中編:地獄の沙汰も髪次第

 【髪隠しの館】は今年の冬に全国上映された大ヒットホラー映画だ。

 

 戦前の時代、ある富豪の洋館に美しい髪を持つ婦人が一人で住んでいた。

 彼女は自分の美しい髪だけを愛して生きていたのだが、ある日、不注意で自分の髪の毛を燃やしてしまい、絶望に打ちひしがれて自ら命を絶ってしまう。


 その館には莫大な金品や財産が残されており、多くの者がそれを目当てに敷地に足を踏み入れる。しかし、そこは婦人の怨念が巣食う恐怖の館となっていた。


 悪霊となった婦人は髪の毛を求めるべく、侵入者たちの頭の皮を次々と剥いで殺していく。一度足を踏み入れたら最後、二度と戻れず消えていくその意味も込めて、髪隠しの館と呼ばれるようになった。


「なんて恐ろしい話だ」


 ホラーハウス【髪隠しの館】の入口に掲示された映画説明を目で読んだ俺は思わず体を震わせながら口にする。


 映画のヒットに合わせて、このユニバでもオープンと同時にアトラクションのひとつとして製作されたのがここだ。


 俺は大抵のホラー映画は問題ないが、この作品だけは髪がテーマなだけに痛いほどの恐怖と他人事ではない何かを感じていた。


 俺以外の連中は楽しみなのか、全員がわくわくした様子を見せていた。もちろん鷹山もだ。俺は自分の恐怖よりもあいつのカツラの方が心配だった。


「鷹山、お前はホラーハウスは大丈夫なのか?」

「ええ、大丈夫です。私、幽霊とかお化けの類は全然平気です」


 お前、高いところは平気とか言っておきながら、さっきジェット・コースターのてっぺん付近で気絶したよな?その根拠はどこから出てくるんだ。


「でも、美桂は本当にホラーものに強いよね。一年生の時にこの映画の3D上映に一緒に行ったんだけど、どんなに怖い映像が飛び出しても冷静だったしね」


 鶴見はまるで自分のことのように自慢する。

 だが俺は少しだけ期待と安心をする。それだけホラーに強いのであれば、案外いけるのではないか。


 思えば鷹山の家は尼の家系だ。神仏や霊魂などの考えが身近なのだから、そういうのには慣れっこなのかもしれない。


 俺は不安を抱えながらもみんなに続いて館へと足を踏み入れた。


 このホラーハウスは一斉に人が入って恐怖感が削がれないように、10分目安で順番に一定人数が入館する。よほど奥じゃない限り、この近くにいるのは俺たちだけだ。


 それにしても不気味だ。ホラーハウスなのだから当然だが、薄暗くてカビ臭さと生暖かい空気が混じり寂れた洋館内を見て俺は思った。


 もしかしてこの建物は、本当に文明開化の音がしていた時代から放置されていたのではと思うほどリアルに朽ちている。


 館に入ってからは全員が無言だ。はしゃぐ者は一人もおらず恐る恐る歩いている。外での威勢はどこへ…


『 館を財産目当てで荒らす愚か者よ!! 』


「うぉおおおおぉおおぉぉぉぉお!!!」「きゃああああ!!!」「なんだんだだあうぁあああ!!」「ひぃいいいいいいいい!」


 突然、俺たちの前に、頭が焼けただれたハゲ頭の婦人が宙に現れた。

 それに驚くように全員が絶叫した。


 もちろん3Dホログラムだろうが、これには俺も驚きを隠せない。


『 誰も生きては帰さん…後悔しながら苦しみながら死ね! 』


 そう言いながら婦人は姿を消す。それと同時に、館内に微かな音量で不協和音かつ精神を不安にさせるようなチープな音楽が流れ始めた。


 俺や鶴見、その場にいる全員、表情に余裕はない。ただ一人を除いて。


「うわ。なんか凄そうですね。皆さん先へ行ってみましょう」


 そんな場に似合わぬ爽やかな発言をしたのは鷹山だった。

 誰もが顔も体も強張る中、彼女だけは物静かな態度で歩き出す(カツラ留めのカチューシャがないのもあるだろうが)。


 鷹山の華奢な背中が今日はとても大きく見える。

 それは彼女の度胸の良さからくるものか、それとも俺の畏怖によるものか。いずれにせよ俺は大きな安心感を得ていた。

 

 その後、鷹山の頼もしさは目を見張るものだった。

 館内に散らばる頭の皮を剥がれた犠牲者たち。家具や絵画などが舞うポルターガイスト現象。壁や宙を飛び交う悪霊の群れ。


 誰もがその一つ一つに叫び声と悲鳴をあげる。

 館の中盤に差し掛かる頃には、俺と鷹山を除く全員が真っ白に燃え尽きかけていた。


「鷹山さん凄いね。何が起きても涼しい顔してる」

「流石は美桂だ。それに鷲頭君もあんなに嫌がっていたのに全然余裕じゃん。って言うか、頭以上に目がキラキラしてない?」


 鶴見の言うとおり、俺は鷹山を尊敬の眼差しで見ていた。

 その活躍と功績はこれまでの過ちすべてを帳消しの上、お釣りが出るほどである。


 鷹山にこんなに強い一面があったとは。俺もそのおかげで館内の惨劇はどれも子猫の戯れほどにしか思えないほど微笑ましかった。


「ま、入ってみればなんてことはない。子供だましだな。なあ鷹山…」

「ふふふ。そうですね。もう少しスリリングな仕掛けがあっても私は…」


 ベチャリ ベチャリ ベチャリ ベチャリ

 ベチャリ ベチャリ ベチャリ ベチャリ


 俺は歩きながら、外国人がよく見せる両手を広げて肩をすくめるような「やれやれ」なジェスチャーと小馬鹿にしたような笑いを披露する中、何かヌメリとしたような物がぶら下がるように頭に当たるのを感じた。


 俺以外の全員も同じようなことが起きたのか、全員が口々に小さな声をあげる。これは…こんにゃくか?


 天井から大量にぶら下がってきたのは、紛れもないこんにゃくだった。

 衛生面上、多分作り物だと思われるがよく出来ている。


「そう言えば、婦人は髪と肌の美容のために、こんにゃくが好きっていう映画で唯一の笑えるシーンがあったよ」


 鶴見の説明に俺は納得する。こんにゃくには、髪の毛を守るセラミドという、女性であれば聞いたことがあるであろう、キューティクルとダメージ補修の効果が抜群の食べ物だ。


 これまでの技術を駆使したCGや仕掛けと異なる古典的な演出に「気持ち悪いな」と言いつつ、みんなから笑いがこぼれる。もちろんこれには俺も鷹山も…


「きゃああああああああああああああ!!!!!」


 もとい。鷹山だけは頭を押さえながら、今まで聞いたことのない金切り声のような絶叫をあげた。それに全員が驚くように耳を塞ぐ。


 そして鷹山は叫びながら、ぶら下がったこんにゃくの群れから脱兎のごとく奥へと走り去ってしまった。


 あんなのが恐怖のツボなんですか鷹山さん!?

 多分その場にいた全員が同じことを思っただろう。俺たちは呆然と鷹山を見送ることしかできなかった。


 いや、待て。つまりは今の鷹山は完全に冷静さを失っている。混乱状態の鷹山がこのまま無事に(カツラに何も起きないまま)過ごせるわけがない。


「あいつを連れ戻してくる!」


 俺は鶴見たちにそう告げると館の奥に向かって走る。

 後ろの方から「また、どさくさに紛れて変なことしちゃだめだよ」と鶴見の声が聞こえたが、俺は無視をした。


   ◆


「あいつどこまで行ったんだ?」


 鷹山を追いかけて俺は館の中を駆け巡る。一方通行とは言えど、なかなかの距離を走った気がするがまだ追いつく気配はない。


 途中、次々と恐怖の仕掛けや悪霊のCGが立ち塞がるが、俺は目もくれずに鷹山だけを目指していた。


 …いや、実は途中で髪の伸びる人形の間で、羨ましいなと思い少しだけ立ち止まり眺めたのは、みんなに内緒にしておこう。


 そうこうするうち、俺は館の突き当たりにある一つの扉にたどり着いた。

 時間と距離、演出的にそろそろ出口なのではないかと思いつつ、鷹山が先に出口で無事に待っていることを祈りながら扉を開けた。


「な…なんだこの部屋は!」


 部屋に足を踏み入れた途端、俺は思わず声を漏らす。そこは薄暗い16畳ほどの広さの洋室なのだが、床一面には足首を覆うほどの髪の毛が溢れていた。


 流石は髪隠しの館だ。俺は不気味と思いながら、出口を目指そうと部屋の奥に目をやる。すると、出口の扉の近くで誰かが倒れていることに気付いた。


 あれは鷹山…。薄暗くて少々見えづらいが、あの服装は鷹山だ。

 俺はようやく出会えた鷹山に安堵のため息を漏らすが、それはすぐに止まり、一瞬で緊張へと切り替わった。


 鷹山の頭の上にはあるべきはずのものが乗っていなかった。

 要するにスキンヘッド姿だった。


「おい鷹山!どうしたその頭は!カツラはどうした!どこに落とした!」


 俺は鷹山の元へと駆け寄ると、彼女の肩を抱き抱えながら「しっかりしろ」「目を覚ませ」「大丈夫か」という救命の基本である言葉も忘れて、頭のことだけを心配して揺さぶった。

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