幻惑の陽炎

少しずつ、歯車は狂い始める

「来月、私と都築一佐及び相馬和泉両一尉の計四名で、昨年山梨に新設された軍事工場と演習場の視察に向かうことになりました。その間、皆さんは徳井本部長や各将官の指示に従ってください。柏樹二佐、桐谷三佐、後はお願いします」


 特務室の全体会議で、将官たちの出張の件が伝えられた。

 現在ISAは東京に本部、新木場に格納庫、大阪支部、そして群馬支部と福島支部に軍事工場と広大な演習場を持っている。

 そして、今回は山梨に軍事工場が新設された。演習場はいくつあってもいいが、軍事工場を増やしたということはそれなりに兵器を量産するということだ。


「どうして工場も作ったのかな。特に必要ではなかったよね?」


 美月は、隣に座る陽に尋ねてみる。


「まあ工場自体はあってもいいけど、ここ最近では必要ないよね。それなのに、今回のは他よりかなり大きい工場らしい。だからって戦車なんか作るわけにもいかないし、もしかしたら工場って銘打ってるだけで、中身はまったく違うものなのかもしれないな」


「だから、恩田司令官は行かないのかな」


 美月がぼそっと呟いた。その言葉に、キーボードを打つ陽の手が止まる。


「……ああ、そうかもね。久瀬将官は、恩田司令官自ら諜報員を調達していると見ているから、とても同行させることは出来ない。そして、工場と銘打って中身はまったくの別物だとすれば、今回同行させるのが信用に足る人物のみだっていうのも辻褄が合うな」


 陽は、頬杖をつきながらノートパソコンの画面をじっと見つめていた。画面には、すでに作成されているメールが一件。あとは送信するだけなのだが、マウス上では人差し指が行ったり来たり。


「……報告、完了」


 画面には、メール送信完了と表示されたが、すぐさま送信履歴から削除された。


***


 しばらくして会議が終了し、陽は佐伯のもとへ向かおうとしたが、そこにはすでに上総の姿があった。少しの間二人で話していたようだが、やがて上総は部屋から出て行った。


「佐伯。どうした、なに話してた」


 佐伯は俯いたまま立ち尽くし、一向に話し始めようとはしない。


「話せないことなら別にいいけど。お前、大丈夫か?」


「……あ、あの」


 佐伯は意を決し顔を上げた。だがその瞬間、陽の肩越しに視界に入った光景に息が止まった。


「おい、佐伯」


「すみません!」


 佐伯はそのまま走り去ってしまった。追いかけようと振り返ると、会議室の開いたままの扉の向こうに、腕を組んで佇んでいる都築上総の姿が目に入った。

 上総は、たったいま目の前を通り過ぎて行った佐伯の方へ視線を向けていたが、やがてこちらへ顔を向けた。

 なんの話をしていたのか聞こうにも、上総に尋ねたところでなんの意味もなく、佐伯を問い詰めてもおそらく無駄だろう。自分よりも階級の高い人間に口止めされていては、絶対に話すことなど出来ない。

 やがて、上総は部下と共にその場を後にしてしまった。


「くそっ……」


 そんな陽の姿を、会議室の奥から大郷がじっと見据えていた。


 ***


「お忙しいところ申し訳ありません。失礼いたします」


 美月の部屋に、藤堂と結城が訪ねて来た。


「どうぞ入って。さっき電話もらってびっくりしたけど、相談って私なんかでいいのかな」


 美月は二人をソファへ座らせた。同じ特務室でありながら、美月はこの二人との関わりはもっぱら少ない。ましてや、相談ごとなど自分なんかで務まるのかと心配していた。

 しばらくして、険しい顔つきをした藤堂が口を開く。


「……ここ最近、柏樹さんがなんかおかしいんですよ。前々から、私たちにはなにも知らせないで結構ご自分でいろいろとしちゃう人なんですけど。最近は、なんていうか余裕がない感じで、普段の仕事も全然身が入ってないんです」


「あまりにも異常なので、少し前から柏樹さんのことを調べていたんです。そうしたら、その……。どうやら、佐伯とつるんでいるみたいでして」


 結城も心配そうな表情を美月に向けた。


「佐伯と、ね……」


「なにか思い当たる節が、おありなんですね」


 結城の言う通り、いくつか心当たりはあった。確かに、最近は陽と佐伯が話しているところをよく見掛ける。それだけならまだしも、一度だけ佐伯が陽のことを"柏樹さん"と呼んでいたのを耳にしていた。


「佐伯も大郷も、最近准尉から上がりましたが相当実力があるんですよ。第三部隊が出来るまで戦術部の隊員でしたが、今回三尉を飛び越えての二尉ですし。私たち内心ちょっとびくびくしていまして、いつ追い抜かれるかなって。でも、実力があるならどんどん上へ行くべきなんです。もちろん、正当な仕事をして」


「正当な仕事……」


 藤堂と結城は、後輩である佐伯や大郷のことをとても良く考えてくれていた。そしてそれと同じように、直属の上官である陽のことも心配でならなかった。


「そうね。佐伯と大郷はまだまだ上に行ける。もし陽と佐伯がなにか企んでいようとも、それはなんとしても止めなければならない。二人はこれからの組織を背負っていかなければならない存在だもの」


「ええ、本当にその通りです。ですが、これから私たちにはいったいなにが出来るのか……」


 それは、まるでいつかの美月のようだった。途方に暮れ、この先なにをしたらいいのかまったくわからない。自然と、目線は下へ下へと追い込まれて行く。


「……悩むときは悩んだ方がいい。でも、決して諦めてはいけない。諦めることほど怖いものはない」


 美月の言葉に二人は顔を上げた。あの日、絶望の淵に立っていた自分に陽が掛けてくれた言葉。


「相手は陽だもの。そんなに簡単にいくわけがない。それでも、こうやって私たちに疑念を抱かせている以上、必ず落とし穴がある。私たちは、陽や佐伯を陥れたいわけじゃない。理解して、戻って来て欲しいんだよね」


 藤堂と結城は美月から目を離せないでいた。そうだ、それを伝えたかった。


「二人とも優しいのね」


「そんな……。しかし、自分たちの上官なのに私たちはなにも知らない上、頼りにもされていなかったのかなって寂しくなりました」


 藤堂は、心から落胆しているようだった。確かに、あれほど信頼している上官に頼りにされないというのは哀しいことだ。


「うん……。きっと、いや絶対理由はあるから。あなたたちの信頼性の高さは初めて会ったときにすぐわかったし。それに、あえて佐伯を選んだとかではない気がするの。初めから決まっていたような、そんな感じ」


「……そうですよね。こんなことで悩んでいる場合ではないですよね」


 藤堂の顔に、僅かだが笑顔が戻った。


「だから、あなたたちは陽を止めなければいけない。陽は二人の上官であり、あなたたちに背中を預けているんだから。もしも陽が間違ったことをしたなら、その背中を撃つ資格がある。そして、その覚悟を持っていないといけない」


 藤堂と結城は黙って頷いた。

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