十五日目。
由来の家から出ると、やはり外はヒトでにぎわっていた。所狭しと並ぶ屋台も、ヒトの隙間で揺れる灯りも、なにかを焼く香ばしい匂いのする煙も、それに乗って鼻をかすめていく食べ物と桜の香りも、全部前と同じだ。違うのは、隣に朔矢がいないこと。それだけだった。
今日はお祭り。咲希はギュッと拳を握りしめる。
「咲希ちゃん!」
ハッと咲希が顔を上げると、泉が手を振って、こちらへ駆け寄ってくる。
「ごめん、待ったかしら?」
膝に手をつきながら、荒い呼吸を整えつつ上目遣いで咲希を見上げる泉。普段は下ろされている髪の毛は、今日はまとめてシニヨンにしている。藍色に所々花が咲いている浴衣は白い肌と相まって、泉の持つ上品な大人っぽさにとてもよく似合っていた。
「全然待ってないです」
「そう? ならよかったわ」
泉はふわりと笑うと、行こうか、と歩き始める。咲希も頷いて、その隣を歩く。
今回のお祭りは、咲希にとって辛いものだった。
どこを見ても、朔矢との記憶をなぞってしまうから。
朔矢のことを探しているからかもしれない。だからしょうがないのだ、と言い聞かせて、咲希は周りを見回す。このお祭りの主役なのだから、すぐに見つかるだろう。そう考えていたのになかなか探しビトは見つからず、咲希の中に焦りと朔矢との記憶だけが募っていく。それに比例するように、段々と咲希がヒトにぶつかる回数が増えていく。と、いきなりグイッと腕を引っ張られた。咲希が振り向くと、泉が心配そうな笑みを浮かべていた。
「咲希ちゃん、一回休もう」
朔矢に会えるかもしれない時間はもう一日もないのに、泉はなにを言っているのか。咲希はフルフルと首を横に振る。
「私なら大丈夫――」
「そんな顔してないから」
咲希の両頬を、泉の暖かい両手が包む。泉の整った眉毛が、キュッと切なげに真ん中に寄る。
「今、自分がどんな顔をしているのか、わかってる?」
「いえ……」
「泣きそうな顔。迷子の顔よ」
迷子。確かに自分は今、そんな状況かもしれない。
「そんな顔して余裕なくして探していても、見つかりっこないわ。少しだけ、休みましょう」
「でも時間が――」
「だめよ。そうね、なにか食べ物でも……あら、リンゴ飴があるじゃない」
ピクッと咲希の肩が揺れる。それに気付かずに、少し待っていてね、と泉はリンゴ飴の屋台へと走っていく。その屋台は約一週間前に、咲希が朔矢にリンゴ飴を買ってもらったのと同じ屋台だった。
――僕には幼馴染がいたんだ。
リンゴ飴と幼馴染のエピソードを話していた朔矢を思い出す。その幼馴染はほぼ確実に自分のことだと、今の咲希には分かっていた。本当に幼い頃からそばにいてくれた。そして少しの期間が開きはしたけど、つい最近までもそばにいてくれた。最初に会ったときから今まで、ずっと一番大切なのだと言っていた。そんな朔矢が、自分の意志で咲希から距離を取り、明日には咲希にとって二度と手の届かないところへと行ってしまう。
「お待たせ」
泉から受け取ったリンゴ飴が、徐々に滲んでいく。
「咲希ちゃん!?」
ギョッとした表情で泉に名前を呼ばれて初めて、自分が泣いているのだということに気が付いた。咲希の頬を、涙が何筋も流れては一緒になって落ちていく。必死でそれを止めようと試みるが、どうにも止まらない。咲希は俯く。なにも言わずに泉が咲希の背中をさすってくれる。手から優しさが流れてくるような、そんな気がしてさらに涙が流れていく。
「ごめっなさ――っ!」
謝るために顔を上げて、咲希は止まった。遠くからこちらを見ている探しビトと目が合ったのだ。
「佐々木さん!」
瞬間、朔矢と咲希は同時に走り出した。朔矢は逃げるために。咲希は追うために。
「咲希ちゃ――」
咲希を追い駆けようとした泉の右腕を、強い力が引っ張る。振り向きざまに、泉は相手を睨みつけた。
「ちょっとなにす――」
「やめときなよ」
睨まれた相手、櫻井はまっすぐに泉の鋭い視線を受け止める。
「なんでよ。朔矢が花びらになって逃げたとき、咲希ちゃんの足じゃ追いつけないわ。私が止めないと!」
「これは二人の問題だ。外野が手出ししていいことじゃない」
静かに放たれた言葉に、泉はハッとする。
「泉さんの朔矢に対する気持ちも、咲希ちゃんに対する思いも、俺はちゃんと分かってるつもり。だからこそ、影から見守りはしても、一緒に追い駆けるのはやめておいた方がいいんじゃないかな」
櫻井は、眉毛を下げて口角を少しだけ上げる。泉の瞳に涙が盛り上がる。泉は慌てて櫻井から顔ごと目をそらした。
「なんで真面目にそんなこと言うのよ」
「知らなかった? こっちが素なんだけどな、俺」
「嘘つき。閻魔様にした引っこ抜かれるわよ」
「痛そうだからやめてください」
フフッと小さく笑う泉に、櫻井も微笑みかける。
「あとは、朔矢がどれだけ自分で作った戒めを解けるか、だな」
🌸
咲希は必死に朔矢の背中を追っていた。今を逃せば、きっとチャンスは巡ってこない。そう確信しているからだ。このままだと恐らく明日は、咲希がなにを言っても無視して、朔矢は昇ってしまうだろう。それだけは、絶対に嫌だった。
「佐々木っさん! ……っまっ……」
なんとしても追いつかなければ。そう思っているのに、咲希の足は徐々に絡まりかけていた。もともと運動がそこまで得意ではない咲希は、朔矢に絶対に追いつくという意地だけで足を無理矢理動かしている。呼吸は、だいぶ苦しい。
「ささっ……きゃっ!」
限界だった。
とうとう足がもつれて咲希は思いっきり転んだ。手からリンゴ飴が飛んで、少し離れたところに落ちる。その上を、様々なヒトが踏んでいく。飛び散った飴の欠片はまるで、昇っていく桜の花びらのようで――。
ゾクリ、咲希の背中を悪寒が走る。
いやだ、イヤだ、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌嫌嫌……。
「絶対に嫌……っ!」
咲希はよろめきながらも、なんとか立ち上がる。走るのに適していない、履き慣れない下駄は一つずつ手で持つ。朔矢の後ろ姿は、先ほどと比べてとても小さくなっていて、ヒトに紛れている。追いつける可能性は、限りなく低い。それでも咲希は、少しの可能性に賭けることにした。
🌸
一本の桜の樹の前に立つ朔矢に追いついたときには、咲希の浴衣や足袋は土にまみれ、由来に結い上げてもらった髪の毛は崩れており、咲希自身も肩で息をしていて、ボロボロだった。
「……待っていてくれたんですか?」
咲希の言葉に、朔矢はゆっくりと振り返り、微笑む。
「本当は話しかけるつもりはなかったし、追い駆けられたら花びらになって逃げ切るつもりだったんだけどね……。君の泣き顔見たら、どうすればいいのか分からなくなっちゃった」
どこか自嘲的な微笑みを浮かべる朔矢に、咲希の胸は締め付けられる。
「泣かせるつもりはなかったんだけどね」
「……泣くに決まってるじゃないですか」
咲希はその場に下駄を置くと、まっすぐに朔矢を見つめて、ゆっくりと歩み寄る。また逃げられるかと思ったが、朔矢は微笑んだまま動かなかった。
「私はあなたのことを大切に思っています。そんなあなたにお別れも言えずに会えなくなるなんて、絶対に嫌ですから」
「それが、死なんだけどね」
ピクリ、咲希の指が動く。そうだ、朔矢は死んでいるのだ。たいていの死は、お別れを言う暇なんて与えてくれない。突然その人を奪い去り、永遠に会えなくしてしまう。それが死だ。
そこまで考えて、でも、と咲希は首を横に振る。
「確かに死はそうですが、ここはその後の世界なんです。自分で昇るときを、生前で例えるなら死ぬときを、自分で選べるんです。その意味が理解できないわけじゃないですよね」
咲希は立ち止まる。手を伸ばせば朔矢に届くか、届かないか、という微妙な距離だ。
「私は、自分が恵まれてると思ってます。記憶はないけど、死んでしまった幼馴染に、もう一回会うことができたんですから」
「そうなんだよね……」
朔矢は少し困ったように笑う。
「もう一回会えた。だからこそ僕は、何度も言うようだけど、君と他の人の架け橋になろうとした。……僕はちゃんと、架け橋になれたかな」
「架け橋かは分からないですけど……。由来さんや、さくら様、櫻井さんや泉さん……ここに住んでいる人ビトのおかげで、誰かと話すことができるようになりました。もちろん、佐々木さん。あなたのおかげでもあるんです」
咲希は目を伏せ、深々とお辞儀をする。
「長い間、本当にありがとうございました」
咲希はゆっくりと顔を上げて、柔らかく微笑む。
「あなたへの想いは、あなたが昇ってから忘れます。なので、安心してください」
朔矢は眉を寄せて切なげに笑う。
「自分が言ったことなのに、寂しいね」
「自業自得ですよ」
二人は顔を見合わせて笑った。ひとしきり笑うと、咲希はじっと朔矢を見つめる。明日、朔矢は昇る。それまでなら、朔矢に会える。でもそれ以降は二度と会うことはない。ならばこの想いを言ってしまおう、と咲希は思った。
また逃げられるかもしれない。だけど、伝えるなら今しかない。咲希は腹をくくった。
「佐々木さん」
「ん?」
真剣な眼差しで自分を見つめてくる咲希に、朔矢は首を傾げる。そして咲希の頬が、耳が、リンゴ飴のように真っ赤に染まっていることに気付く。
「咲希さ――」
「言わせてください!」
止められたくなくて、咲希は大声で遮る。朔矢の肩が震えたのが、咲希の視界の隅に見えた。
「ごめんなさい。勝手なこと言ってるのは分かってます。でも、私は後悔したくないんです」
遮った勢いで地面に向いてしまった視線を、朔矢の方に向ける。
「どうせ忘れるから。そう思って、私は誰とも関わりを持とうとしなかった。取り返しの付かない後悔なんて、したことがなかったから。できなかったから。だけど、あなたとは違う。あなたとのここでの思い出は忘れない。もしもここで言わなかったら、私はきっと取り返しの付かない後悔をする」
一歩、朔矢へと歩み寄る。
「どんな結果であっても……また拒否されることになっても。言わないより、伝えないより何倍もマシです。そんなの、自己満足かもしれない。迷惑なだけかもしれない。でも、言わせてください」
心臓の音がうるさい。でも、嫌な音じゃない。応援してくれている。そんな気がした。
咲希は深呼吸をする。
大丈夫、言える。
「私は、あなたが好きです」
言った。言ってしまった。
咲希は今すぐ顔をそらしたい衝動をなんとか抑え込んで、朔矢を見つめる。朔矢は頬に熱が集まっていくのを感じながら、咲希を見つめ返す。
お互いに見つめ合い、数秒が経つ。
沈黙を破ったのは、朔矢だった。
「気持ちは、すごく嬉しい。きっと生前だったら、迷わず頷いていたと思う」
振るような言葉に、咲希は分かっていた結果だとはいえ、俯いてしまう。
「咲希さん、顔を上げて」
そっと咲希は顔を上げて、朔矢を見る。咲希の顔を見て、朔矢は悲しげに笑った。
「そんな泣きそうな顔しないで」
「……すみません」
「ごめん、そうさせてるのは僕だね」
朔矢は右腕を上げかけて、左手で抑える。そして柔らかく微笑んだ。
「一日、考えさせて」
「え……!」
思いもしない言葉に、咲希は目を丸くする。
「それじゃあ、また明日。ちゃんと寝るんだよ」
「あ、ま――っ」
咲希の制止を聞かずに、朔矢は花びらとなり、自分の樹に咲いている桜の花びらの中へと紛れてしまう。
咲希はしばらく桜を見上げてから、視線を戻し、胸に手を当てる。
――一日、考えさせて。
トクン、と胸が鳴る。期待していいのだろうか。それとも、がっかりしないために期待しない方がいいのだろうか。迷いながらも、咲希は目を閉じる。
自分が後悔しないためにできることは、全部した。あとは、明日を待つだけだ。
咲希は目を開いて、一つ頷く。そして歩き出し、途中に置いてある下駄を手に取って、咲希は来た道を戻った。
🌸
咲希が立ち去ってからしばらくして、男の声が朔矢を呼んだ。咲希への返事をどうしようかと悩んでいた朔矢は、それを一時中断すると、呼び出しに答えるために樹から出た。
「久しぶり」
そこには櫻井が立っていた。朔矢は櫻井の他に誰もいないことを確認すると、回れ右をして戻ろうとする。
「うわっと、待てって!」
櫻井は慌てて朔矢の腕を掴んだ。朔矢が面倒くさそうに櫻井を振り向く。
「なに、稔。僕、用ないんだけど」
「俺はお前に用があるんだって! 咲希ちゃん、こっちに来てただろ?」
朔矢の眉間にしわが寄る。
「なんでそれ、知ってるの?」
「お前のこと、必死に追っかけてるの、見たんだよ。で、どうだった?」
朔矢は少し悩んでから、櫻井に先ほどのやりとりと伝えた。櫻井の目が輝く。
「え、それで? もちろんオーケーしたんだよな?」
「いや、一日考えさせてって……」
櫻井が目を細める。
「お前、まさか振るつもりじゃないだろうな」
「まさかってなんだよ」
「いやだって、俺の経験上一日考えさせて、は次の日振られるって方程式が――」
「稔って本当にモテないんだな」
「うっさい、そんな目で見んな」
朔矢が哀れみの眼差しで櫻井を見ると、櫻井はしっしっと手を振った。そして真顔に戻る。
「で、どうするんだよ明日」
朔矢は曖昧な笑みを浮かべて肩をすくめる。
「僕は、もう死んでる。死人に恋をしても、幸せにはなれない。少なくとも、僕には咲希さんを幸せにはできない。なのに好きだって伝えてなんになるんだろうって思って。幸せにできないくせに、僕の存在がこれからの彼女の足枷になってしまうくらいなら、やっぱり伝えずに消えた方がいいのかなって」
「朔矢って、実は馬鹿?」
朔矢が櫻井を睨む。が、対する櫻井は視線をそらさずにじっと朔矢を見つめた。
「考えてもみろよ。あの咲希ちゃんがちゃんと自分の気持ちを、自分の言葉で、相手に伝えたんだ。相手が誰か、なんて関係なく、それってすごいことだろ?」
「まあ……そう、だね」
ここに来た初日の咲希を、朔矢は思い出す。なにかを言おうとしては、ふっと諦めた表情になり、なにも言わない。なにを言っても意味がない、とどこか投げやりな雰囲気を、朔矢は感じていた。それが、久しぶりに会った咲希だった。それと比べたら、今の咲希はものすごく成長したのかもしれない、と朔矢は思った。
「まあ、お前の話が本当だったら、後悔したくない、なんて自分勝手な理由ではあるけども。でも、咲希ちゃんにだってお前との関係に《これから》がないことくらい分かってる。あの子が欲しいのは、お前の本音だけだろ。伝えたってなんにもならないさ。だけど、伝えなくたってなんにもならないんだ。なら伝えてしまえ。あとのことは気にするな。どうせお前はいないんだ。お前の存在があの子の枷になったら、俺や由来さん、泉さんやさくら様――。みんなでその枷を外す」
というかさ、と櫻井は苦笑を浮かべる。
「お前ずっと、自分の存在が咲希ちゃんの足枷になったらって言ってるけどさ、俺にはむしろ、咲希ちゃんがお前の足枷になっているように見えるよ」
その言葉に、朔矢はハッとした。櫻井はそれに気づきながらも、話を続ける。
「しかも咲希ちゃんはそんな気ないのに、わざわざ自分から鍵かけてるんだよ、お前。だからさ、朔矢」
櫻井がふわりと微笑む。それはとても温かなものだった。
「そろそろ楽になれよ」
ポンッと軽く朔矢の肩を叩くと、櫻井は立ち上がり、そのまま自分の家の方角へと歩いていった。朔矢はその後ろ姿を見送ってから、自分の樹にもたれかかった。
「楽になれ、か……」
朔矢は顔を上に上げると、フッと笑った。その笑顔はとても、すっきりとしていた。
夜空の星は、朔矢の背中を押すように、キラキラと輝いていた。
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