決戦の場へ
あれは、いつだったか。
時刻はとうに零時をまわり、外は大雨。部下は連れて行かず、柏樹陽と二人きりでの極秘任務。雨音と闇が自分たちをうまく隠し、予想以上に順調に任務は完了した。そう、確かその時だ。
「どうして、それを手にしようと思った?」
不意に、陽が尋ねてきたんだ。
急に聞かれて、正直自分でもどうしてかはすぐにはわからなかった。拳銃を初めて手にしたのは、ボストンに留学している時。無我夢中で怒りに任せ我を忘れて、拳銃を握りしめて飛び出して行った。
"……都築、これを手にするなとは言わない。だけど、今じゃない。もう少し待つんだ、必ずその時はやって来る"
あの時、必死になって自分を止めてくれた友人はもういない。最期に、後は頼むと託された。それまで、彼がどれほどに辛く絶望の日々に追われていたのかをすべて知っているが故、彼の決意はとてつもなく重く、とても哀しいものだった。
忘れないよ。君が、命を懸けて耐え抜いたあの長い長い過酷な日々を。本当は生きたいと願っていたのに、酷い決断をさせてしまった。
そんなことを思い出して、しばらく立ち尽くしていた。今、どうしてこれを手にしているのか。
「……あの時、なんて答えたかな」
***
午前七時。すべての隊員が漆黒の戦闘服を纏い、演習場で列を成している。総勢五百名の兵士たちが微動だにせず小銃片手に並んでいる様は、それは圧巻だった。壇上には、本部、福島、群馬の将官が立ち、最終確認が行われていた。
五百名中、約三百五十名がヘリコプターより空から奇襲をかけ、残り約百五十名は一キロメートル手前まで同じくヘリコプターで向かい、そこからは自分の足で深い渓谷を抜け突入する。
上総は、自ら率いる特別作戦部隊を召集した。人員は、久瀬、相馬、和泉、松橋、福島群馬の精鋭部隊の計四十三名。久瀬は途中、松橋とその部下たちと別行動をし、他のルートを行く。
「今回は山梨部隊の殲滅が目的だが、幹部数名は捕虜として連れて帰る。それを出来るだけスムーズに行うためにも、俺たちはなるべく戦闘を避け、まずはおそらく仕掛けられているであろう爆弾の処理から開始する」
久瀬は山梨支部の館内地図を広げた。そこには、突入するルートや非常時の脱出口など事細かく記されている。
「俺たちもヘリで向かうが、中に入るのは最後だ。先に道を開けてもらい一気に下まで潜る。そして、この機関室の手前で別行動だ」
自分たちの勝手な有益のために、大勢の部下を危険な目に晒してしまう。これが自分たちの仕事だから仕方がないにしろ、彼らは完全に割り切ることなど出来やしないだろう。
「都築さん、どうかされましたか?」
上総はゆっくりと歩き出し、前方の壇上へ向かった。隊員たちはそれぞれ班ごとに分かれて準備を始めていたが、次第に上総の様子に気が付き手を止める。
上総は天を仰いだ。その力なき瞳に映るのは、目の覚めるような空の蒼さで。
これから殺し合いに行くなんて嘘なんじゃないか。眼下には、黒く染まった悪夢が渦巻いているが、ふと上を見上げれば平和そのもののような澄んだ青空が広がっている。目を閉じて大きく息を吸い、込み上げてくる感情をなんとか押し殺してマイクの電源を入れた。
「……皆、今日は我々にとって非常に重要な一日となるだろう。私たちの、いや私の我儘に付き合ってくれて本当にありがとう。そして、本当に申し訳ない。私ひとりでは、今日この日を迎えることは出来なかった。……だから、どうか明日の朝を再び迎えられるよう、明日のために今日を精一杯生きて欲しい」
上総が伝えたい想いのすべてだった。その場は静まり返り、全員が壇上へ目を向けていた。ひとりの隊員が敬礼を掲げる。それはすぐに広がり、やがて上総に向けて全隊員が敬礼を掲げた。
***
「降下開始」
久瀬の一言で、隊員たちはヘリコプターより次々とロープを伝い飛び降りて行く。続いて上総が指示を出す。
「総員、着地次第直ちに持ち場へつけ。各班ごと突入準備を整え、完了次第状況開始」
先頭部隊は群馬と福島の隊が占めており、上総率いる特別作戦部隊は最も後方に位置している。特別作戦部隊の任務は、配電室に向かい爆弾解除及びトップ数人を捕獲。
「合図が入った。我々も行くぞ」
久瀬の指示を受け、特別作戦部隊も突入を開始した。上総もロープを伝い山梨本部の屋上へ降下する。
「……!」
足が着いた途端、視界が大きく回転した。それと同時に激しい動悸が襲う。
「都築さん、大丈夫ですか!?」
「……いや、大したことはない。相馬、和泉、後ろは頼む」
「承知しました!」
屋上からは渓谷一帯が見渡せる。人の姿までは確認出来ないが、銃声があちらこちらから響き渡っていた。 歩兵部隊はうまくやっているだろうか。彼らはかなりの腕利きだが、山梨部隊も侮れない。
地上からは、山梨部隊がこちらを狙って攻撃を始めていた。上総は冷静に自動小銃を構える。あの日の授業を思い出す。十秒で二十人。
「雲ひとつないな……」
頭上は青一色。髪を揺らす程度の風は吹いているが、弾道に影響はない。自分で決めたことなのだからやるしかない。それは重々承知しているが、気持ちは重いままだ。
どうせなら、前に進むことが出来ないほどの強風に、視界を奪う大雨、皆を一時的に失神させてしまうほどの雷でも落ちて欲しい。
作戦会議をするたびに、どうにか戦わずに済む方法はないかと何度考えたことだろう。だけど、結局はその場限りでの解決になるだけで、反逆者は始末しなければならない。
「おい都築!そっちは平気か!?」
少し離れた場所で、久瀬が物陰に潜みながら応戦している。彼が銃を構える姿など、これまで数える程度しか目にしたことはない。
「……問題ありませんよ」
この状況で、自分を気遣う久瀬の姿に僅かな笑みを見せつつも、もはやどうにもならない現状に諦めるほかなく、上総も小銃を構えた。
相変わらず焦点はなかなか合わないが、そこは今までの経験と自分の腕を信じて一気に引鉄を引く。揃って眉間や喉元を撃ち抜かれ、地上の山梨部隊は次々と倒れていく。
敵はその腕に驚き目を見開いた。一度恐怖を感じてしまった兵士はもう使いものにならない。周辺の山梨部隊はあっという間に片付けられた。増援が来る前に中へ入ると、先遣隊がうまくやってくれたようで敵の姿は見受けられない。
「久瀬将官!」
転がる死体の中から、息絶えだえの敵が最後の力を振り絞り久瀬の脚に掴み掛かった。
「はあ……、まだだ。まだ、終わらない……」
「ふん、根性だけはあるようだな」
久瀬は銃口を眉間に押し付けた。敵も震える手で拳銃を取り出す。
「……失せろ」
接射発砲に思い切り身体が跳ね上がり、山梨の隊員は痙攣しながらも静かに絶命した。
「この先は、無理に殺すより急所付近や脚を狙え。負傷者の対応に人員が割かれる」
廊下は足の踏み場もないほどの死体で埋め尽くされている。その中には、つい今朝まで顔を合わせていた福島や群馬の隊員も大勢混ざっていた。
その後も、いくつかの敵部隊と遭遇したが、なんとかその場を切り抜け進んで行った。しかし、こちらも数名の隊員を失うこととなった。
上総には引っ切りなしに無線が入ってくる。だが、上総は館内図を丸暗記しているようで、事細かにルートの変更などの指示を与えていた。
「ここを破れば、あとひとつです」
薄暗い地下の奥にある重々しい扉。この扉の向こうは機関室となっており、その奥に配電室がある。
「じゃあ、俺たちはここで別行動だな。どっちにいるかわからない。都築、慎重に行けよ」
久瀬と松橋たちは、そのまま廊下を進んで行った。
「待ち構えているだろうから、お前ら弾詰めておけよ」
先頭では、群馬支部の河嶋三佐が指揮を執る。彼は、元陸上自衛隊のいわゆる叩き上げで、ISAに移ってからも去年ようやく佐官に昇進した。そのため、キャリア組であり二十代で自分よりも上の階級である上総のことを最近まで怪訝に感じていた。
「突入!」
勢いよく扉を開けると、そこはもぬけの殻だった。
「……上だ!!」
隊員が叫ぶ。それと同時に、怒涛の銃弾が降って来た。
「各自散会!態勢を整え、作戦通り動け!」
山梨部隊は、吹き抜けの二階の両端の通路を位置取り、休む間も与えることなく銃弾を撃ち込み続ける。隊員たちは銃弾の雨をなんとか躱し、それぞれ発動機や原動機の物陰に身を潜め、反撃のチャンスを伺っていた。
「やはり読まれていましたね。こちら側にかなりの数持って来てますよ。これなら、久瀬将官たちは余裕で爆弾処理終わりますね……」
「……」
「都築さん?」
すぐ隣にいるはずの上総から返事がない。
「……はあ」
「都築さん……!」
上総は胸を押さえて苦しんでいた。目は虚ろで焦点が定まっていない。ここにきて、症状が悪化してしまったようだ。反対側では、河嶋の指揮のもと徐々に交戦を始めていた。
「……俺が出て奴らを惹きつける。その隙に、お前たちはフラグを投げろ」
「なにを……」
まさか、上総は自ら囮になろうというつもりなのか。あり得ない、絶対にそんなことをさせるわけにはいかない。
「河嶋!部隊の配置を少し下げろ!」
怒号のような凄まじい銃声の中、上総は河嶋に向かって声を荒げる。河嶋は、一瞬戸惑いつつもその指示に従う。
「都築さん、それだけはいけません。私が行きますから」
相馬はなんとか上総を制すが、上総の眼は本気だった。もはや、止める術など存在しない。
「いや、俺はもう使い物にならない。今だって、ほとんど急所を外してるんだ。……いいか、お前たちはとにかく任務遂行だけを考えろ」
そう言うと、よろめきながらも立ち上がり、敵の前へ走り出した。
「都築さん!」
その瞬間、山梨部隊の銃口が上総の方を向いた。上総は移動しながらも、上方へ小銃を向けて次々と発砲を続ける。
「……くそっ!」
歯を食いしばり、相馬は上総とは反対の方向へ走り出す。河嶋に手榴弾の合図を送り、彼らと共に後退しピンに指を掛けた。
「撃!」
「撃ち方、始め!」
河嶋が声を張り上げる。それに続き、手榴弾の爆発による煙幕に隠れて和泉が発砲の指示を出す。この狭い室内での銃撃戦の末、なんとかこの場の山梨部隊を掃討することに成功した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます