お互いに不安を残して

 これから調査を始めようとしていた矢先、タイミング良く張本人が目の前に現れた。上総は静かに扉を閉め、腕を組んでそこへ寄り掛かる。


「佐伯のことを聞いて、美月が心配で部屋を訪ねたら留守だったから、もしかしてここかと思って来てみたら……。どうやら、この場で一気に用事が済みそうだね」


 上総は眼鏡を掛けており、何故か私服姿だった。


「お前、昨日からどこ行ってた」


 陽が少し強い口調で問いかける。上総は少し考えてから顔を上げた。


「最近調子が悪くて、昨日の会議が終わってから病棟で検査したんだ。そうしたら、ちょっと異常が発見されてね。でも、夕方代理授業があったから、その後急遽検査入院。今さっき戻ってきたところ」


 陽と大郷は、上総の話をよく理解出来ていない様子だ。やはり、体調のことは話していなかったようだ。美月は心配でならなかった。上総がたとえなにをしていようとも、命に関わるようなことだけは避けたかった。


「それで、どうだったの?」


「……脳に腫瘍が見つかった。かなり奥の方にあって、もう手術することは出来ない。研究所の薬を使えば、腫瘍の進行を遅らせる治療と転移を防ぐ治療は出来るけど、正直言って先は長くない」


「長くないって、嘘でしょ」


 まさかの結果に、美月は酷くショックを受けた。昨日今日と、どうしてこれほどまでに神様は私に試練を与えるのだろうか。


「おい、腫瘍ってそれ……。長くないってなんだよ」


 あまりに残酷な告白に、しばらく沈黙が続いた。今までのことやこれからのこと。自分の立場やこの先の未来。本当に上総がいなくなってしまった時のことが、三人の頭の中をめぐる。


「……あの、お聞きしてもよろしいですか」


 重い沈黙を破り、大郷は一直線に上総へ視線を向けた。


「昨日の会議の後、佐伯となにを話していたのですか?佐伯の様子がおかしかったんです。座学の後も……」


「……佐伯の素性が上に知られた」


 思いもよらなかった言葉に三人は息を呑んだ。その中でも、陽は眼を大きく見開き蒼白な顔をしていた。


「素性……?」


「佐伯は組織の人間じゃない。それが上に知られた。司令官の耳にも入っているだろうから、今すぐに逃げろと忠告したんだ」


「なんで、佐伯が……」


「佐伯は政府から送られた諜報員だ。久瀬将官と俺はそれを利用して、佐伯に二重スパイになってもらった。上層部には、佐伯は正式な組織の隊員であり、諜報員として政府に送ると伝えていた」


 二重スパイ……、まさか。美月が大郷の方を向くと、彼もまた同じことを考えているようだった。


「……それは。あの、国税局の件と関係はあるのでしょうか」


「国税局には、もともとこちらの諜報員が潜入していた。その諜報員に、佐伯が組織側の指示を出せるか、決して組織を裏切ることはないか、それをテストしていた」


「お前、それ……。いつからだ。いつから佐伯を諜報員として使っていた」


 戸惑い、驚き、怒り。それらが混じり合うなかで、陽は焦っていた。このままでは、自分も取り込まれてしまう。


「佐伯が予備軍として組織に入ったその日。組織から政府への諜報員になるよう忠誠を誓わせた。もちろん、佐伯自身のには口外しないようにと」


「その日って……」


「前に言っただろ。俺はお前のことをよく知っている」


 その言葉に、陽は思わず口を噤んだ。


 陽も美月も大郷も、佐伯とそれぞれの関係があり、彼ら目線で佐伯をずっと見てきたつもりだった。その佐伯が政府からの諜報員であり、更にはそれを利用されての二重スパイだったとは。


「……全然、気が付かなかった。というか、そんなこと考えもしなかった。私、なにやってたんだろう」


 やはり、佐伯は殺されたのかもしれない。組織内部で確実になにか異変が起こっている。陽は、その件に関係がありそうだ。陽の目的とはいったい……。


「あの……。都築一佐はなぜ、佐伯を逃がそうとしてくれたのですか。もとは政府からの諜報員なのですから、そのまま処理してしまってもよかったはずでは」


「それは……」


 大郷の問いに上総の視線が下がった。その通り、正論だ。裏切り者は罰さないとならない。


「……都合が悪かったから。佐伯が政府からの諜報員だと知っていて、それを報告しなかったことが知られてしまう。佐伯を殺してしまえば、俺たちが疑われる」


 大郷は顔を顰めつつも数回頷いた。美月もわかっていた。上総は嘘がつけない。


「……それでも、佐伯を助けようとしていただき、本当にありがとうございました」


 大郷は顔を伏せたまま部屋を出た。美月もその後を追う。部屋に残った陽は、眼を閉じてこれまでのことを思い返していた。上総も佐伯も、毎日のように顔を合わせ近いところにいたのに。本当に思い知らされた。歯が立たない。勝てるわけがない。


「お前、俺がしたことを知ってるって、その……」


「陽、お前のおかげで三名の命が失われた」


 陽はゆっくりと瞼を閉じ頭を抱え込んだ。そうだ、すべて俺のせいなんだ。なにより時間がなくて、少々荒っぽいやり方になってしまったんだ。


「そしてそれが、今につながる」


 上総は、あるものを陽の前に置いた。それを目にした陽はすべてを察した。


「まだ、内密にしておいて欲しい」


 ***


「では行って来ます。後は頼みましたよ」


 陽と美月は、地下駐車場で久瀬将官らを見送っていた。

 その数時間前の朝方三時。二人は、上総に屋上に来るよう呼ばれていた。


「なんだよ、こんなに早くから」


 陽は目をこすりながら、ぶつぶつ文句を言っている。まだ日も昇らない薄暗い朝。


「おはよう、上総」


「二人ともおはよう。出掛ける前に少し話しておこうと思ってね」


 上総は柵に寄りかかり、遠くの空を見上げていた。その横顔は、なんだかとても物哀しげに感じられた。


「これから行く山梨支部だけど、あそこは支部なんかじゃない。対ISA反逆組織だ」


「反逆組織……?それじゃあ、今回上総たちはなにしにそこへ行くつもりなの?」


 よく理解出来なかった。同じ組織内で、堂々と反逆組織が存在しているなんて。


「とりあえずは視察としているけどね。ただ、同じ組織の人間とはいえ、クーデターでも起こされたらたまったもんじゃない。だから、俺たちと群馬、福島の隊で潰しに行く」


「それって、奇襲ってこと!?だけど、わざわざこれから行きますって伝えてあるんでしょ。そしたら、もしかしたら……」


「……ああ。おそらく向こうも勘付いているだろうね。こっちも諜報部隊を送ったんだ、山梨の諜報部員も何人か本部に紛れ込んでいるだろう」


 上総は、自分がなにを言っているのかわかっているのだろうか。これじゃあまるで、堂々と捕まりに行くようなものじゃないか。


「あそこの工場、いったいなにを作っていたと思う?あの大きさからして、ミサイルや戦闘機かと想像出来るけど全然違った」


「まさか、薬物?あの山奥なら、いくらでも実験出来るんじゃ……」


 心なしか、上総の表情に少し影が見えた。後悔、懺悔、そんな辛い感情が滲み出ているようだった。


「そう。決してこの世に出してはならない。あれは、薬というよりも兵器だ。あんな場所で増産していたなんて……。だから、急がないといけない」


「はじめから、犠牲のことは考えていないんだな。それほどまでに、今やらなきゃならないことなんだな」


 陽は、上総の決意だけではなく、考え抜いて出した辛い決断まで察知した。


「そうだ。確かにこの作戦は成功率が極めて低い。本来なら、戦術部や技術部総出で出向きたいところだけど、この作戦が成功しても失敗しても、かなりの数の隊員を失ってしまうだろう。この先の本部のことを考えると、それは一番避けたい」


「群馬と福島の隊員だってそれは同じだろ。ちゃんと理解してくれたのか」


「もちろん、はじめは群馬と福島の幹部のみ作戦に加えるつもりだった。元々、群馬には山梨の工場新設の話が持ち上がったときから極秘に調査させていて、山梨にこちらの動きが知られないよう、福島を経由して随時こちらに情報を流していたんだ。だけど、山梨の内情が明らかになるにつれて、それぞれの幹部から直々に隊員たちも作戦に加えて欲しいと頼まれた」


 いつの間にそんな話を進めていたのだろう。通常の任務とはまるで違う、組織の存在自体を脅かすほどの内容ではないか。


「それでも、本部からお前たち四人だけなのかよ。特務室だけでも行って良かったんじゃないのか?」


「そうはいかない。他には悪いが、特務室だけはなんとしても俺が潰させない。第一部隊が発足したときに決めたんだ。組織や仕事に動かされるんじゃない、俺自身がこの組織を動かし、必ず部下たちを上まで連れて行くって。陽と美月も、俺からしたら大事な仲間であり大事な部下なんだ。特務室を護るためならなんだってするし、こんな命まるで惜しくない」


 はじめてかもしれない。上総の信念、決意。彼がこのようなことを話すのは、これまで一度足りともなかった。

 上総は、もうここには戻れないのかもしれない。いや、もう戻らない覚悟で行くのだろう。カナダから戻ったあの日、将官も上総も今日のことを伝えようとしていたのだろうか。

 本当は共に戦いたい、しかし、組織の未来を考えるとそうもいかない。言葉ではわかるが、すぐに納得なんて出来ない。


「この山梨の件が終わったって、内部での問題はまだ残っているんだ。もしかしたら、それらが繋がっている可能性もある。それなら、尚更早急に真相を暴かないと。どれほどの犠牲を伴おうとも、俺たちにはその義務がある。これが、上に立つ者の仕事だから。上がいなくならないと、下が昇って来られないだろ」


 陽も美月も、これ以上なにも言い返すことが出来なかった。これほどまでに固い決意を持っている上総には、もう敵わない。


 ***


 午前六時。四人を乗せた車が山梨へ向けて出発した。どうか無事に戻って来て欲しい。ただそれだけだった。


「そういえばさ、私がここに来たばかりの頃の上総って、久瀬将官のことを恐れているんだと思ってたな。隣にいるときはいつも顔色悪かったし」


「たぶん、あのときから将官とは今回の事を念入りに話し合っていたんだろうな。それ以外にも、上総はいろんなものを背負っているから、その都度身体にガタが蓄積していったんだろう。実際、上総がいなきゃ組織は成り立たない。それほどあいつは必要な存在なんだよ」


 上総が背負っているものは非常に重い。たくさんの期待とたくさんの命。

 第一部隊の外出が多かったのは、極秘で今回の山梨の調査を行っていたからだった。


「美月知ってた?久瀬将官は、上総にだけタメ口なんだよ。上総が尉官になったときからの上官だから、上総には気を許しているんだろうな」


「そうだったんだ」


「あと、上総も。あいつ、俺たちの前と部下たちの前とじゃ、話し方が少し違う」


「え、話し方?」


 美月は、今までのことをよく思い出してみた。


「そう言われれば、授業中とか会議中とか指示出してるときと違って、私たちの前だと少し柔らかい感じがするかも」


「そう、当たり。部下たちにね、変に自分に懐いて欲しくないんだって。逆に、上総自身も情を持たないようにしているらしい。たぶん、今回のことを言ってるんだよな。自分が死んで悲しむ人はいない方がいいし、自分も死にたくないって思わないように……」


 今は私たちがやれることをやらなければ。上総が戻ってきたときに、少しでも彼の負担を無くせるように。


「和泉から聞いたんだけど。あいつさ、会議の後に検査することを俺に相談しようとしていたらしい。なのに、俺はただ疑うばかりで。今さら後悔したってどうにもならないのにな」


 後悔しているのは美月も同じだった。ちゃんと見ていれば気付けたはず。思い返せばチャンスはたくさんあった。

 二人は、車が見えなくなってもその方向をずっと眺めていた。

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