第3話 契約

 今日は昨日に引き続きどんよりとした灰色の雲が空を覆っていた。姉貴に絞れられた俺の気分を反映しているかのようだ。

 滋郎に会えば少しぐらいは気が晴れるだろうと教室に入ったが、その姿を見つけることは出来なかった。

「なんだ、まだ来てねーのか」

 昨日あった事を話したかっただけに、さらに力が抜けてしまう。昨日姉貴が帰った後に頭を整理してみたんだが、それが正しいのかがわからなかった。滋郎の意見を聞きたかった。

 何も書かれていない黒板をぼんやりと眺めながら、滋郎が来るのを待っていると、俺の耳だけを狙い、それ射ぬくように鋭い声が、足音と共に俺の方に向かってきた。

「ちょっと、御崎君。変な噂を聞いたんだけど、確認してもいいかな」

 口元しか笑っていない笑顔で、一人の女子生徒が俺の前に立ちはだかった。

「なんだよ委員長。別に何も悪い事はしてないって」

 クラス随一のおせっかい焼き委員長は、なんでもかんでも口を挟んでくる。ゆえに委員長になっている訳だが。

「そうね、悪い悪くないは他人が決めることだからね。でもね、これは委員長としてじゃなく、私の親友を泣かせた理由を確認しにきたの」

「なるほど。サクラからご依頼があった訳か」

 どうしてサクラが泣くのかはわからないが、たぶん実際には泣いてはいないんだろう。まあ、あんな現場を見て、冷静でいられるヤツでもないのは知っている。自分の事で必死過ぎて、サクラの誤解を解くのを忘れていた失態に今更気が付いた。

「それならサクラと直接話しをする。無関係な奴に話すことでもないからな」

 なにやら不審な目で睨んでくるが、他人を通して伝わった話が真実だった試しなんて一度もない。そんなハイリスクは、まったくもってご遠慮願う。

「二人で睨み合ってなんの話」

 俺達が不毛な争いをしている間に、全女子生徒の半分に恋心を抱かれている校内一の面が御到着されていたようだ。その薄っぺらい笑顔に安堵する。

「も、守藤君――ごめん。邪魔だったかな」

 委員長は急に顔を赤らめ、一歩後ずさる。そこまで分かり易い反応しなくてもいいだろうよ。だが、滋郎もそんな反応には慣れている。

「別に邪魔って事はないけどね。面白そうな話をしてたら気になったんだよ」

「ううん。そんな大した話してないから。それじゃあ、私は戻るね」

 逃げるように立ち去って行くが、さっきと言っている事が逆転している。

「大した話じゃない……ね」

「それで、本当にいったい何の話だったんだい」

 興味があった訳ではないだろうが聞いてくる。普段ならそんな野暮な事を聞いてくることはない。滋郎の勘の良さには脱帽モノだ。

「まあ、それは昼休みにでも話す。もうHRが始まっちまうから」

 それと同時に間の抜けたチャイムが鳴り響き、クラスメイト達が席に戻って行く。

「それじゃあ、また後で聞くよ」

「おう」

滋郎が席に戻ると同時に、担任が教室に入ってくる。その後ろから付いてくる美女が見えた瞬間、教室の中がざわついた。クラスメイト達--主に男どもの声のトーンが上がっているようだが、その内容を把握する余裕はなかった。

「今日からお世話になる、加藤 真琴です。よろしくお願いします」

 魔女の如くにっこりと微笑みながら挨拶する姿に、全男子が低い声で歓喜している。

「一番後ろに席を用意したから、とりあえずはそこで授業を受けなさい」

「はい。ありがとうございます」

「それじゃあ、他に伝達事項はないから、今日のHRはこれで終了。一時間目が始まるまで静かに待ってろ」

 ぴしゃり、とドアが閉まる音と共に担任の姿が消える。それを合図にしたかのように、クラスメイト大半が魔女の方に目をやるのが分かった。あちらこちらでざわついているが、そのほとんどが魔女の容姿に対することだと分かった。本人はまるで気にしていない様子なのは、さすがなんだろう。俺もその視線達に紛れてちらりと魔女に目を向ける。

「頼むから、学校内で俺に話しかけないでくれよ」

 誰にも聞こえないように、そう呟いてみた。それが魔女にだけは聞こえたのかは知らないが、魔女の口元が少し動いた。

“それは貴方の決めることじゃないわよ”

 何故か、そう言ったのがはっきりとわかった。

「勘弁してくれよ」

 こうして今日も、素敵に愉快などうしようもない一日が幕を開ける。


 突然やってきた魔女は、瞬く間に人気になった――但し、大半は男子だ。若干の女子の姿見えるが、どれも噂好きで知られる子だ。

 休み時間ごとに各教室からぞろぞろと野郎共が現れる。それも違う学年の奴らも当たり前のように姿を見せている。その気持ちはわからなくもないが……

「さすがに集まり過ぎだね」

 滋郎は俺の隣で悠々とそんな分析を始めている。

「まあ、お前の時もこんな感じだったからな。一週間もすれば来る奴もいなくなるだろう」

 もちろん、その時に集まってきたのは女子達だった。その癖に、今の状況を見て

「これだから男子は」

「スケベ」

「いやらしい」

 などと、教室の外からも中からも聞こえてくる。

「自分たちの事は棚に上げて、勝手だよな」

「仕方ないよ、人間なんてそんなモノだからね」

 その時に騒がれていた本人は涼しい顔をしている。当時全ての黄色い声を無視し続けていた滋郎だったが、それと比べても魔女の無視っぷりも見事だ。ガヤ付いている外野なんていないかの様に、優雅に本を読んでいる。名前を呼ばれているにも関わらず、見向きもしようとしない。

「あれはすごいよね。初日からあの態度は中々出来ないよ。初めからあれをしちゃうと敵の数が恐ろしく増える。同性からのね」経験者は語る。

「まあ、アイツからすれば、そんなこと関係ないんだろうよ」

 そう言いながら、昨日の話を思い出していた。魔女が去った後、姉貴は料理を作っている間、延々と説教と見せかけた愚痴をこぼしていた。

「なんで、あんたみたいな出来の悪い男に――」

「私にも彼氏なんていないのに――」

「ナンパすらされたことないのに――」

 だらだらと悲しい女アピールをしてきたが「そんなこと言ってるからだ」とは口が裂けても言えなかった。黙って聞いているのが一番の安全策だというのは、過去の経験から学んでいる。しかし、ダラダラと聞かされる身内の愚痴程楽しくないモノもない。

 ようやく声が聞こえ無くなると同時に、山のように盛られた肉野菜炒めがテーブルに運ばれてきた。

「それじゃあ、私はすぐに帰るから。片づけは自分でしなさいよ」

 作るだけ作って帰って行く、それがいつものパターンだが、今日は珍しく腰をおろしていた。

「あれ、帰らないのかよ」

「誰が今帰るって言ったの」

「誰も言ってねえな」

 嫌な予感しかしなかった。さっきの事は何とか誤魔化すつもりだが、表情に出ないかが心配だ。何を聞かれても大体シュミレーション出来てはいる。

「あの子は一体何なの?」

「だから、転校生だって言ってただろ」

「そういう意味じゃなくて、本当に人間なの?」

 心臓が体を突き破ってくるかと思うぐらい、大きく弾んだ。いくら勘の鋭い姉貴でも、そこまで気付いているとは思ってなかった。

「人間じゃないの?」

 声を上擦らせてしまったが、姉貴は驚いたせいだと勘違いしてくれたようだ。

「ホント昔から鈍感ね――いや、むしろ逆なのか」

「何がだよ」

「そういうのが当たり前すぎて、何も感じなくなってるのよ。昔だってしょっちゅう幽霊と話してたしね」

 それを言われると何も返すことは出来ない。そのおかげで昔から変人扱いをされたのはいい思い出とは言い難いしな。

「私は、あんたほどじゃないからほとんど見えたりはしないけど、強いモノは少しくらい見えるし、感じたりするわよ。でも、やっぱりあんたは気付いてなかったのね」

 大きく溜息をついているが、それは諦めから出たんだろう。

「まあ、気付いてて近づいた訳じゃないからいいわよ。でも、今後あまり近付かないようにするのね」

「出来る限りそうするように努めるよ」

 その言葉にウソはなかった。

「わかってるならいいわ。それじゃあね、また来週くるから」

 いつものように次回予告をして帰って行った。ドアが閉まる音とほぼ同時に、ベランダから物音が聞こえてくる。

「貴方の姉も中々やるわね。さすがに油断しちゃったわ」

 先ほどと変わらぬ飄々とした態度で、当り前のように部屋に侵入してくる。

「ってか、どうやってここまで来たんだよ!」

「さっきドサクサに紛れて解錠しておいた」

 顎を突き出しドヤ顔でこちらを見てくるが、問題はそんな事ではない。

「そういう意味じゃなくて! ここ十二階なんだぞ!」

「むむ」

 急に難しい表情になったが、どうやら怒っているようだった。

「私を誰だと思ってるのよ。この程度の高さ何ともないわ。甘く見ないで」

「甘く見るとかそういうレベルじゃねー……」

 もはや驚き通り越して呆れに変わってきた。やれやれと座った所で俺は大切なことを思い出し、顔を上げた。

「そういえ――」

 その先は言葉が繋がらなかった。正確言うと言葉を発することを妨げられた。俺の目には魔女の瞳が映り込み、音声を伝えようとした唇にはとろけそうな柔らかさと、絶妙な弾力に支配されていた。

 しばらく何が起きているか分からず、頭が真っ白になる。とは言っても、ほんの二、三秒間だった。現状を確認しようと思った瞬間、火を放りこまれたかのような熱さと、焦げ臭さが俺の口内を支配した。強烈な衝撃で魔女から逃げるように離れた。

「急に何しやがる!」

 やっとの思いで口を開くが、魔女は何事もなかったかのように涼しい顔をしていた。

「熱かったのは私も同じよ。ほら」

 ぺろっと可愛らしく舌を出したかと思うと、そこには黒い羽の模様が描かれていた。

「そんな所に入れ墨するなんて悪魔も変わってんな」

「何間の抜けた事言ってるのよ。これは今出来たの。もちろん貴方にも同じものが出来てるわ」

「俺も?」

「そう、貴方も」

 近くの棚に入れてあった鏡を取り出し、俺も同じように舌を確認する。そこには、確かに同じ模様が刻まれていた。

「もしかして、これが契約の証なのか」

「そう。これで、私達は何をするにおいても共犯者って事ね」

「共犯者って……」なんて物騒な。

「別に物騒でも何でもないわよ。実際倒すか、倒されるかの世界だし」

「まあ、そうだな。その悪魔を倒さない事には、こっちの世界で色々まずいことが起きるんだろ――ってかお前、今ごく自然な感じで俺の心をトーレスしやがったな。それは猫の時にしか出来ないんじゃ無かったのか!」

 ふと気付いた疑問だったが、魔女は平然としている。

「何言っているのよ。今さっき言ったでしょ共犯者だって。契約したんだからそれぐらいは出来て当然」それは良いことを聞いた。

「って事はだな、俺もお前の思考を読みとれるってことだな」

「それは無理」

「何でだよ!」理不尽だ

「私がやり方を教えないから」ずり―なおい

「でも、安心して。他の魔力の使い方はいくらでも教えてあげるから楽しみにしてなさい。それに貴方が危険になったら私が全力で助けてあげるから」

 そんな事をデタラメに素晴しい笑顔で言うもんだから、俺は黙ってうなずく事しか出来なかった。ってかやっぱり危険になる事があるんだな。

 こうして、素敵で愉快な壮絶なる悪魔狩りが始まったのである

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