第19話 母と娘

 ノアと別れたアキレアは、トウカの後を追ってマリーの部屋へと向かっていた。

 トウカは元々迷い込んだ身。マリーを保護したとしてもそこから迷宮を抜けて地上へ戻るのは難しいため、地上へのルートを知る者の同行が必要だった。


「マリーの部屋まで行けば……」


 魔王軍が地上へ向かうために用いる転移用の魔法陣がそこの近くにある。

 人間側の研究ではまだその域に至っていないが、魔族の間ではノアが用いる影を使っての移動魔法以外にも用いられる設置式の魔法だ。

 陣自体に転移の起動式が織り込まれており、軽く魔力を流すだけで起動する構造になっており、アキレアの魔力でも作動する。

 どの道、アキレアもそれを使わなければ脱出することはできない。


「……ちっ、ここもダメか」


 通路が落盤で埋まっていたことにアキレアは思わず舌打ちする。

 この道はマリーの部屋へ向かうためのルートの一つだ。この崩壊する中で一刻も早くマリーの下へ向かう必要があるのだが、何度も迂回を強いられ先へと進めない。


「あのバカ、やり過ぎだぜ」


 ノアは今も神殿の破壊工作を行っている。

 彼は二度とこの場所へ誰も入れないよう徹底的に全てを破壊する気だ。

 そして、それは同時に魔王軍の壊滅も意味する。

 しかしそれに伴ってこのエリアも崩れ落ちつつあった。


「早えところ行かねえと、俺まで巻き込まれちまう」


 アキレアは妙な胸騒ぎがしていた。

 先に行ったトウカの姿はまだ見えない。果たして彼女はマリーの下へたどり着けたのだろうか。運よく落盤前に通路を通り過ぎることができていたのならいいが、まだ迷宮を彷徨っている可能性もある。最悪途中で落盤に巻き込まれていることだってあり得た。


「……死ぬんじゃねえぞ。まだ何にも始まってねえんだ」


 引き返して別の迂回路へと向かう。

 遅くなればなるほどマリーの身も危なくなる。

 アキレアは焦りを振り払うように全力で駆けるのだった。




「皆さん、お疲れさまでした」


 その頃、破壊工作を行う中でノアは迷宮のあちこちで魔物や魔族の変わり果てた姿を見つける。

 その多くがマリーを守るために戦い、その命を散らした者たちだった。

 だが、悼む暇はなかった。彼ができるのはその遺志を引き継ぎ、マリーを守って行くこと。

 そして、せめてもの手向けとして誰も眠りを妨げられない場所をこうやって築く事だ。


「……幹部で残ったのは、どうやら私とアキレアだけみたいですね」


 それはある意味好都合とも言えた。秘密を知る者は可能な限り少ない方がいいからだ。

 もし、マリーが生きていることが知れ渡れば人間、魔族の双方から狙われる可能性がある。

 人間側は魔王の眷属を討ち取るため、魔族側は魔王軍再起の象徴として。

 争いに向かない性格のマリーをそのような殺伐とした世界に巻き込むつもりはなかった。自由奔放に、平和に生きて行くことができればどれだけ喜ばしい事か。


「その為にもやることはたくさんありそうですね……」


 一方で共に戦うものが少ないと言う事は彼らに孤立無援の戦いを強いることを告げている。だが、それはもう覚悟したことだった。


「さて、あちらは無事に逃げ切ることができたのでしょうか」


 迷宮の中、ノアの言葉は崩壊の中に消えて行く。

 そして彼の姿もまた、数瞬の内に影の中へと消えて行くのであった。




「出て来たぞ、決死隊だ!」


 地下神殿の崩落を察知した王国軍も大半がその中から退避していた。

 だが戦いで命を落とした者や崩落に巻き込まれた者など、未帰還の者もかなりの数に上っていた。

 そんな中、最奥部へと突入していたオウカたち第二部隊の姿が見えた。数は四人にまで減り、いずれも重傷を負ったその姿は激しい戦いがあったことを皆に感じさせた。


「聞け、集いし騎士たちよ!」


 待ち受けていた騎士たちに向けて、先頭を行く騎士が叫んだ。

 誰もが待ち望んでいた、その戦いの結末を。


「長く人々を苦しめていた魔族の王は遂に滅び去った。ここにいるオウカ=フロスファミリアとその妹、トウカ=フロスファミリアの二人の手によってだ!」


 騎士たちから歓喜の声が上がる。

 長く魔族に苦しめられ続けていた人類にとっての悲願。魔王の討伐。世界中の人々の希望となる大きな勝利が遂にもたらされたのだ。その喜びは計り知れない。

 ある者は泣き、ある者は抱き合って勝利の喜びに浸った。


「トウカ……」


 オウカは歓喜に包まれる騎士たちの中で、一人神殿の門を見つめる。

 カルミアも、一人子供の救出に向かったトウカの安否を気にしていた。

 そして、いつしか騎士たちも気付き始める。勝利の立役者たる二人の姉妹。その片方の姿が見えないことに。




 その頃、疲労困憊で重たい体を引きずるように通路を抜け、トウカがマリーの部屋にようやく辿り着いていた。


「マリー、返事をして!」


 部屋を見渡しながらトウカは叫ぶ。

 豪華なシャンデリアは落ちて砕け、家具も倒れて調度品も粉々になっている。

 マリーと一緒に遊んだ部屋も、その面影はほとんど残っていない。

 こんな場所に子供が一人でいられるのだろうか。そう思ったトウカはマリーを探すべく、踵を返そうとしたその時だった。


「……トウカおねえちゃん?」

「マリー、どこにいるの!?」


 誰もいないと思われた部屋の中から声がした。

 トウカは再びマリーの部屋に入り呼びかけると、ベッドの下から小さな手が出た。恐る恐るマリーが顔を出して周りを見渡す。そして、トウカの姿を見つけて彼女はベッドから飛び出した。


「トウカおねえちゃん!」

「マリー、良かった無事で」


 目に涙をいっぱいに浮かべて胸に飛び込んでくるマリーを抱きとめる。


「怖かった! すごく怖かったあぁ!」

「大丈夫、もう大丈夫だから」


 パニックに陥っているマリーの背を撫でて宥める。

 この揺れる部屋の中に一人きり、誰も助けに来ない中でどれほどの恐怖に晒されていたのだろうか。


「マリー、ここはもう危ないの。だから、外へ一緒に行こう」

「お外へ……?」

「うん。約束通り、お花畑見せてあげる時が来たの」

「ほんと!?」


 沈んでいたマリーの表情がやっと綻ぶ。

 だが何かに気付き、その顔がすぐにまた沈んだものになった。


「……お父さんと、お母さんは?」


 トウカの表情が曇る。まだ彼女は自分の両親が亡くなっていることを知らない。


「ノアは、アキレアは? みんなはどうしちゃったの?」


 最早魔王軍の大半が王国軍の総攻撃で討ち取られていた。

 トウカたちにとっては敵でも、マリーにとってはずっと一緒に暮らしてきた家族にも等しい存在達だ。


「……ごめん。ノアとアキレアはすぐに追いつくけど、他のみんなは……一緒に行けないんだって」

「マリー……置いて行かれちゃったの?」


 マリーの表情が歪む。我慢しようとするが、とめどなくその眼から涙が溢れ出た。


「やだ……マリー、いい子にしてるから……もうわがまま言わないから、置いて行かないでぇ……!」


 泣き崩れるその姿にトウカは心が痛む。マリーの言う「みんな」の、そのほとんどが死んだと言う事実を幼い彼女に伝えることなどできなかった。


「――私じゃ、ダメ?」

「え……?」


 だから、トウカはマリーを笑顔にしてあげたい一心で、精一杯の笑顔を作って語りかけた。


「私が、マリーの新しいママになっちゃダメかな?」

「トウカおねえちゃんが……?」


 これから彼女は人間社会の中で生きて行かなくてはいけない。その為には共に歩み、マリーを守って導いてあげる存在が必要となる。それはつまり親を意味する。


「マリーのお父さんとお母さんが戻ってくるまで、私がマリーを守る。その日まで、私がマリーのママになっちゃ……ダメかな?」


 もちろん、もうマリーの両親を連れて行くことはできない。だから、これはマリーを守るためについた彼女の嘘だ。

 約束が果たされることはない。だから、トウカはいつか真実を告げることができるその日まで彼女を守り育てる事を決心したのだった。


「……ずっと、一緒にいてくれる?」


 マリーがトウカの服の裾を握り、不安げな視線で見上げた。

 幼い少女へ嘘をついたことに心が痛む。だがトウカは屈んで目線を合わせ、笑顔を返す。


「うん。ずっと一緒。約束する」


 小指を立てるトウカに、マリーは恐る恐る自分の小指を絡めた。

 そして囁くように、それでもはっきりと、その言葉を紡ぎ出した。


「……ママ」

「うん」


 確かめるようにマリーはもう一度呟く。

 トウカも噛み締めるようにその言葉を受け止める。


「トウカ……ママ」

「うん」


 強く、マリーが指に力を込める。

 トウカも固く指を絡める。それは決して離れないことを固く誓うために。


「ママ!」

「マリー!」


 胸に飛び込んでくるマリーを抱きしめる。

 マリーも再び涙を溢れさせる。だが、その表情は心の底からの笑顔を見せていた。




 崩壊は激しさを増していた。ノアとアキレアがいつここへたどり着くのかわからない。だが、一刻も早く脱出しなくてはいけないことを感じさせていた。


「ねえマリー、ここからお外へ出る方法って聞いたことない?」

「うーん……そう言えばみんなお出かけする時にあっちに行ってたと思う」


 マリーが差した方へ確認に向かう。

 細い通路の先で床が淡く光を放っていた。


「あれって……?」

「“てんいまほーじん”って言ってた」

「転移……?」


 語幹からして、どこかへと繋がり、そこへ移動できることを思わせる。

 魔法技術に特化した魔族の間では、いまだ人間がたどり着けていない領域の技術が開発されていても不思議はない。一か八か、試してみる価値はあった。


「あ、待ってママ。一つだけ持って行っていい?」

「いいけど、何を持って行くの?」

「このくらいの箱」


 マリーが手で形を示す。

 大きさも特に移動に支障をきたしそうな程ではない。


「そっか。じゃあ、早く取って来ないと」

「うん!」


 マリーは先ほど自分が隠れていたベッドの下へ潜り込む。

 ややあって、マリーがベッドの下から這い出る。その手には小箱が抱えられていた。


「これ?」

「うん、マリーの宝物」


 小箱を胸元に抱き、笑顔で答えた。

 こんな時でも持って行きたいと思うほど、それが大事な物なのだとよくわかる。


「じゃあ、行こうか」

「うん……わっ!?」


 マリーが立ち上がったその時、一際大きな揺れが起こる。

 突然のことで体勢を崩し、マリーの手から小箱が零れ落ちた。


「マリーの!」


 マリーが、床に転がった小箱に手を伸ばしたその時だった。


「マリーっ!」


 トウカがマリーの名を呼び、走り出す。

 マリーは気づいていなかった。今の揺れで天井に巨大な亀裂が走り、今まさにマリーの頭上から崩れ始めていたことに。


「え――?」


 マリーに覆い被さって全身で抱え込む。次の瞬間、轟音と共に天井が崩れ落ちた。

 次々と瓦礫が落ちる。だが、マリーだけは守り切ろうと腕に力を込める。


「……ママ?」


 崩落が収まり、静寂が戻る。

 マリーの温もりとその声だけが彼女の無事を教えてくれていた。


「ああ……よか…った」


 守り切ることができたことに安堵する。だが、それを伝えるための声が出なかった。

 首筋や背中から何か温かいものが伝い下り、それが床に赤く広がって行く。

 体の力も抜け、徐々に視界が暗転し始めた。意識が薄れて行く中、最後に浮かんだのは姉のことだった。


 名前を呼んでもらった。七年間のわだかまりもようやく無くなって、もう一度あの頃のように過ごせると思った。そんな姉をまた怒らせてしまうのだろうか。


 ――ごめんオウカ……約束、守れそうにない。


 再戦の約束をした。でも、それは叶いそうになかった。

 謝罪の言葉が声にならない。もう言葉を発することもできなくなっていた。

 眼が少しずつ閉じて行く。自分の命の灯火が消えつつあるのを、トウカは感じ取っていた。




「オウカ様、危険です!」

「離せカルミア!」


 トウカの脱出があまりにも遅い。

 業を煮やしたオウカはケガを押して再突入を試みようとしていたが、騎士たちが必死に押し留めていた。

 魔王討伐の立役者の一人、トウカ=フロスファミリアが未帰還であることは既に王国軍の間で知れ渡っていた。

 だが、崩壊の進む神殿を前に誰もが救出へ向かえないでいた。


「見ろ、崩れるぞ!」


 騎士たちの間からどよめきが起こる。

 遂に崩壊が迷宮の入り口にまで到達し、巨大な門が倒壊し始めた。


「トウカーっ!」


 オウカの絶叫の中、土煙を上げ轟音と共に地の底へ全てが飲み込まれて行く。

 いつの間にか、オウカは膝をついていた。そして、その光景を抜け殻になったように呆然と見送る。


「……嘘だ」

「オウカ様……」


 全てが地に還り、静まり返る中で誰もがオウカに声をかけられないでいた。

 妹を失い、蒼白で震える彼女にかける言葉など一体何があるのだろうか。


「うわああああぁーっ!」


 その絶叫は天へと消えて行く。あまりの自分自身の無力さに、悔しさだけが残る。

 オウカには何もできなかった。ただ、妹が死地へと向かっていくのを見ていることしかできなかった。




 この日、長きに渡り続いてきた人間と魔王の戦いは遂に終わりを告げた。

 平和な時代の到来と魔王を討伐した英雄の誕生に人々は歓喜し、涙を流した。

 そして、それと共に人々は悼んだ。帰らぬ人となったもう一人の英雄、トウカ=フロスファミリアを……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る