十三日目。
「――でね、咲希ちゃん。咲希ちゃん?」
楽しげに櫻井と話していた泉が、咲希に話を振る。だが咲希は、ぼーっと斜め上の天井を眺めていた。
「もしもし、咲希ちゃん」
泉に目の前で手を振られて、咲希の瞳は初めて天井以外を捕らえる。
「えっと……」
なんの話をしていたのか分からず、咲希は戸惑う。
「ごめんなさい、聞いてなかったです……」
申し訳なさそうに言う咲希に、泉は息を吐いた。
「咲希ちゃん、大丈夫?」
大体の事情を泉から聞いたのか、いつも笑っている櫻井も、今は心配そうな表情で咲希を見ている。
どれだけ誘っても家を出ようとしない咲希が心配になった泉と、たまたまそばを通りかかった櫻井が、今、咲希の部屋にいる。二人が楽しそうに話しているのはきっと、つられて咲希が笑ってくれないだろうか、という期待を込めてのことだろう。それがわかっているからこそ、その期待に応えようと咲希も頑張るのだが、気付けば昨日の朔矢に言われた言葉について考えてしまうのだ。そして声をかけられて我に返る、ということを今まで延々と繰り返していた。
「大丈夫です」
「ごめんなさい。聞いた私が馬鹿だったわ」
頭を抱えて泉が言う。横から櫻井が、笑顔で自分を指さす。
「朔矢なんかやめてさ、俺とかど、ぐふっ」
言い終わる前に泉の肘うちを櫻井は喰らう。
「あなたにはちゃんと相手がいるでしょう」
「泉さん、それは言わないお約束……」
痛いところに当たったのだろう。櫻井は腹をさすりながら呻く。
「咲希ちゃん。こいつの言うことは無視でいいからね」
「はい……」
いつもの咲希だったら、きっとここで笑うのだろう。だけど、今の咲希はどうしても笑う気にはなれなかった。泉と櫻井が、どうしたものかと顔を見合わせる。それが申し訳なくて、咲希はせめてなにか自分から話題を出そうとするが、開いた口からはなにも出てこなかった。そんな咲希の様子を見て、櫻井は薄茶色のくせっ毛をワシャワシャとかいた。
「咲希ちゃんも朔矢もこんなんで、どうすればいいんだよ」
それは、ついポロリと出てしまった、愚痴のようなものだった。だが瞬間、泉は櫻井を鋭い目で睨む。その刺すような視線に、櫻井もやってしまったと両手で口を塞ぐが、もう遅い。
「どういうことですか」
櫻井の声はとても小さなものだったが、咲希はしっかりと聞き取っていた。
「咲希ちゃん、今のは――」
「馬鹿は黙ってて」
「はい……」
泉に突き放され、誤魔化そうとした櫻井はしゅん、と落ち込みながら黙ってしまう。
「佐々木さんも、私と同じ、なんですか……?」
「言うつもりはなかったんだけど……。そうよ」
ふう、とため息を吐くと、泉はもう一度チラリと櫻井を睨んだ。
「馬鹿でしょう、朔矢も」
泉は咲希の方を向いて笑う。口では馬鹿だ、と言いながらも、その笑顔は朔矢のことを心配しているのがよく分かるものだった。
「自分で突き放しておいて、自分で傷ついてるみたいなのよ。何度声をかけたって、樹の中から出てこないの」
「そう、なんですか……」
本当は心配をするべきところなのだろうが、朔矢がそんな風になっていることが、咲希には嬉しかった。あの言葉に傷ついたのは自分だけではなかったのだと。今傷ついているということは、朔矢も自分と距離を取りたくなかったのだと。そう気付いた咲希は、嫌われたわけではなかったのだと、嬉しく思うだけでなく安心もしていた。
「よかった……」
心が緩んだからであろう。温かいものが一筋、咲希の頬を伝っていった。咲希が静かに微笑みながら流す涙を見て、泉はなんともいえない笑みを浮かべる。
「……よくないわよ」
「え?」
「どれだけあなたに会いたいと思っていても会わないだけの強い決意を、朔矢はしているってことなのよ」
「あ!」
泉の言わんとすることを、咲希は理解できた。つまり、朔矢は咲希と本気で距離を取るつもりなのだ。
もしも咲希と朔矢の立場が逆だったら、と咲希は考える。私は、同じような決意をできるだろうか、と。出た結論は、分からない、だった。朔矢は咲希に、死んでしまった自分よりも、生きている誰かを好きになってほしかったのだろう、と咲希は理解している。確実に咲希を置いて去ってしまう自分よりも、置いて去らない《かもしれない》生きている誰かの方がいいだろうと。それはつまり、そこまで咲希が信用することができる人と出会うことを指している。
咲希は一度、瞼を閉じる。深く息を吸い込んで、吐き出した。そうしてゴチャゴチャし始めた思考をリセットすると、静かに瞼を開く。
「佐々木さんにもう一度会うためには、私も相応の決意をしないとダメ、ですよね」
目の前の二人をじっと見据えながらも、咲希は己に確認するように問う。朔矢の本気に本気で返すために、まず咲希は、朔矢の決意を受け入れることにした。
「私は、佐々木さんを好きになることを、諦めます」
「咲希ちゃ――」
「でも!」
泉が驚いてなにか言いかけたのを、咲希は遮る。
「でも、それは佐々木さんが昇ったあとです。佐々木さんとまだ会えるうちは、心の中で恋をします。昇ったら、朔矢さんへの気持ちは忘れます」
今までと違って記憶は残る。それは咲希にも分かっている。だから、本当に今ある気持ちを忘れられるのか、と問われれば、完全には忘れられないだろう、と咲希は答える。だけど、と咲希は思う。完全には無理でも、朔矢を思うこの気持ちを、誰か他の人に向けられるくらいまでならできるかもしれない。いや、しなければならない。
「このまま一生会えなくなるのと比べたら、その方が何万倍もマシです」
言い切ると、咲希は弱音を吐きそうな口を閉じて、微笑んだ。その微笑みは明らかに無理をしていて、だが同時に、なにか言われることを拒否しているようで、泉と櫻井はなにも言えずに、ただじっと咲希を見つめた、
朔矢が昇るまであと三日。会えるとしたら、お祭りの日だ。
咲希はギュッと拳を強く握った。
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