第6話 迷宮と迷いの心

 門を越え神殿内部に入った者たちはすぐさま散らばり、探索を調べ始める。神殿内部の探索を行い、その構造を把握して情報を持ち帰るのが彼らの任務だ。

 外の戦闘に大半の戦力が送り込まれているためか、内部の警備は手薄だった。

 そして、探索班の中にトウカの姿もあった。

 オウカに双子の妹がいたと言う事実、そして彼女が華々しい活躍のできる前線ではなく、裏方と言える探索班に配属されたことは騎士団でも驚かれたが、この班は生存し帰還する力が求められるため、戦闘力とその機動性が知られる一族の彼女はその点では適任とも言えた。


 それに対外的にも印象は良い。家を離れていた妹が姉のために戻り、陰ながら支えるという姿は美談としても使えた。これは当主グロリオーサが求めた事ではないが、フロスファミリア家の元老たちにとっては家の名声を高めるためにもトウカは利用できる存在だった。


「この辺の構造はわかった。私は一度戻ることにします」

「はい、戻る道中気を付けて」


 情報を取りまとめた一人が離脱する。

 トウカたちは数人の組で行動していた。一度散らばってはある程度の探索を行い、そして再び集まっては情報をまとめ、それを誰かが持ち帰るといった作業を繰り返していた。

 だが、迷宮は複雑で何度も同じ場所へと戻ってしまう。あるいはよく似た場所にたどり着き、混乱を生じさせる。

 組の人数も残るは三人。そろそろ持ってきた記録のための道具も尽きかけている。トウカたちも一度帰還することを相談し始めていたその時だった。


「……今、誰か何か言わなかったか?」

「いや、私は何も」


 口々に自分ではないと答える。だが、耳を澄ませると確かに誰かの声が聞こえて来る。


「誰……か。いない……のか」

「おい、助けを求めているぞ」

「仲間かもしれん。行ってみよう」


 突如聞こえた声に動揺が広まる。

 探索班としての任務も重要だが、騎士としての責務や誇りもまた譲れないものであった。


「……助けて、くれ」


 通路の奥から声がかかる。

 周囲を警戒しながらトウカたちは声の主を確認すべく奥へ向かう。


「ここだ……助けてくれ」


 通路の先で壁にもたれ掛かっている人物がいた。

 うつむいてその表情はうかがい知れないが、彼の下から声は聞こえていた。


「おい、大丈夫か!?」


 王国軍の甲冑を着ている相手に警戒心を緩めた騎士たちはすぐさま駆け寄る。

 だが、トウカはその様子に何か違和感を覚えた。


「待ってみんな。近づいちゃダメ!」

「は? 何を言って――がっ!?」


 突然襲った激痛に悲鳴を漏らす。

 口からは血を吹き出し、自分を襲った状況に理解が追い付いていない様子だった。


「あーあ……何でバレちまったのかねえ」

「き……貴様、何を」


 相手の腕が己の腹を貫いていると言う異常な状態に彼はようやく気付く。

 隣にいた騎士もようやく異常を理解する。

 だが、彼が剣を抜くよりも早くその男は腕を引き抜いた。

 腕を振るう一瞬の内にその男の姿が変貌する。

 口は裂け、牙と爪は鋭く伸び、灰色の体毛が瞬時に全身を覆う。

 人の姿をした狼。それが彼の見た最後の光景だった。


「ごほっ……」


 その爪が喉笛を貫く。声にならない悲鳴を上げて彼も倒れた。


「馬鹿…な。変身し……人語を…話す魔物だと……」

「あ? 何だまだ生きてたのか」


 先に貫かれた騎士は息も絶え絶えにその魔物を見上げる。


「言葉と知性が魔族と人間あんたらの専売特許ってわけじゃねえんだぜ。俺みたいな奴だっているのさ」

「知性を持つ……魔物…」

「そうそう。冥途の土産とやらになっただろ?」


 人狼が倒れる騎士の頭を掴む。

 爪を食いこませ、力をかけてゆく。


「早く……この情報を、外へ――」


 思わずトウカは目を背ける。

 骨が砕け、肉と血が飛び散る音がする。

 再び静寂が戻ると、人狼はトウカへ向かって歩き始めた。


「さて女。どこで演技だとわかった」


 獲物を補足した獣の鋭い目をトウカに向け、いまだ血の滴る爪を向ける。


「……わずかに殺気が漏れてたわ」

「ははっ、やっぱり演技は苦手だわ。上手く隠したつもりだったんだけどな」


 鋭い牙を剥き人狼は笑う。

 だが、すぐさまその視線をトウカに突き刺す。


「だが他の二人が気付かなかった俺の殺気に気づくたあ、ちょっとはできるみたいだな」

「……そんなことない」

「謙遜すんなよ!」


 人狼が駆ける。獣の脚力で一気に迫り、その爪をトウカの喉笛へと放つ。


「くっ!」


 トウカが避け、その腕をいなすようにして体を入れ替える。


「ほら、やっぱりそうじゃねえか。動きが他の奴と段違いだぜ!」


 振り向きざまに振り上げられた爪を反射的にのけ反って回避するが、続いて人狼の口が開き、トウカの肩口目がけて牙が迫る。


「はあっ!」


 振りあがった腕をトウカはとる。

 後ろに倒れ込みながら人狼が前に向かおうとする力を利用して、脚を使って投げ飛ばす。


「うおっ!?」


 人狼が空中で回転しながら体勢を立て直し、地に降り立つ。

 四つの足で這うようにしてトウカへ体を向ける。


「やるじゃねえか女……だが、何で剣を抜かねえ」


 トウカが顔をしかめる。それは最も突かれたくない事だった。


「素手じゃあ、俺を殺せねえぜ!」


 人狼が飛びかかる。強烈な殺気を受けてトウカは思わず剣に手をかける。


 ――迷いだらけの剣で戦っても無様に死ぬだけだ。


「……くっ」


 だが全身に鎖が絡み付いたような感覚が襲い、抜くことができない。

 トウカに染み付いた慙愧の念がその剣を抜くのを封じる。


「舐められたものだな!」

「術式展開――――『加速』」

「何っ!?」


 突如トウカの移動速度が増し、人狼が振り下ろした爪が空を切る。

 着地の隙を突き、そのまま背を向けて彼女が離脱して行く。


「逃がすか!」


 人狼が吠える。その声は迷宮の壁に反響して近くにいた魔物たちの耳に入り、すぐさまトウカの走る先に押し寄せる。


「……仕方ないか」


 苦々しく呟き、トウカは向かう方向を変える。

 来た道は魔物に塞がれているため逃げることができない。残されたのは先へ進むことのみ。

 これ以上奥へ行けば戻れなくなる恐れもあるがこの場を離脱するにはそれしかなかった。




「……はぁ……はぁ……どうしよう」


 何とか追手を振り切ったトウカだが、完全に自分の位置を見失ってしまった。

 目印もマップもない。ここから一人で迷宮を越えて地上へ出ることはほぼ不可能に近い。

 ひとまず、体力回復に努めるためにも座って体を休める。俯くトウカの視界に腰に下げた剣が入った。


「……」


 抜けなかった。剣さえ抜ければ逃げる必要はなかったかもしれない。

 厳密に言えば抜けない訳ではない。事実、一人の今なら剣を抜くことができる。

 彼女にできないのは戦いの中で敵と対峙した時に剣を抜くこと、そして相手に剣を向けることなのだ。

 戦いの緊張感。飛ぶ殺気。その中で剣を抜くことがどうしてもできない。

 抜けば、あの記憶が蘇ってしまうから。剣を向ければ、またあの悲劇を繰り返してしまうかもしれないから――。


贖罪しょくざい……か」


 思わず言葉が漏れる。それは先日、姉と立ち会った時に言われた言葉だった。

「家のため」と言っておきながらその真意は姉への消えない罪悪感を償うためだった。

 しかしその思いもオウカに見抜かれ否定され、迷いを晴らす術が見つからない。


 フロスファミリア家の剣は国を、そして弱い者を守るために振るわれるものだ。そこには揺ぎ無い誇りと信念が存在する。

 そして見る者を魅了する華麗な剣技と卓越した体術。

 心技体全てが揃ってこそ、フロスファミリアの真価は発揮される。

 だが今のトウカは体術こそ使えるが、心が技を封じてしまっている。オウカの言ったとおり、迷いを抱えたままの剣ではまともに戦う事は出来ない。


 忠誠や愛など、強い信念の元に戦う人は強い。

 今、王国軍が優勢なのもそれぞれが強い使命と意思を持って戦っているからだ。

 魔物を倒すことも、姉のために戦うこともできず、何もかもが中途半端なままだった。


「何のために戦えばいいんだろう……」


 膝を抱えて呟いたその言葉は迷宮の中に空しく消えていく。

 やがて魔物の声が近づいて来るのが聞こえた。この場を離脱しなくてはならない。


 その時、立ち上がろうとしたトウカは手に違和感を覚えた。

 手を突いた壁の石が不自然に出っ張っていた。


「まさか、これって……」


 トウカは体重をかけて石を押した。

 予想したとおりに石は動いた。壁の中にぴったりはまると振動が起こり、トウカのそばの床が沈み込んでゆく。


「隠し階段……」


 それは、下へと向かう階段だった。

 降りるべきかトウカは躊躇するが、このまま彷徨さまよっていてもいつか魔物に追い詰められるか、行き倒れるかだ。それならば少しでも事態を進展させた方がいい。


「……行くしかないか」


 意を決してトウカはその中へ飛び込む。

 再び壁から飛び出している石を見つけた彼女は、先程と同じように壁の中へと押し込む。

 仕掛けが動き出し、階段への入り口は元通りの床に戻って行った。


 幸い階段を下りる途中の壁には燭台があり、明りに不自由はしなかった。

 静寂の中に足音が反響し、不気味に響く。

 どれだけ降りたのだろうか、ようやく階段の先に扉が現れた。装飾の施された巨大なものだった。


 トウカは息をのむ。こんな迷宮の深部にある隠し部屋だ。それだけ魔王軍が厳重に隠そうとしていたものがあるに違いない。

 覚悟を決めて扉に手をかけた。鍵は掛かっていなかった。

 中に入って驚く。広い空間にシャンデリア。赤い絨毯が敷かれていてまるで王族の生活空間のような場所だという印象を抱いた。


「ここって、一体……」


 魔王軍の根拠地の最深部とも言える場所にこんな生活感のある空間があるとは思いもよらず、トウカは呆気にとられる。


「……だれ?」


 突然声をかけられて身構える。

 そして声の主の姿を認め、トウカは更なる驚きを覚えた。


「こ、子ども!?」

「おねえちゃん……だれ?」


 鋼のような銀色の髪にルビーのような赤い瞳。

 一人の少女がトウカを不思議そうに見上げていた。

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