第1部エピローグ 約束

「待たせたな国民たちよ。これより、武術大会決勝戦を執り行う!」


 若き国王の宣言により、会場に集った民衆の興奮は最高潮に達する。

 王国中から集った強者達がしのぎを削り、魔術と武術を駆使してここまで激戦が繰り広げられ、その頂点が今決まろうとしていた。


「王国最強の騎士が遂に今日、決まろうとしている。ここに残った二人は、いずれもその力を示し、勝ち上がって来た強者だ」


 王が右手を舞台の脇へ向ける。

 既に舞台を挟んで二人の人物が向かい合い、その名を告げられるのを待っていた。


「まずはその内の一人、圧倒的な実力で勝ち上がって来たフロスファミリア家長女、オウカ=フロスファミリア。前へ!」


 名が呼ばれ、オウカが舞台にあがると観客から大歓声が上がった。彼女は不敵な笑みを浮かべ、対戦する相手を、生涯の好敵手を、最高の相棒を待ち受ける。


「続いて、並み居る実力者をその剣一本でねじ伏せて来たフロスファミリア家次女、トウカ=フロスファミリア。前へ」


 次に名を告げられた騎士が舞台へあがる。こちらも大歓声が上がった。

 オウカに瓜二つの顔、フロスファミリア家の双子の姉妹、オウカとトウカが向かい合う。


「この日を待ちわびたぞ……トウカ!」

「私もだよ……オウカ!」


 共に育ち、共に剣の腕を競い合い、そして遂にその決着をつける日がやって来た。

 二人が雌雄を決するのにこれ以上相応しい舞台はない。


「先に言っておこう。全力でかかって来い」

「そっちこそ。手加減なんかしたら許さないから」


 オウカは笑う。模擬戦では圧倒的に彼女の勝率が高い。だが、ここぞと言う時の戦いはトウカに後れを取っている。


「ここに誓おう。最後まで、死力を尽くして戦う事を」

「私も誓うよ。最後まで、全力でオウカと戦う事を」


 家のことも今は忘れてしまおう。ここにいるのはただ剣の腕を競い合う二人。

 負けても恨みはない。手加減などせず、死力を尽くした戦いの果てに悔いなど残るわけがない。


「行くぞ、トウカ!」

「行くよ、オウカ!」


 共に剣を構える。その構えは鏡に映したように全く同じ。共に学び育ってきたフロスファミリアの剣。

 戦いの始まりを前に観衆が息をのみ、緊張感と静寂が舞台を包む。


「始め!」


 静寂を裂くように国王が号令をかけた。その声と共に二人は地を蹴る。


「うおおおお!」

「はああああ!」


 そして、渾身の力をもって二人は剣を振り抜いた――。




「……夢か」


 揺れる馬車の中でオウカは目を覚ました。

 夢に見ていたのは、もしかしたら有り得たかもしれない光景だった。

 トウカが家を出ず、共に騎士団に入り、武術大会の決勝を戦う姿。そうであったなら、どれだけ充実した七年間だったのだろうか。


「……贅沢な世界だ」


 思わず自嘲してしまう。現実は残酷だ。トウカが家を出て、七年間の確執の後に戦いを経ての和解。そして今に至る。


「止めてくれ、ここからは歩く」


 目的の場所が見えて来た。オウカは馬車を待たせ、リハビリを兼ねて歩くことにした。

 魔王討伐戦から一週間。彼女の傷も癒え、まもなく復帰の予定だった。


 結局トウカは帰っては来なかった。

 あれから騎士団を使って地下神殿の調査も行ったが、地下深くに沈んだ迷宮に入る場所は見つからず、生存者の発見の報告もない。

 最後まで希望を失いたくはなかったが、これ以上捜索しても成果が見込めないことから、騎士団も遂に「トウカ=フロスファミリアの戦死」という決定を下したのだった。

 そして、オウカがここへ来たのは、気持ちの整理を付けるためだった。


「街外れの草原の先とは聞いていたが……これはまた、凄い光景だな」


 トウカの家が近付くにつれて広がる光景に、思わず目を奪われる。

 街外れの、森と草原の近くにある一軒家。開花の時期を迎えて周囲は色とりどりの花で囲まれていた。


「まったく、トウカらしいな」


 王都から遠くはあるが、この花の咲き乱れる風景は一見の価値はあるとオウカは思った。

 物語の中の様な幻想的な光景。どこか、実家の庭園に似ている。

 恐らく、この光景に彼女は惚れ込んで住むことを決めたのだろう。

 オウカは庭にあった椅子を見つけた。そこに腰かけ、呟く。


「喜べトウカ。魔王討伐の功績が正式に認められたよ。お前は叙勲。私は昇格だとさ」


 戦場の主力部隊の第二部隊から、王都守護の第一部隊への栄転。オウカの若さでは異例の出世と言われた。


「父上も喜んでいたよ。頭の固い老人たちも、私が正式に家督を継ぐことを認めた。『魔王を討伐した英雄』というのがよほど効いたらしい」


 風が吹き、オウカの言葉に応えるように草木がそよいだ。

 初春の暖かな空気とのどかな風景に、思わず眠気を誘われる。


「魔王が討伐されたことはもうあちこちに広まっているみたいだ。最近王都に行商人がたくさん訪れるようになったよ……ああ、そう言えばお前は隣国の果物が好きだったな。あれも安く手に入るようになったみたいだぞ」


 まるで、トウカがそこにいるようにオウカは話す。

 七年間、一度もできなかった妹との世間話。だが、その言葉に応えてくれる人物はここにはいない。


「そう言えば今度、私たちを題材にした演劇も作られるらしい。どんな描き方をされるのか不安で仕方ないよ。なあ、トウカ」


 彼女が居れば、どんな反応を返すのだろう。

 驚くのだろうか、笑うのだろうか。それとも泣くのだろうか。トウカは昔からいつだって表情が豊かで、どんな反応をするのかが楽しみで、ついからかってしまう。


「トウカ……なあ、トウカ……返事をしてくれ」


 妹の名を呼ぶ。しかし、返って来るのは風の音と鳥のさえずりだけ。

 一番、言葉を返して欲しい人の声が聞こえない。


「……私のことを皆、「英雄」と呼ぶんだぞ……一体、私が何をしたと言うんだ」


 憤りでいつの間にか握っていた拳を震わせる。

 人は魔王を倒した英雄だと、オウカを褒め称えた。そして命と引き換えに魔王を倒した英雄だと、トウカを称賛した。


「私は何もしていない……妹に剣を向けた私が何故英雄なんだ!」


 だが魔王は既に死んでおり、その遺児を守ろうとした妹に剣を向けたことが真実。むしろ魔道に堕ちようとしていた彼女を止め、魔王の娘を守って新たな未来を作ろうとした妹こそが称賛されるべきだ。


「……トウカ。全部、これからだったじゃないか」


 戦いの後、全てのわだかまりが無くなってようやく姉妹に戻れた。

 魔王の娘を育てると言うトウカの言葉には驚いたが、どこか楽しみにしている自分もいた。だからこそ協力の申し出を受け入れた。

 だがあの日、魔王の娘を救出に行ったきり、妹は帰って来なかった。


「もう逃げないから」と彼女は言った。

 だが再戦の約束も、もう叶う事はない。


「……また、勝ち逃げか」


 風が吹く。草花や枝葉が揺れ、オウカの髪がそよいだ。

 とても晴れやかな天気なのに、彼女の心はどこまでも暗かった。


「――ねえ、どこか痛いの?」

「……?」


 気づけば、自分を下から覗き込んでいる少女がいた。

 ルビーのような紅い瞳に、銀の髪。年の頃は、五、六歳ほどを思わせた。


「いや、そう言う訳じゃないんだ」

「でも……お姉ちゃん、泣いてるよ?」


 少女に言われ、オウカはいつの間にか涙が頬を伝っていたことに気付く。

 オウカは涙を指でぬぐい、少女に悲しげに微笑みかける。


「……そうだな、心が痛いんだ」

「心が?」

「……ああ。大切な人が居なくなったんだ」

「そうなんだ……」


 少女も悲しそうな表情を見せる。

 胸の内を話し、心なしかオウカも気持ちが落ち着き始めていた。


「……私もね。お父さんとお母さんがいなくなっちゃったの」

「それは……辛いことだな」

「うん……でもね。また私を大事に思ってくれる人ができたの。私、新しいママができたんだ!」

「そうか。それは良かったな」


 花が咲くような、心からの笑顔で少女は言う。

 そんな姿に少しだけ心も軽くなり、オウカも笑顔を返していた。


「あれ……そう言えばお姉ちゃん。ママに似てる?」

「……そうなのか?」


 少女の言葉に、オウカは引っかかるものを感じた。自分に似ている。それはつまり――。


「ねー、マリー。ちょっと待ってよー」


 一瞬、オウカは幻聴だと思った。

 それほどに、彼女には衝撃的な声だった。


「あ、ママー!」


 少女が駆け出す。そしてオウカは、マリーと呼ばれたその少女の名前に聞き覚えがあった。

 それは、彼女の妹が守ろうとしていた少女の名前――。


「もー、私はまだケガが治ってないんだから。あんまり早く走れないって言ってるのに……」

「ごめんなさい……だって、お花がいっぱいで嬉しかったんだもん」


 一歩一歩、その人物は家に向かって歩いて来る。

 涙で視界が滲んでいた、だがその姿を彼女が見間違えるはずがなかった。

 二度と会えないと思っていた自分の半身。瓜二つのその姿。


「ふう……仕方ないか。約束したもんね」

「うん。約束守ってくれてありがとう! ママ大好き!」


 その声を聞くのを、彼女がどれだけ待ち望んでいたか。

 オウカは、花畑の中にいる親子の元へと歩き出す。


「あ……」


 向こうもオウカに気付き、そして心からの微笑みで彼女を迎えた。


「ただいま、オウカ」

「ああ……おかえり、トウカ」





 第一部 完

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