第9話 不器用な愛情
「あーあ、今日も雨か……」
窓の外を見てキッカが愚痴をこぼす。
トウカたちが日々の式典や祝宴をこなす内に六の月に入った。
この時期はひと月の大半で雨が降るため、子ども達にとってはなかなか外で遊べない時期だ。
しかし、雨期が明ければいよいよ夏と言うこともあり、期待が膨らむ時期でもあった。
「マリーと遊べないのが残念ですか?」
「そんなわけないでしょ。御当主の言いつけだから仕方なくだって」
「はいはい。そう言うことにしておきましょう」
クスクスとレンカは笑う。
屋敷に来た当初は、対立する家同士ということもあってほとんど話すこともなかったが、マリーが来てからは話す機会が増えた。
その中でレンカが知ったのは、キッカは根が優しく、面倒見がいいと言う事。
何だかんだ言いながらもマリーの世話を投げ出さず、遊び相手にも付き合っていた。
家同士の対立が無ければ、キッカはレンカの一つ上の親戚として付き合っていたのかもしれない。
やはり、大きく変わるきっかけを与えてくれたのはマリーだったのだ。
「あの子の所へ行かなくていいのですか?」
「……トウカ様がついているし、私ができることなんてないわよ」
雨期が始まった辺りから、マリーは度々体調を崩すようになっていた。
この日は催しもないため、トウカが朝から看病についていた。
「あんたも大丈夫なの、あんまり体が丈夫じゃないんでしょ?」
「ええ。最近は体調がいいので」
どこからかレンカの体のことを知って、キッカは彼女を気遣う。
やっぱり優しい。きっと本来の彼女の姿はこっちなのだろうとレンカは思った。
「ママ……」
「どうしたの、マリー?」
額に濡らしたタオルを当てながら、トウカはマリーの顔を覗き込む。
熱で赤くなった顔でマリーはぼんやりとして言葉を出す。
「おうちに帰りたい……」
フロスファミリア家での生活は悪いものではなかった。
家の者は良くしてくれるし、キッカやレンカと言う友達もできた。父母もマリーをよそ者として扱うことはない。
だが、マリーにとっての家はトウカと一緒にいるあの家なのだ。
最近は部屋に一人で寝ていることが増えたことで、寂しさから家への想いが強くなっていた。
「家に帰ればトウカと一緒にいられる」
そう思っての言葉だった。
「もうすぐ家に帰れるから」
「ほんと?」
「うん。ママたちも、お仕事もう少しで終わるから」
「帰ったら一緒に遊べる?」
「うん。美味しいものも作ってあげるよ」
「やったぁ……ママのご飯大好き……」
力なく微笑んでマリーは眼を閉じ、そのまま寝息を立て始める。
マリーが眠ったことを確認したトウカは、温くなってしまった水を取り替えるため立ち上がった。
「あなた」
「……ローザか」
ローザはグロリオーサの部屋に入る。
彼は窓際で空の様子を見ていた。
「そろそろよろしいのではないですか。貴方ももう認めているのでしょう?」
「……そうだな」
グロリオーサの机の上にはマリーの入学願書が置かれていた。
「不思議な子だ。幼いながら人と人とを繋ぐ力を持っている」
「トウカとオウカ。キッカとレンカ……私たちが長年かけてできなかったことをあの子は数日で成し遂げてしまった」
「時代は変わった。魔王も倒れ、我々の世界も変わっていかねばならん。そのためには新しい風が必要だ……私の時とは違う」
グロリオーサはフロスファミリア家に魔術を取り入れた先代当主の政略結婚によって生まれた子だった。
幼い頃より、自分の置かれている環境が権力闘争に満ちたものであり、ローザとの結婚も政略結婚によるものであった。
だが、ローザはそんな中で必死に戦っていたグロリオーサを理解し、妻として支えた。
「貴族や他の家の反発は避けられないだろうがな」
「それでも、貴方はあの子たちを守るのでしょう?」
家同士の醜い争いを目の当たりにしていた男は、娘たちには欲と陰謀に塗れた世界に巻き込むつもりはなかった。
だが、それは当主の立場では口にすることは許されない。
結果、オウカは派閥争いの影響が出てしまったが、家を出たトウカに対しては干渉しようとする勢力を陰ながら抑えることができた。
「トウカたちを帰してあげましょう」
グロリオーサは頷く。
そして、マリーの願書に彼のサインが入った書類が添えられた。
そこには、『フロスファミリア家当主、グロリオーサ=フロスファミリアはマリー=フロスファミリアを我が家の者として推薦する』と記されていた。
トウカたちが帰る日は、生憎の雨模様だった。
マリーの体調を考慮して馬車を呼び、家まで向かう事になった。
「お世話になりました……あと、ありがとう」
「体に気を付けてね。マリーちゃんもお大事に」
「父さんにも宜しく言っておいて。レンカも、マリーと遊んでくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ楽しい日々でした」
見送りには母とレンカが来ていた。
父はいないが、母から渡された署名入りの推薦書が父の気持ちを教えてくれていた。
そして、キッカはこの場に姿を見せていなかった。
「キッカがこの場にいませんが、代わってお詫びを申し上げます」
「良いの。たぶんラペーシュの家のこともあるから気軽に動けないだろうし……あの子もたくさん遊んでくれたから、レンカからお礼言っておいて」
「はい、確かに承りました」
トウカは馬車の扉を開ける。
マリーはオウカに膝枕をされていた。
「マリー、お大事にね。また、学院で会いましょう」
「うん」
手を振るレンカにマリーも寝たままで返す。
いまだにマリーの不調の原因はわからないままだった。
「ちょっとの辛抱だからね、マリー」
「おうちに帰れる……?」
「うん。これから帰るからね」
「うん……」
扉を閉め、オウカが運転手に合図を出す。
馬車がゆっくりと動き始めた。
「マリーっ!」
馬車の外から大きな声でマリーを呼ぶ声が聞こえた。
「キッカおねえちゃん……?」
マリーは重い体を何とか起こそうとする。
トウカが彼女を抱きかかえ、馬車の外を見せる。
屋敷の庭の木に登り、太い枝の上にキッカが立っていた。
「てやーっ!」
木の上から飛び降り、屋敷の塀を飛び越えて着地する。
雨の中、濡れるのも構わず走って馬車を追い始めた。
「必ず学院に入学しなさいよ! フロスファミリアを名乗る許しを貰ったんだから、落ちたら承知しないわよ!」
「えへへ……またね、おねえちゃん」
精一杯の笑顔を返し、マリーは手を振る。
馬車のスピードが上がり、徐々に二人との距離が離れていく。
やがて、彼女の姿は見えなくなった。
「はあ……はあ……」
馬車が見えなくなるまで走り続けたキッカは、膝に手をついて息を整えていた。
その上に影が落ち、雨が遮られた。
「……キッカ」
「……何よ」
レンカが傘を差し出していた。
彼女に見つからないように庭から抜け出したのに、お見通しだったらしい。
「何か言いたげね」
「いえ。風邪、引きますよ」
「……ふん。体のことをあんたに言われる筋合いはないわよ」
乱暴に傘を受け取る。
屋敷へ二人で並んで歩きだした。
「あーあ。明日から何して遊ぼうかな……」
誤魔化すようにキッカが呟く。
だが、マリーと離れたことを惜しむような言葉を言っている時点で誤魔化し切れていない。
そんな不器用な彼女に、レンカは密かに笑みをこぼすのだった。
「行ったか」
「ええ。貴方も見送りに行けばいいのに」
「どうせまた来る。いちいち見送る必要はない」
本当は誰よりも見送りたいのだろうが、グロリオーサは憮然として自室で座っていた。
そんな彼の立場を誰よりも理解し、ローザは娘たちのことを色々と伝える。
興味のない素振りをしながら話はちゃんと聞いていることをローザはちゃんと知っていた。
「貴方も、久しぶりに娘たちと一緒にいられて嬉しかったのではなくて?」
「……何の事だ?」
「オウカはいいけど、トウカはちゃんと生活できているのか不安でしたものね」
「……だから何の事だと言っている」
ぶつぶつと文句は言いながらも、どこか彼は嬉しそうな部分を覗かせていた。
「ところで、その本は?」
ローザは、グロリオーサが読みふけっている本を覗き込む。
「……民間で出版されている本だ」
「あら珍しい。あなたも物語を読むのですね?」
「……教養の一環だ」
ローザは本棚に収められている本を見る。
その一角にはトウカの作家名「ルルディ=ファミーユ」の著作が、刊行順に並べられていた。
「ふふ。あの子たちの不器用は親譲りね」
「……何だ?」
「何でもありません。お茶、入れますね」
「ああ」
今日は、ちょっといい茶葉を出してあげよう。
そう思ったローザだった。
キッカの姿が見えなくなり、トウカは座席に座る。
オウカも、マリーを再び自分の膝の上に寝かせた。
「……いい子たちだったわね」
「ああ。学院に入った後は心配する必要がなさそうだ。だが、その前に……」
「うん」
その前にマリーの体調不良の原因を突き止める必要があった。
魔族のマリーには、人間と同じ薬が通用するのかが全く分からない。
物によっては毒になる可能性もあった。
そもそも、人間と同じ病気なのかもわからない。
だが、下手に医者に見せることもできない。
トウカが、マリーの手を取る。
弱々しく、握り返される。
「何とかしないと……」
馬車は一路、トウカの家を目指す。
雨はしばらく、止みそうになかった。
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