第8話 人狼と邪神官

「――しまった」


 そう思った時には既に遅かった。

 いつの間にか後ろに立っていた人狼の腕が振るわれ、トウカを壁へと弾き飛ばす。


「きゃあっ!?」

「アキレア!」


 トウカが壁に叩きつけられ、マリーが悲鳴を上げた。

 さらにアキレアはトウカの懐に飛び込むと左手でトウカの首を掴み、壁に押し付ける。


「あ……ぐ」


 片手とは思えないほど物凄い力で持ち上げられ、トウカの足が床から浮く。

 必死にアキレアの腕を掴み、引きはがそうとするがビクともしない。


「やっと見つけたぜ人間の女……どうやってこんな所まで入り込みやがった」


 怒りに満ちた表情で口が開き、トウカに牙を剥く。

 息ができないトウカは必死にもがくがアキレアはさらに力を入れて来る。


「死ね、人間」


 アキレアは右腕を上げ、鋭い爪がトウカに向けられた。

 首を絞めるだけではなく、この場で始末する気だ。


「何してるのアキレア、やめて!」


 その行動に水を差したのはマリーだった。

 彼女の叫びにアキレアが舌打ちする。


「何してるはこっちのセリフだぜ……お前、人間なんかと何してやがる」

「トウカはマリーのおともだちだよ。ひどいことしないで!」


 アキレアの表情が曇る。

 マリーにとって彼の行動は友達をなぶろうとしている様にしか見えない。

 細かい事情を伝えようにも、人間と魔族の戦争中であることを理解できるとは思えなかった。


「いや、『お友達』って……」

「あ……う……マ……リ…」

「あ?」


 トウカが何かを言おうとしていると察し、アキレアは握力を弱める。


「何だよ」

「マリーの……前…で……殺せるの…?」

「……ちっ」


 トウカとマリーの間を視線が泳ぐ。

 いかに獣の様に相手を容赦なく殺せる彼でも、その点についてのみは動揺を生んでいた。


「構いませんアキレア。放して差し上げなさい」


 突如、誰もいない部屋隅の影から男の声が発せられた。

 影は蠢き、人の姿を成してゆく。


「どうやらマリー様に危害を加えようとする意思はないようです」


 現れたのは神官の姿をした若い魔族の男だった。


「でもよ、ノア」

「アキレア。貴方はマリー様のお部屋を血で汚す気ですか?」

「……あー、わかったよ。わかった」


 ノアの言葉に、アキレアは観念したように手を放した。


「ごほっ……ごほっ……」

「ったく、マリーに感謝するんだな」


 ようやく呼吸ができるようになり、トウカは安堵する。


「トウカおねえちゃん!」


 解放されたトウカの下へ、マリーが駆け寄った。

 その眼には涙を浮かべ、何度もトウカに頭を下げていた。


「大丈夫?」

「……ええ、大丈夫よ」

「ごめんね。アキレアがひどいことして」


 涙を浮かべ、マリーがトウカに頭を下げる。


「……いいの。それだけマリーが大事だったってことだから」

「ちっ、随分と好かれたもんだ」


 またアキレアが舌打ちする。

 マリーの態度にすっかり気がそがれてしまっていた。


「で、どうする気だノア。マリーのことを知った以上、帰す訳にはいかねえぞ」

「ええ、十分承知しています。ですが、今は明日のことについて話さねばならないこともあります……」


 ノアが指を鳴らす。

 指先から魔力で生成された光の輪が生まれ、トウカの手首に巻き付いて彼女を拘束する。


「ノア!?」

「マリー様。申し訳ありませんが、彼女を少しお借りします」

「酷いことしない……?」

「ええ。マリー様のお友達に酷い事は致しませんよ」


 笑顔でマリーに答えるノアと呼ばれた神官。

 彼によってトウカは捕らわれ、神殿内の牢獄へと入れられるのだった。




「おい、機嫌直せよ」

「アキレアなんて大嫌い!」


 マリーは頬を膨らませ、アキレアから顔を背けた。


「おや、まだやっていたのですか」


 トウカを牢獄へ入れたノアがマリーの部屋へと戻って来る。


「ああ、さっきからずっとこれだ。取り付く島もねえ」

「あの女も随分とマリー様に気に入られたものですね……」


 トウカとマリーの姿に、ノアも驚いていた。

 敵対しているはずの人間に対し、マリーはすっかり懐いていた。

 見方によっては年の離れた姉妹のようにも見えた。


「で、話ってのは?」

「ええ。貴方ももう知っていると思いますが、外の部隊が壊滅しました。何人か魔族も討ち死にしました」

「……後は神殿で迎え討つしかねえってことか」

「ですが、主要な幹部は殆ど私たちだけです……仮に、私たちは討ち死にするとしても」

「……ああ」


 二人はマリーに視線を向ける。彼女は再び人形で遊び始めていた。

 だが、アキレアが自分の方を見ていると気づくと、不機嫌そうに背を向けた。


「だがよ、その後はどうするんだ」

「……その事ですが、一つだけ可能性を見つけました」


 ノアはアキレアにその考えを告げる。

 それを聞いた途端、アキレアはノアの胸倉を掴み睨みつけた。


「――おい、正気かてめえ」

「時間が無いのは事実です。人間たちも明日、総攻撃をかけるようですからね。一番生存の可能性が高いのはこの方法です。これからのことを考えるなら賭けてみる価値はあります」


 アキレアが眉をひそめる。理屈では理解しているが、感情では納得ができていない様子だ。

 その方法は、魔族や魔物の立場からすれば一番有り得ない、最も信用ができない方法だったからだ。


「……ちっ、どうなっても知らねえぞ」

「その為にも、色々と確認しなくてはいけませんね。貴方も一晩考えてください」


 マリーも眠いのか、あくびをし始めていた。

 ノアはそんなマリーを寝かしつけた後、明日の準備を始める。

 全ては明日決まる。彼らにとっても、この夜は最も重要な時だった。




 翌日の朝。オウカたち第二部隊は神殿の入り口に集っていた。

 既に第一部隊と第三部隊は突入しており、探索班からもたらされた情報に従って道を拓いている最中だった。


「さあ、我々も往こう!」


 オウカの号令でカルミアをはじめとしたオウカの部下たちが武器を構える。


「狙うは魔王の首ただ一つ! 往くぞ、第二部隊!」

「おおおーっ!」


 騎士たちは咆哮する。

 オウカを中心として、遂に地下神殿へと突入して行く。


「覚悟せよ魔族たち、今日こそ貴様らの最期の日だ!」

「死を恐れるな! 人の世のために!」


 士気を高め、一塊になって最短距離で最深部へと向かう。

 既に本隊が神殿内部で暴れまわっているお陰で上手く陽動がなされ、オウカたちの行く手を遮るものも少ない。


「さあ道を拓け! 何としてもオウカ様を魔王の下へ送り届けろ!」


 カルミアの号令で部隊はオウカを囲むように陣形を組む。

 次々と襲い掛かってくる魔物たちからオウカを守る。

 少しでも万全の体勢で彼女を最奥へ進めるために彼らは命を懸けた。


「まずい、魔族だ!」


 通路の先で、魔物たちに守られながら魔族が魔法の詠唱を開始している。

 狭いこの場所では隠れる場所がない。


「術式展開――――『加速』」


 オウカが迷わず魔術を行使する。

 脚力を増強し、高速で通路を駆け抜けて魔物たちの間をすり抜ける。


「何だと――」

瞬華終刀しゅんかしゅうとう


 瞬時に魔族の懐に飛び込んだオウカの剣が一閃する。

 瞬く間に魔族の首が飛ぶ。

 その光景に動揺した魔物たちの動きが乱れた。


「……フッ」


 オウカの剣が乱れ舞う。

 数秒後には、その場に立っているのはオウカのみになっていた。


「凄い……」

「さすが部隊長……」


 圧倒的な実力に騎士たちは息をのむ。

 だが、立ち止まっている訳にはいかない。


「次が来るぞ」

「は、はい!」


 騎士たちはオウカの前へ出て再び襲撃してきた魔物たちを全力で押さえこむ。

 傷を負いながらも、その身を盾としてオウカへのダメージを全て引き受ける。


「オウカ様、ここは私たちに任せて先へ行ってください!」

「必ず我々も追いつきます!」

「わかった、行くぞカルミア!」

「ははっ!」


 魔物たちの間に生まれたわずかな道をオウカを含めた数人が駆け抜ける。

 後を追おうとする魔物たちと彼女たちの間に騎士が数人立ちはだかり、その行く道を塞ぐ。


「さあ、魔物どもよ。オウカ様を止めたければ我々を殺していけ!」

「だが、仮に殺されようともただではやられん。貴様らを道連れにしてやる!」


 激しい戦いが繰り広げられる。少しでも時間を稼げばオウカが無事でいられる可能性は高まる。オウカのダメージが少なければそれだけ魔王との戦いにおける勝率は上がる。

 人類の念願、魔王討伐。その為ならば騎士たちは自らの命を捨てることもいとわない。

 負けるわけにはいかない。一人でも多く魔王の下へたどり着かなくてはならない。


 そして、魔王を倒す――その時こそオウカは追い求めていた何かに手が届きそうな、そんな気がしていたから。

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