第2部 王国の五大騎士家編

第1章 新たな生活の始まり

第1話 二人のママ

「さ、座って」

「ああ、失礼する」


 オウカを椅子に座らせてトウカは締め切っていた雨戸を開けていく。

 籠っていた空気が抜けていき、春の爽やかな空気が替わって家の中を満たしていく。


「ごめんね、埃っぽくて」

「一週間も不在だったんだ、構わんさ」


 トウカは湯を沸かし始め、棚から茶葉を取り出す。

 未開封のまましっかりと保管されたそのラベルは、オウカの好きな銘柄だった。

 それに気づいたオウカも、思わず笑みをこぼしてしまう。


「でも、なんだか不思議」

「何がだ?」

「オウカが私の家にいることがだよ」

「確かにな」


 トウカも椅子に座って向かい合う。

 お茶会の用意をして、一緒にお湯が沸くまでの間の時間を過ごす。

 一週間前までは考えもしなかった光景だ。


「……何を、話せばいいのかなぁ」

「いざ、話そうとすると出てこないものだな」


 本当は話したいことはいっぱいある。

 この七年間。離れている間に起きたこと。家のこと。

 でも、あの戦いの中でお互いの思いは伝え合えた。今はそれで十分なのかもしれない。


「そうだ。ここへ来る途中でちらっと見たんだけど……」

「ん?」

「王都の方で何か悲しいことでもあったの?」


 トウカが見たのは王都の沈みようだった。

 城からは城壁に黒い垂れ幕がかけられ、国民は喪章をつけ、活気も失っている。

 まるで国王が亡くなった時のようだ。


「……」


 その言葉を受けてオウカが黙り込む。何か言いづらい様子だった。


「言って、オウカ」


 そして、トウカに促されて観念したように呟く。


「あれは喪に服しているんだ」

「誰の?」

「……お前のだ」


 その言葉で空気が凍りついたような静けさが二人に走る。


「……ええーっ!?」


 そして、事態を飲み込んだトウカの悲鳴が静寂を破った。

 思わず立ち上がった勢いで椅子を倒してしまう所だった。


「待って待って。私、生きてるよ!?」

「国中は死んだと思っているんだ。あれから一週間だぞ」


 オウカですら、先程までトウカの生存を諦めていたほどだ。


「地下神殿も崩壊して、救助活動もできず、国としても生死不明のまま引っ張ることもできん。つい先日、公式にお前の死が宣言されたばかりだ」

「仮に死んだとしても何で国中に広めるのよ!?」

「魔王を倒した英雄の死だぞ。国中が喪に服すに決まっているだろう」

「え、英雄って……」

「一応、世の中には私とお前が協力して魔王を討伐したことになっている」


 トウカは絶句する。不在の間にどんどん話が広がり、いつの間にか美談になっている。

 それどころか、魔王を実際には倒していないのに救国の英雄扱いだ。


「謳い文句も酷いものだ。“命と引き換えに魔王を倒した英雄”だと」


 トウカはあの時、ただマリーを助けに行っただけだ。そして崩壊に巻き込まれて帰還できなくなったというのに、これでは順番が逆だ。

 なお、そのマリーだが、トウカの家に入ってからあちこちをもの珍しそうに見て回っている。新しい家に興奮しているらしい。


「ちなみにオウカは?」

「“片翼を失いながらも魔王を倒した王国最強の女”だ……色気も何もあったものではない」


 オウカは押し黙る。

 彼女としても不本意な称号なのだ。


「どうせなら評判に尾ひれがつく前に帰って来て欲しかったものだ」

「うう、そんなこと言っても……」


 実は目が覚めたのはあの日から二日後のことだ。

 地下神殿の崩落に巻き込まれてからの記憶は全くない。気が付いた時には大怪我を負って戦場から随分離れた場所で密かに匿われていたのだ。

 そして、ノアとアキレア、マリーの看護によってやっと動けるようになったのが昨日のことなのだ。


「国王陛下にも生存の報告をしなくてはならんな。そうなれば近々城から召されるはずだ。謁見の準備はしておけ」

「はあ……こんなことになったら何だか陛下に凄く会い辛いなあ」

「……いや、まだ取り返しのつく段階で帰ってきたから良かったと思うぞ」

「え?」

「もう少し遅かったら国葬になっていた」


 トウカは青ざめた。もしそんなことになったら公式には完全に彼女は死んだことになる。

「実は生きていました」などと言える雰囲気ではない。


「先日の御前会議では墓標の造営計画も議題に上ったそうだ」

「話が膨らみ過ぎだよ……」

「仕方あるまい。救国の英雄を悼むとはそう言う事だ。国民にも示しがつかん」


 トウカは頭を抱えた。話によれば国が新たに広場を作り、戦没慰霊碑と共にトウカのモニュメントを造営する話まで持ち上がっていたらしい。

 そんな時期に帰って来ようものなら恥晒しも良い所だ。


「……この家も一般公開されて観光地になると言う話も聞いたな」

「それ、何の辱めよ!?」


 自分の生活空間が国民に公開されれば人に見られたくないものまで展示される可能性もある。もうこれではただの晒し者だ。英雄を悼むどころか熱を入れすぎて妙な方向へと舵取りが行われているように感じる。


「まだ書きかけの話だってあるのよ……そんなの見られたら死んでも死にきれないわよ」

「よくわからんが、それは作家としての矜持なのか?」

「作品は作家の子供も同然だからね。中途半端な形で世に出したくないもの」

「子供……か」


 その言葉にはオウカにも思う所があった。


「……フロスファミリアの家に帰って来る気はないか?」


 彼女の脳裏に浮かんだのは、トウカが死亡したと公表された時の父グロリオーサと母ローザの顔だった。

 父は当主として毅然とした態度で受け止め、普段と変わらぬ生活に戻っていたようだったが、どこか寂しそうな背中を見せていた。その日は普段飲まない酒を開けていたとも使用人から聞いている。

 そして、母の方は討伐戦中に行方不明になったと聞いた時からなかなか寝付けず、夜遅くまでトウカの無事を願い続けていた。

 だが、願いも空しく国が下した決断はトウカの戦死。七年間、家を出たトウカを案じ続けていた彼女に対してあまりに辛いものだった。

 その時の母は泣き崩れ、取り乱し、見るに堪えない光景だった。もうあんな姿は見たくなかった。


「家督の継承についてはまだ解決してはいないが……だが、もう家と関わりを断つ理由は無いはずだ」

「それはそうだけど……」

「……やはり、あの子のことか?」


 迷いを見せるトウカの気持ちもオウカは理解できた。

 家の中を眺めている魔族の娘。一族と縁もゆかりもないあの子をこれから守り、育てて行くとなれば本家に住むわけにはいかない。

 間違いなく素性を詮索する者もあらわれ、何かのきっかけで魔族であると露見すれば一族だけでなく、国を巻き込む大事になりかねない。

 だからこそ、余計な波風を立てずに生きて行くためには今のこの家で生活することが最適なのだ。


「わかった……せめて、父上と母上には顔を見せてあげてくれ。それくらいは良いだろう?」

「うん。ずっと家を出ていた事も謝らなくちゃいけないし……今回のことでもたくさん心配かけちゃったものね」

「戦も終わり、落ち着いた今が帰るには一番いい機会だと思う」


 トウカの生存を知れば、父も母も会いたいと思うに決まっている。

 それに、オウカとの関係も修復されたと聞けばどれだけ二人が喜ぶか。


「でも、オウカはいいの? 私が家に帰るとなったら色々と親戚の人たちが……」

「いちいち老人たちのご機嫌など伺っていられるか。そもそも妹が実家に帰る事の何が問題だと言うのだ」


 オウカの物言いにトウカは驚き、そして久しぶりに思い出した。

 強い物言いが目立つ彼女だが、元々オウカは身内にはとても優しいのだ。


「何だトウカ、何か妙なことでも言ったか?」

「……ううん。何でもない」


 そして、妹としっかり認めてくれている。その名を呼んでくれている。

 本人は無自覚なのだろうか、また姉妹として関わって行ける。トウカにはそれがとても嬉しかった。


「そうと決まれば忙しくなるな。父上と母上の予定も調整せねば」

「……マリーを引き取ることも報告しなくちゃいけないね」


 懸念すべきはそこだ。

 魔王の娘マリー。トウカは彼女を育てると決めた。それは、隠し、匿い続けるのとは違い、彼女の家族として、このアルテミシア王国の国民として、普通の子供たちと同じように生活させるつもりなのだ。


「戦場で見つけた身寄りのない子供を引き取ると言った話は珍しくはないが……まあ、対外的な建前については追々考えるとしよう」

「ありがとう、オウカ」

「気にするな。私も後見人になると約束したわけだからな」


 オウカの真面目さ、律義さは昔から何ら変わっていない。

 彼女が力を貸してくれることにトウカは心からの安堵と喜びを覚えていた。


「……ところでトウカ。一つ聞いていいか?」

「何?」

「あれは……何をしているんだ?」


 オウカが指し示したのは物陰からこちらを伺う件の少女の姿だった。

 家の中の探索も終わり、今度はこちらに興味を向けているらしい。

 特に、オウカのことをじっと見続けている。


「初対面の幼子に凝視される理由が思い当たらんのだが」

「マリー、どうかしたの?」

「……ママが二人いる」

「は?」

「え?」


 思わず二人で声を上げてしまい、顔を見合わせた。

 そして、トウカがマリーの言葉の意味に気付く。


「ああ、私たちは双子なの」

「ふたご?」


 初めて聞いたと思われる言葉にマリーが小首を傾げる。


「私たちは同じ日に生まれた姉妹なの。だから私が髪の毛下ろしたら……」


 そう言って、トウカがポニーテールを解く。

 髪の長さや服装、纏う雰囲気を除けば鏡に合わせたように瓜二つだ。


「うわー、そっくり」

「よく似てるでしょ?」

「うん。スライムみたい!」


 マリーの言葉に思わず二人は腰が砕けそうになる。

 二人の脳裏に浮かんだのはプルプルと震えるゲル状の魔物。確かに色を除けば個体の見分けがつかない魔物の筆頭と言える。


「……あれと同類の扱いか、私らは」

「そ……その例えは、初めてかも」


 二人そろって複雑な表情を浮かべる。

 だが、分裂で増えるスライムと一緒にされては何か釈然としない。


「えーっと……オウカがお姉ちゃんで、私の方が妹なの。わかる?」

「トウカママのお姉ちゃん?」

「うん。そうそう」


 マリーは言葉を繰り返しながらオウカの方を見つめる。


「そっくりなお姉ちゃんは、トウカママのお姉ちゃん?」

「ああ、そうだ」


 満足そうにオウカが頷く。

 どうやらわかってくれたみたいだ。


「じゃあ、オウカママだ!」

「……は?」


 オウカの目が点になる。そんな表情を見たのは、トウカは生まれて初めてかもしれない。


「うん。オウカママもトウカママもどっちもママ」

「い、いや待て。どうしてそうなる!?」


 狼狽するオウカ。マリーは何がおかしいのかと首を傾げた。


「だって、ママはママにそっくりだもん。だからママだよ?」

「いやいや、それは論理的な説明になっていないぞ!?」

「ろんりてき?」

「く……つ、つまり理路整然……ではわからんか。トウカ、何と言えばいい!?」


 あまりのオウカの慌てぶりに、思わずトウカは笑ってしまいそうになる。


「いいじゃない。後見人なんだから同じようなものでしょ?」

「そうかもしれんが、だが私は母親役を引き受けた覚えはない。世間体もあるんだ、“ママ”はやめてくれ」

「オウカはこう言ってるけどマリーどうする?」


 マリーはオウカの言葉に小首を傾げたままだった。


「ママはママじゃないの?」

「いや、ママのようなものでママではないのだが……ああ、何が何やらわからなくなってきた」


 助けを求めるようにトウカを見るが、既にそのやり取りを微笑ましく見守る立場に移行している。お互いが歩み寄るいい機会と見た彼女は応援するだけだ。こう言う時は決して口を挟むつもりはない。


「く……そうだ、せめて“オウカさん”と呼んでくれ」

「オウカさん?」

「……そうだ」


 苦し紛れに言ったにしては中々の対応だったとオウカは思った。


「オウカさん」

「よし、それでいい」


 マリーはオウカの言葉を何度も繰り返す。

 まるで、自分に沁み込ませるかのように。


「オウカさん……おうかさん……おかあさん……お母さん?」

「ちょっと待て」


 オウカが机に突っ伏しそうになる。

 マリーがたどたどしく繰り返した言葉はいつの間にか別の言葉に、にも関わらず全く同じ意味のものになってしまっていた。


「いいか、私の言葉を繰り返してくれ」

「うん」


 オウカはマリーの手を取り、目線を合わせる。


「オ」

「お」


「ウ」

「う」


「カ」

「か」


「さ」

「さ」


「ん」

「ん」


 一言一句を丁寧に繰り返させ、そして最後に言う。



 そして、時が止まった。


「……もう、好きに呼んでくれ」

「……オウカが負けた」


 遂にオウカの心が折れた。気落ちしながら彼女は椅子に座り直す。

 その眼はどこか虚空を見つめていた。


「ふふふ……笑ってくれトウカ。二十歳になったばかりでいきなり子持ちだ。しかも、こんなに大きな娘を」

「オウカ、気をしっかり持って」


 自嘲するオウカの肩をトウカは慰めるように軽く叩く。

 そして、マリーは相変わらずよくわかっていなかった。


「まあまあ。観念して一緒にお母さんやろうオウカ」

「くっ……」


 王国最強と謳われた彼女が幼子に翻弄される。そんな姿を微笑ましく思う。

 前途は多難かもしれないが、オウカとマリーもすぐに仲良くなれる。そんな確信を持ったトウカだった。


「……マリー」

「何、お母さん?」


 と、不意にオウカがマリーに尋ねた。


「“トウカさん”と繰り返してみろ」

「え?」

「トウカさん……とうかさんとうかさん……とうさ」

「待って、それはやめて!?」


 結局、トウカの呼び方は“ママ”となり、オウカの呼び方は“お母さん”で落ち着くことになるのだった。

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