自分の気持ちに決着を
薄暗い闇の中、友人であり恩人の待つその場所へとたどり着いた。
海に面した、静かでとても広大な公園。波打ち際に立つ人物が、気配に気付いてこちらを振り返る。そして、哀れな笑みを浮かべ一言。
「……待っていたよ」
陽の顔は笑っているように思えるが、どこか哀しげな顔にも感じられた。すべてを受け入れたかのような、すべてを諦めたかのような表情。
辺りは真っ暗な闇で覆われているが、顔を上げれば遙か高くにおぼろ月。静寂の中に波の音が響き渡る。押し寄せては引いていく波は、まるでここにいる二人の心の中の葛藤を表しているようだった。
「なんとか、元気そうで」
相手がなにを言いたいのかも、自分がなにを言うべきなのかもすべてわかっているけれど、なかなか切り出すことが出来ない。何故なら、それを口に出してしまうと終わりが始まってしまうのを知っているから。
適度な距離を置き、時折聴こえる貨物船の行き交う重低音が鳴り響くなか、無言の時間を闇が支配する。
「陽も、元気そうで安心した」
二人はある程度の距離を置き、お互いの様子を伺っていた。
「なんか、あっという間だったね。美月と出会ってから本当にいろんなことがあったけどさ、なにもかもが速いスピードで過ぎて行った」
陽は足元の小石を蹴りながらも、美月の方には顔を向けずにいる。美月もどこかよそよそしげな態度だった。
「上総のこと、本当驚いたよ。先は長くないとわかっていても、やっぱり急にくるとショックだね。でも、あいつらしい最期だったな。まあ、自分のことも周りのことも考えなさ過ぎだけど。……でも、俺思うんだよね。上総は病気になっていなかったとしても、たぶん同じことをしていたと思う」
「……うん、そうだね。私もそう思う。最も確実で、最も被害が少ない案だものね。でも、上総のミスはただひとつ。上総が死んで、哀しむ人はあまりに多すぎた」
上総はあえて馴れ合いを避けてきた。だが、その強さと優しさには自然と人がついて来る。
「上総の葬儀はやらなかったんだ。部屋から手紙が見つかって。遺言書なのかな、そこになにもしなくていいって書かれていたの」
「そうか。なんか、あいつにはもっと言いたいことがあったんだけど、今考えるとどうでもいいようなことばっかりだ。俺がなにか言って上総にあしらわれる。ただこれだけのことが、なんか楽しかったな……」
陽は上総のことを本当に尊敬していた。今でもそう、でも……。
「恨んではないの?佐伯のこと」
小石を蹴る足が止まった。陽は目を見開き、ゆっくりとこちらを向いた。
「なに、言ってるの……。佐伯は俺が殺したんだ。上総じゃない。あのとき言っただろ」
「違うよ、ちゃんと聞いたんだよ。司令官に命令されて、上総が殺した」
陽は悲痛な表情を浮かべていた。こうまでして上総を庇う陽は、なんだか見ていてとても辛くなる。
「……組織にとって悪い影響を及ぼす相手だとしても、上総にとって仲間を手にかけるなんてことは絶望以上のことだ。司令官は、それをわかっていて上総に命令を下した。必ず断るということもすでに見越して」
「でも、どうして上総は陽に手は出さなかったの?」
「もちろん、俺のことも始末しろと命令が出ていただろう。それなのに、俺を殺す機会はたくさんあったのに、あいつはいつも俺を逃がした。そんなことをすれば、自分が不利な状況に置かれることくらいわかっていたはずなのに。最初、佐伯の抹殺命令は出ていなかった。だけど、俺を殺すそぶりをまったく見せないから、そのおかげでとうとう部下を取引に出され、佐伯を殺す羽目になってしまったんだ」
知らないうちに、上総は自分自身と闘っていた。仲間を手にかけることなんて絶対に出来ないのに。だけど、自分がやらないと皆が殺されてしまう。
「でも、やっぱりあいつは強かった。逆に奴らを利用してやろうと考え傘下に下ったんだろう。奴らに従ってさえすれば、自分を犠牲にさえすれば。それで、なんとかなるのなら」
すべてが哀しい繋がり。誰かを守るためには誰かを犠牲にしなければならない。そして最終的に、上総は自らを犠牲にすることを選んでしまった。
「俺は政府から雇われている、政府直属の諜報員としてISAに潜り込んだんだ。佐伯は元々の俺の部下だった」
「諜報員……。じゃあ久瀬将官が捜していたのは」
「そう、俺たちも含まれてる。と言っても、将官と上総は俺たちの正体にはとっくに気付いていたけどね。あの作戦によって俺らがどう動くかと、他に仲間がいないかを探っていたんだろう」
「陽たちが諜報員だと知っているのに、なぜ将官たちはすぐに捕まえなかったの?それどころか、陽たちも普通に任務に参加していたし」
「俺たちみたいな諜報員が混ざっていると知って、組織としては今すぐにでも始末したい。それは恩田や橋本たちだ。でも、将官たちは俺らの目的を察知したんだろう。恩田には協力すると見せかけておいて、将官たちは俺らをうまく使っていた。俺たちの仕事は、政府と裏で繋がりを持つ人物を特定、監視すること。ここに潜入して、とりあえずトップの人間が黒だとわかり上層部から詰めていったんだ。だから、自動的に久瀬将官や上総もリストに入った」
陽と佐伯は、やはり組織の裏切り者ではなかった。将官や上総の部屋に忍び込んだのも、情報を持っていたのも、ただ恩田たちの本性を暴くため。
将官たちはそれを知って、あえて陽たちを泳がせていた。陽も自分たちの正体が知られているのを承知で特務室に居続けた。
「ただ誤算だったのは、上総が病がまさかここまで悪化しているだなんて思わなかった。あいつも相当焦っただろうな。なんとか時間をかければ、完治とはいかなくとも少しは良くなったと思うんだ。でもそれをしなかったのは、わずかな時間でも自分が組織から抜けるわけにはいかなかったから。上総が抜けて、俺は政府の諜報員。将官は恩田に目をつけられているし、誰も美月を護ってやれない。恩田があっさりと第三部隊の発足を認めたのはこれだよ。人質となる人物が必要だったんだ」
「じゃあ、上総が病気じゃなかったら、もっと早く治療出来ていたら、私がいなかったら……。今とは違う結果になっていたのかな」
美月は今にも泣きそうな表情で、目一杯の後悔を押し潰していた。
「美月、そうじゃないよ。美月がいなかったら組織内は崩れていた。特に、美月の射撃のおかげで任務はかなり捗った。それに、美月がいなかったら上総の本当の笑顔も見られなかった」
本当だ、美月はこの組織に必要な存在だ。どれだけ場を和ませてくれただろうか。どれだけ周りに闘志と希望を与えてくれただろうか。
「当初の予定では、佐伯が橋本を拘束する算段だったけど、あいつが死んで急遽俺がやることになった。でも、上総がそれをさせなかったんだ。結局は病気であってもなくても、あいつは自分を犠牲にして前へ出るんだろう。あいつは、自分に残された僅かな時間で、上に立つ者としてやるべきことをしなければならないと言っていた。そして、俺に逃げろとまで……」
陽は上総を助けたかった、上総は陽にすべてを託した。お互いにお互いのことを想っての結果。それが良かったのか悪かったのかは今ではもうわからない。過ぎてからではなんとでも言える。
「俺さ、短い期間ではあったけど、あいつの直属の部下だった期間があったんだ。あいつが三佐になって第一部隊が発足したときに、相馬たちと一緒に俺も入隊した」
初耳だった。陽が上総の隊にいたなんて。
「本当に、仕事仕事で俺たちの顔なんて見てもくれなくて、訓練のときなんてまさに鬼教官でさ。初めの頃は、毎回基礎教練で俺らペナルティばかり受けていてね。いい加減身体が保たないと思った」
美月が知らない上総と陽の想い出。懐かしさと哀しみが溢れる陽の顔は、まるでその頃に戻って一からやり直したいと願っているかのようだった。
「訓練が終わってから、自分たちはそんなに出来ていないのか聞いてみたらさ、上総はこう言ったんだ。お前たちは充分出来ているし、特に直す必要もないって」
「え、じゃあなんでペナルティばかりだったんだろう」
「そう思うだろ。理由は、訓練の時間が余るからなんだって。俺たちがあまりにも出来過ぎていて他にやることがなくなるから、気にもならないほどのほんの僅かなズレとかをわざと指摘していたんだってさ」
「うわ……。でも、上総らしいよ」
当時の厳しすぎる訓練すら懐かしい。あの頃に戻れるのなら、文句ひとつ言わずに真面目に受けるのに。
もっと上総にたくさんのことを教えてもらえばよかった。たくさん話をするべきだった。上総の偉大さに、自分自身の使命に、気が付くのがあまりにも遅すぎた。
「最初はこの人の下で本当な大丈夫かなって心配だったんだけど、あいつの凄さを理解するのに時間はいらなかった。じゃあなにが凄いのかって、それはうまく説明することは出来ないんだ。あいつの下にいる奴だけがわかる、大きな安心と大きな誇り。そして全員が、命を懸けてあいつについて行き、なんとしてもあいつを護ると心に誓う。格好良いんだよ、上総は」
陽が伝えようとしていることは痛いほどに理解出来る。直属の部下ではない美月でさえ、上総のことをとても誇りに感じ、そして最後まで護りたかった。
「俺が今出来ることは限られている。それでも、少しでも借りを返さないと俺が納得出来ない」
「……もしかして、ここしばらく司令官が動かなかったのは」
「ああ、何度か恩田に連絡を入れていたよ。実際、恩田はもう用済みでね。そのことを教えてあげただけ」
そうだったんだ。なにかあるとは思っていたけど、陽のおかげだったんだ。見えないところで自分たちを助けてくれていた。
「大変だよな、一番上に立つってさ。俺は一応二番手だったけど、上総との間にはかなりの差があったから。たとえ上総がいなくなっても、その代わりは絶対に出来なかった。俺らがこうしていられるのも上総がいたからだ。……それなのに、俺は一度ここを陥れようとした」
陽は、再び波打ち際に目をやりしばらく黙りこんだ。後悔、敗北。この二つが、陽から滲み出ていた。
「空自が突然攻めて来たことがあっただろ。あれ、俺が呼んだんだ。なかなか情報が引き出せなくて、上司からもうるさく言われていてさ。これはもう、上総を拘束してデータを盗んだ方が早いって思ってね。だけど、将官はそれをわかっていて部屋に罠を仕掛けていた。上総の部屋にも厳重なロックをかけて、部下に見張りもさせていた。それでいて、自ら指揮を執り空自を殲滅だろ。調査のために時間をとったつもりが、逆に俺が呼んだことで空自の部隊が一瞬にして消えてしまった。本当、敵わないって思ったよ」
「あれは、そういうことだったの……。じゃあやっぱり、大郷の言った通りだったんだ」
「まさか、あいつがあそこまでするとは思っていなかったな。だけど、そうだよな。僅かな危険因子も排除しなければならない。それがあいつの仕事だもんな」
「でも、もう終わったんでしょ。これで、陽のやるべき事はなくなったんだよね」
陽が静かに振り向いた。先ほどとは打って変わり、辛辣な表情を見せた。
「いや、まだ最後にひとつだけ残ってる」
すると、陽は海とは反対方向の闇の中へ銃口を向けた。
「俺の最後の仕事だ。空自のときに将官の部屋に入ったら、すでにこいつが中にいた。だから俺は咄嗟に出て行ったが、あのときはまさかお前だとは思いもしなかったよ」
闇の中から月明かりに照らされ、男が一人こちらへ歩いて来る。
「……あの騒ぎに乗じて、まさかあなたまでも同じ場所に来るとは。でも、危うく久瀬将官の罠に嵌るところでした」
その人物は、拳銃を構え一歩ずつゆっくりと近付いて来る。組織の隊服をしっかりと着用し、ハーフリムの眼鏡を掛けた、二人ともよく見知った顔。
「なにが射撃は苦手だ。お前の構え方を見れば、どれほどの腕利きかなんてすぐにわかるんだよ。そうだろ、大郷……」
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