十二日目。
その日はよく晴れた日だった。
いつも通り課題を終わらせた咲希は、窓を見て外の空気を吸いたくなった。せっかくなので朔矢も誘ってみようかな、と咲希は思いつく。自分から誘うのはよく考えたら初めてかもしれない。そう思うと、否が応でも鼓動が早くなる。それを必死で考えないようにして、咲希は朔矢を見上げた。
「すみません、その……。外の空気が吸いたいので……。一緒に散歩にでも行きませんか?」
朔矢は一瞬驚いた表情をした。が、首を横に振る。
「ごめん。このあと予定があるから、一緒に行けないんだ」
申し訳なさそうな笑顔で朔矢は言うが、その口調には有無を言わせぬものがあった。そうやって断られてしまうと、咲希はもうなにも言えない。
結局咲希は、一人で町の中をフラフラと歩くことにした。
「咲希ちゃん?」
そろそろ帰ろうかな、と思い始めた頃、咲希は後ろから声をかけられた。振り向くと、泉が立っていた。咲希は親しいヒトに会えたことが嬉しくて、微笑んだ。
「泉さん、こんにちは」
「こんにちは」
泉はキョロキョロと周りを見回す。
「朔矢は? 姿が見えないけど」
「いえ……」
「もしかして一人なの? 珍しいわね。なにかあったのかしら?」
泉は目を丸くして驚くと、心配そうな声で尋ねた。
「誘ったんですけど、予定があるって言われちゃいまして……」
アハハ、と咲希が笑うと、泉は顎に手を当ててなにかを考える。
「……ねえ、咲希ちゃん」
「? はい」
泉の真剣な表情になにか嫌な予感が胸をよぎり、咲希は頷いた。
「もしかして、朔矢からなにも、聞いていないの?」
「なにもって、なんのことですか?」
泉の顔が、見る見るうちに険悪な表情になる。迫力のあるその表情に、咲希はなにか悪いことを言ったか、と考え始めたときだった。
「……あの馬鹿っ!」
泉は舌打ちと同時に小声で吐き捨てた。
「え、あの……?」
泉らしからぬ態度に、意味が分からず戸惑っている咲希を見て、泉は少し悩んだあとため息を吐いた。
「朔矢は、あなたに隠していることがあるの。知りたい?」
「知りたいです」
即答だった。なにか隠しているのなら、知りたい。それはきっと、朔矢だからなのだろう、と咲希は思った。
「そう。……今、もうお祭りの準備が進んでいるのは把握しているわよね?」
「はい」
「じゃあ、それが誰のお祭りなのかは?」
「……すみません、分からないです」
咲希が俯いて答えると、顔を上げなさい、と泉が優しく言った。
「それを知らないのは、あなたのせいじゃない。本人が言ってないのが悪いのよ。で、誰のお祭りか、なんだけど」
「はい」
「……佐々木朔矢、よ」
少し言いにくそうに間を空けたあと、泉の口から出てきた名前に、咲希は固まった。
自分の呼吸が、周りの音が、景色が、世界中のすべてが、一時停止したかのような感覚。
「佐々木、さんが……?」
朔矢は、自分のそばにずっといる。いつからそんな不確定なことを、なんの疑いもなく信じていたのだろう。なんで勝手に裏切られた気になっているのだろう。
「咲希ちゃん……」
「大丈夫です。だいじょ……」
大丈夫じゃ、なかった。
咲希の瞳からは、それこそ滝のように涙が流れ出した。こんなに泣いたのはいつぶりだろう。なんで自分は泣いているのだろう。
なにも言わずに抱きしめてくれた泉は、とても温かい。
「……っでください」
「え?」
でも叶うのなら、泉から聞くよりも先に、朔矢の口から聞きたかった。
だから咲希は、泉に言う。
「今すぐ、ここに佐々木さんを呼んでください」
🌸
程なくして、泉に引きずられるように朔矢はやってきた。恐らく、そこに咲希がいることは知らされていなかったのだろう。咲希を見た瞬間、すべてを察したらしい朔矢は、泉を振り解いて逃げ出した。同時に泉と咲希が追い駆ける。
「佐々木さん!」
朔矢は止まらない。
行ってしまう――!
そう思った瞬間、咲希の脳裏に日記に書かれていた単語がよぎった。
「朔兄ぃっ!!」
咲希は立ち止まって全力で叫んだ。効果はあったようで、朔矢はその場に立ち止まる。そして驚いた表情で、ゆっくりと咲希を振り向いた。
「咲希、ちゃん……?」
初めてちゃん付けで呼ばれたはずなのに、咲希は懐かしさを感じていた。でも、今はそのことについて考えている暇はない。咲希は感じた懐かしさを気のせいだということにして、頭を下げた。
「ごめんなさい。とっさに呼んじゃっただけです」
「……だよね」
頭を上げたときに咲希が見た朔矢の顔はすごく寂しげで、自分を嘲るような笑みを浮かべていた。
「逃げてごめん。まだ心の準備ができてなかったから、言えなかったんだ」
まっすぐに咲希を見つめているはずの朔矢の視線は、でもどこか、違うところを見ているようなそんな気が、咲希にはした。
「咲希さん。僕はもう心残りはないので、昇ります」
朔矢の言葉。だけど、咲希は受け入れなかった。
「どうして、私にはなにも言わなかったんですか?」
「咲希さ――」
「私は最初にあなたの口から聞きたかった。なのにどうして、泉さんから聞かなきゃいけないんですか?」
「……」
朔矢は咲希から逃げるように目をそらした。咲希は、ゆっくりと朔矢に近づいていく。
「なんで私があなたの口から最初に聞きたかったのか、きっと理由は分かってますよね?」
「……」
朔矢の目の前まで来て、咲希は立ち止まる。相変わらず目を合わせようとしない朔矢に、咲希の胸は小さな痛みを感じていた。
咲希は深呼吸をした。本当はこういうタイミングで言うべき言葉じゃないのかもしれない。だけど、その言葉を飲み込むことはできなかった。
この言葉を言えば、きっと朔矢はちゃんと自分を見てくれるんじゃないか。そんな淡い期待が、咲希の胸の中にあったのだ。
「私は、あなたが――っ」
だがその言葉は、朔矢が両手で咲希の小さな口を抑えたことにより、音として出ることはなかった。
「それ以上はごめん。聞きたくない」
そっと手を放しながら、朔矢は言った。俯いているため、前髪で顔が隠れていて、朔矢の表情が分からない。
「本当はその言葉を聞きたくなくて、昇ることを言えなかったんだ」
「……」
咲希はショックだった。こんなに否定されるとは思っていなかったからだ。告白する前に振られるというのは、こんな感じなのだろうか、と咲希はショックで動けなくなった頭でそうぼんやりと思った。
「君との架け橋に今度こそなろうと思った。そのために、君と親しくなったんだ。架け橋になるには、僕は君と仲良くなるべきだと思ったから。だから、そうう言葉は僕に言ったらダメなんだ。僕はもう死んでいる。君は生きているし、まだまだ生き続ける。生きてる人、死んでるヒト。付き合うとしたらいつか終わりが来るとしても、少しでも長い可能性がある方がいい。死者を引きずってこの先の人生を棒に振ってしまうよりも、生きている人を好きになった方が何倍もいい。だから、もう、距離を取ろう。僕らは近すぎたんだ」
かろうじて見える朔矢の唇は、震えている。
「誰かと関わりを持てって言ってたあなた自身が、あなたとの関わりを拒否するんですか?」
「そうなるね」
咲希は首を振る。
どうして私の好きをあなたが決めるの。どうして勝手に離れようとするの。どうしてそんな辛い声で別れを告げるの。どうして――。
「嫌です、なんで――」
「それじゃ」
「待……っ」
朔矢は素早く花びらになると、どこかへ飛んで行ってしまった。咲希が伸ばした右手は、なにもない空気を掴んだだけだった。
「朔矢ぁっ!」
泉が怒鳴る音だけが、空しく響く。
「……」
「咲希ちゃん」
咲希はその場で俯いて立ち尽くしていた。握りしめた右手が、ブルブルと震えている。
「咲希ちゃん。家に、戻りましょうか」
そっと泉に背中を押されて、咲希はやっと重たい足を動かした。
――距離を取ろう。
その言葉が、頭の中で響く。距離を取るってどういうことだろう、とぼんやりと咲希は考える。もう会えないのだろうか。お別れも言えないのだろうか。
「朔矢さん……」
ポツリと、初めて咲希は朔矢の名前を口にした。その声はか細く震えていた。
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