第4話 討伐
「ってのが昨日帰った後の話だ」
「なるほど。それじゃあ真佳はこの世の為に悪魔を倒すことを決心したわけだね」
いつものように屋上で飯を食いながらした話をした。聞き終わった滋郎は、冷静にそんな恥ずかしいことを言った。
「別にいつもの延長線だ。そんなたいしたことじゃないってーの」
「そんな照れなくても。でも事実そういうことになると思うよ」
そんなに大げさなことかと思っていると、どこからともなく声が聞こえてきた。
「でも、そのくらいの気持ちでいてくれた方がありがたいわね」
音を立てることもなく近づいてきたのは、黒い猫の姿をした魔女だった。
「私もそこまで話を飛躍するつもりはないけど、最悪そこまでの事態にはなる可能性はあるってこと」
「それじゃあ、問題無いな。契約も済ませたんだし早く残存勢力とやらをやっつけちまえばいいんだ」
「そんなに簡単にはいかないわよ。確かに契約したから魔力感知の制度は上がったけど、向こうも対策はしてるわ。それを簡単に見つけるなんて無理」
「それじゃあ、どうやって敵の居場所を突き止めるんだ」
「とりあえず、プロテクトを迂闊にも外した間抜けから叩いて行くっていうのと、契約した瞬間は魔力が上がるから、それを感知して、まだ準備出来てない時に潰すっていうのがセオリーかしらね」
何とも卑怯な作戦だと思ったが、それに対して文句はない。ただ疑問はある。
「一つ思ったんだが、敵の大将を叩いちまえば終わるんじゃないのか。一番強い奴が頭なんだろうし、その位の強い魔力なら尻尾ぐらいは掴めそうだと思うんだが」
「さすがにそれは厳しいと思うよ」
猫よりも先に口を開いたのは滋郎だった。
「敵もそれを一番恐れているんだ。何があっても司令塔、頭は隠しておく。不要な駒を使っていかに相手の大将を落とすか。チェスと同じだよ、真佳だって分かるだろ」
そう例えられると分かりやすい、チェスは数少ない俺の得意分野だ。
「なるほどな。確かにそれを考えると、魔女の作戦は効率がいいってことだな」
頷いている俺に向かって魔女は訝しい視線を送ってくる。呆れているのかと思ったがどうやら違うようだ。
「いつまで魔女、魔女呼んでるのよ」
「仕方ないだろ、悪魔って名前とか無いんだろ」
「あるわよ」
「えっ、あるんだ……」
名乗らないもんだからてっきりと、そんなモノは存在しないモノだと思い込んでいた。聞いても良いのか躊躇ったが、一応聞いてみると案外あっさりと答えた。
「ルナ。それが私の名前」
「何だ、普通の名前だな」
「どう普通なのよ」
「そう言われると答えられないけどさ」
名前があると聞いた瞬間、ダーダランヘンタラホンタラ、みたいなもっとおどろおどろしい名前だと思っていたとは言えない。
「まあ、別にいいけど」
相変わらず興味なさそうにあくびをしているが、肝心な話を聞いていない。
「話を戻すが今の話を聞く限り、現在は誰かと契約している魔族はいないってことなんだな」
「そうね、さすがに誰かと契約すると使える魔力は跳ね上がるから、滅多な事が無い限り感知出来ると思うわ」
妙に引っかかる言い方をする。その理由は何となくわかった。
「つー事はだな、魔力が上がらなかった時は感知出来ないってことなのか」
「ご明察。やっぱり勘だけはいいのね」
「勘だけとか言うな!」
俺の反論を無視してルナは続ける。
「私みたいに、魔力が高くて自分の思想に合う人間を捕まえる事が出来たらいいけど、なかなかそうも行かない。最悪、魔力は低いけど自分の思想に合う人間を選ぶという可能性は大いにあるわ」
俺の魔力が高いみたいな言い方をしていることに反論しようと口を開くが、そのより先に滋郎の声が聞こえたので諦める。
「それはつまり、それだけのデメリットを取っても自分たちのやろうとしている事は実行出来るってことだね」
「そういうこと。世界の崩壊を望んでる人間なんて山のようにいるだろうから、数を使えば何とでもなるわ。それこそ、使い捨ての駒のようにね」
「使い捨て?」聞き捨てならない。世界の滅亡を望んでいる人間というのも。
「人は力を使うことに限界がある。無茶をすれば、その限界なんて一日で超えちゃうわ」
「確かに、人は普段生活しているのに自分でどれだけ全力を出そうと試みた所で約三割も力を使えない。それを十割使えるようにしてしまうってことかな」
ルナの言葉に納得したかのように滋郎は頷いている。
「まあ、だいたいそんなところね」ルナも否定しない。
「それ大丈夫なのか。契約したところを攻撃するって事は、その瞬間にそれをされちまうって可能性もあるってことだろ」
「その可能性は低いと思うわ。契約したところですぐに魔力が使えるようになる訳じゃないから。それに、そんなことされる前にやっつけちゃえば良いだけの話だしね」
楽観的な口調を聞いていると不安はでかくなる一方だ。
「本当にそんなに上手く行くのか」
「そんなの当たり前じゃない、上手くやらないとこの世界は滅びるのよ。上手く行く、行かないじゃなく、やらなきゃ駄目なの。それに、私たちには色々な制約がかかってるし、滅多な事がない限り人が死ぬって事はないわ」
滅多な事があれば人が死ぬのかとツッコミをいれようとしたがギリギリのところで思いとどまった。その答えを聞きたくなかった。
「俺としてはサクッと見つけ出して、パパッと倒したいモノだけどね」
「そう簡単に行けば――」
妙な所で区切りを入れたと思うと、急に動きが止まった。彫刻にされた猫と言われても間違うほど見事な固まり方だ。
「おい、どうしたんだ」
返事をするどころか、声が届いてるようにも思えない。思わず滋郎の方を向いてみるが、肩を竦めるだけだった。
「こっちのことをお構いなしだな」
「何か理由があるんじゃないの」
「そうは言ってもよ――」
「行くわよ」
急に口を開いたかと思うと突拍子のないことを言い放った。 ルナの事を放ったらかし会話をしていたことに怒ったのか、若干棘のある声に聞こえた。
「はあ!? 行くったってどこに」
「そんなの決まってるじゃない。私の……いえ私達の敵の所よ」
「行くったってこんな急に!? どうやって! どこに!」
「大丈夫よ、私達の出会った時の事忘れたの?」
余裕の様子で言い放つが、脳裏に悪夢がよみがえる。
「またアレやるのか……」
「一刻を争うのよ、当り前じゃない。ほらすぐに行くわよ」
言うなり素早く俺の肩に飛び乗る。
「ちょっと待て! 心の準び……」
俺が言い終わるよりも先に、空間が歪み始めた。歪んで行く空に別れを告げながら混沌に身を投げ捨てた。
辺りは白かった。目の前では白い何かが舞っている。
「痛い! いや、寒っ!?」
神経が狂いそうな空間の旅から解放させた瞬間に、肌を刺す様な痛みがその酔いを一瞬にして忘れさせる。ってか寒すぎるよ!
「あら、鈍感な貴方でも寒さは感じるのね」
「当たり前だろ! ってかなんでお前はそんなに平然としてるんだよ! それにここはどこなんだよ!?」
「私には魔力があるからね。気温なんてモノはあってないようなモノだから。常に心地よい温度を保ってるわ。ああ、ちなみにここはオイミャコンって所らしいわよ」
「どこだよ!」
「うーん。ロシアって国の北の方らしいわ」
「ロシア!?」
そりゃあ寒いに決まっている。冬のロシアは最高気温ですら-の域だ。
「ほら、ぐだぐだ言わないで、さっさと行くわよ」
「行くわよじゃ無いだろ! 寒さだけでいいから何とかしてくれ! すでに皮膚の感覚が死んでる気がする!」本気で死んじまう
「我がままね。ホントに人間って不便なんだから」
ルナが溜息を一つ吐くと、その白くなった息が宙に浮き奇妙な絵を描き始めた。髑髏のようにも悪魔のようにも見える。
「何だよコレ」
震える声でルナに問いただしたつもりが、それとは別のしゃがれた男の声が聞こえた。
「何だよ、とはずいぶんなぁ挨拶だな。おい」
目の前まで浮いてきた髑髏型の煙がしゃべったように見えたが、気のせいだろうか。
「気のせいじゃねぇって、これだから人間って奴はよぉ。自分の目で見たモノも信じられねぇのか」
「やっぱりこれが喋ったのか……」
いい加減デタラメ劇場にも慣れてきたせいか、驚きよりも先に呆れてしまった。
「おっ、案外飲み込みの早い奴だな。まあ、さすが姫に選ばれただけの事はあるってことかぁ」
「姫?」
「おう。我が主ルナ様の下部に選ばれるてぇのが、どれだけ光栄な事か教えてやるよ」
「それは何かの比喩か?」
「比喩? 面白い事を言うねぇ後輩君。まず先に我らが主がどういった方なのかを説明しないと……」
「ロスト。そんな説明はいらないから、早くそいつに温度調節してあげなさい。早い方がいいのは貴方も分かっているでしょ」
ロストと呼ばれた煙が無駄口を叩いているのを見かねたのか、やや棘のある口調でルナが指示を出す。
「いや、しかしですね。姫様――」
「いいから早く」
「御意に」
何かを諦めたかのような雰囲気を漂わせ、ロストは髑髏のような形状から円状に変化していく。
「一体何を――」
「黙ってなさい」
鋭い言葉が飛んできて、思わず口を紡ぐ。その間にロストの形状変化は完了したようだ。美しい円形を描くその中には見たこともない入り組んだ模様が浮かび上がっている。魔法陣というのが適切なのだろうか。
「それじゃあ、行くぜ」
ロストの合図と共に、魔法陣から見えない何か出て来たように感じた。その存在を確信したのは、俺の体にまとわりつく気味の悪い感触が教えてくれた。生暖かいジェルのような感触が神経を刺激して行いく。
「何だよコレ! 気持ち悪っ!」
見えない感触と格闘してみるが、どうやら無駄のようだ。
「文句を言うんじゃねぇよ。そいつのおかげで、もう寒くねぇだろ」
「ん? そう言えば寒さは無くなったな。こいつのおかげなのか」まあ、寒さを超えた痛みしかなかったけど――だが、粘膜が纏わりつく気持ち悪さは拭えない。
「貴方のワガママを叶えてあげたんだから、遊んでないでさっさと行くわよ。ロストもありがとう、もういいわよ」
「必要とあらばいつでもおよびを」
それだけを言い残し、ロストは水が蒸発するように宙へ消えていった。それを見送ってから、ルナは再び俺の左肩へと飛び乗ってくる。
「それじゃあ、今から敵の目の前まで行くから覚悟して頂戴ね」
「まだ、あれをやるのか!? 敵の近くまで来てるんだろ!」
「近くには来てるけど、さすがに距離が遠いみたいだからね。大まかに飛んできただけよ。でも次が本命、すぐに着くから安心して」
「ちょっと――」まて
言おうとした瞬間に景色が変わっていくのが分かった。でも、何かがさきまでとは違った。その正体を明らかにするよりも先に、一人の青年の姿が目に飛び込んできた。
「もう着いたのか。さすがは姫君といったところだ」
状況を把握しようと思った所で、誰かの手を打つ音が聞こえてくる。目の前の青年は立ち尽くしているだけだ。音の出所を探してみるが、それらしい奴はいなかった。
「せっかく来てあげたっていうのに、全くの下っ端だったわ。残念」
そんな俺を他所に、ルナはため息混じりに呟いている。
「さっさと終わらせるわよ」
まるで緊張感の無い様子で、俺の肩の上で体を伸ばしている。それが気に障ったのか目の前の青年は小刻みに震え始めた。
「おい、大丈夫か。相手さん、随分と怒ってるように見えるのだが」
「図星を付かれて怒るとか小物以下ね。登場人物Aですら無いわ。やられ役A――むしろ背景Aっていうのがふさわしいかもね」
「このアマが! 調子に乗るんじゃね――」
青年の頭のてっぺんから、声と共に黒い物体が出てくるのが見えると同時に俺の脊筋が凍った。矢のような光が、俺の頬を掠めたからだ。
しかし、光の矢は俺に危害を加えることなく、青年の頭上へと一直線に飛んで行く。黒い目標は一瞬にして粉々に崩れ行く。
「こっちのモーションにすら気が付かないなんて、ホントに雑魚だったわね。それじゃあ、帰るわよ」
「おい、帰るって……大丈夫なのか。あの人は放っておいて」
魂が抜けたように地面とキスをしている青年に目をやる。
「問題ないわ。心の弱い人間だと精神ごと持って行かれちゃうから、その反動で気絶してるだけ。しばらくすれば元に戻るわ。自分が何をしていたかは記憶にないでしょうけどね」
よく分からないが、なんだか嫌な気分だ。
「それじゃあ、戻りましょうか」
その言葉で、心臓が飛び跳ねた。
「もう、帰るのか」情けないことに、顔が引きつっているのが自分でも分かる。
「当たり前じゃない、もう用事は済んだのよ」
俺の気持ちを理解出来ないのか、単なる嫌がらせなのか知らないが素知らぬ顔で俺の肩に飛び乗ってくる。あの慣れない感覚は思い出しただけで吐き気がしてきた。
「なあ、別の方法で帰れないのか?」
「あるにはあるけど、お勧めはしないわよ」
「なんだよ、もったいぶった言い方しやがって」
「別にそんなつもりじゃないんだけど、空間移動が慣れないのは分かるけどあれ以上に便利な移動方法なんてないわよ? それに、そろそろ慣れる頃合いだと思うから、そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「やっぱり勿体ぶってるんだろ、そうやってごまかすなよ」
「それじゃあ、教えてあげる。飛んで帰るのよ」
「飛ぶ? 空を飛ぶってことか?」
「そう」
「じゃあ、別に危険なんてないじゃないか」
「それはどんな寝言かしら? 空を飛んで日本まで帰るとかどれだけ時間がかかるかわかってるの?」
「時間?」
「そう。空を飛んで移動しようと思うと、魔力の消費は格段に上がるわ。それにそんな姿を誰かに見られても困るから迷彩を掛ける魔力も必要。そうなってくるとスピードも出せない。時速五十キロが精一杯ね。その上に一度目的地をセットして魔法を発動したら、目的地に着くまで止まらない。私は別に大丈夫けど、あなたは何日も飲まず食わずで生きていけるの?」
「……それ、本当なのか」
「あら、疑ってるの? それじゃあ、その方法で帰ってみる?」目がマジだ。
「わかったよ。それじゃあその方法は無し。さっきの空間移動で帰ろう」
「そうね。私もそれをお勧めするわ」
それじゃあ、と一言つぶやくと同時に目の前に見なれた光景が飛び込んできた。
「出てくる時も急なんだね」
滋郎はめずらしく驚いた顔をしていたが、いつもの冷静さは失われていない。日常に戻ってきた事を実感していると、そいつをぶち壊すようにルナ声が聞こえる
「さすがにこんなに連続で移動すると、少し疲れるわね」
そう言いながら、いつものように欠伸をくれているが、俺には確認したい事があった。前回は混乱で考える余裕がなかったが、今回は違う。
「滋郎、俺たちが帰ってくるまでどのくらいの時間だった」
「5分ってところかな」
そう考えると、実質ロシアにいた時間=あの悪魔みたいなのを倒していた時間。やっぱり移動に使用した時間はほぼゼロだ。あれだけ長時間に感じたのも感覚の問題でしかなかったって事だ。
それ以上に驚いたのは、あれほど苦しんでいた目眩が今回はまったくなかったことだ。
「案外早く慣れたものね。もう少し時間がかかるものだと思っていたけど」
つまり、もう少しはあの地獄を味わうのを想定しないと駄目だったってことか。考えただけで恐ろしくなる。
「いいじゃない、結果もう慣れたんだから。気にしないの」
「そうだよ、面倒なことをいちいち気にしないのが
薄い笑みを浮かべながら言う滋郎に反論出来ない自分が悔しい。
「わかったよ、気にしなけりゃいいんだろ。全部俺が悪いんってことだな」
「「そう」」見事にハモりやがった。
「まあ、いいよ。それで、悪魔は後何体ぐらいいるんだよ」
「さあ」
気楽な感じで欠伸をしているが、そんな答えはないだろう。
「実際分かんないんだから仕方ないでしょ」
「それ、いつ終わるかわからねぇってことかよ」
「まあ、そんなに時間はかからないと思うわ。相手の頭をたたけば全ては思わるはずだから」
やれやれだ。なんだかとてつもなく面倒な事に巻き込まれた――いや待て。
「なあ、聞こうと思って忘れてた。今思い出したんだがな。お前が悪い悪魔って事はないのか」
その言葉を聞いてため息をついたのは、ルナではなく滋郎だった。
「真佳。それはこないだも話しただろ、彼女たちに善悪はないんだ」
「いや、それは分かってる――いや、そうか。すまん、忘れてくれ」
悪は己の中にある。一歩間違えば、悪になるのは俺だ。
「そういうこと。あなた、私があそこであの人を見捨てたのが気に食わなかったんでしょ」ばれてる。
「そうだよ。ほんとはお前悪い奴なんじゃねぇかって疑っちまった。でも違うんだな」
「いえ、違わないわよ」
肯定されるとは思ってなかった。
「人間からすればどうあっても私たちは悪よ」
どこか悲しげにいうルナを見ると何も言えなくなった。
そうして、素敵で愉快で悲しい一日は過ぎていく。
魔+(まプラス) 猫と目と戦 Zumi @c-c-c
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