知らないところで

 その日の夕方、戦闘服に身を包んだ上総を見かけた。


「あれ、それどうしたの?」


「ああ美月、これから代理授業。今日は射撃訓練なんだ。そうだ、今日は尉官の訓練だから美月も見に来る?佐伯と大郷も出席すると思うよ」


 この落ち着いた佇まいと、嫌でも放たれる緊張感。もうどこから見てもベテランの教官にしか見えない。


「行ってみようかな」


 ***


 射撃訓練場は地下四階にあり、防音は完璧で一度に四十名が訓練を行うことが可能な大型射撃場だ。

 二人が到着した頃には、すでに隊員たちは二人一組になり各ブースに整列していた。やはり上総がいると違う。隊員たちはいい意味で殺伐としている。でも、自分の訓練のときはこんなに緊張した感じはあまりなかったような。いつもの教官もなかなか良い腕を持っていると思うのだが。


「本日は、特別に桐谷三佐に見学に来てもらった。彼女の射撃の腕は知っているだろう。緊張せずに、普段の成果を見せてやってほしい」


 総勢六十五名の隊員たちは、一斉に敬礼を掲げる。


「しばらくしたらひとブースごと見ていくから、それまで二人一組で各自訓練を開始」


 それぞれイヤプロテクターとゴーグルを装着し、銃の点検に入る。今日は自動小銃の訓練らしい。起立姿勢で十秒間に十五〜二十発発砲する。先日の奇襲により、攻撃のレベルを強化させようとのことだろうか。


「美月もこれ着けて」


 上総がゴーグルを手渡してくれた。


「好きに見回っていいよ。もし良ければ、指導もお願い出来るかな」


 上総は入り口付近の椅子に腰掛け、ノートパソコンを開いてなにやら作業を始めている。


「はあ、本当に教官みたい」


 美月は奥の方へと進んで行く。しばらく他の部隊の隊員たちの様子を見守っていたが、ふと藤堂と結城の姿が目に入った。


「桐谷三佐、先ほどはありがとうございました。今日は射撃のツートップが教官ですか。緊張するなって方が無理ですよ」


 まず藤堂が撃ち始める。的紙を見るとほぼ中心に当たってはいるが、少々左上に寄ってしまう傾向がある。


「右肩もう少し引いて。あと、左足もう三ミリ前へ。X点より若干下を狙ってみて。もう一度」


 藤堂は姿勢を入念にチェックし、再度撃ち始めた。先ほどは十七発だったが、今回は二十発撃ちきることが出来た。


「なんだか、先ほどよりも撃ちやすかった気がします」


 藤堂自身も手応えを感じているようだ。的紙にもその成果が現れていた。


「一回でこれだけ修正できるなんて、結構素質あるんじゃないの?この調子」


「はい、ありがとうございました!」


 藤堂はやる気に満ち溢れていた。それは射撃訓練だけではなく、おそらく陽に対する気持ちも含まれている。

 さらに奥では、第一部隊の相馬と和泉が訓練を行っていた。しばらく後方から眺めていたが、やはり上総の下についているだけあって腕は確かなものだった。


「あ、桐谷三佐。お疲れさまです!」


 相馬が笑顔で敬礼を掲げる。


「お疲れさま。二人は他の人たちと違ってかなりリラックスして撃てているみたいね。他の部隊の隊員は、やっぱり萎縮しちゃってるみたい」


「ええ、私たちはほぼ毎日都築さんと行動を共にしていますからね。さすがにあの威圧感にも慣れました」


「そうだ、一度桐谷三佐の射撃の腕を拝見したいと思っていたんです。大変恐縮ですが、お願い出来ませんか」


 突然なんてことを言い出すんだ。これで結果を出せなかったら、上総になんて言われるか……。


「射撃の腕ならそちらの上官の方が上だから、私なんかのを見たところで特になにも……」


「いいえ!都築さんは実力ですが、桐谷三佐は才能だと思うんです。私たちも様々な方達の技を盗みたいんですよ!」


 ここまで言われてしまうともう断れない。仕方なく了承してしまった。八十九式自動小銃、十秒勝負。いつの間にか、周りの隊員たちまで集まって来ている。


「撃ち方、始め!」


 号令と共に、美月は即座に引鉄を引いた。迷いのない発砲音に、皆固唾を呑んでいる。そして、一瞬のうちに一気に二十発を撃ちきった。


「ふう……。どうだったかな」


 美月の心配をよそに、的紙を持ってきた隊員は驚愕の表情を浮かべていた。


「こ、これ……、穴が三つしかありません」


 その的紙には、X点に穴が一つ、そのわずか右側に小さい穴が二つ空いていた。


「ということは、十八発すべてど真ん中ってことですか……」


 なんとか、まずまずの結果を残すことが出来たようだ。


「確か、カナダの最終試験のときは、十九発ど真ん中だったな」


 観客の後ろの方から上総が声を上げた。


「腕、少し鈍ったんじゃないか?」


 上総は嫌味な笑みを浮かべている。しかし、そのおかげで隊員たちの緊張の糸が少し解れたようだった。


「さすが桐谷三佐です。大変勉強になりました。またお時間がございましたら、ご指導のほどよろしくお願いいたします」


 相馬と和泉は揃って敬礼を掲げた。とりあえずは一安心だ。ふと一番奥へ目をやると、一人で訓練を行なっている大郷の姿があった。


「お疲れさま。あれ、佐伯はどうしたの?」


「お疲れさまです。佐伯ですが、昼過ぎに急に具合が悪いって部屋に閉じこもっちゃいまして」


 大郷は横目で上総の姿を確認し、小声で話を続ける。


「午前中の会議が終わったときに、あいつ都築一佐となにか話していたんです。それからです、佐伯の様子がおかしくなったのは」


「佐伯と上総が……、めずらしいね。でもなんの話だろう。ごめん、その場にいながら私なにも見てなかった」


「いえ、あのとき桐谷さんは私の部下に呼ばれていましたから。それに、桐谷さんはなにも気にしないでください。これは私が調査します」


 大郷の最初の印象は、どこか控えめで正直小隊長の器ではないのではと心配していた。だが、今となってはかなり頼りになる部下となっていた。大郷は、分析力、観察力、判断力が非常に長けている。


「都築一佐との間になにかがあったのだとしたら、桐谷さんも都築一佐にはお気を付けください。おそらく、私が都築一佐や佐伯を嗅ぎ回っていることに気付いています。それでいて、桐谷さんや私をうまく利用しようとしているのかもしれません」


 上総にとっては、私も駒のひとつにすぎないのだろうか。彼もまた、なにか行動を起こそうとしているのか。


「大郷、君は一人だったか。佐伯はどうした」


 突如、背後から上総の声が耳に届いた。気配もなにもなかった。さすがの大郷も目を丸くしている。


「あ、佐伯は具合が悪いと言って部屋で休んでいます。申し訳ありません、事前に連絡すると言っていたのですが……」


 心臓の鼓動が騒がしい。さっきの話、聞かれてはいないだろうか。


「……そうか、わかった。そうしたら、久しぶりに俺もやろうかな。最近は全然射撃訓練なんてやっていないから、腕が鈍って仕方ない」


 そう言うと、上総はイヤプロテクターを装着し自動小銃の点検をし始めた。


「じゃあ頼む」


「はい。……撃ち方、始め!」


 しかし、号令がかかっても上総は一向に撃ち始めようとはしない。一秒、二秒と時間が過ぎて行く。そして、五秒を回ったところでやっと引鉄を引いた。

 だが、そこからは一瞬だった。通常なら、五秒間だとせいぜい十発から十三発が限度だ。しかし、上総は一秒間に四発という驚異的なスピードで見事に全弾を撃ち終えた。

 身体もまったくぶれていない。男性であっても反動は凄いはずなのに、ものともせず発砲を続けていた。そして、その結果は予想の遥か上を行くものだった。


「穴がひとつしかない……」


 都築上総の凄さを説明するにはその一言で充分だった。


「まったく鈍ってなどいませんよ。むしろ、もっとお休みいただいても……」


「思っていたよりかは大丈夫そうかな。でも、完璧なひとつ穴じゃない」


 隊員たちは、あまりの衝撃に唖然としていた。上総が、組織の中でトップの腕なのは周知の事実。それでも、こうも実際に目の当たりにしてしまうと言葉も出ない。


「さあ、訓練再開。大切なのは身体の軸だ。身体がぶれなければ、とりあえず大きくは外れない」


 そのとき、上総が少しよろめいたように見えた。見間違いかとも思ったが、なにやら顔色が悪い。


「上総、大丈夫?」


 美月が声を掛けるが、上総は聞こえていないのかまるで微動だにしない。


「上総」


「……美月、なにか言った?」


「いや……、なんでもない」


 ようやく振り向いたが、やはりどこか体調が悪そうだった。


 ***


「じゃあ、各自片付けを開始。終了次第解散」


「ありがとうございました!」


 十八時。射撃訓練の授業が終了した。神業的な射撃の腕を間近に目にして、隊員たちは内心興奮していた。


「上総、相変わらずの腕だったね」


「……いや、実はさ。なかなか焦点が合わなかったんだ」


 部屋へ戻る途中、少し前を歩く上総が小声で呟いた。


「最近、特に銃の焦点を合わせようとすると、視界が回って決まって目眩を起こすんだ。だから、任務はともかく訓練は自分から避けていた。前からあったことだし最初はただの疲れだと思っていたんだけど、だんだん悪化してきているかもしれなくて」


 突然の告白に美月は戸惑った。さっきの射撃は、軸を保てばわずかな時間でも命中率が上がるということを伝えたいのだと思っていた。


「それ、誰か知ってるの?陽とか将官とか」


「いや、まだ誰にも話してない。ただ、相馬と和泉には最近少し具合が悪いとだけ伝えてある。ただの疲労とかストレスからきているだけかもしれないし」


「そんな、放っておいたらどんどん悪化しちゃうかもしれないよ。検査しようよ」


 上総はしばらく無言で歩いていた。もしかしたら、すでに自分の身体の状態をわかっているのかもしれない。


「こんなことをさ、美月に言ったら怒ると思うけど。俺、生きることにそこまで執着していないんだ。いつ死んだっていいと思ってる。ただ、今はやらなければならないことがあるから、それまでは自ら命を絶つなんてことはしない。出来るところまで全力でもがいて、いざ目的を達したとき、人生を終わりにしようと思う」


「終わりにするって……。どうして、わざわざ終わらせる必要があるの?その先も、生き続けるって選択肢はないの?」


 美月は、目の前が真っ白になった。こんなことを平気で、むしろ少し笑って話す上総を少し恐ろしく感じた。今、彼の中でなにが起こっているのだろうか。


「少し疲れちゃってね。憎しみと後悔の中で生きるのはやっぱり堪えるから。ただ、いざ最期を迎えるってとき、俺はこう感じていたいんだ。後悔はたくさんあるけど、いい人生だったって」


 いつの間にか、上総の部屋の前に到着していた。


「じゃあ上総は、死ぬために今こうやって大変な思いをして頑張ってるの?そこまでしてやらないといけないことってなに?私はあんなことがあったけど、今こうやって皆と出会えて、上総や陽に心から感謝してるんだよ」


「そうかもしれないね。もしも今、目的が達成されたら、俺はこの場で迷わず命を絶つだろう。やっと気付いたんだけどさ、俺結構追い込まれてるみたい。戦闘員は向いていなかったのかも。陽が言っていたみたいに教官の方がよかったのかな」


 そして、上総は弱々しい声で"ごめんね"とだけ一言残し、感情の無い笑顔を浮かべて部屋へ入って行った。

 その姿に、美月は哀しみを堪えきれなかった。上総が死を望んでいたこと、それほどまでに追い詰められていたこと、そして遂にそれが身体に出てしまったこと。もっと早く気付ければ防げたのではないか。


「……ごめんって、それこっちのセリフだよ」


 美月は携帯を取り出し、大郷へ電話を掛けた。


「もしもし、私。これから佐伯のところへ行く。上総がなにか企んでいるなら、誘いに乗ってあげようじゃない」


「急にどうされたんですか。……承知しました。今片付け終わるのですぐに向かいます。まだ中へは入らないでくださいよ!」


 上総が自分の命を懸けてまでやらなければならないこと。関わるべきことではないのかもしれない。でも、目の前で自分は死ぬつもりだなんて言われたら放っておくことなんて出来ない。少しでも上総にとって重荷となっていることを減らして、心身を休めてもらいたい。


 しばらくして、大郷が息を切らせてやって来た。


「はあ……。桐谷さん、佐伯に会っていったいどうするんです。都築一佐となにを話していたか聞くんですか?それとも、柏樹二佐とのことですか?」


 大郷は眼鏡を拭きながら、早足で歩く美月を必至で追いかける。


「どちらでもない。佐伯には、ここを出て行くよう話すつもり」


「え、どういうことですか?」


「これ以上ここにいても、上総に目をつけられている以上好きには動けない。だからといって、そんなに簡単に陽と一緒に企んでいることを終わりにはしない。このままだと、佐伯が窮地に立たされる可能性が高いし、逆に組織に危険が及ぶかもしれない。危険因子は早めに排除するべきでしょ」


 佐伯の部屋があるフロアには、約十名の尉官の部屋がある。


「あなたの部屋に近いの?」


「いえ、真反対です。このフロアで会うことは滅多にありませんね。業務以外ではあまり話さないんですよ」


 意外だった。佐伯と大郷も、藤堂や結城とまではいかなくとも、普段から仲が良いものだとばかり思っていた。


「予備軍のときは佐伯の顔すら知りませんでした。初めてちゃんと会ったのは、第三部隊が発足したときですし」


 部屋に近づくと、どうやら扉が開いているようだった。


「そこ、佐伯の部屋です」


「中にいそうだね」


 中を覗くと、ある人物が部屋の中心にこちらに背中を向けて立ち尽くしていた。その足元には、人が一人横たわっている。


「……陽?」


「お前ら、こっち来るな……」


 ただならぬ様子を感じとった二人は、部屋の中へ駆け出した。


「やめろ!来るな!」


 その横たわっているものを目にした二人は、一瞬で表情が歪む。様々な感情が渦巻いて、しばらく声を発することが出来ないでいた。


「……なに、これ」


 そこには、頭から血を流し部屋の真ん中で絶命している佐伯の姿があった。


「佐伯……。どうして」


 大郷が静かに佐伯の側へと近寄る。確かに佐伯だ。間違いない。銃で撃たれ死んでいる。


「俺も、今来たんだ。ノックしても返事がなくて、鍵が開いていたから入ってみたら、これ……」


「そんな、嘘……」


 美月の頭の中に、あのときの惨劇がフラッシュバックする。助けなければ、今すぐになにかしなければ。


「し、止血……。あとAED!先に心臓マッサージして、あとはどうする」


「美月、佐伯はもうだめだ。死んでから一時間は経ってる。……無理なものは無理なんだよ」


 すぐさま救護班が到着し、佐伯は病棟へと搬送された。だが、すでに死亡しているのは明らかだった。

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