3章

「ん、うぅ……、ん? なんか、やけに暑くないか?」

 アツキは真夏のような暑さを感じ、その違和感で目が覚めた。目をこすりながら身体を起こし、隣にいるお爺さんの方に目を向ける。そして、一気に眠気が吹き飛んでしまった。

「……えっ、うそっ! ここって!?」

 目の前には、見覚えのある森が広がっていた。大きな樹も、身体の周りの絨毯の様な苔も、頭上のやけに弱い太陽も、凄まじいデジャヴと共に夢の記憶が蘇ってくる。

「この前と同じ夢か! あれっ!? ……聞こえる!」

 記憶では、音が全く聴こえなかった。しかし、自分の声も、樹の葉の揺れる音や鳥の鳴き声も、当たり前に聴き取れている。

(そうだ、確か変な音も聞こえたはず……)

 立ち上がって耳を澄ます。すると他の音のせいなのか、前の夢の時より小さく聴こえてくる。

「やっぱり聴こえてくる。確か辿って行って…………まぁいいや、行けば思い出すだろ」

 アツキは、こうなったらしょうがないと、音を追って歩き出した。




「はぁ~、暑いなぁ~。前はこんなじゃなかったよな?」

 前の夢より足取りは軽かったが、うだるような暑さに上着は脱いで長袖とズボンをまくってはいるが、全身汗まみれになっていた。

「ほんとにこれ、夢なのか? なんか大事な事を忘れてる気がするし……」

 アツキは今更になって、リアルすぎる感覚と思い出せない部分に、不安を感じ始めた。それでも、引き返してはしょうがないと進んでゆく。そんな時、早くも森の終わりが見えてきた。

(森が終わるの、こんな近かったっけ? 全然歩いてないよな?)

 前の夢では夕方になっていたが、空は未だ抜けるような青色だった。そして近づくにつれ、アツキに記憶が戻ってくる。

「そうだ! この先に綺麗な川があって…………あれ?」

 森を抜けた先には、オパール色に輝く美しい川があるはず。しかし、水は透明で岸も白い砂だったが、記憶とは全く違う川だった。

(おかしいなぁ。もっと光って、綺麗だったんだけどな?)

 アツキが川に近づこうと踏み出した時、

「ζηλσδωθγµ!」

 急に誰かの声がした。アツキは驚き、声がした方を見る。するとアツキが立っている場所から、右に約十メートル離れた川岸に少年と少女が立っていた。

 少年は茶色の短髪に、活発そうな顔立ちをしている。アツキと同じくらいの背丈で、歳も同じくらいだろうか。服の上には金属製の簡単な鎧を着ている。そして、腰の剣に手をかけ、アツキを睨みつけながら少女を庇う様に立っていた。

 少女は同じ茶色の髪を後ろで結い上げ、少し幼さが残る顔立ちをしている。背も低く、アツキより年下の様だ。少年と同じ様な服を着ていて、鎧は身に着けていなかった。少年の背後から、緊張した面持おももちでアツキを見ていた。

「!!……」

 アツキが、剣と向けられる雰囲気に何も言えず固まっていると、

「ζηλσδωθγµ!」

 少年は再び何かを言った。言葉は分からないが、警戒しているのは明らかだ。

「待ってくれ! 危害を加えるつもりはない!」

 アツキは両手を上げて見せ、敵意が無い事を伝える。

 その様子を見た二人は、アツキから視線を外さず何か小さい声で話し合っている。そして少年は、剣から手を離した。

 やっと緊張を解くことができ、アツキは胸を撫で下ろす。ただでさえ暑いのに、さらに変な汗をかいてしまった。

 どうしたもんかなぁと思っていると、少女が近づいてきた。少年が何か言ったが、それに短く返すだけで少女は構わず歩いてくる。そして、アツキの目の前で立ち止まると、腰の革袋からペンダントらしき物を取り出した。次に少女は、首にかけろとジェスチャーしてくる。

「な、なんだ? かければいいの?」

「ηλσδωθγσδ」

 どうやら「そうだ」と言っているらしい。ペンダントトップには、簡単な装飾の金具に小さな赤褐色の丸い石がついている。見た目は普通のペンダントの様だ。アツキは言われた通り、恐る恐るペンダントをかけた。

「これでいい?」

「はい。私の言ってる事が分かります?」

「うわっ、すげえ! 言葉が分かる! どうなってるんだ!?」

 直接頭に意味が伝わってくる様な、相手が話すとテレパシーが来る様な、そんな感覚がした。アツキは驚き、ペンダントを手に取って調べ始める。

「えっ!? お兄さん、コムニカを知らないんですか!?」

 今度は少女が驚いて、アツキをじっと見ている。その様子から正直に言おうか一瞬迷ったが、嘘をつくのも変かと思い隠さず話す事にした。

「言葉を訳してくれる物は知ってるけど、首にかけただけで言葉が分かる物は、初めて見るよ」

 アツキは再び、手の上のコムニカに視線を落とす。何度見ても普通のペンダントにしか見えない。

「冗談じゃなくて本当に知らないんですか!? 小さい子だって皆知ってるのに。コムニカを知らない人、初めて見ました」

「そ、そうなのか?」

「私はてっきり、失くして困ってるのだとばかり……」

 少女はよほど驚いたのか、アツキの顔をまじまじと見続ける。

「おい! オレがいるの忘れんなよ」

 そんな二人に、少年が近づいて来て声をかけた。

「あ、そうだった。ごめんお兄ちゃん」

「そうだった、じゃねぇ! まったく」

「でも大丈夫だったでしょ? ちょっと変わった人だけど」

「まぁ、な」

(今回の夢は、本当にリアルだなぁ)

 アツキは二人のやりとりを、ボーっと考えながら聞いていた。

「で、おまえ名前は?」

「えっ!? あ、ああ、アツキだ」

「名前も変わってるんだな!? オレはアレック、こっちが妹のベルタだ。よろしくな!」

「よろしくです」

 アレックは握手の手を伸ばし、ベルタは丁寧にお辞儀をした。

「アレックとベルタか。よろしく!」

 アツキも手を伸ばし、アレックと握手をする。

「それで、アツキはどっから来たんだ? オレとベルタは少し行った所にある、オリエ村に住んでるんだけど」

 アレックの問いに、ベルタも頷いている。

「それが気付いたら森の中で、変な音を頼りに川まで来たら、二人に出会ったんだ」

「気付いたら森の中で、変な音、ですか?」

「うん。今も聴こえるこのザーーーーって、…………そうだ! あっちの滝の音か!」

 ベルタの質問で、アツキは音の正体を思い出した。

「滝があるのを知っているって事は、アツキさんは前にも来た事があるんでしょうか?」

「ああ、たぶん。今回で二回目かな? 前と少し違う所もあるけど」

 アツキの話を聞いて、アレックは首を傾げて考え込んでしまった。しかしベルタは、なるほど! と直ぐに思い当たったようだ。

「つまり、記憶喪失ですね! 気付いたら森の中にいた事も、コムニカを知らないのも説明出来ます!」

「じゃあ、この変な服を着ているのはどういう事だ?」

 アレックが、アツキの服を指さしてベルタに聞く。

「きっとアツキさんの出身地は、スゴい辺境なんですよ! 服もですけど、黒髪も珍しいですし! 何かとてもショックな事があって、それで記憶を失いフラフラ森を彷徨さまよってたんですよ!」

「いやいやいや、ちょっと待って! 記憶喪失じゃないから!」

 話が変な方向に行きそうになり、慌ててアツキは否定した。

「じゃあ、どうしたっていうんだ?」

「それは、えーっと…………あっ、てかこれ、夢じゃん」

 アツキの発言に、いよいよ二人は混乱した。

(夢の中の人に、こんな事を言うのはどうなのかなぁ……)

 そんな事を思いながらも、アツキは二人に説明する。

「今、俺は公園の芝生で寝ながら夢を見てて、ここはその夢の中なんだ。だから目が覚めれば大丈夫」

 アツキの更なる発言に、二人は混乱を通り越して冷静になる。そして距離を取ると、ひそひそ顔を寄せて話し始めた。

「これはやべぇよ」

「うん、重傷だね……。見た感じ怪我は無いけど、ロウス山脈の山から転げ落ちて、アパラ川に流されでもして、おかしくなったのかも……」

「この手の相手はした事ねーぞ?」

「私だって初めてだよ」

 アツキは、少し離れて二人の後ろ姿を見ていた。

(お前は夢だと言われたら、そういうリアクションになるよなぁ。二人に何て声をかけよう)

 アレックとベルタが、チラっ、チラっ、とアツキの方を盗み見る。

「現実を夢と思っているとか、記憶喪失より厄介じゃね?」

「どうしようか? やっぱり、ちゃんと教えてあげなきゃ駄目だよね?」

「取りあえずそれしかねぇな……」

 二人は話し終わり、微妙な表情でアツキの方へ向いた。そしてベルタが一人、近寄ってくる。その表情は、一種の決意に満ちていた。

「ん? どうしたの?」

「失礼します!」

 ベルタはそう言うと、手を伸ばしてアツキの頬をギューッと引っ張った。

「あででで! ちょっ、何するんだ!?」

 つねられた頬をさすりながら、アツキはベルタに抗議する。

「アツキさん、どうですか?」

「どうですかって、痛いに決まってるじゃ……『痛い』!? えっ!?」

 アツキは頬を手で押さえたまま、硬直してしまった。

「あの、もう一度やりましょうか?」

 少し遠慮がちに、ベルタが聞いてくる。

「…………お願いします。出来れば、より強めで」

 今度こそ夢から目覚めるはずだと、希望を抱いて頬を差し出した。結果は、更なる痛みと頬が余計赤くなっただけだった。




「アレック、こんなもんでいいか?」

「お! ありがとな! これで必要なベルス石は大体集まった!」

 動物の皮で出来た袋に、アツキも手伝って集めたベルス石がたくさん入っている。ベルタの話では河原の白い砂や落ちている石は、全てベルス石と言う鉱石らしい。

(困ったなぁ、携帯は全然動かないし)

 アツキの脳裏に、ついさっき判明した事と今後の不安がよぎる。

 ――ベルタに頬をつねられた後、夢ではなかった事に落ち込みうなだれてしまったアツキを、二人は取りあえずそっとしておく事にし、中断していた作業に戻っていた。

 飲み水を貰って二人をボーっと見ていたアツキだったが、徐々に落ち着きを取り戻した。そして、二人には記憶喪失という事にし、自分の国に帰る方法を探したいと話した。

 アレックとベルタは協力すると言ってくれて、村に行けば何か分かるかもしれないとの事だった。それからアツキも二人の作業を手伝い、終わったら三人で村に行く事になっていた。

(ほんとここは何処なんだ? まさか別世界とか言わないよなぁ……。いかんいかん!)

 まずは目の前の事から情報収集していこうと、ネガティブな考えを切り換える。

「なぁ、このベルス石ってやつ? 何に使うんだ?」

 アツキは、足元に落ちている川岸の白い石を適当に拾った。前は綺麗に光っていたが、今はどう見てもただの石に見える。

「なんだ知らないのか? ベルス石は、この辺りでしか採れないオリエ村の特産物で、土産として有名なんだ! すげぇ綺麗に光るんだぜ!」

 アレックは得意気に答えた。

「前に見たことあるけど、なんで今は光っていないんだ? 土産って事は、光らせ方があるのか? そうじゃなきゃただの石だろ?」

「それは、えー…………と、とにかく光るんだ!」

 アツキの質問攻めに、得意げだったアレックはすっかり押され気味だ。

「ほんとお兄ちゃんは頭悪いんだから。私が説明しますね」

 見かねたベルタがやってきた。ベルス石の入った袋から一つ取り出すと、自分の掌の上に乗せた。

「まず、“ミュステ”は分かりますか?」

「みゅすて? いや、分からないな」

魔力ミュステというのは、この世界のあらゆる事象と存在の根源となっている力で、周りの物はもちろん、私達自身も魔力ミュステと常に相互関係を持っていると考えられています。そして、魔力ミュステを故意に利用することによって、この世界――ロスメタリアにかけ合い、事象に直接干渉し、自然の流れに反する様々な現象を起こす事が出来ます。その手段を、魔術メイガと呼んでいます」

魔力ミュステ魔術メイガ、か……」

 アツキの中での別世界説が、いよいよ確定になってきた。

「あのぉ、続けても大丈夫ですか?」

「あ、ごめん。続きをどうぞ」

 ではと改め、ベルタは続ける。

魔力ミュステを利用し魔術メイガを操るのは、一般的には魔術師メイガスと精霊、一部の魔物だけです。しかし、条件が揃えば自然界でも起こりえます。このベルス石もその一つです」

 ベルタはアツキに見せるように、ベルス石を指で持ち上げた。

(……これはもう、別世界待ったなしか……)

 アツキは、もうなるようになれと、半分諦めの様な気持ちで話を聞いていた。こうなれば仕方がないので、もっとこの世界の事を知ることにする。

「ということは、ベルス石は自然に魔術メイガが発動して、それで光るってこと?」

「はい。だいたい合っています。ベルス石は、陽の光を浴びて光の中の魔力ミュステを集めます。そして、夕陽のオレンジ色の光を浴びると、溜めていた魔力ミュステを赤、青、黄、緑の様々な光にして放出するんです。」

「へぇ~、なるほど。それでまだ光ってないんだな?」

「その通りです。お土産用のは、ランプのオレンジの光を当てると簡単に光るんですよ」

「とまぁ、そんな感じだ!!」

 ベルタの説明が終わるのを待ち構えていたかの様に、アレックが会話に入ってきた。

「何でお兄ちゃんが最後だけ締めるのよ!」

「自分に出来る事、言える事を全力でやる! この信条は大事だぞ?」

「お兄ちゃんが言うと色々台無しよ」

 アツキは二人の言い合いを苦笑いで聞きながら、ペンダントの事を聞きそびれていたと思い出す。

「コムニカだっけ? これはどうなってるんだ?」

 ベルタはハッとなって向き直ると、コホンと咳払いをした。

「コムニカは、大昔の魔術師メイガスが発明した物です。お互いにコムニカを持っていれば、自分の話す言語の意味を直接伝えてくれるんです」

「それは便利だな。二人も持ってるのか?」

「はい。私は指輪の形のコムニカを」

「オレは腕輪形を持ってるぜ!」

 二人はそれぞれ、同じ赤褐色の石が付いたコムニカを見せた。

「でも、通訳は完璧じゃないこともあるんです。特に名前なんかは、訳せないことが時々あります」

「コムニカとか、ミュステって聞いて、俺が分からなかったみたいに?」

「その通りです。名前は言葉というより記号に近いので、誤作動するみたいです」

「なるほど。……あのさ、これ、どこに行けば手に入る?」

 アツキは、帰り方を探すのには絶対に必要だと思い、なんとか手に入らないかと聞いた。

「え? そのコムニカならあげますよ? 神殿で他国の旅人用に、無料配布している物なので」

「ほんとか!? ありがとう! マジで助かる!!」

 アツキは嬉しさから、ついベルタの手を取って喜んだ。

「わっ!……いえ……あの、良かった……です」

 ベルタは恥ずかしげに顔を真っ赤にする。

「はいはいはいー! そこまでだアツキ! 村の守備兵隊であるオレが、そんなことは許さない!」

 アレックが二人の間に割って入り、つないだ手を離させた。

「あ、ごめん! つい勢いで……」

「い、いえ、大丈夫です」

「えっと、その、アレックは守備兵なのか?」

 アツキは誤魔化す様にアレックに聞いた。

「ああ、そうだぜ。隊長が認める期待の星だ! まぁ、実戦はほとんどないけどなー。一応この国は戦時下だけど、村は相変わらずド平和さ」

「お兄ちゃん、不謹慎だよ」

「いや、分かってるんだけど訓練ばっかりじゃねぇ~」

 アレックは、いやぁ参ったと言わんばかりに頭を掻く。

「……戦争中、なのか?」

 戦時下と聞いてアツキは少し驚いた。ニュースで見た戦争の映像が、脳裏に思い出される。

「とは言っても前線はずっと北の方なので、村には何の影響もないですけどね」

「そっか、遠くなのか。一瞬驚いたよ。……そういえば、ベルタは色々と詳しんだな?」

「私は、神殿の神官見習いなんです。それで小さい子を集めて学校を開いていまして、色々知っているのは先生役をやっているお陰ですね」

「へぇ、それはすごいな」

「そうなんだよー。我が妹ながら、周りから天才児なんて呼ばれてしまっているんだよ」

 アレックが嘆くような調子で言う。

「ちゃんと勉強すれば誰だって身に付くよ。お兄ちゃんはやらなすぎ!」

「いや、それは、ほら…………あ! いい感じに夕陽が照ってきた! そろそろベルス川が光るから、いつもの場所で見ようぜ!」

 アレックは逃げる様に、一人滝の方へ走っていった。

「まったくもう!」

「いつもの場所って、滝の方?」

「あ、はい。崖上からの景色と、光るベルス川の両方を見れるんです。ここに来たらいつも見て帰るんですよ」

 ベルタの話を聞き、アツキの脳裏にその景色が蘇ってくる。

「あっ! やたら綺麗な、あの眺めか!」

「思い出しましたか!? 実際に見たら、もっと思い出すかもしれないです。早く行きましょう!」

 二人は、アレックの立っている所に急いで向かう。アツキはまだ何か忘れている気がして頭を捻ったが、それ以上は全く出てこなかった。

「二人とも、今日はツイてるぞ! ピュサルスがいる!」

「ほんとだ! 珍しい!」

「ピュサルスって、空を泳いでるあの鯨?」

「ああそうだ! ピュサルスは普段滅多に見られないんだ!」

 一匹の空飛ぶ巨大な鯨は、彼方の空を優雅に泳いでいた。アツキの知る鯨の何十倍もある、文字通り山の様な巨体がオレンジ色の空を泳ぐ。

「すごい……。じゃあ、群れて飛んでる緑の鳥みたいなのは?」

「あれは小風精霊パルウ・ウェンティーです。妖精の一種で、この季節にはよく見られますよ。ついでにお城がある街は、この国――ドナエストル国の中心、王都マグナコルです」

「……何度見ても、この光景は驚くなぁ」

 見るのは二回目だが、やはり元の世界ではあり得ない絶景だった。

「そして続く後ろは、光り輝くアパラ川だ!」

 アレックの声で皆が振り向くと、これも記憶と同じ、オパール色に輝く美しい川が流れていた。

 二人は感動して見入いるが、その時アツキは、夢の最後をようやく思い出していた。

 アツキは急いで森に目を向ける。倒木が川岸に顔を出していた。その胴体から、二本の蔦状の触手が伸ばされようとしている。

「アレック! ベルタ!」

 真上に伸ばされた触手が、大きく後ろに引かれた。

「避けろっ!!」

 空を切る鞭の様な音を上げて、三人に触手が襲いかかった。

 アツキは前方に、一気に数メートル飛んでその一本をかわす。アレックは剣を抜き放ちながらベルタの前へ飛び出し、もう一本の触手を弾いた。剣が甲高い音を上げる。

 巨大ミミズは触手を戻すと擬態を解き、頭をもたげてこちらを探るように動かない。

 アツキは腰を落とし、いつでも避けられるように構え、アレックも剣を握り直した。

「アツキ大丈夫か!?」

「平気だ! 何なんだこいつは?」

「これは、ファールソワームです! 麻痺毒がある触手に気を付けてください!」

 再び触手を大きくしならせ、アツキとアレックへ伸ばしてきた。アツキは後ろに跳んで躱し、アレックは剣で切り付け弾く。

「切ろうとしてるけど結構硬ぇな!」

「どうする? 逃げるか?」

 ファールソワームが、森から川岸へ全身を踊りだす。全長は三メートルくらい、太さは大人二人分は優にありそうだった。

「追ってきて村に来たら厄介だ。ここでなんとかしたい……。ベルタ! 弱点とか知らないか!?」

「えっと、……確か、炎に弱いはず。私が炎の魔術メイガを使うから、お兄ちゃんは時間稼ぎ出来ない?」

「分かった! アツキは安全な所に隠れてろ!」

 アレックは剣を構えると、地面を蹴って走り出す。すかさずファールソワームが触手を伸ばしてきた。左右あるいは、上下斜めに襲い来る二本の触手をいなしつつ、付かず離れずの間合いを保つ。そのままベルタから遠くへ移動し、十分に注意を引き付ける。

 目を閉じたベルタは、左手を身体の前に水平に伸ばし、右手で左手首を掴んだ。

「輝く焦熱しょうねつ、射るは対者たいじゃ顕在けんざい

 呪文を唱えると、伸ばした腕が淡く赤色に光り始める。

輝炎弓矢フラン・アルクス!」

 ベルタが目を開けそう叫ぶと、炎が吹き出す音と共に、左手に炎の弓が造られた。

「……あれが、魔術メイガ……」

 岩の陰に隠れて見ていたアツキは、思わず感嘆の声を漏らした。

 ベルタは、周囲を赤く照らす炎弓を構えると、右手で引く動作をする。すると、一部の炎が弓から移動して炎の矢となった。

「お兄ちゃん!」

「おうっ!」

 アレックが後ろに跳び、大きく距離を取った。

 直後、狙いを定めた炎の矢が発射され、赤い軌跡とわずかな風切音を残し、ファールソワームのもたげた首の根本に命中した。矢は安々と分厚い皮を貫通し、体内で炸裂する。

 ファールソワームは口から勢いよく火を吹き、ゆっくりと倒れて動かなくなった。

「よっしゃ! よくやったベルタ!」

 焼け死んだファールソワームの傍に、アツキとベルタが集まってきた。

「ベルタの炎の弓矢、ほんと凄かった!アレックも、期待の星って本当だったんだな!」

「そりゃあ、本当に決まってるさ」

「ありがとうございます! 成功して良かったです」

 アレックはここぞとばかりにドヤ顔を作った。ベルタは褒められ嬉しそうだったが、直ぐに表情を曇らせる。

「……それにしても、なんでこんな所にファールソワームがいるんでしょう?」

「確かにこんなヤツ見たことねぇぞ」

「そうなのか?」

「もっと山の方、ロウス山脈に生息しているはずです。この辺りに出現したなんて、ほとんど聞きません」

「環境が変わって下りてきたとか?」

「どうでしょう? 村にいて異常な事はありませんでしたが……」

「まぁ、ここで考えたってしょうがねぇ。遅くなる前に村に帰ろうぜ」

「そうだな。別のがいるかもしれないし」

 長居は無用と、三人は荷物を纏めて村へと向かうことにした。滝から崖沿いに、森の中へ少し入っていく。すると人一人がやっと通れる石階段があり、三人で縦に並んで下りていく。

 階段を下り終わると崖下の森の中に出た。そこから細い道が、木々の中へ続いている。二人の話では、この道を一時間程歩くと村に着くらしい。道中、ランプの灯り(これも魔術メイガを利用したもの)を頼りに、歩きながら色々なことを聞いた。

 まず二人の年齢だが、アレックは十六歳で、ベルタは十四歳だった。アツキが歳を告げると同年代が少ないらしく、二人から大歓迎を受けた。そして、ロスメタリアでは一般的に十五歳で成人のようで、アレックは既に成人という事だった。

 三人が向かっているオリエ村は、人口数百人の比較的小さな村で、ロウス山脈のふもとに広がるケラルス大森林の中にあった。アロデア教という宗教があり、オリエ村はその聖地の一つで、大勢来る巡礼客が主な収入源になっていた。アレックとベルタの両親も巡礼客相手の宿屋を営んでいて、二人は時々手伝っているらしい。今日採ったベルス石も、宿屋の売物用だそうだ。

 そして、アツキが過去に槍術をやっていたこともばれてしまった。アレックには「あの身のこなしはなかなかだ。守備隊に入らないか?」と誘われたが、丁寧にお断りした。

 正直、ファールソワームを倒した時は、ただ怖くて必死に逃げていただけだ。またあんな事に出遭うのはごめんだと、アツキは思っていた。

「あ、見えてきましたよ」

 ベルタが指さした先に、街灯に照らし出された木製の門と村を囲う塀が見えてきた。

 門をくぐるとこれもまた、見た事ない光景が広がっていた

 見上げる様な巨木が至る所に生え、その木の間に大きなログハウス状の家が建っている。巨木と家は融合しているかに見え、街灯に照らされた道は、木々と家の間を縫う様に伸びている。道を歩いていると左右を木の壁に挟まれている気がして、まるで巨大な木の中に、村がそっくり収まっている様な印象だった。

「じゃあオレは、隊長にミミズヤロウの事を報告してくる。ベルタはアツキを連れて、先に帰っていてくれ」

「うん、分かった」

 アレックと一度別れ、ベルタの案内で二人の実家の宿屋に行く。

 巨木の間の道を進むと、その宿屋は村の入口の割と近くにあった。如何にもゲームに出てきそうな、年月を感じさせる木造四階建ての建物だ。焦げ茶色の重厚な木造りで、巨木と巨木の間にどっしり構えられている。建物自体が大きな木の様だった。

「ようこそ! 宿屋シルクスへ!」

 ベルタが大きなドアを開けて招き入れてくれた。

「ありがとう。それじゃあ、お邪魔します」

 二人が中へ入ると、アレックとベルタの両親が奥から出てきた。ベルタの紹介で挨拶を一通り済ませる。二人の両親は最初驚いていたが、これまでの経緯をベルタと一緒に説明すると、アツキを快く迎えてくれた。

 そうこうしている内にアレックが帰ってきた。皆で話し合った末、取りあえず今日はゆっくり休み、今後の事は明日になって決める事になった。

「はぁ~、色々ありすぎて疲れたな……。今頃、家は大騒ぎかなぁ」

 夕飯にお風呂まで頂いたアツキは、貸してもらった最上階の部屋のベッドに横になっていた。汗だくになった服の代わりも用意してもらい、至れり尽くせりだ。

「良い人達ばっかりだ。何かでお礼出来ればいいんだけど」

 何か返せる事はないか考えたが、頭は疲れでボーっとしてしまう。夜風に当たろうと、木の窓を両手で押し開けた。

「……これはまた、すごいや……」

 夜空には見た事もない無数の星が瞬き、天の河が二つ、空を平行して縦断していた。その二つの天の河を挟む形で、左右に一つずつ赤と青の満月が輝く。

 右側の青い月には白くぼんやりと光る輪があり、左側の赤い月はルビーの様に一番明るく光っている。森の中では見えなかったが、ここからは星空が一望出来た。

 そして夜闇の中、二つの月光と星々の明かりに、オリエ村のシルエットが幻想的に浮かび上がっている。

「本当に、別の世界なんだな……」

 荘厳そうごんな星空と神秘的な眼下の村を、アツキはじっと眺め続けたのだった。

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