

 せめて少しでも苦しさを和らげようとタオルを濡らしてマリーの額に乗せていた。


「トウカは凄いな。世の中の魔族に対する嫌悪感も知った上で、そんな選択ができるんだから」

「あの時、トウカの中には人間とか魔族とか言う基準はなかった。一つの命としてマリーを守ろうとしていたよ」


 確かに、二人の姿を見ると人間や魔族の違いなど関係なく思える。

 そこにいるのは娘を心配する母の姿だった。


「お願いフジ。人間とか魔族とかじゃなく、一つの命としてマリーを助けるために力を貸して欲しいの」

「魔族に対して思うことはあると思う。だが、私からも頼むフジ」


 二人は真剣な面持ちで頭を下げる。


「一つの命として……か」


 フジはため息をつき、天を仰ぐ。


「……まさか、自分が家を出た理由とこんな形で向き合うとは思わなかったな」

「どういうことだ?」

「僕はね、ウィステリアの医術が限られた人のためだけに用いられるのが耐えられなかったんだ」


 ウィステリア家は独自に研究開発してきた医療魔術によってその地位を築いた家だ。

 その技術の希少性から国の保護を受け、ウィステリア家は大いに繁栄した。

 だが、その力によって救われるのは一部の高貴な身分の者のみ。

 高額な治療費を払えない民衆にはその技術を施すこともできない。


「悩んだよ。人を救う技術を持っていながら人を救う事が出来ないんだから」


 元々は人を救うために研究を行っていたウィステリア家だが、いつしかそれは家の繁栄のための研究になっていた。

 人を救う研究をすればするほど、それは大衆のためにはならない。

 そんな在り方に疑問を持っていた時、フジはシオンに要請されて魔王討伐戦に参加することになった。


「不謹慎な言い方かもしれないけど、充実していたよ。金の有る無しなんて関係なく力を振るえたから」


 次々と運び込まれるケガ人を治療し、フジは命を繋いで行った。

 彼の活躍によって多くの命が救われたと聞く。

 だが、助ければ助けるほど、今の自分の在り方への違和感はさらに膨れ上がった。


「トウカが自分の危険も顧みずに子供を助けに行ったって聞いた時、僕も思ったんだ。僕も、誰かのために力を振るおうって。だから家を出た……代償は大きかったけどね」


 そう言ってフジは袖を捲って右腕を見せる。

 そこには黒く禍々しい雰囲気を放つ紋様が前腕に巻きつくように描かれてあった。

 それを見て、オウカが表情を険しくする。


「……懲罰術式か」

「もし、僕が魔術を使えば体に激痛が走るようになっている」


 ウィステリア家の嫡男だったフジには多くの技術が継承されていた。

 医術はまだしも、秘匿技術であるウィステリアの医療魔術の流出は家として看過できないものだった。

 そのため、家を出るフジには制約が課せられたのだった。


「じゃあ、マリーに治療魔術を使わなかったのは」

「うん。それが理由だよ」


 だが、本来ならばこの術式は魔術を悪用した罪人に施されるものだ。

 人を救いたいと願うフジにこの術式がかけられると言うのは何とも皮肉な話だった。


「そうか……なら無理にとは言わない」

「うん、フジにそこまで強いるなんてできない」


 だが、二人の言葉にフジは首を振った。

 そしてマリーの寝ているベッドの傍に立ち、二人に微笑む。


「いや、いいんだ」

「フジ?」


 その手をマリーの額に乗せて告げた。


「術式展開――――『読身』」

「フジ!?」


 トウカが慌ててフジの腕を掴む。


「だめ、そんなことしたら!」

「君たちは僕を信じて秘密を語ってくれた……なら、僕もそれに応える」


 人間と同じ治療ができない。それならば方法は魔術だけだ。

 だが、生きたいと願う命を前にして迷う必要が無かった。

 元々そのために家を出たのだ。


 フジの腕に描かれた紋様が鈍く光を放つ。

 今、彼の体には制約を破ったことによる激痛が走っているはずだ。

 だが、その表情に後悔している様子は欠片もなかった。


「はぁ……はぁ……」


 フジが術式を解除して膝をつく。

 短時間の術式行使にもかかわらず、長時間酷使された様に消耗していた。


「フジ……」

「マリーちゃんの状態は把握した。あとは正常な身体と比較して異常を見つければいい」


 この術式は身体状況を読み取るためのものだった。

 あまり使いたくない術式だけどねと、フジは痛々しい笑顔を向ける。

 この術式は本人が隠している病気なども見つけてしまうので、プライバシーの問題もある。

 だが、意識がないなど言葉を発せられない者の容体を把握することができる術式だ。


「でも、魔族の正常な状態ってどうやって……」

「それは、そこにいる人に聞けばわかるんじゃないかな?」


 フジが廊下へと目を向ける。

 いつの間にか、部屋の外に気配があった。


「気づいていましたか」

「ノア!?」


 いつの間にか薬草を携え、帰還していたノアがそこに佇んでいた。

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