柳と赤子

空木真

柳と赤子


昔々、ある深い山の中に、

山神様のお住みになられている森がありました。


そこは時折ときおり旅人が通る程度ていどで、

ほとんど人間が来る事はありません。


なので、

木々の精霊達は安心して毎日を過ごしていました。


そんな木の精たちの事を、

山神様は守っておられましたが、

たった一つ、悩んでおられる事がありました。


それは、やなぎの木の精の事です。


このやなぎの精はとても我儘わがままで、

誰の話も聞きません。


それに、他の木の精と違い、

人間が大嫌いでした。


なぜかというと、

やなぎは風にゆらゆらとれるのが大好きでしたが、

人間はそれを見ると


気味きみが悪い」


「幽霊がいそうだ」と、


勝手に悪く受け取って、

やなぎを悪く言うからです。


ですから、

わざと葉をつける事をやめて、

いつでも枝だけの姿でゆらゆらとゆれては

旅人をおどかしていました。


夏でも冬でも葉を付けず、

風も無いのにゆらゆら揺れるやなぎを気味悪がり、

とうとう旅人達はこのやなぎ


「お化けやなぎ


と呼ぶようになったのです。


山神様や仲間達がいくらめるように言っても、

やなぎの精はそっぽを向いてしらんぷり。


「皆、お前の事を心配しているのだ。


あまりに人間に悪さをしていると、

彼らはお前を切り倒してしまおうとするだろう。


そうならないように注意しているのだから、

他の者の話を聞きなさい。」


山神様がそうおっしゃっても、


「嫌です。

私は、私のしたいようにします。


何かあっても、

私が責任を取ればよいのでしょう?」


そう言うだけで、

またそっぽを向いてしまいます。


山神様はただ深い溜息をつき、

そんな柳を困った顔で見つめていました。



そんなある日。



このやなぎの木の側を、

布のつつみをかかえた一人の女の旅人が、

通りがかりました。


旅人は立ち止まってやなぎを見ると、

まゆをしかめてこう言ったのです。


「本当に、葉が無いのねぇ。

他の人の言う通り、なんて気味が悪いのかしら。」


それを聞いたやなぎの精は、

このとても失礼な旅人に怒りました。


(ここで迷わせて、出られなくしてやろう。)


やなぎの精がそう決心して、

力を使おうとした時です。


どこからかやなぎが聞いた事の無いぐらい、

大きくてうるさい泣き声が辺りに響き渡りました。


おどろいて力を使うのを止めてしまったやなぎの前で、

旅人はかかえていたつつみを優しく揺らしながら、

それに向かって話しかけます。


「よしよし。

もう少し、我慢してね。

もうすぐ村に着くからね。」


よしよし。


と、繰り返しそれに語りかける旅人が気になり、

やなぎはその腕の中のつつみをのぞき込んでみました。



すると、

そこには泣きじゃくる小さい顔があったのです。



ここを通る旅人は、

皆大人ばかりだったので、

柳は赤子あかごを見たことが無かったのです。


泣いている赤子あかごを見つめていると、

そのまんまるな目とやなぎの不思議そうな目が合いました。


すると、

赤子あかごは少しづつ泣き止み、

やがてやなぎを見ながらうれしそうに、

可愛かわいらしい声を上げてにこにこと笑いだしたのです。


やなぎは今まで、

人間に笑いかけられたことが無かったので、

大変おどろきました。


呆然ぼうぜんとしているやなぎの側を、

泣きんだ赤子あかごを連れた旅人が、

嬉しそうに通り過ぎていきます。


(今の、小さい人間はなんだろう?

どうして、嬉しそうに笑ったんだろう?)


考え込むやなぎの耳に、

他の木の精の声が聞こえてきました。


「あら、久しぶりに人間の赤子あかごを見たわねぇ。」


赤子あかご可愛かわいいのは、人間も動物も同じよね。」


(あかご。あの小さい人間は、赤子というのか。)


その日から、

やなぎは赤子の事ばかり考えるようになりました。


泣き声はうるさかったけど、

笑顔を向けられたのがとても嬉しくて、

やなぎはその気持ちが忘れられなかったのです。


そんな事を毎日考えているうちに、

やなぎは人間の赤子あかごが欲しくなってしまいました。


(どうやって赤子あかごを手に入れよう。)


と、そんな恐ろしい事を考えるように

なっていったのです。




やなぎ赤子あかごを欲しがるようになってから、

幾年いくねんかがちました。


冬になって、

やなぎや他の精たちが春を夢見てうとうとしていると、

突然大きな泣き声が、やなぎの足元から辺りに響き渡りました。


おどろいたやなぎが木の根を見てみると、

そこには、何時いつの間にか布につつまれた赤子あかごが置かれていて、

元気よく泣いていたのです。


「人間の赤子あかごだわ!」


「誰かがてていったのね。」


可哀想かわいそうに・・。」


他の仲間が口々に言う中、

柳はあの旅人と同じように、

そっと大事そうに赤子あかごかかえてみました。


(温かい。小さくて、やわらかい・・。)


「よし、よし。」


口に出して言いながら、優しく揺らしてみると、

泣いていた赤子あかごは少しづつ泣きみ、

やがてにこにことやなぎに向かって笑いかけました。


「山神様!こちらです!」


やなぎや他の精がほっと一息ついていると、

誰かがこの事を伝えたらしく、

山神様が皆の元にやってこられました。


山神様は、

にこにこと嬉しそうに笑う赤子あかごを見て、

とても悲しそうな顔をしました。


「このような冬の山にてられたという事は、

この赤子あかごの親は戻っては来ないだろう。


やなぎよ、こちらに渡しなさい。


子供を欲しがっている優しい人間の夫婦に、

私がさずけてくるとしよう。」


山神様はそうおっしゃって、

やなぎから赤子を受け取ろうとしました。


しかしやなぎは、

赤子あかごを山神様から遠ざけながら言ったのです。


「嫌です。

私の足元に捨てられていたのだから、

これは私の物。


だから、

私がこの赤子あかごを育てます。」


この言葉に、

他の精たちはおどろいてしまいました。


あわてて口々にめるように言いますが、

やなぎは誰の話も聞かず、そっぽを向いたまま。


めておきなさい。

人間とお前は住む世界が違う。


・・それに、

赤子あかごを(物)というお前には、

育てる事は出来ないだろう。」


山神様もそうおっしゃいましたが、

やはりやなぎは聞く耳を持ちません。


「そうか。


ならば、勝手にするがいい。」


静かな声でそれだけを伝えると、

山神様は山の奥におもどりになりました。


「勝手にするわ。

この子は私の物なのだから、私の好きなようにする。」


やなぎは嬉しそうに笑う赤子あかごを見ながら、

そう言いました。




それからは毎日、

やなぎはとても上機嫌じょうきげんでした。



ずっと欲しかった物が、

手に入ったからです。


他の仲間達は少し心配そうでしたが、

それでも赤子が楽しそうに笑っていると、

それを嬉しそうに見ていました。



次の日も、

赤子あかごは楽しそうに笑っていました。



「何だか、少し元気が無いんじゃない?」


誰かが言いましたが、

やなぎは耳を貸しません。



その次の日も、

赤子あかごは楽しそうに笑っていました。



「昨日よりも、元気が無いんじゃない?」


誰かが言いましたが、

やなぎは耳を貸しません。



その次の次の日も、

赤子あかごは笑っていました。



「何だか、顔色が悪いみたいよ?大丈夫なの?」


誰かがまた言いましたが、

やなぎは耳を貸しません。


赤子あかごを見せびらかしたりする事や、

他の精に赤子の自慢じまん話をする事に夢中で、

そちらに気を取られていたからです。


(赤子が笑っているから、大丈夫。

泣きさえしなければ、大丈夫よ。)


そう考えていました。



ある朝、

いつものようやなぎが目を覚まし、

赤子あかごを腕に抱きました。


「おはよう。よし、よし。」


そう声を掛けて優しく揺らすと、

赤子あかごが喜んで笑うからです。


しかし、今日は笑いません。


不思議に思い、

やなぎ赤子あかごの顔をのぞき込むと、

赤子あかごは苦しそうに弱々しい息をしていました。


そしてその顔は、

紅葉もみじの葉のように真っ赤だったのです。


その体もとても熱く、

小さく震えていました。


やなぎあわてて赤子あかごに声を掛けていると、

異変に気付いた仲間たちが側にやってきました。


「どうしたの?」


「あ、赤子あかごが・・。」


やなぎが腕に抱いた赤子あかごを見せると、

仲間達はその様子にあわてながらも、

この森で一番物知りの、杉の木の精を呼んできてくれました。


「うぅむ・・。」


赤子あかごを見ていた杉の精は、

そううなると小さく首を横に振りました。


「この赤子あかごは、弱っておる。


本来、人間である赤子あかごは、

この冬山ふゆやまの寒さにえる事は出来ぬ。


しかし、

この山が聖域だったことがさいわいして、

この赤子は今まで寒さから守られ、

なんとか生きておった。


・・だが、

ここに赤子あかごが食べられる物は無い。


食べ物を食べず、

寒い風にさらされ続けていた事で、

病気になってしまったようじゃな・・。」



それを聞いたやなぎは、

大変おどろいてしまいました。



やなぎは木の精なので、

病気になる事はありません。



それに、水とお日様の光さえあれば、

食べ物を食べる必要もありません。



だからやなぎは、

赤子あかごが何かを食べる事を知らなかったのです。


それを伝えると、

杉の精は驚いた顔をして、次に怒って言いました。


「なんと!


お前さんはそんな事も知らぬのに、

この赤子あかごを育てると言ったのか!


このままでは、

この子は死んでしまうぞ!」


やなぎはどうしたらよいのかわからなくなり、

とうとう泣きだしてしまいました。


「どうしたのだ?」


皆が驚いて声のした方を見ると、

そこには山神様が立っておられたのです。


やなぎはその側にり、

弱っていく赤子あかごを見せながら説明しました。


そして、


赤子あかごを助けてほしい」


と願ったのです。


しかし、

山神様は静かに


駄目だめだ。」


とおっしゃいました。


「お前は、

責任を取ると言っただろう?


お前のした事がその赤子あかごの死をまねくというのなら、

それを受け入れ、つぐなうのが責任を取るという事だ。


・・まさか、

そこまで考えていなかったと言うのではないだろうな?」


「わ、私は・・。」


「それに、こうも言ったはずだ。


『赤子を(物)というお前には、育てる事はできない』と。


・・赤子は、命を持った生き物だ。

話す事や、歩く事が出来なくとも。


われらと同じように悲しみ、

苦しみ、痛みを感じとる事が出来るのだ。


それすらもわからぬ、

自分の事しか考えない我儘わがままなお前には、

赤子あかごの親の資格は無い。


まことの親とは、

自分の事を、子供のため我慢がまんできる者の事を言うのだからな。」


そう、冷たい声でそうげると、

山神様は後ろを向いてしまわれたのです。


(どうしよう!私のせいで、この子の命が・・!)


やなぎが悲しみになげき、

苦しそうにしている赤子あかごを見つめていると、



「ひとつだけ。」



と、山神様の声が聞こえました。


「一つだけ、その子を救う方法がある。」


やなぎや、仲間達が見つめると、

山神様はこちらを振り向いておっしゃいました。


「その子の人間としての体は、

もうえられない。


・・しかし、

お前達と同じ精霊になれば、その命は助かるだろう。」


「では・・!」


「ただし!」


希望に明るい表情をするやなぎの声をさえぎり、

山神様は続けられました。


「この赤子あかごを精霊にすれば、

その体は幼い木の芽となる。


雪と吹雪の時期であるこの冬山ふゆやまでは、

1人でえる事は出来ず、れてしまうだろう。


・・そこで。」


山神様はやなぎと苦しそうな赤子あかごを見つめながら、

静かにげられました。


「お前の木に、

この赤子を芽として宿やどす。


そうすれば親子の精となり、

その赤子あかごが幼い精霊になろうとも、

お前の力で寒さから守れるだろう。


・・だが、2人の精を無理に一つの木に宿やどす事で、

お前の木の姿はとても奇妙きみょうな物となり、

人間達にはさらに嫌われるかもしれん。


それに、芽を守るために枝は風に揺れなくなる。


それでもよいのかな?」


その言葉に辺りは静かになりました。


他の精達は、

風がくと優雅ゆうがに揺れる枝が、

やなぎの一番の自慢じまんだと知っていたからです。


仲間達が心配そうに見守る中、

やなぎは静かに口を開きました。


「それでもかまいません。

この子をお助け下さい。

私は、責任を取ると言いましたから。


・・それに、

この子が苦しんでいるのを見た時、

私は気付いたのです。


何をしてでも、

この子を守りたいと思う気持ちに。


自慢じまんの枝を、失ってもかまいません。


この子の笑った顔が見られるのならば・・

他にしむ物など、この世にありましょうか。」


優しい顔ではっきりとやなぎが言うと、

山神様は静かに微笑んで、

やなぎの木に手をかざしました。


すると、

揺れていた枝は天に向かって逆立さかだち、

その先に白い綿わたのような物につつまれた、

奇妙きみょうな芽がえたのです。


そのあまりに変わった姿に皆はおどろきましたが、

やなぎはとても喜びました。


弱っていた赤子あかごの顔色が、

元通りのやわらかで元気な桃の花の色になり、

その体が芽と同じ暖かそうな真白い産着うぶぎに包まれると、

小さな精霊となったのです。


赤子あかごは閉じていた目を開けてやなぎの顔を見つめると、

今まで見た事も無いくらい嬉しそうに笑いました。




「奇妙なやなぎの木がある。」


旅人たちの間で、

姿の変わったやなぎの事は、すぐにうわさになりました。


元々お化けやなぎと呼んでいたため、

彼らはすぐに


「とうとうあのやなぎの木は、

本物の妖怪になり、化け物になってしまったのだ。」


と心無い事を言うようになったのです。


中には、

本当に退治しようとやってきた者もいましたが、

そんなひどい人間達は、

怒った他の精や、山神様に追い返されるのでした。



しかし、そんな事になっても、

やなぎ自身は少しも気にしていなかったのです。



たとえ、大好きな揺れる枝が無くなってしまっても、

大事な赤子あかごを守ったこの姿は、

やなぎにとってほこりでした。




そんなある日、

若い女と年上の女の2人の旅人が、

やなぎの側を通りがかりました。


年上の方の旅人が足を止め、

やなぎの木を見てまゆをしかめて言ったのです。


「本当に、変な姿ねぇ。

他の人の言う通り、なんて気味が悪いのかしら。」


しかし、やなぎは気にしません。

いつも通り、嬉しそうな赤子あかごをあやすのに夢中だったからです。


すると、

それを聞いた若い方の旅人が言いました。


「そんな事をいうものではないわ、母さん。


このやなぎの木だって、

私達と同じで傷つくのよ。


皆がそう言ってるからといって、

悪口を言うなんて間違まちがっているわ。」


その言葉に驚いて、

やなぎは旅人の方を見ました。


若い旅人は優しくやなぎの木を見つめながら、

静かに言います。


「確かに少し変わっているけど、

私はこのやなぎが好きよ。


この芽を見ているとね、

産着うぶぎに包まれて幸せそうに笑う、

赤子あかごのように見えるのよ。


幸せそうに赤子あかごを抱くやなぎ


私には、そう見えるわ。」


すると、

年上の旅人もまじまじと枝を見つめ、

優しく笑っていいました。


「本当ね。


白い産着うぶぎとおくるみに包まれて、

この赤子あかごはずいぶんと大切にされているのねぇ。


・・いつもおりおつかれさま、やなぎさん。」


2人の旅人はやなぎに向かって微笑むと、

仲良く去っていきました。




その日から少しずつ、

やなぎの事を


「化け物やなぎ


と呼ぶものは減っていきました。


何があったのかは、

山から動けない木の精達にはわかりません。


代わりに、赤子あかごを連れた旅人が、

嬉しそうにやなぎの木をおとずれる事が多くなりました。


そんな旅人達を見て、

やなぎも赤子も、幸せそうに笑うのです。


そんなやなぎ達の姿を見ると、

泣いてぐずる人間の赤子あかごはたちまち笑顔になり。


それを見た親達も、

同じ様に嬉しそうな笑顔になるのでした。




そのうち、

旅人達の間で、こんな噂が広まるようになりました。


赤子あかごを抱く、優しいやなぎの木がある。」と。



こうして、

柳はいつしか「た子を抱くやなぎ」、


「ねこやなぎ」


と呼ばれ、いつまでも、

親子の旅人に愛されるようになったのです。

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柳と赤子 空木真 @utugimakoto

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