安寧を求めて

 そこに立っていたのは、紛れもなく美月の部下である大郷だった。美月は動揺を隠せない。


「……こんなに身近にいる人物を疑うなんて、そうそう出来ないよな」


 大郷は笑っていた。とても楽しそうに、とても愉快げに。


「事務室にいた二人は、あなたの差し金でしたか。あれだけ弱いと殺す価値もないので、見逃してやりましたよ」


「思ったよりも来るのが早かったな。さすがだよ」


 やはり大郷には見抜かれていた。どんな些細なことも、彼は決して見逃さない。


「上総になにか頼まれたのか。……美月のことか」


「そうです。都築一佐は私が裏で行っていることを知りながら、私に桐谷さんを必ず護るよう頼んでこられました。その代わりに、私には一切手を出さないと取引をしました」


 陽は目線を落とした。しかし、その表情までは読み取れない。


「都築一佐は、とても責任を感じておられました。自分の部下は瀬野に殺され、さらに今度は桐谷さんの両親まで殺してしまった。あのとき自分は瀬野を止められたはず。それなのに、どうして出来なかったんだって」


 そうだ。上総は物凄く後悔していた。自分を憎んでいた。どうしてなにもしなかったのか、どうしてなにもしようとしなかったのか。そう、確かに苦しんでいたな。


「……都築一佐のご両親は恩田に殺されています。お二人とも、元々ここの製薬会社の人間だったんですよ。それをわかっていて、あえて都築一佐は入社しました。果たして、恩田は覚えていたのかはわかりませんが」


 上総の両親も殺されていた……?しかも恩田司令官に。その復讐のために、わざわざ大変な苦労をして恩田の下に……。

 そして機会を待っていた。それぞれ目的ははっきりしていたはずなのに、どこで捻れてしまったのだろう。戦う必要のない人間もその対象となってしまった。


 大郷も被害者なのだろう。彼は、ごく普通の隊員だったはず。しかし、上にあがったばかりに知らなくてもいいことを知ってしまい、最終的に自分が戦う相手が自分の仲間なのだと知ってしまった。


「大郷、ありがとう。あなたはいつも私を護ってくれていたね」


 しばし俯いていた大郷は、はっとして顔をあげた。


「ねえ、どうしてあのとき陽を殺さなかったの?あのときの大郷の怒りは本物だった。……殺せなかったんでしょう。部下を亡くしたばかりの私の目の前で、私の命を助けてくれた人を殺すことなんて出来なかったんだよね」


 大郷は悲痛な表情を浮かべている。自分の中の葛藤と、いったいどれほど闘ったのだろう。自らを無理矢理抑え込み、どれだけ苦しんだんだろう。


「そして遂に上総にも銃口を向けた。あのときの表情は、大郷自身が上総に裏切られた怒りと哀しみの表情だった。私を護れと頼んでおいて、裏で自分はこんなことをしていたんだもの。そして大郷の心には、組織の内部からの破壊に加え、上総への憎悪も芽生えた」


 大郷は、諦めたかのように目を閉じた。


「その通りです。私は正式な組織の人間ですが、恩田司令官のやり方には疑問を抱くばかりで、独自に調査していたんです。そうしたら、なにやら佐伯がおかしい行動をとるようになって、柏樹二佐と繋がりがあることがわかり、それを将官らがさらに調査していた。しかし、恩田司令官どころではなく、組織の中はすでに壊れていた。仲間同士で殺し合いなんて馬鹿げてる。そのおかげで、たくさんの隊員が死んでいきました」


 大郷は、本当に真面目で仲間想いで、仕事もよく出来る模範的な隊員だ。それ故、些細な歪みに敏感で、その歪みをなんとか元に戻そうと必死になっていたのだろう。


「だが、こいつの目的はまだ終わっていない。最後に久瀬将官を殺して、自分も死ぬつもりだろう」


 陽は、大郷へ銃口を向けた。大郷は一切表情を変えることなく、構えた拳銃をただ見つめている。


「……私は、いったいなんのためにここに存在しているのかわからないんです。自分の目の前で、仲間同士が疑い合い、騙し合い、戦っている。すべてはこの中だけの出来事。それに、私たちはただ振り回されていた」


 大郷も銃口を陽へ向けた。それを確認して、陽も慎重に位置を調整する。


「……!」


 大郷の拳銃から放たれた銃弾は、見事に陽の構える拳銃に命中し、宙を舞い二人の後方に落下した。


「さすが」


「……なぜ、政府側の人間がこんなことをするんです。あなたは与えられた任務をこなしていればいいんです。ここまで組織に関わる必要はない」


「ああ、確かにそうだな。潜入捜査とはいえ、あまりにも長くここに居過ぎたようだ。俺自身も気が付かないうちに、いつの間に仲間ってものを意識してしまっていた。久瀬将官や上総といった完璧な人間を目の前に、俺は着いて行きたいと思ってしまったんだ。俺だってここまで上に昇るつもりはなかったけど、組織の人間にどんどん侵食されていくような、でもそれがなんだか心地よかったんだ。そんな俺を組織に染めていったのも上総だったし、組織の人間ではないと思い出させたのも上総だった」


 陽は、一心不乱に話していた。誰かが聞いているとか、そんなことはなにも考えていないかのように。まるで、ここにはいない誰かに向けて訴えているかのように。


「あいつの目を見ればわかる。俺が組織に自分の居場所を求めようとすると、あの目で俺に思い出させるんだ。忘れるな、お前はここにいてはいけない。そう言っているようで……」

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