蒼昊を仰いで

後悔と哀傷への道を

「都築、今日はどんな想いで来ましたか?」


 車の後部座席で久瀬が問い掛けた。作戦書を表示したタブレット端末から目を離し、頭の中を一度リセットする。


「……そうですね、私自身は特になにも感じてはいません。任務を果たすだけです。ただ、私のことを心配する人間を作ってしまいました。これは誤算です」


「そうですか、なんとも君らしいですね。しかし、君が思っている以上に周りは君を必要としている。それは仕事上だけじゃない。自ら切り離すようなことは、しない方がいいのではないですか?」


「本当にその通りですよ。都築さんは、周りを拒絶しすぎです。せっかくこんなに慕われているのにもったいない」


 運転席と助手席から笑いが漏れる。


「まあ、そんな都築さんも好きですけどね」


 久瀬がクスッと笑った。上総は少し照れ臭そうな顔を見せた。


 上総は窓の外へ目を向けた。先ほどから、ぽつぽつと雨が降り始めていた。空を覆う厚い雲は、少しずつ少しずつ自分にのし掛かって重く暗い気持ちにさせられる。そして、この灰色の空は自分の心の闇を象徴しているかのようだった。


「相馬、和泉。今回は本当に悪かったな」


「なにを仰っているんですか。私たちは望んでついて来たんですよ。都築さんが行かれるのに、私たちが行かないでどうするんです。他に誰も、お二人のフォローなんて出来ないんですよ」


 今回の作戦では、予想以上に死者が出てしまうかもしれない。それでも、作戦内容を変更することはしなかった。

 それを承知でついて来てくれた二人には、本当に申し訳ないと感じている。そして、それ以上に感謝していた。


「とりあえず四、五時間はかかりますから、お二人共お休みになられてください」


 四人はまず福島支部へ向かい、群馬支部と共に最終会議を行う。そして、配置やルートなどの最終確認を行い、二日後には山梨支部へ向かう。


 ***


 山梨支部の勢力がどれほどのものなのか、第一部隊は長い期間を費やし調査を行ってきた。内情を調べるために本部より七名の諜報部隊を送ったが、帰還したのは僅か一名のみだった。

 随時、山梨支部の館内図や組織図、内部の実情などの情報を送らせていたが、どうしても工場内部の情報だけは得られなかった。

 諜報員曰く、工場内部は山梨支部の中でも幹部クラスの人間しか立ち入りは許されていないとのこと。それでも、諜報員たちは危険を冒しながらも定期的に情報を送り続けていた。だが、一人の諜報員から明らかに普段とは違うデータが送られてきたことからすべてが崩れだした。


 諜報員には、予めデータを送る際に必ず取り入れなければならないあるルールを定めていた。

 データは、一度すべて英文に変換したものを逆から表示し、それを数字変換し再度アルファベット表記に変換した内容になっている。そして、その中に必ず自らのコードネームを紛れ込ませることになっていた。

 それがある日、コードネームが含まれていないデータが届いたことによって、本部諜報員らになにかしらの異変が起きたことが発覚した。どうやら、ひとりの諜報員が素性を知られ、山梨側に捕らえられたようだった。その諜報員は偽のデータを送るよう指示されていたようで、本部に緊急事態を知らせるためにコードネーム無しのデータを送っていた。

 本部側は、しばらくその状態のまま相手を泳がせ、そのうちに残りの諜報員に脱出命令を下した。だが、四日後に生きて戻って来たのは、現諜報部のエースであり副隊長のひいらぎ朝陽あさひ一尉ただ一人だった。しかし、彼は脱出命令の指示を聞かず、あろうことか軍事工場に潜入し、館内図と工場内部の写真を撮って戻って来た。


「……ご存知かと思いますが、一人失敗しました。そして、その時点で我々のことが山梨支部全体に知れ渡り、当初の脱出ルートを使用することが不可能な状態でした」


 柊は帰還早々、久瀬、上総、そして諜報部隊長の有坂特尉に結果報告を行った。


「他の者はどうなった?それに、なぜお前は命令を無視した。俺は、すぐに脱出しろと言ったはずだ」


 腕を組んだ上総が鋭い目つきで問う。普段から上官に対しても臆さない柊だが、さすがに上総には恐れを感じてしまう。


「……命令の件は、本当に申し訳ありませんでした。他の諜報員ですが、脱出命令が出る前にすでに我々は脱出の準備に取り掛かり、いつ命令が出てもいいよう待機していました。しかし、脱出命令が出た時点で三名が殺され、私以外の二名は最終手段を使いました」


 最終手段とは、脱出不可能の際に拳銃及び毒薬を用いて自害することだった。敵に殺されるならまだしも、拷問され口を割るなど以ての外。


「七名それぞれに与えられた脱出ルートなんてもう知られていたんです。予備のルートでさえ、おそらく周知されていたと思います。それなら、わざわざそんなルートなんか使わず、まず行かないであろう軍事工場に向かった方が得策でしょう。それに、潜入する千載一遇のチャンスでしたし」


「せっかく生きて戻ってくれたのにこんなことは言いたくないけど……。柊はなぜ、最後の手を使わなかった」


 有坂特尉が問うと、柊は険しい目つきを見せ、一呼吸置いて答えた。


「まだ死にたくありませんし、捕まらない自信もありました。……だからこそ、お三方は私を選んだのでしょう?」


 柊は命令違反こそしたが、それでも危機的状況での臨機応変な行動が称され、二尉から一尉に昇格し副隊長となった。


 ***


 後部座席で目を瞑りながら、上総はあのときの柊の嫌味ったらしい笑みを思い浮かべていた。


「……まったく」


 いつからだろう、こんなにも軍に染まってしまったのは。この組織に入り、いつの間にか一佐という階級につき、今では大勢の部下を従えている。あの日の訓練で、一度自動小銃を試せて良かった。まだ腕は鈍っていないらしい。


「二人とも、お休みになられたか?」


「ああ、おそらく。今までまともに休まれていなかったからな」


 相馬は、そっと後部座席を振り返った。


「ここまで自分を犠牲にする人、今まで見たことないよな。……俺見ちゃったんだけどさ、二人とも薬を隠し持ってた。たぶん、最後に使うやつ。いざっていうときに使うんだよな、情報漏れだけは避けたいし」


「都築さんは俺らを全力で生かそうとするだろう。だけど、わかってるな」


「もちろん、この人を失うわけにはいかない。これは、都築さんの下についたときから決めていたことだろ」


 上総は、眠ったふりをして二人の話を聴いていた。


 ***


 昼前、四人を乗せた車は福島支部へ到着した。


「んー、久し振りに来たなあ。相変わらず周りは山しかないな」


 久瀬は身体を伸ばし、首や腕を回す。相馬と和泉が揃って久瀬の方へ顔を向けた。


「あの、将官……?」


「ん、ああ。つい出ちゃったな。俺いつも都築の前ではこうだから。あの話し方疲れるんだよね。気にしないで」


 いつもの穏やかな久瀬とは真反対の姿に、二人は困惑していた。


「え、いつもはこうなんですか?こちらが本来の将官っていうことですか?」


「そうなんじゃない?俺からしたら、普段の人前での態度の方が気味悪いけど」


 上総は、怪訝そうな表情を久瀬へ向ける。


「仕方ないだろう。俺ってまだまだ若いから、少しでも威厳ってものをだな……」


「先、行ってます」


 話の途中で、上総はさっさと歩いて行ってしまった。


「二人とも、悪いけどあいつのことは頼んだよ。俺はどうなってもいいけど、あいつはなんとしても生きて帰さないと」


「もちろんです。そのために、ここまで来たんですから」


「……ありがとう」


 ここ福島支部には、久瀬が佐官だった頃に世話になったという松橋将官率いる、三部隊総勢三百五十名の隊員が在籍している。そこに、群馬の五部隊総勢六百名の計九百五十名から選抜した五百名を率いて出撃する。


「久しぶりの再会がこんな形でとはね」


 玄関前で、松橋が出迎えてくれた。


「ま、約束通りですね。覚えてはおられませんか?次お会いするときは戦場で、と」


「そうだったな……」


 松橋は、上総に気が付き声を掛けた。以前会ったのは二年ほど前だっただろうか。


「久し振りだね、都築くん。少し痩せたか?相変わらず忙しいみたいだね。私の部下は好きに使うといい。私たちは全力で君について行くよ」


 上総は両手の拳を握りしめる。自分は指揮官として大勢の人間を動かさなければならない。もちろん、失う人間も出てくるだろう。


「……はい。私も、全力を尽くします」


 これ以上言葉が出て来なかった。自信がないわけではない。だが、自分の代わりに犠牲になる者たちがどのくらい出てしまうのかをどうしても考えてしまう。


「疲れただろう。夕方には群馬の隊も到着するから、それまで休んでいるといい」


 四人は部屋へ案内された。先に久瀬が部屋へ入ると、相馬と和泉は上総の腕を引っ張り奥の部屋へと急ぐ。


「もう点滴の時間過ぎてしまっています。横になられてください」


 二人は上総を無理矢理ベットに寝かせ、医師に習ったとおり手際良く点滴を繋ぐ。


「今から二時間、絶対に部屋から出ないで下さいよ。外は私が見張っていますから」


 和泉は、念入りに上総に注意を促した。


「二人も疲れてるんだから部屋で休んでおけ。誰も入って来ないし、俺は平気だから」


「しかし……」


 二人はなかなか食い下がらない。ここが長所でもあり短所でもある。


「はあ……。いいか、これは命令だ」


「……承知しました。ですが、なにかありましたらすぐに呼んで下さいよ!」


 やっと二人が部屋から出て行ってくれた。だが、上総は二人がここまでしてくれるのを嬉しく感じていた。


「俺もだめだな。まだまだ弱い……」


 今度こそ上総は眠りについた。


 ***


 気が付くと、すでに三時間が経過していた。部屋の外がなにやら騒がしい。


「目が覚めましたか?針はちゃんと抜いておきましたよ。先ほど群馬の隊が到着されまして、少しばたばたしています。あと一時間ほどで会議が始まりますが、なにか召し上がりますか?」


 相馬と和泉はすでに点滴を片付けて、上総が起きるのを待っていた。


「いや、いい。それより着替えを」


「隊服はこちらに掛けてあります。では、外でお待ちしております」


 上総の隊服はすでに壁に掛けられていた。棚の上には、腕時計やショルダーホルスターなどが置かれており、ホルスターのポケットには毒薬が入れられたままだった。

 もしも自分が窮地に陥ったときは、これで自害するつもりだった。だけど、相馬と和泉はそんなことを望んではいない。むしろ、自分がそんな考えでいることを知って哀しんだだろう。


「……」


 結局、上総は毒薬ごとホルスターを装備した。二人は自分のことを命を懸けて護るつもりだろうが、そんなことはさせられない。隊長として、上官として、人の上に立つ者として、いざというときは自分が犠牲になってでも皆を助けなければ。


「では参りましょう。四階の会議室で行うそうです」


「将官は」


「先に上へ行かれています。都築さんがお休みになられている間、ずっと松橋将官とお話されていましたよ」


「……そうか」


 この再会が最後となってしまったとしても後悔のないよう、彼らは思い出話に花を咲かすことが出来たのだろうか。


「……あの、都築さん。明日の夜、三人で夕食でもどうですか?」


 恐る恐る、前を歩く相馬が提案する。


「三人で?ああ、別にいいけど」


 その言葉に二人の足が止まり、そして勢いよく上総の方へ振り返った。


「あ、ありがとうございます!良かった、今までゆっくりお話したことってなかったので」


 このとき、上総は初めて気が付いた。第一部隊が発足して約三年。これまで一度も部下たちとはまともに話をしたことがなかった。


 最初の頃はとにかく忙しく、そんなことを考える余裕すらなかった。だが、仕事に慣れてくると今度は自らの立場に責任を感じ、出来るだけ部下たちに負担をかけまいと自分をどんどん追い詰めて行った。

 たいした上官でもないのに、ここまで信頼して期待して頼ってくれている。この二人だけではなく、第一部隊の皆がそうだった。


「……勿体ないことをした」


「なにか仰いましたか?」


「いや、なんでもない」


 階段を昇ると、会議室の入り口の前で久しぶりに隊服を纏った久瀬が立っていた。


「ゆっくり休めたか?ちゃんと、頭切り替えておけよ」


「はい……」


 会議室の扉を開けると、福島と群馬の隊員総勢五百名が一斉に立ち上がり、久瀬と上総が前方の席に到着すると揃って敬礼を掲げた。上総の目つきが一変する。


「皆さん、はじめまして。東京本部から参りました久瀬といいます。こちらは特務室一佐の都築です。彼は、今回の作戦最高司令官になります。ではこれより、明後日に決行する山梨支部掃討作戦についての会議を始めます」

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