その光景に、思わず息が止まった

「都築さん、伏せてください!」


 まだ薄煙が広がるなか、突如和泉が小銃を構えて走り出し、上総に背を向けて立ちはだかった。


「……!!和泉!?」


 ドンッ!!


 一発の銃弾が和泉の身体を貫いた。続いて、二発三発と次々と銃弾が撃ち込まれていく。

 弾が飛んできた方へ目を向けると、潜んでいたひとりの隊員が報復を試みているようだった。


「いけません、立ち上がらないでください!」


 あれは兵卒。今まで戦うこともせずに、奥で震えていた臆病者。あの程度の奴を殺すなど、俺で充分だ。

 怖いだろう、逃げ出したいだろう。俺も最初はそうだった。失敗が意味するものは死だから。

 それでも、立ち上がった勇気は讃えてやろう。ただ、お前は運が悪かった。いいか、自分の命以上に大切な存在が出来れば、自然に脚が前へ出るんだよ!


「都築さんに銃口を向ける資格なんて、お前にはない!!」


 反撃しようとする上総を抑え、和泉は身体全体で大きく呼吸をしながら小銃を構えた。


「和泉……」


 その姿に、相馬の足が止まる。

 滅多に感情を露わにしない和泉が、眉間にしわを寄せて怒りを剥き出しにしている。


「……都築さん、あなたのしたことは決して間違っていません。組織のために、いつもいつも本当にありがとうございました。皆ちゃんとわかっていますよ。ですから、そんなに気負わないでください」


「和泉!」


「お前ら構えろ!!」


 河嶋が声を荒げる。前方の扉から、数人の山梨部隊が機関銃を手に突入を開始した。


「増援か……。怯むな、とにかく撃て!」


 全身に傷を負いながらも、河嶋は力の限り叫び続ける。ついこの間、初めて顔を合わせたばかりの一回りも年下の上官を護るために、河嶋はこの身を棄ててでも戦い続ける覚悟だった。


 初の会議にて、久瀬と共に姿を見せた若い指揮官。話は聞いていたが、実際どの程度のものなのか半信半疑だった。

 だが、彼が話し始めてその疑心はすぐに払拭された。まず、とにかく話が分かりやすい。要点をうまくまとめて、尚且つ堅苦しいような説明も自然と耳に入って来る。

 知識も豊富で、爆弾や薬品の内容など正直初めて知ったことも多々あった。

 銃の手入れも、少し離れたところから覗いていた。上総は、久瀬や部下たちの方を向きながら話していたのに、解体も組み立ても素早く丁寧。

 そこで気付いたのだが、上総はどうやら両利きらしかった。あそこまでしなやかな動きからして、おそらくそうであろう。


 自分は都築上総を尊敬している。今朝、彼の言葉を聞いて確信した。だから護る。彼は組織に必要な人間だから。


「都築さん、早く下がってください。……相馬!都築さんを連れ戻せ!」


 機関銃相手に小銃は不利だが、敵は僅か数人。一人また一人と排除していく。


「お前も下がれ!」


 和泉へ向けて手を伸ばすも、上総の手は届かない。目の前にいるのになんで届かないんだよ。このままじゃ、和泉が……。


「……都築さん、私なんかを使っていただき本当に感謝しております。この三年間で、どのくらいお役に立てたのかはわかりませんが、私は都築さんからたくさんのことを学びました」


 上総に背を向けたまま、和泉は途切れ途切れの声で感謝の言葉を伝え始めた。

 するとその瞬間、怒濤の銃弾が和泉目掛けて発射された。


「……だめだ」


 しかし、すでに和泉の眼はほとんど機能していない。絶えず引鉄を引き続けているが、もうほとんど命中はしていなかった。

 だけど、絶対にこの場所は譲らない。自分より後ろに銃弾を通すものか!


「まだまだ、たくさんあるのに……。本当に、感謝してもしきれません」


 和泉の頬を涙が伝う。ここで終わりか、正直悔しい。こんな場所で生涯を終えるなんて。


「……ああ、どうして」


 しかしこの命、どこか知らない場所で失うよりも、今この場で使う方が遙かに良い。

 むしろ、最も尊敬する上官のために使うことが出来るなんて本望じゃないか。

 とても充実した、そしてあっと言う間の人生だった。叶うなら、あと数分で良いから時間が欲しい……。

 しかし、和泉の願いも虚しく、多大な数の銃弾はもうすぐそこまで迫って来ていた。


「都築さん、相馬、この先はよろしくお願いいたします。……本当に本当に、大変お世話になりました!!」


 大粒の涙と力強い笑みを浮かべて、和泉は大きく立派な背中を向けたまま最期の敬礼を掲げた。

 その姿に、上総の頭の中は真っ白になった。


「……和泉!まだお前には、任せたい仕事が山ほど残っているんだ!」


「だめです!都築さん、下がってください!」


 和泉は、敵部隊に向かって手榴弾を投げた。それと同時に、機関銃より放たれた銃弾は一瞬の隙も与えることなく全身を次々と貫いていった。和泉の身体は、少しずつ役割を終えていく。


「あ……」


 その残酷な姿に、相馬の頭の中は混乱していた。和泉が死ぬ……?そうしたら、これから自分はどうすればいい。


「俺も相馬も、お前ほど人を見抜くことなんて出来ない!お前の代わりはいない!だから……」


 和泉は、数えきれないほどの銃弾を全身で受け止め、上総の目の前で絶命した。


「だから、こんなところで死ぬな!!」


 目の前の黒い塊。軍帽と防弾チョッキを着用していたとはいえ、和泉の身体はほぼ原型を留めてはいなかった。


「い、ずみ……」


 上総は、かろうじて僅かに無傷で残っていた顔と思われる皮膚にそっと触れた。まだ微かに温もりが感じられる。

 握り締めた拳が震え、身体の底から今にも叫びだしてしまいそうだった。耐えろ、まだ終わりじゃない。ぐっと奥歯を噛み締め、上総は大きな哀しみと怒りを無理やり奥底へと押し込む。


「……終わったか」


 離れた場所から、河島の掠れた声が耳に届く。負傷者は出たが、たった数人の敵など相手ではない。あっという間に、山梨の増援は皆息絶えていた。

 辺りは静まり返り、機関室に充満する火薬の燃えた匂いと血の匂いが鼻を突く。


「何人、生き残った……」


 額から滴り落ちる血液を制していた瞼をゆっくりと開き、河嶋は恐る恐る辺りを見渡した。

 荒い呼吸で大きく肩を揺らし、戦いを終えた隊員たちは僅かな安息を得る。

 足元には仲間が横たわっている。だが、下は見ない。過ぎたことは振り返らない、ただ前だけを見るんだ。


「都築さん、参りましょう」


 相馬は、茫然自失した上総の腕を引く。その横で倒れている、一番の友には目もくれずに。


「……河嶋、お前たちは一度戻れ。将官らと合流しろ」


「なにを仰っているんです。我々も同行させてください!この先には、瀬野が……」


 命令違反だとわかっていながら、河嶋をはじめ部下たちは食い下がる。聞かなくてもわかる。上総はおそらく病魔に侵されているのだろう。ただの体調不良で片付けられるほどのやつれ具合じゃない。

 すると、上総は一呼吸置いて力なき敬礼を掲げた。その右腕は、今にも崩れ落ちそうなほどに震えている。


「……河嶋三佐、今回はお手を貸していただき本当に感謝しております。私のような、心許ない人間が指揮官など務めてしまったこと、どうかお許しください。この戦いが終われば私のことは好きにしてください。罵倒もお受けします、満足いくまで殴っていただいて構いません。死ねと仰れば、やるべきことが終わったとき、目の前で自決いたします」


「都築一佐……」


「しかし、諦めたわけではありませんよ。必ず元凶は連れて帰ります。奴の命は、犠牲になった部下たちの命とは比べ物にならないほど軽いですが、それでも生きて連れ帰ります」


 この人は……。


「……承知しました。我々はいったん戻り、久瀬将官らと合流いたします。この先は援護することは出来ませんが、あとはお願いいたします」


 河嶋三佐の強い眼差しに上総と相馬は強く頷き、振り返ることはせず扉を閉めた。


「……河嶋三佐。都築一佐はその、とても強くてお優しい人ですね」


「優しいなんてもんじゃない。むしろ、自分を棄てすぎだ。部下のために組織のために、文句ひとつ声に出さず今の地位にまで昇ったんだろう。罵倒だなんて、そんなの誰一人としてしようとも思わないよな。……必ず、生きてお戻り下さいよ」

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