九日目。

 月のない、真っ暗な夜。その場に立てられた灯りが、月の代わりに周囲を照らしている。ザワザワと、にぎやかなわけではないが静かなわけでもない音を立てながら、喪服を着た大人たちが、制服を着た少年少女が、会話をしていた。

 そんな中、櫻木咲希はポツリと立っている。身に着けているのは、数日前まで着ていた中学の制服である、ブレザーだ。

「ここは……?」

 ポツリと呟き、咲希はキョロキョロと辺りを見回す。周りの人々の服装からして、これはお通夜かなにかなのだ、ということは理解していた。だが、誰のためのお通夜なのかが、咲希には分からなかった。

 上品に髪を結い上げた一人の女性が、こちらをチラリと見た。

「あんなに親しかったのに」

「!?」

 おそらくはその女性のものであろう声が、咲希の頭の中で響いた。

「あの子、よくあいつと一緒にいた子だよなぁ」

「!」

 振り向くと、今度は制服を着た少年が、咲希をじっと見ていた。静かな闇を思わせる目だった。

 咲希は恐る恐る周りをもう一度見回す。

「まるで兄妹のようだったのに」

「涙一つこぼさないだなんて、なんて薄情な」

「あの子がいるせいで、用事があるって言って、ちっともあいつは構ってくれなかった」

「周り見回して、なにやってるんだろ」

 瞬間、周り中からいろんな声が、不協和音となり、突き刺さるようにして咲希の頭に響きわたった。それは中で反響して混ざり合い、耐えきれなくなった咲希はその場にうずくまる。だが、声は大きくなっていくばかりだ。

 それでもどうにか助けを求めようとして顔を上げ、咲希は目を見開いた。焦げ茶色のサラサラの髪に、優しげに垂れた目尻をした、見覚えのある少年が、じっと静かに咲希を見下ろしていたのだ。だけど、どこで見たのかが思い出せない。しばらくお互いに見つめ合ったあと、少年は笑みを浮かべた。温かさを感じる笑みなのに、その瞳は涙を堪えているかのように揺れていた。たまらなくなって咲希は立ち上がり、少年に両手を伸ばす。

 あと少し、もう少しで少年の手に触れられると思った、その瞬間だった。

「ごめんね」

 少年の口が、そう、動いた、のが、見え――。


「――ちゃん! 咲希ちゃんっ!」


 咲希は目を覚ました。



🌸



 咲希が目を覚まして最初に見たのは、顔を覗き込んでいる由来の、心配そうな表情だった。どうやら、いつもの時間になっても起きてこない咲希を心配して様子を見に来たらしい。そして相当うなされている咲希を見て、思わず名前を呼んだのだと言う。咲希を目覚めさせたのは、由来の声だったのだ。


「何の夢を見ていたんだい?」

「……覚えてないです」

 少し遅い朝食後。由来の問いに、咲希はそう返した。本当はうずくまったところからを思い出せないだけで、その前までは覚えていた。でも、あんな暗い夢を言う気にはなれなかった。眉を八の字にして、そう、と悲しげに言う由来は、恐らく咲希が誤魔化したことに気付いているのだろう。罪悪感で、咲希の胸がチクリと痛んだ。

「昨日の今日だから、心の整理とかで大変だろうってことで、今日は朔矢君、課題見に来ないって。代わりに泉ちゃんたちが、お誘いに来てたよ」

「え!」

 咲希が驚いて立ち上がると、由来は笑った。

「行っておいで」

「はい!」

 慌てて外へ出ると、泉と櫻井、さくらの三人が咲希を待っていた。

「お、お待たせしました……?」

「遅い!」

「ごめんなさいっ!」

 泉の勢いに思わず咲希は頭を下げる。が、すぐに頭を上げて、小さく首を傾げた。

「でも約束とかしてないですよ……ね?」

「ふふっ、ばれた?」

 咲希の言葉に泉はパチンとウィンクをした。咲希は安心してからむぅっと膨れる。

「泉さんー!」

「ごめんって。でもそんなに膨れると、こう、思いっきりパチンってやりたくなるわね……」

「やめてください」

 両手を出してスタンバイする泉を見て、咲希は急いで両頬から息を抜いた。泉はつまらなさそうにえー、とこぼしている。上品な見た目によらず、意外とお茶目な女性である。

「それで、今日はどうしたんですか?」

 櫻井とさくらが一緒にいるのは置いておくとしても、その二人と泉が一緒にいるのが咲希には珍しく思えたのだ。三人は顔を見合わせる。なんとなく気まずそうに見える三人に、咲希はさらに首を傾げた。

「あーっと……なんとなく?」

「なんとなく、ですか」

 歯切れの悪い櫻井の言葉を、咲希はそのまま返す。別に咲希としては、なんとなくでもこんな自分を訪ねてきてくれるだけで嬉しいのだが、その歯切れの悪さが気になる。じっと咲希が見上げていると、櫻井はアハハ、と笑いながら目をそらした。明らかに怪しい。

「なにかあったんですか?」

「……いや、なにも?」

 櫻井の返事は、不自然な間がなにかあったのだと言っているようなものだった。咲希の目がすうっと細くなる。

「たわけが」

 ポツリとさくらは呟くと、咲希を見上げた。

「今日は朔矢が課題を教えに来ないそうじゃな」

「はい」

 隠すようなことでもないため、咲希は正直に頷く。

「朔矢からな、咲希が暇にしてると思うから、相手をしてやってくれと、まあ、簡潔に言えばそんなようなことを頼まれたのじゃよ」

 別に、自分に会いたくて来てくれたわけじゃないんだ。

 そう思うと、咲希はなんとも言えない気持ちになる。それが分かったのか、泉が咲希の両頬をすべすべの両手で包んで、少し上向かせて微笑んだ。

「もちろん、そんな頼まれごとしなくても、ちょうど今日はいい天気にいい感じの風だったから、お散歩にでも誘おうかな、と私は思ってたのよ。だから、朔矢の頼まれごとはそのついで。付け加えると、さくら様はともかく、櫻井もそのついで、みたいな感じかしら?」

 フフッと上品に笑う泉に、櫻井はひでぇ、と呟いた。本当は朔矢の頼まれごとがあったから会いに来てくれたのかもしれないが、不思議な説得力のある泉の言葉に、咲希は三人の来訪を嬉しく思えた。

「ありがとうございます」

「いえいえ。……あ、そうだ!」

 パンッといい音を立てて、泉が両手を叩いた。三人は首を傾げる。

「お散歩に行く前に、咲希ちゃんに訊きたいことがあるんだけど」

「なんですか?」

「朔矢のこと、どう思ってるの?」

 突然の質問に、泉だけではなく櫻井やさくらまで、興味があるといった視線で咲希を見つめてくる。だが当の本人は、キョトンと首を傾げたままだった。

「どう……と言いますと?」

「そのまんまの意味よ」

 泉の言葉に、咲希はうーんと考え始める。

「親切なヒトですよね」

「ほう。で?」

「や、優しいヒト?」

「うんうん。で?」

「お兄さん……みたいだな、とたまに……」

「世話焼きなとこあるもんね。……で?」

「あの、いつまで続くんですか、これ」

 咲希の問いに、三人はどこか期待外れ、という表情をする。どうしてわけの分からない質問をされた上にこんな表情をされるのか理解できず、咲希は眉間にしわを寄せて三人を見る。三人は円になって顔を寄せ合っていた。

「朔矢が咲希ちゃんのことを想ってるのは、確実よね」

「まあ、そうじゃな。咲希を外で見かけると、たいていその隣におるからのう」

「俺がナンパしようとすると、いつも笑顔で脅してくるしな」

 櫻井の言葉に、さくらと泉は引いた表情をする。二人の表情を見て、櫻井は何故か胸を張った。拳をトンッと自分の胸に当てる。

「安心してください。俺の大本命はいつでもさくだだだだだだだだだだだ」

 さくらが無言で櫻井の耳を掴む。横で泉がため息を吐いた。

「私、こういうときはいつも、自分の方が櫻井よりも年上でよかったって思うのよね……」

「どういうことですか?」

「どういうことじゃ?」

 咲希とさくらの二人が同時に問うと、泉は、知らないんですか? と言って櫻井を指さした。

「こいつ、年下がタイプなんですよ」

「……待て。妾は櫻井よりも遙かに年上じゃぞ?」

「いやあ、さくら様は年齢の割に若いっていうか、どう見ても十歳未満にしか見えないっていでででででででででででで」

 一度放して真っ赤に腫れ上がっていた耳を、さくらはもう一度容赦なくひっ掴んだ。その横で、泉が奇妙なほどいい笑顔を浮かべている。

「つまり、私はあなたよりも老けて見えると?」

「いや、そんな……! 僕にとってはあまりにも高嶺の花過ぎて口説けないということでござりまするよ!」

 慌てているせいで、櫻井は変な言葉遣いになる。それを見て堪えきれずに咲希が笑うと、泉は咲希の方を向いた。

「話はだいぶ脱線したけど、まあ、私たちから見たら、朔矢がすごく、あなたのことを大切に思っているのは確かなのよ。その証拠に、きっと誰よりもずっとあなたのことを優先して考えてくれているはずよ」

 言われてみれば、確かに思い当たる節がある。その一つ一つを思い出すと、じんわりと胸の辺りが温まるのを、咲希は感じた。

「口角、緩んでるわよ」

 泉に口角を軽くなぞるように触れられて初めてそれに気付き、咲希は慌てて口元を引き締める。だけど咲希はどうして口角が緩んだのか分からず、自分の口の両端をさすってみる。それを微笑ましく三人は見ていた。

「それに、きっとあなたのこと、女の子として見てくれてるはずよ」

「それは絶対にないです」

 咲希の即答に、泉が不思議そうに、目をぱちくりとする。

「あら、どうして?」

「だって……。たぶん、私が佐々木さんよりも幼い上に、不安定だったから面倒を見てくれてるような気がして……。この間も子供扱いされましたし……」

 言いながら、段々としょげていく咲希。そういえば、朔矢の言葉に自分が赤くなることはあっても、その逆はあまりなかったな、と思い、さらにしょげる。

「うーん……。これはどうしたものかしら」

 泉は腕を組んで唸り始める。その横から、櫻井が咲希に近づいて目線を合わせるために少しだけ膝を曲げた。

「咲希ちゃんはさ、朔矢に女の子として見てもらえないって思って、なんでそんなにしょげてるの?」

「それは……」

 答えようとして、そういえば何でだろうと疑問に思い、咲希は黙り込む。自分がしょげるのはまるで、朔矢に女の子として見てもらいたいから、なように思える。が、そもそも、女の子として見られるってなんだろう、という新たな疑問が浮かび、咲希の表情が険しくなる。

「咲希ちゃん。もしかして今までに恋をしたことは……?」

「覚えてる限りでは、ないです」

「うん。どうりで初々しいわけだ」

「はあ……」

 意味がよく分からず、咲希は間の抜けた返事を返した。反対に、どうやら櫻井の方は勝手に納得したようで、うんうんと頷いている。

「咲希。おぬしにとって朔矢は、大切か?」

「もちろんです」

 即答だった。三人がおおっと目を輝かせる。そのまま咲希は続けた。

「佐々木さんだけじゃなくて、泉さんも櫻井さんも、さくら様も、由来さんも……みんな大切です」

「ああ、うん。その……あ、ありがとう。でもそうじゃなくてじゃな」

 泉に続いて、さくらも唸り始める。と、泉の猫目がなにか閃いたようにキラリと光る。

「……じゃあ、咲希ちゃん。私が朔矢と付き合い始めたらどうする?」

「……え?」

 泉と朔矢が付き合う。その情景を瞬時に想像した咲希に、目の前がグニャリと歪んだような、そんな感覚が襲いかかる。全身が、それを拒否しているようだった。

 自分に向けられていた朔矢の視線を、声を、優しさを、――笑顔を。すべて泉に盗られるような、そんな気がしたのだ。

「そうね、付き合い始めたらまずは手を繋ぐでしょう? 抱きしめ合って……キスもするわ。それで――」

「嫌です……」

 続けようとする泉の言葉を遮るように、咲希は震える声で、泉をじっと見上げて言った。想像するのも、言葉にするのも恥ずかしいが、泉が言ったことを朔矢とするのは、自分がいいと、自分とでなければ嫌だ、と咲希は思ったのだ。

「嫌、です」

 今度はしっかりとした声で言う。そんな咲希に、泉は一瞬驚いてから、凛とした笑みを浮かべた。

「負けないわよ。そんな風に、自分の気持ちに気づけず、名前も付けられないあなたに、私の気持ちは負けない」

「私は――」

 泉の言葉のおかげで、咲希はこの気持ちがなんなのか、気が付いた。

 咲希にとって、手を繋いだり、抱きしめ合ったり、キスしたり、といったことは恋人だけとしたいことだ。そしてきっと、朔矢と一緒にいて時々胸が高鳴るのは、この気持ちを持っているからなのだ。

「私だって、負けません」

 本音を言うと、泉のような美人に本当に勝てるのかは不安だ。それに祭りのときに朔矢が一番大切だと言っていた、幼馴染のこともある、だが気持ちの強さで負けてはいけない、と思い、頑張って咲希は不適に見えそうな笑みを浮かべた。

「朔矢に成り代わりてぇ……」

「朔矢の中身がおぬしになったら、二人とも可哀想じゃのう」

 櫻井のボヤキを、さくらはさらりと流す。そしてなにか言いたげな顔をしている櫻井を無視して、泉に微笑みかけた。

「間に合いそうじゃな」

 泉もさくらに微笑み返す。

「ですね」

「なにが、ですか?」

 一安心、と言った様子の二人に咲希が問うと、なんでもない、と泉にはぐらかされた。その横でさくらが大きく伸びをする。

「まあ、二人がライバル関係になったところで、お散歩にでも行くかのう」

「そうしましょうか。咲希ちゃん、後ろから刺さないでよ?」

「しませんよ、そんなこと」

 笑いながら冗談めかして言う泉に、咲希も笑って返す。

 そういえば、と咲希は考える。三人は朔矢に頼まれてここへ来たと言っていた。咲希が暇をしていると思うのなら、朔矢も来てくれればいいのに、と咲希は痛む胸を抑えて思った。それとも忙しいのだろうか。

 会いたいな。

 そう心の中で呟いて、ふと咲希は空を見上げた。ちょうど由来の家から桜の花びらが、青い空の中を一筋の線を描いてどこかへ飛んでいくところだった。



🌸



「本当に、旅立つのかい?」

 椅子に座った由来が、気遣わしげな顔で朔矢を見上げる。咲希が家を出たのと同時に、朔矢は花びらになって家の中に入り、今、人の形で由来の前に立っていた。ここは二階の廊下の手前側にある、由来の部屋だ。

 朔矢は窓の外を見ながら、由来の言葉に頷く。その視線の先には、数日前とは別人のように、楽しそうに談笑する咲希の姿があった。

「咲希さんは、変わりましたから。もう、僕がいなくても大丈夫だと思うんです」

 由来はじっと朔矢を見つめるが、朔矢はチラリとも由来の方を見ない。無音のまま、少しの時間が経つ。由来は諦めたように一つため息を吐くと、朔矢から目を背けて静かに言葉を発した。

「私の前では、生きてた頃みたいに、咲希ちゃんって呼んでもいいんだよ」

「いえ……。彼女の前でうっかり呼んでしまったら怖いので」

「そうか……。朔矢君がいなくても大丈夫って、誰かに言われたのかい?」

 由来の問いかけに、いいえ、と朔矢は首を横に振る。

「自分の判断です」

 榎本との別れの日の咲希のことを、朔矢は思い出す。正確には、あのとき咲希が浮かべた笑顔を、だ。

 本音を言えばあのとき、もしかしたらあの約束をしたときのように、自分を頼ってくれるのではないか、と期待していた。もっと言えば、置いていかないで、とか、逝ってしまはないで、とか、そういった言葉を、朔矢はどこかで期待していたのだ。だから、頼ってくれなかった事実と、ある種最低な期待をしていた自分に、朔矢は失望していた。

 咲希は成長した。その証拠に、知り合ったヒトと別れた翌日でも、窓の外で自分以外と話している咲希は、自然な表情を浮かべている。そうなってほしいと朔矢は誰よりも一番願っていたはずだった。自分が思っているよりも強くなっていた独占欲。その欲が咲希の邪魔になる前に、去らなければならない。なにより手を放さずにいる理由を失ったことが、朔矢の背中を後押しした。

「……いろんな理由があるだろうから、なにがあったのかは訊かないし、旅立つヒトを止める権利は人である私にはない。だから、朔矢君を止めはしないよ。でも、できれば……」

 由来が顔を上げ、朔矢を見る。やっと朔矢は由来の方を向いた。そして、先を促すように見つめる、

「一つだけ、頼みがあるんだ。これはどう足掻いても、朔矢君にしかできない頼みなんだけど」

「……なんですか」

 朔矢の問いかけに、由来は柔らかく微笑んだ。

「咲希ちゃん、今朝うなされてたんだ。どんな夢か教えてはくれなかったけど、たまに漏れる寝言で分かっちゃったんだよ。本人はもう気にしていないと思い込んでいるが、やっぱり無意識に、忘れてしまったヒトのことや、周囲の目を、まだ気にしてるんだろうね。朔矢君なら、周囲の目をどうにかすることはできなくても、忘れられたヒトに関しては、どうにかすることはできるだろう?」

 由来のどこかすがるような言葉に、朔矢は迷わず頷いていた。自分の存在が、まだ少しでも咲希のためになるのなら、と、そんな思いからだった。

「わかりました」

「ありがとう」

 深々とお辞儀をする由来に、朔矢も礼を返す。そして朔矢はもう一度、窓を見た。


 そこに写っていたのは、一人の少女を見つめる青年の、寂しげな儚い笑顔だった。

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