第10話 マリーの治療法
この日は、久しぶりに朝から快晴だった。
いつもならこんな日はトウカの家の周りでマリーが遊んでいるのだが、最近はその姿を見せることが少なくなっていた。
「どうしよう……」
トウカは頭を抱える。
フロスファミリアの屋敷から帰宅してから、王都の図書館で医学書を借りて自分なりにマリーの症状について調べるが、専門知識のないトウカには異言語に近い。
マリーの症状は日に日に悪くなる。
数日に一回、熱を出す程度だったのが今では二日に一度。
調子のいい日は歩き回ったりできるが、不調の日はベッドにいる時間が長くなってきた。
「気持ちはわかるが、あまり根をつめるな」
そんなトウカの様子を見かねてオウカが声をかける。
「でも……」
「お前まで倒れてしまっては元も子もない」
オウカもできる限りの手は尽くしている。
王宮の書庫など、一般人には入ることが難しい場所などで彼女は情報を集めていた。
だが、魔族の体に関する情報はかなり少ない。
「誰か、魔族の体に詳しい人がいてくれたら……」
「軍の上層部にいることはいる。魔族の死体を検分して情報を得ていたはずだ」
「でも、その人たちには……」
「ああ、頼める訳がない」
オウカは首を振る。
あくまで彼らにとって、魔族は研究対象だ。
マリーを診てほしいと言えば、貴重な生きた検体として扱われることが目に見えている。
「そもそも、何のために情報を提供してくれと言えばいい。民間人には必要の無い情報だ」
「そうだね……それに、魔族の治療に関することを研究しているとも思えないし……」
沈黙が流れる。
正直八方塞がりだ。
「……ごめん、ちょっと外の空気吸ってくる」
「ああ」
息苦しさから逃げるようにトウカは部屋を出た。
そうしないと、保護者としての気持ちと現実に押し潰されてしまいそうだった。
オウカもそれをわかっているのか、何も言わなかった。
家から出てきたトウカは庭の椅子に座る。
空を見上げると、山の向こうから鈍色の雲が空を覆い始めていた。
もう少ししたら、また雨が降るのかもしれない。
視線を落とす。
夏も近くなって花の数も減っていた。
毎日のように家の周りを走り回っていた元気なマリーの姿を最近は見ていない。
あの子が寝込んで、家から活力が失われたようだった。
「どうしたんですか、そんなに暗い顔をして?」
「……え?」
不意に声がかけられる。
聞き覚えのある声だった。
「暗い顔はあなたに似合いませんよ、トウカさん?」
「……もしかして、ノア?」
「はい」
民間人に変装はしているが、その声はよく覚えていた。
地下神殿崩壊後に別れて以来、神官ノアとの二か月ぶりの再会だった。
「そうですか……マリー様が」
家の中でノアに現状を話す。
マリーの原因不明の高熱について、ノアも魔族の立場から考える。
「我々の世界でもあまり聞かない症状です。魔王様ご夫妻がかかった病気とも違いますし……」
「熱と全身のだるさ……食欲もないの」
「……もっと早くこちらへ伺うべきでしたね」
「そう言えば、お前はこれまで何をしていた。それと、アキレアとやらはどうした?」
オウカが問う。
確かにノアの忠誠心からすればマリーの傍にいてもおかしくない。
「動向を探っていました。魔王軍の残党の」
オウカが表情を険しくする。
魔王は倒れ、魔王軍も壊滅したとは言え、魔族全てが滅んだ訳ではないことは彼女も承知している。
むしろ王国騎士団としても魔王軍残党の今後は危惧していた所だ。
「魔王様が決戦前に亡くなられ、その際に魔王軍は二つの勢力に分かれました。魔王様への忠義を貫き、神殿に残った我々と、見切りをつけて去った者たちです」
「なるほどな。これまでの戦いに比べて戦力が減っていたように感じたのはそのせいか」
「残留組のほぼ全ては先の戦いで討ち取られました。そのため、マリー様の事を知っている者は生き延びた私とアキレアくらいでしょう」
「つまり……マリーの事を知っているメンバーの行方を捜していたってこと?」
ノアは頷いて、その言葉を肯定する。
「魔族の間ではマリー様も神殿の崩壊で亡くなったことになっていますが、生きているとわかれば、何をするかわからない者もいますからね」
「確かに、魔王の遺児を担ぎ上げて再起を図る者もいるだろうな。我々人間の世界でも有り得ることだ」
決戦の数か月前に神殿を去っていたのなら、確かにその所在を探るのはかなりの時間を要する。
ノアはノアなりに、マリーを守るために動いていたのだった。
「アキレアには国外で動いてもらっています。何かあれば連絡に来るでしょう。本日はそのことを伝えにここへ来たのですが……」
ノアは自分を恥じる。
彼女の身を案じるあまりに、本人の体調に気を配ることを失念しては元も子もない。
「ノア、魔法で治療することはできないの?」
「確かに我々は魔法を使って治療することが大半です。ですが……」
魔族は戦闘が多いため、傷の治癒を行うための魔法が中心だった。
しかしそれも、魔族が圧倒的な魔法の力で敵を殲滅する戦法が主体のために、治癒魔法よりは攻撃魔法の技術の発達の方に研究が進んでしまう。
ノアですら、応急処置程度の治癒魔法しか使えない程だ。
人間と比べて魔族は抵抗力が高いこともあり、病気に関しては専門的な技術が不足している。
むしろ、この分野については人間側が進んでいる程だった。
「ひとまず、魔族の治療に使われる薬草を調達してきましょう」
「治療法があるの!?」
トウカは思わず椅子から立ち上がる。
「魔王様ご夫妻の件があってから私も調べまして……僅かですが病気治療の研究資料を見つけました。解熱効果のある薬草についても記憶しています」
「よかった……」
僅かだが希望が見えて来た。
ここまで張りつめていた気持ちが緩み、トウカの目に涙が滲んでいた。
そんな彼女を前に、ノアは不思議な感情を覚える。
「……誰かのために涙を流すことができると言うのは不思議ですね。私たちにはできないことです」
「そんなことないわ。マリーだって同じことをしたんだもの」
「マリー様が?」
王との謁見で、マリーがトウカを守ろうとしたことを教える。
ノアは驚きながらも興味深く、その話を聞いていた。
「……こう言っては何ですが、マリー様は魔族の中でも特殊なお方です。感情や感性が人間のそれに近い」
「あら、それを言うならノアやアキレアだってそうじゃない?」
「そうでしょうか?」
「命がけで誰かを守りたいって思えるんでしょ?」
トウカの言葉に、ノアは驚いた表情を見せる。
だが、すぐに冷静な顔に戻り言う。
「さて、どうでしょうね。魔族は基本的に利己主義ですから、根底にマリー様を利用しようと言う魂胆があるのかもしれません」
魔族は基本的に、その強大な力によって他を低く見る傾向があり、そのため利己主義の者が多い。
だからこそ、魔王の死によって神殿を去った魔族たちの行動は当然とも言える。
だが、ノアたちは去ることを選ばなかった。
特に、マリーと関わる機会の多かった者は神殿に残った。
マリーを守るために勝ち目のない戦いに身を投じ、わずかな可能性の中からマリー生存の道を探った。
マリーの性格は戦いに向かない。だからこそノアは戦いから遠ざけようとした。
だが、それは魔族の行動からすれば異質な物とも言えた。
「……一刻を争うかもしれません。薬草を採りに行ってきます」
果たして、自分の行いは魔族としてなのか、それともノアと言う個人としてのものなのか。
だが、その正体を今は求める必要はない。
今は、己の為さねばならないことを行うだけだ。
雨が降り始めた外へと、ノアは出ていった。
ノアが出て言ってしばらくすると、雨は激しさを増して行った。
「安定しない天気だな」
暗雲に日光も遮られ、暗くなった外を眺めながらオウカは呟く。
「ノア、大丈夫かしら……」
「あいつも馬鹿じゃない。安全には気を付けるさ」
トウカはマリーの食事を作っていた。
倒れてから食欲も落ちていたが、消化の良い物なら多少は食べられる。
「よし、できた」
野菜スープが完成する。
栄養も考えられた自信の仕上がりだ。
「マリーに持って行くね」
「ああ」
スープを器に移して、マリーのいる部屋に向かう。
その後姿を見つめながら、すっかり母親が板についてきたものだとオウカは思った。
「さて、この雨はいつ止むのだろうな……」
明日は騎士団の任務があるためオウカは今日中に実家へ帰る必要があった。
次の任務では王都から離れるため、数日の間はこの家に来ることはできない。
出来ればトウカと一緒にマリーに付いていてあげたいが、立場上それは許されることではない。
ノアの持ってくる薬草が効けばいいが、何かあった時には自分は対応できない場所にいることになってしまう。
仮にマリーの容体が良くなったとしても、今後もトウカとマリーだけでは不測の事態が起こった時が心配だった。
騎士団の仕事に不満はない。
だが、平時は良くても有事の際には二人の傍にいることはできないことに歯がゆさを感じてしまう。
やはり難しいとはわかっているが、せめてもう一人協力者がいてくれればと思ってしまう。
魔族への忌避感が薄く、偏見を持たずに受け入れてくれる人物。
「……贅沢な話だな」
自分で考えていて呆れてしまう。
己ですらマリーを受け入れるのにトウカと一戦交えたのだ。
この魔族への脅威にさらされ続けていた世界で、偏見を持たずに最初から魔族を受け入れてくれる人物がそう簡単に見つかるわけがなかった。
「……ん?」
雨が更に激しさを増し、窓に打ち付ける。
その音に紛れて戸を叩く音が聞こえた。
一瞬ノアかと思ったが、出て行ってからまだあまり時が経っていない。
それに戻って来たと言うよりは、今辿り着いて必死に家人を呼んでいる感じだ。
声も聞こえるが、雨にかき消されてよく聞こえない。
「誰だ……?」
オウカは激しく叩かれるドアを開く。
隙間から覗き込んで見えた顔は、オウカもよく知る人物だった。
「何をやっている、フジ」
「やあオウカ。君も来ていたのか」
ずぶ濡れになったフジ=ウィステリアが苦笑いを浮かべる。
「すまない。少しの間でいいから雨宿りさせてもらえないかな?」
見れば雨具もなく、ここまで来たようだった。
今からこの雨の中、街まで歩くとなれば彼が体調を崩しかねない。
「仕方ないな。入れ」
「ありがとう。助かるよ」
転がり込む様にフジは家に入って来る。
「一体どうした。こんな所まで」
「実は、近くの村に往診に来てたんだけど、帰りにこの雨に降られてね」
「よくここがわかったな」
「以前、マリーちゃんを治療した時にトウカに連絡先を教えてもらっていたから。いやあ、助かったよ」
フジはようやく雨をしのげたことに安堵していた。
「そう言えば、トウカとマリーちゃんは?」
「ああ、二人なら————」
そう、言いかけたその時だった。
「オウカ、早く来て。マリーが!」
奥の部屋から、トウカの悲鳴が聞こえた。
オウカもフジも、ただ事ではないことを感じて二人の元へ走り出していた。
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