初風に手を引かれて

扉の向こう側

 年の瀬近付く十二月中旬。

 都築上総つづきかずさ柏樹陽かしわぎよう桐谷美月きりたにみつきの三人は空港へ向かっていた。

 組織の専用ジェットもあるが、さすがに政府に感づかれるのは避けたいからと、通常の飛行機のファーストクラスをとってくれた。

 ファーストクラスに乗れるのはもちろん、美月はこれからの一年間がとても楽しみだった。


 これから三人はカナダへ向かう。ちょうど上総と陽が日本とカナダを行き来しながらの仕事があったため、美月もそれに同行することとなった。

 といっても、美月は仕事でカナダへ行くわけではない。訓練と適性検査を兼ねて特科士官学校へ通い、語学、知力、武力を養うためだ。


 ***


 二ヶ月前、美月の携帯電話が鳴った。陽からだった。あの日、とりあえず番号を交換して別れていた。


 朝陽に反射して光る陽の髪の色があまりにも綺麗で、吸い込まれそうな上総の瞳が忘れられなくて、美月はもう少しこの世界に留まることにした。

 捜査はまだ続いている。これといった手掛かりも見つかってはいないようだ。とりあえず本屋でパートを始めたが、この先なにをすればいいのかまったく見当もついていない。

 少し日が傾きはじめた昼下がり、ベッドに横になりながらこの先のことを考えていた。陽から電話が来たのはそんなときだった。


「今夜、大丈夫?」 


 突然の誘いだったが、家にいても誰もいないしパートも休み、断る理由もなく誘いを受けた。


「迎えに行くから待ってて」


 そう言って電話は切れた。


「え、迎えに行くって、うちまで……?」


 駅とかで待ち合わせなんだと思っていたのに、まさかの迎え……。やっぱりなにか危ない人たちなんじゃないか。そう焦っていた矢先、チャイムが鳴った。そして再び電話が鳴る。


「もしもし、美月?実はすぐそこまで来てたんだよね。驚いた?もう家の前にいるからおいでよ」


 考える時間も与えられず、半ば強引に彼らに連れられた。しかもまさかのリムジン。え、お金持ち?夜遊び?お金……?遊ばれる?なにされるの……。

 美月の頭はこれから起こるであろう最悪の事態でいっぱいになった。そんな様子を見た上総が大きく溜息をつく。


「心配しているようなことは一切起きないよ。少し落ち着いて」


「大丈夫だよ、美月に変なことはしないから」


 それでも美月は疑いの眼をやめなかった。なぜなら、二人はスーツを着用していたのだ。それがますます怪しさを増長させている。


「あの、じゃあどこに行くの?なにかあるの?その格好……」


「うん、本部。俺たちの拠点」


「拠点……」


 車は高速へ乗る。上総はパソコンで仕事、陽は携帯電話を弄りながら鼻歌を歌う。美月はしばらく外を眺めていた。

 一時間ほど経っただろうか、懐かしい景色が視界に入ってきた。もう一度生きようと決めた大切な場所。


「懐かしいね」


 陽は、少しだけ窓を開いた。久しぶりに目にする景色。やっぱり好きな場所だ。


「あれから行ってないんでしょ?」


 相変わらずその場所には人がいない。それでも、様々な理由で黄昏に訪れる者たちを拒むことは決してない。


「また一緒に行きたいね」


 陽がこちらを向いて微笑んだ。


「ほら、見えてきたよ」


 陽は窓の外を指差した。そこには見覚えのある建物が立ちはだかっていた。


「あれって、ザ・シーフロントビル……」


「やっぱり、知ってるよね。あれが俺たちの拠点としている本部だよ」


 ザ・シーフロントオフィスビル。その名の通り、海に面した大型ビル群だ。地上五十五階、地下五階建ての巨大な本部ビル。そしてその他にも三棟の大きな建物がそびえ立つ。この広い敷地が、まるでひとつの街のようでもある。


「お気に入りの場所が目の前でしょ」


 確かに、徒歩五分もかからない。なんて最高の場所なんだろう。


「あそこからたまに美月を見ていたよ。どうして女の子一人であんな所にいるんだろうって、いつも不思議だった。あの日も、もっと早く声を掛けてあげられればよかった」


 あの日。生きることを終わらせようとした日。今でもたまに、もう終わってもいいんじゃないかと思うときはある。

 月明かりが反射して煌めく海面越しに覗く、底なんて存在しないんじゃないかっていうほどの暗黒の海底。夜風がとても気持ち良くて、恐怖心なんてこれっぽっちも感じなかった。思い出してしまうと、徐々にあの日の気持ちに支配されていく。


「大丈夫」


 外を向いたまま上総が囁いた。美月ははっと我に返る。上総がそっと微笑んでくれたので、美月はもう振り返らないと心に誓った。


 気が付くと、車はビルの駐車場に到着していた。社員証をスキャンし、車のナンバーを確認する。

 しかし、チェックを受けたのはドライバーだけで上総と陽と美月は顔を確認しただけで終わった。どうやら顔パスってものらしい。

 地下駐車場はたくさんの車で埋め尽くされている。そのほぼすべてが黒塗りの高級車だった。


「気になることはたくさんあると思うけどさ、とりあえずついて来て」


 陽を先頭にエレベーターへと向かう。すると、エレベーターの扉が開き、中から三人の女性が姿を見せた。


「お疲れさまです。これから大学病院へ行って参ります」


 白衣を羽織った女性たちは、上総と陽の前で一度立ち止まり一礼をして車へと向かった。

 三人もエレベーターへ向かう。数えきれない量のボタンが並び、ほぼシースルーのエレベーターだった。陽は五十一階を押す。三人を乗せた箱は静かに、だが凄い速度でぐんぐんと空へ昇って行く。眼下には雄大な東京湾が広がっていた。あの場所も見下ろせる。


「ここは製薬会社でね、さっきすれ違った二人は研究所で働いている社員で、これから大学病院へ試薬を持って行くんだ」


「試薬……。そうだったんだ」


「うん、まあ詳しい話は上で」


 そう話しているうちに、あっという間に五十一階へ到着した。扉が開くと、圧巻の光景が目の前に広がった。

 まるで超高級ホテル。壁はすべてが大理石、いかにも高級そうな絨毯。そして、監視カメラが至るところに設置されている。

 三人は左奥の部屋へと進む。各部屋の入口にはキー認証、指紋認証と虹彩認証の機械が備え付けられていた。ここではさすがに上総と陽もチェックを行う。


「美月はまだ大丈夫だから、俺の後について来て」


 そう言うと、陽はチェックを終えてドアを支えてくれた。中へ入ると、そこは会議室のような部屋だった。ざっと二、三百人は余裕で座れてしまうくらいの広さだ。


「じゃあ今から説明するけど、最終的に決めるのは美月だから。あと、わからないことがあればなんでも聞いて」


 上総は、いつにも増して真剣な表情で説明を始めた。


「さっきも言ったけど、ここは製薬会社で研究室や実験室もあって、普通の会社とほぼ変わらない。ただ、その利益がなにに使われているのかというと、主に俺たちが所属している組織の資金源になっている」


「組織……」


 その言葉に、美月の顔が曇る。


「いろいろと複雑でね」


 陽は、コーヒーを淹れに部屋の奥へ向かった。


「正式には、ここは法務省直下国際特務機関といって、警察とは違って逮捕権はなくて、自衛隊のように防衛を主としているわけでもない。特別任務を与えられている軍隊なんだ」


 陽が、二人のもとへコーヒーを淹れて戻って来る。上総はコーヒーを口にしながら話を続けた。


「あれ、それって確か……」


「組織の名前はISA。たぶん聞いたことはあると思う。だけど、詳しいことまでは世間に発表していないんだ」


 ISA国際特務機関(International Secret Armament)この組織名を美月は知っていた。


 一年ほど前に急にメディアに出てきたが、確か海外に籍を置いた新しい政府の組織だとテレビでは言っていた。

 日本には軍隊は存在しないはず。それなのに、まさかISAが軍隊だったなんて。しかし、噂では世界規模でのとてつもない巨大な組織で、真相のほとんどが闇に隠れているとか。


「ISAって主になにをしているの?軍隊ってことは、どこか外国に行って戦争でもしているの?」


 カップをそっと置き、視線を落とした上総が一息つく。


「そうだね。まあいろいろあるんだけど、主な仕事としては諜報活動や潜入捜査。一般的には、通常任務として地域国民の安全確保。そして、特別殺人権が行使されている」


 上総は、最後に信じられないことを言い放った。特別殺人権……。


「ISAは法務省、そして世界各国の特別なルートを駆使して、独自に捜査を許された組織なんだ。その任務において、必要とあれば殺人も許可されている」


 美月にはあまりにも規模が大きすぎる内容だった。今まで窓にもたれかかって立っていた陽も腰を下ろす。


「国民を護るため、国を護るために存在しているのは確かだよ。ちゃんと命令されて任務としてやっていること。だけど、仕事のやり方はすべてこちらに委ねられている。俺たちは生ぬるいやり方はしない。潰しに行くからには、その存在を確実に消す」


 存在を消すということは、確実に殺すということ。そしてそれは、自分たちも殺される可能性があるということ。


「つまりは、お互い命の危険があるってことだよね。それじゃあ、やっぱり犠牲になってしまう人も出てくるんだよね」


「俺たちは、犠牲になっているとは感じていないんだ。もしも危機的状況に陥った場合に、俺たちの命で国民の命を護ることが出来るのであれば、全隊員喜んで自らの命を差し出すよ。ISAはね、こう心に誓った者たちの集まりなんだ」


 一般人にとっては恐ろしい話だが、この二人の眼はとても強い眼差しだった。


「……二人も、人を殺したことがあるの?」


 美月は、恐る恐る質問を投げ掛けた。聞きたいような聞きたくないような、それでも聞かずにはいられない。


「あるよ」


 すると、なんのためらいもなく上総が答えた。


「人数もわからない、もう数えきれないほどの人間をこの手で殺した。もちろん、任務として命令されたものも多いけど、任務の内容によってはこちらで判断して遂行することもある。だから正直、命令された以上の殺人をこの手でしたことになる」


「だから、俺たちは常に拳銃の携帯を許可されているんだ。任務以外では見せることは出来ないんだけど、今も所持してる。まあ、俺たちの裏の仕事は世間には公にされないからね」


 美月はとんでもないところに来てしまったんじゃないかと混乱していたが、ひとつだけ気付いたことがあった。


「あの……、話が大きすぎてまだよくわからなくて。その、私がまだISAに入るのかもわからないのに、そんなことまで話しちゃっていいのかな。もし入らなかったら、私もはじめから殺すつもりだった……?」


 美月の言葉に、上総と陽は目を丸くした。


「え、違う、違うから。それはないよ。美月はおそらく仲間になってくれるだろうと思って話したんだ。もし仲間になることがなくても、殺したりなんか絶対しない」


「ただ、記憶の改ざんだけはさせてもらう」


「え……」


 美月は焦った。記憶を改ざんするということは、上総と陽と出会ったことすら忘れてしまうということだろうか。そうだとしたら、これから先自分はどう生きていけばいいのだろう。


 正直、この二人にはとても感謝している。自分は本当はまだ生きていたかったんだと思う。計り知れない絶望の中で声を掛けてくれて、近すぎず遠すぎない距離感で接してくれたこと、本当にありがたかった。

 あんな形での出会いだったけど、絶対に忘れたくない思い出。それまで消えてしまうということなのか。


「その、記憶の改ざんをすると、二人のことも忘れちゃうの?」


 美月の気持ちを理解したのか、陽は少し俯き口を開く。


「そうだね。そもそも、俺たちと出会ったってことを一番に忘れてもらう必要があるから、美月はあの日の記憶に戻ると思う」


「……そっか」


 あの日に戻ったら、きっと今度こそは……。

 美月の考えは決まった。二人のことを忘れたくない、あの日の気持ちを思い出したくない、そんな動機だったがそれで充分だった。


「私を、組織に入れて」

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