第7話 魔王の娘
その頃、第二部隊は探索班が持ち帰った情報を元に突入作戦の立案を進めていた。
「なるほど……このルートは見せかけのものか」
「複数同じような道を作っているのも、誤認させるための物なのかもしれませんね」
カルミアが整理した情報を見取り図に書き込んでゆく。
多くの兵が帰還したため情報は精度を増し、次第に迷宮の全容が明らかになって行く。
既に神殿外部は王国軍が優勢のまま制圧しつつある。現在は掃討と探索班の帰還を待つための警備が中心だ。
本当の決戦は明日以降。
外での敗北により、魔王軍は神殿内部へと引き上げて行った。
これより更なる防御体制の強化が行われることが予想される。
魔物の配置などは探索班が持ち帰った情報とは異なるだろうが、ある程度の魔物たちの動きならば把握できる。
「十分すぎるほどの収穫だ。よくこれほどの情報を集めて来てくれた」
オウカは素直に称賛の言葉を口にする。
いまだ最深部近辺の構造は不明だが、そこに至るまでの最短距離と罠の種類や配置はほぼ把握できたと言っていい。
この情報は多くの人が命を懸けて集め、作り上げられたものだ。その中には役立たずと切り捨てた妹もいる。あいつも少しは家の役に立ったとオウカは思った。
結果的にフロスファミリア家の元老たちの意向に沿った形になったのは癪だが、いずれ自分が当主になるためにも今は利用させてもらうつもりだ。
「カルミア、騎士団長に伝えてくれ。第二部隊は明日、突入を仕掛ける」
その場にいた騎士たちが声を上げる。
いよいよその時が来たのだと。
「承知しました。では、そのように」
カルミアが礼をして陣を出て行く。
「こうしちゃいられない。武器の最終点検をしなくては」
「俺は部隊のみんなに伝えて来る」
「お、俺も!」
他の騎士たちもその後に続いてゆく。
気付けば陣幕の中にはオウカだけが残されていた。
「いよいよ明日だ……」
オウカは感慨深く呟く。
明日、全てが終わる。人間が苦しめられ続けて来た歴史に一つの終止符が打たれる。或いはオウカが負け、王国騎士団が壊滅するかの二つに一つ。
「いや、必ず勝つ。その為に私たちは全てを費やしてきたのだから……」
重ねた手を強く握る。
人類の敵、魔族。それらを統率する存在、魔王。
これを倒せば世界中で苦しむ人々に希望の光が差す。
必ず勝たなくてはならない。オウカは決意を新たにするのだった。
「おい……どうするんだ。伝えるべきなのか?」
陣幕の外。情報を持ち帰った探索班の一人が、他の騎士と話し込んでいた。
彼が持ち帰った情報は取り扱いを慎重にしなくてはならないものだった。
「だが、今は最も大事な時だ。今、オウカ様にこの話を伝えるわけには……」
「ああ、気にされて明日の決戦に支障が出てはまずい。この話はもう少し伏せておこう」
二人はその情報をあえてオウカに伝えないことを決める。
本来ならば持ち帰った全ての情報は伝えられるべきなのだが、この件に関してはそう言う訳にもいかなかった。
オウカの妹、トウカ=フロスファミリアの所属する組が未帰還。その行方もわからなくなったということを――。
「おねえちゃん……だれ?」
警戒感の欠片も持たない純粋な瞳がトウカを見つめていた。
「え、ええっと……私は……」
トウカは敵の根拠地にいるはずのない子供という存在を前にして戸惑っていた。
「あ、そっかー!」
少女は花が咲いたように明るい笑顔を見せる。
「え?」
「あたらしいおともだちだ!」
トウカを指さし、納得がいったように何度もうなずく。
「わたし、マリー。おねえちゃんは?」
「えっと……トウカよ」
「じゃあ、トウカおねえちゃんだ!」
マリーと名乗った少女はトウカの手をとり、奥の部屋へと招く。
「こっちこっち。遊ぼう!」
「ええ!? ちょ、ちょっと待って!」
つい先ほどまで命の危機にさらされていた状況から一転、あまりに危機感のないやり取りにトウカは呆気に取られてしまう。
何が何だかわからないまま、トウカは少女の遊び相手をすることになった。
「ねえ、マリーちゃん」
「なーにー?」
魔物たちを模った人形でトウカはマリーと遊んでいた。突然訪れた平和な時。元々作家として子供向けの作品も書いていた彼女にとっては、子供との交流は心和む時間でもあった。
「マリーちゃん、どうしてこんな所にいるの?」
「こんなところ?」
こんな戦争のただ中で子供が平和に暮らしていると言うのはどう考えても不自然だ。
だが、マリーは質問の意味が分からないと言った感じで首をかしげる。
「ここ、マリーのおうちだよ?」
「え、ここが?」
ある程度予想はついていたが、マリーの言葉を聞いてもやはり違和感があった。
魔王軍の根拠地の中にある子供の住む空間。やはりミスマッチ感が否めない。
「ここがマリーのお部屋。あっちがお父さんのお部屋で、向こうにお母さんのお部屋もあるんだよ」
「お父さんとお母さん?」
よくよく考えれば当然だった。
子供がいるのならその親もいるに決まっている。だが、ここがマリーの家と言うのならどこかにその親が居なくてはいけない。
「そのお父さんとお母さんは?」
「わかんない」
ぬいぐるみを抱えてマリーは少し寂しそうに答えた。
「……おかあさんいつも寝てたし、ちょっと前から会ってない。おとうさんもお仕事忙しくてちょっと前から会えなくなっちゃったんだ」
「お仕事って……ここで?」
「そうだよ?」
トウカはそこでようやく自分の違和感の正体に気付く。
この場所で仕事をしていると言うのなら、それは魔族や魔物相手と言う事だ。
それは、人間が行えることではない。
寧ろなぜすぐに気づかなかったのかとトウカは悔やむ。
「……まさか、そのお父さんって」
「うん。マリーよくわかんないけど、ここで一番偉いんだって」
無邪気に笑うマリーの言葉にトウカは息を呑んだ。
この地下神殿で一番偉い人。それは魔王だ。その魔王の部屋があると言う事は、ここは魔王の住処ということになる。
幼さ故にか、本人はそのことに気づいてはいないようだが、つまり目の前にいるこの子は――。
「トウカおねえちゃん?」
「あ、ううん。何?」
考え込んでいたトウカの顔をマリーはのぞき込む。
「おとうさんと会えなくなってからはここのみんながいっぱい遊んでくれるようになったんだけど、二か月前くらいからみんな忙しそうなんだー」
二か月前と言えば騎士団がこの地下神殿を攻撃する準備を始めた頃だ。
最終決戦が近いことをこちらも察知して準備を始めていたと考えられる。
「今日なんて、『ここから出ちゃいけない』って言うんだよ? ひどいよねー」
「うん、そうだね……」
「あ、でもトウカおねえちゃんが来ることになってたんだね。アキレアとノアに後でお礼言わなくちゃ」
どうやらマリーにとってトウカはアキレアとノアという人たちが用意した遊び相手という認識で落着したらしい。
「ね、他にもいろんな遊びしよう?」
「……うん。そうだね、遊ぼうか」
トウカは微笑む。
外ではマリーの言う「みんな」が命を懸けて戦っていることを彼女は知らない。
だから、せめて今だけは、優しい嘘でマリーを安心させてあげようと思うのだった。
マリーと遊ぶ中で、トウカは自分の常識が変わって行くのを感じた。
魔族と言えば人間の宿敵。己が力に溺れて魔力を行使して人に危害を加える存在。そして、魔王はそんな自分本位とも言える魔族を従わせた存在。それが世の中の常識だった。
だが、目の前にいるこの子はトウカがこれまでで会って来た人間の子供と同じ用に、何かある度ころころ表情を変える、どこにでもいる普通の女の子だった。
出会ったことがなかったからか、人間のトウカに偏見を持たず一緒に同じものを見て笑い、喜び楽しむ。
本当に人類の敵、魔王の娘なのだろうかと思ってしまうほどに純粋だった。
言われなければこの子が魔族だということすら忘れてしまうほどに、和やかに二人の時間は過ぎていった。
「……ねえマリーちゃん」
「なーに、トウカおねえちゃん?」
何故かはわからない。だが何気なくトウカは尋ねてみたくなった。
それは子供に将来の夢を聞こうと言う、言ってしまえば子供と触れ合っている中での当たり前の問いでもあった。
「もし、ここから出たら何をしたい?」
「ここから?」
マリーは再び首をかしげる。
「お外は危険だって、みんなが言ってたよ?」
「うーん。その内安全になったらでいいから」
「そうだなー……うーん」
マリーは考え込む。魔王の娘と言う事で何不自由なく育ってきたからだろうか。
あまり満たされていない様子も見受けられなかった。
「あ、そうだ」
手を打ち合わせてマリーが何かを思いつく。
「私、お花畑を見たい!」
「お花畑?」
意外な返答に思わずトウカは聞き返す。
「うん。ちょっと前にね、おとうさんの知り合いがお外からお花を持ってきてくれたの。すっごくきれいで、お話聞いてみたら“お花畑”って所からとって来たんだって。あんなきれいなお花がたくさーんあるんだよ。すごい!」
目を輝かせてその時の思い出を語るマリーに、思わずトウカは笑みが零れる。
「だからね。お花が足元ぜーんぶに咲いてるって言う『お花畑』を見てみたいんだ」
「そっか。叶うといいね」
子供らしい、とても可愛らしい願いだった。
トウカは作家業をしているお陰で子供とも関わる機会は多い。
これまで会ってきた子供たちとマリーはどこも変わりはないと感じた。
そもそも考えてみれば人と魔族は長い間争ってきたが、その始まりについては全くといいほど触れられることはない。
ただ、相手と殺し殺される関係、恐怖の対象であると言う盲目的な価値観にとらわれていたのかもしれない。
トウカ自身、マリーの正体を知った時に一時は警戒を強めた。だが、マリーと触れ合っている内にすぐにその認識は氷解した。
ただお互いが種の違いで分かり合おうとしなかっただけなのかもしれない。
今の自分たちを見て、トウカはそんなことを思い始めていた。
「そうだ。今度ノアに頼んでお花畑見に行こっか?」
「え?」
「トウカおねえちゃんが一緒ならノアも良いって言ってくれると思うの。ね、いい考えでしょ?」
屈託のない、無邪気なお願い。
トウカにはそれを断ることなどできなかった。
「……うん、わかった。連れて行ってあげる」
「やったー。約束だよ?」
マリーは手を取って自分の小指とトウカの小指を絡める。
少女のたった一つの小さな願い。
だが、トウカにはこの小さな手がとても儚いものに見えてしまっていた。
「――あれ、アキレア?」
不意に、マリーの視線がトウカの後ろに向けられる。
「――え?」
トウカが振り向くと、いつの間にか人の形をした狼――先程対峙した魔物だ――がその眼に殺意をみなぎらせてそこに立っていた。
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