四日目。

「昨日はごめんなさい!」

 翌朝。わざわざ訪ねてきてくれたさくらと朔矢に、咲希は勢いよく頭を下げていた。そんな咲希を、二人は驚きで目を丸くして見ている。その後ろでは、由来が困ったような笑みを浮かべ立っていた。

「咲希ちゃん。玄関でって言うのもアレだから、上がってもらおうか」

 由来の言葉に、咲希はハッと顔を上げる。

「そ、そうですね!」

「咲希よ。おぬし、昨日までとだいぶ違うか、どうかしたのか。なんか、ギクシャクしておるぞ……?」

「す、すみません……。人と関わるって、どうすればいいのか分からなくて」

 普通なら、なにも考えずにできること。自分も、きっとこの力に気づく前まではしていたはずのこと。だけど、改めて意識してみるとどうすればいいか分からず、咲希は戸惑っていた。そんな咲希の戸惑いに気付いた朔矢が、その戸惑いごと咲希を包み込むような優しい笑みを浮かべて言う。

「大丈夫だよ。少しずつ、慣れていこう」

 朔矢の優しさに緊張が少し解れるのを感じながら、咲希は視線を下げた。そして、また朔矢が自分の右腕を抑えていることに咲希は気が付く。どうしたのか、と問おうとしたとき、突然ドアが開いた。

「やっほー! みなさんおはようございまあだだだだだだっ!」

 空気の読めない、むしろ読む気もないほど元気のいい挨拶をして、櫻井が入ってくる。瞬間、光の速さでさくらは櫻井の耳をひっ掴んでいた。

「せめてノックをするとかなにかせんのか、おぬしは……!」

 さくらが手を放すと、痛そうに櫻井は捕まれた側の耳をさする。

「いやあ、みんなここにいるって聞いたので、少し驚かせたくて――」

「それ、もしも妾たちが玄関で会話していなかったら、ただの迷惑な輩じゃからな」

「じゃあ、今の僕は――」

「今でも十二分に迷惑な輩だよ、稔」

「朔矢って、笑顔でさらりと言うよな……」

 俺だって傷つくんだからな、とまったく傷ついた感じのしない口調で櫻井が言う。それを見て声を上げて笑いながら、由来はその場にいる全員に、上がるように言った。



🌸



 由来の家でお茶をしてから、人に慣れるにはとにかく回数を重ねるしかない、という櫻井の提案の元、咲希は留守番をしている由来を除く四人で町を歩いていた。

「そういえば咲希ちゃん。俺や君、由来さんみたいな人のことをなんていうか、知ってる?」

 雑談をしていたら、唐突に櫻井が咲希に問うてきた。咲希はその問いに首を傾げる。

「いや、知らないです」

「俺たちはね、番人って呼ばれてるんだ」

「番人……ですか」

 咲希の言葉に櫻井がそうそう、と頷く。

「番人って言葉を聞いて、咲希ちゃんはどんなイメージを持つ?」

 咲希はうーんと唸って考える。

「堅い、というか、しっかりしてそうなイメージです。規則も、人も絶対守る、みたいな」

「いいね。俺たちの仕事はそんな感じ。この町の規則を絶対守らなきゃいけないのはもちろん、なにがあってもこの町の住人のことを守らなきゃいけない」

「なにがあっても……」

 そんな危ないことが、こんなのどかな町で起こり得るのだろうか。そんな疑問を咲希は抱く。それに気付いたのか、朔矢が笑いながら、もしもの話だからね、と横から付け足した。

「まあ、なにかあっても、だいたい俺たちよりもさくら様の方が何とかできるんだけどね。だから俺たちは、なにかあった際にさくら様が対応するまで物事が悪化しないように努めることが大事ってわけ」

「そんな大変そうな仕事だったんですね……」

 はっきり言って体力にはまったく自身のない咲希は、稔の言葉に先が思いやられて息を吐き出す。それを見てさくらがフフッと笑った。

「安心せい。妾の力が必要になることなど、そうそう起きるものではない。それに、番人たちの仕事のメインは、ヒトが昇るための手伝いじゃ。一人のヒトをちゃんと昇らせてこそ、一人前の番人となるのじゃよ」

「ええっと……今の《ひと》って言うのは、カタカナの《ヒト》ですよね?」

「そうじゃ」

 うんうんと頷くさくらに、咲希は今度はホッと息を吐く。

 今朝由来から、生きている人たちのことを《人》、死んでいる、または桜ノ町のような町の住人のことを《ヒト》と表記するのだ、ということを教わったのだ。そして《昇る》ということは、心の整理をつけ、あの世へと《旅立つ》ということなのだ、とも。

「つまり私は、ちゃんとヒトと関わって、心の整理をするお手伝いをすればいいんですね」

「そういうこと」

「そういうことじゃ」

 櫻井とさくらが同時に頷く。よし頑張ろう、と咲希は心の中で気合いを入れた。

――少しずつ、慣れていこう。

 そう背中を押してくれた朔矢や、咲希のことをすごく考えてくれている由来のためにも、咲希は変わろうとしていた。



🌸



「こんにちは」

 後ろから突然声をかけられて、咲希は一瞬固まる。凛とした中に上品な可愛らしさを持つ女性の声。由来ではない。何故なら、わざわざ挨拶をする必要は感じられないからだ。もちろん、今咲希のすぐ隣にいるさくらでもない。

 こういうとき、どうすればいいんだっけ。

 今まで会話を終わらせるために振り向くか、無視するかしかしたことのない咲希は、必死で考えた。だが結局答えは見つからず、恐る恐るではあるが、とりあえず振り向くことにする。

 そこには、すらりとした女性が立っていた。緩くウェーブのかかった、ミルクティー色の腰まで伸びた髪。シンプルでありながら上品にまとまっているワンピースとカーディガン。気の強そうな茶色の猫目は、隙のない笑みにより、賢そうに見える。

「は、初めまして」

 咲希が言うと、満足げに女性は微笑んだ。

「初めまして。あなたが櫻木咲希ちゃんね」

「はい」

 なんで私が櫻木咲希だと分かったんだろう、なんて、今の咲希は思わなかった。自分は由来の跡を継ぐものなのだ。そんな人が来ていたら、みんな知っていてある意味当然であろう。

「私は澤野泉。あなたのこと、色々と聞いているわ」

「色々っていったい……?」

 パチンと泉はウィンクする。

「あら、色々は色々よ。ね? 朔矢」

 意味深に視線を送る泉につられて、咲希も朔矢の方を向いた。

「どうして僕に振るのかな……」

「あら? 困るのかしら」

 どこか楽しげな泉とは対照的に、朔矢は困ったように息を吐いてから微笑んで咲希を見た。

「泉はこんな風に言ってるけど、実際はなにも話してないよ。そもそも咲希さんと僕は数日前に出会ったばかりだからね」

「そんな風に言っちゃうのね」

「事実だから」

「あの……?」

 自分の話題のはずなのに、完全に二人にしか分からないような話し方をされて、咲希は戸惑った。

「ふふ。じゃあ、そう言うことにしておきましょうか」

 泉はその話を終わらせると、咲希に向き直る。

「この町って、私と同じくらいの年代の女の子っていないの。だから私、あなたと友達になりたいわ。いいかしら?」

「私は――っ」

 危うく断る言葉が口からこぼれかけて、咲希は慌てて両手で口を抑えた。ゴクリと出かけた言葉を飲み込んで、咲希は両目を閉じて深呼吸をする。そしてゆっくりと目を開いて、できる限りの微笑みを浮かべた。

「私で、いいのなら、ぜひ」

 泉は驚いたように目を見開いた。そんなに酷い顔をしているのだろうかと咲希が不安になった瞬間、泉はフフ、と笑い、人差し指で咲希の頬を突っついた。

「すごく強ばってる。初々しくて可愛いわね」

 ブワッと顔が一気に熱くなったことに咲希は気が付いた。だがどうすることもできずに、咲希は慌てる。そんな咲希を見て、泉の笑みは深まるばかりだった。

「改めて、よろしくね。咲希ちゃん」

「よ、よろしくお願いします」

 何とかそう返しながら、久しぶりに新しい友達ができたことを、咲希は嬉しく思っていた。

 そんな咲希を、朔矢はどこか寂しげな笑みで見つめていた。



🌸



――私で、いいのなら、ぜひ。

 そう、ぎこちない笑みを浮かべて言った咲希を思い出しながら、朔矢は一人、暗闇の中で自分の樹に背中を預けて座り込んでいた。

 早くいろんな人と関わって、もとの明るい咲希に戻ってほしい。

 そう、誰よりも望んでいたはずなのに、泉に対して必死に微笑んだ咲希を見て、朔矢は寂しさを感じていた。一番に喜ぶべき自分が寂しさを感じていることにどこかで納得しながらも、朔矢は呆れてもいた。

「朔矢」

 何度目になるか分からないため息を吐いたとき、彼の名を誰かが呼んだ。それが誰なのか、朔矢は振り向かなくても分かっていた。

「なに、泉」

 朔矢の前に桜の花びらが舞うように集まってきたかと思うと、それは人の形となり、泉が現れた。

「咲希ちゃんのこと、考えてるのかしら」

「そりゃ、元幼馴染ですから」

 我ながら自嘲気味な口調だと、朔矢は思う。だが、取り繕う気もなかった。

 覚悟はしていたはずだった。自分が死んだからには、きっと、いや、絶対咲希には忘れられているだろう、と。だけどいざその現実を突きつけられてみれば、ショックは大きかった。自分が生きていた頃のように頭を撫でようとしてしまう右手を左手で止める度、自分と咲希は最近知り合ったばかりなのだと必死で言い聞かせていた。

「元幼馴染って感じでもなかったけどね、あなたがこの町に来たときの取り乱しようは」

 言われて朔矢は自分がこの町に訪れた日のことを思い出し、苦笑する。

「咲希さんは自分の力を自覚して以来、肉親と僕以外には心を開いていないんだ。だから、僕の記憶が消えたらあの子はどうなってしまうんだろうって不安だった。それに、約束も守れなかったし……」

「約束?」

「……絶対に」

 ポツリ。朔矢は呟いた。その声に、記憶の中にある、表情を失った咲希に語りかけている自分の声が、頭の中で重なる。

「絶対に、咲希ちゃんよりも先に死なないし、ずっとそばにいる。それが僕と咲希さんの間にあった約束。今となっては破った僕しか覚えてないけどね」

「それはまた……」

 いつの間にか朔矢の隣に座っていた泉は、続く思いを上手く言葉にできず、代わりに大きく息を吐き出した。

「本当はそんなのどうでもよくて、忘れられるのが嫌なだけだったかもしれないけどね」

「なんだか朔矢、咲希ちゃんのことを話すといつも辛気くさいというか、自嘲気味になるわよね」

「そうかな」

「ええ、キノコが生えてきそうだわ」

「流石にそれはないかな」

 朔矢は泉の冗談に少しだけ笑う。咲希の話題になると自分が自嘲気味になることは朔矢も自覚はしている。だが、不慮の事故だったとはいえずっと想い続けていた一人の女の子を独りぼっちにしてしまった自分を、責めずにはいられないのだ。

「そうだわ。また生きてた頃みたいに咲希ちゃんって呼んでみたら? 案外あっさりと記憶が戻るかもよ」

「ないない」

 それに、と朔矢は続ける。

「きっとそのうち、僕の想いは彼女の邪魔になる」

「どういうこと?」

 意味が分からない、と泉が眉間にしわを寄せるのを見て、朔矢は自嘲気味な笑みを浮かべる。

「生前は、咲希さんが笑顔を向ける相手は肉親を除いて、僕だけだった。だけど徐々にそれは変わってきている。初めは僕にも笑顔を向けなかった咲希さんが、今では僕も含めて様々な人ビトに笑顔を向け始めている」

「……やきもちを妬いているのね」

「そんな生易しいものならいいけど」

 朔矢が鼻で笑う。朔矢らしからぬその態度に、泉は不安げな視線を朔矢に向ける。それを無視して朔矢は続けた。

「僕はずっと、彼女と誰かの架け橋になれたら、と思ってた。それは今でももちろん変わってない。実際みんなに心を開き始めている彼女を見ていて、嬉しさを感じているのだから。でもそれ以上に感じたのは、やがて彼女の中での一番は僕ではなくなるんだろうな、という寂しさだったんだ」

「なればいいじゃない、一番に」

 朔矢は顔を上げて、泉の方を向いた。しっとりと湿っている茶色の猫目には、真剣な光が宿っていた。

「好きなんでしょ? 咲希ちゃんのこと」

 泉の視線から逃げるように、朔矢はそっと顔をそらして目を伏せる。

「だめだよ」

「どうして――」

「僕はもう、死んでるんだ」

 強い口調だった。泉はじっと朔矢を見つめる。

「諦めるの?」

 朔矢はなにも答えずに眉を寄せて笑った。その笑みを見続けることができず、泉は朔矢から目をそらした。朔矢が大きく伸びをする。

「眠いし、僕はもう樹に戻るよ。泉は?」

「私も戻るわ」

「そう、気をつけてね」

 おやすみ、と朔矢が言うとほんのりと泉の頬が赤らんだ。その意味が分からないほど朔矢は子供ではないし、見て見ぬ振りをするくらいには大人だった。朔矢は手を振る。

「ありがと。おやすみ」

 泉も手を振ると、すっと花びらになり夜の闇に消えた。

 それを見送ると、朔矢も花びらになった。

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