2章

「ハァッ!」

 凛と澄んだ声と共に、剣から眩い光が一閃した。三メートルにもなる巨大なトロルは、その一閃を正面から受け、持っていた粗雑な大剣ごと真っ二つになる。断末魔すら上げず地に倒れ伏した。

 フィリシアは右手で振り下ろした剣の構えを解き、顔を上げて辺りを見渡した。

 自分が立っている海沿いの草原では、モンスターの群れと鎧姿の兵士達が、激しく武器を交えている。金属がぶつかる甲高い音、双方の叫び声、空中を走り飛ぶ魔術の光と炸裂する爆発。猛攻を受けるモンスターの群れは勢いを失い、おびただしい数のゴブリンやトロルの死骸が草原に転がっていた。こちらが優勢なのは明らかで、戦闘の終わりは近い。

 そこへ突然、大きなゴブリンが血糊の付いた剣を手に、横から奇声を上げて襲い掛かってきた。フィリシアめがけ、剣が素早く突き出される。

 切っ先があと数センチで届く必殺の距離まで迫り、ゴブリンは醜悪な笑みを浮かべる。

 しかし次の瞬間、ゴブリンの目の前からフィリシアの姿が消えた。剣を突き出す動きは止まらず、目だけがそれを認識する。そして、最後にゴブリンが目にしたのは、眩い光が背後から一閃して自分の影が前方に伸びるさまだった。

 フィリシアは構えを解くと、左右に分断されたゴブリンの死骸を一瞥いちべつし、再び周囲に目を向ける。

「ここはもう、大丈夫そうね……」

 戦況をはかるフィリシアは、小顔に絹の様な白銀の長髪に、エメラルドを思わせる翠緑色すいりょくしょくの瞳が印象的な、人間離れした美しい少女だった。歳は十代後半くらいで、銀髪が海風に揺れ、時折光の反射で桜色に色づいて見える。均整の取れた華奢な身体に、水色と桜色をアクセントにした流麗りゅうれいな白い鎧を着ていた。手に持った剣は紙の様に薄い透明な刃で、刀身の根元と柄に銀灰色の装飾が施されている。

 たたずむフィリシアの後方から、一人の兵士が馬を引いて急ぎ足にやってきた。傍まで来ると、両足を揃えて敬礼をする。

「報告します! 味方陣営より、我が軍の防衛域内、ほぼ全てのモンスターの排除を確認しました」

「それでは、全隊に通達! 交戦中の敵を殲滅後、味方本陣まで転進。以後、この地域の防衛はワスティタ国軍に引継ぎます」

 流れる様な動作で腰の鞘に剣を収め、フィリシアは凛然とした口調で指示を出す。

「了解!」

 兵士はフィリシアが馬に跨るのを見届けると、急ぎ伝令するため、待たせている馬へと走っていった。

 フィリシアは、馬上から南の方をじっと見つめた。北東から南西に向かって、巨大な石壁の様に連なるロウス山脈が見える。その向こう側は自分達の国、ドナエストル国があった。

(ロウス山脈の向こう側、オリエ村の方角……。あの大きな力は一体……)

 戦闘中フィリシアは、ほんの一瞬だけ南のオリエ村の方角から、得体の知れない大きな力を感じ取っていた。

(もしかして、昨夜の夢と関係がある?)

 そして、昨夜の夢では見覚えのない女性が現れ、よろしくお願いね、と言われたのだ。夢とは思えない現実感があって、目が覚めた時、今が夢と現実どちらなのか分からないほどだった。姿はもう思い出せないが、女性の雰囲気をひどく懐かしく感じた事だけは覚えている。

 フィリシアは胸騒ぎを覚え、掛け声と共に勢いよく馬を走らせた。




 陽が落ちて暗くなる頃、自軍本陣に戻ったフィリシアは、馬を預けると指令部天幕へ向かった。天幕の入口には二人の近衛兵が直立不動で立ち、敬礼だけをフィリシアにする。灯りで照らされた天幕内は、紺色の絨毯が敷かれ、中央には七、八人が座れそうな円卓が置かれている。

 そして男が一人、広げた地図を立ち上がって見ていた。男は二十代半ばくらいの年齢で、ワインレッドの短髪と同じ色の瞳を持ち、剛健な顔つきをしている。背丈は男性の中でも頭一つ出るほど高く、鍛え抜かれた体に青色の鎧を身に着けている。男の傍には、フィリシアの背よりも大きな、赤銅色の大剣が円卓に立て掛けてあった。

「お疲れ様」

「おう! フィリシアお疲れ!」

 顔を上げた男は、片手を挙げて軽い調子に返した。

「ラガスは早かったのね」

 フィリシアはラガスの横へ歩いて行くと、同じく地図を覗き込む。

「本陣の割りと近くだったしな。ワスティタに同盟の義理は果たしたし、さっさとドナエストルに帰ろうぜ! ここの酒は不味い! 帰ってゆっくり飲みてぇ」

 そう言ってラガスは、思い切り伸びをした。場所を問わず相変わらずなラガスに、フィリシアは苦笑いを浮かべる。

「その帰還の事なのだけど、私の隊もラガスが連れて行ってくれない? 気になる場所があるから、一時私は隊を離れたいの。個人的な理由だし、少数の部隊だけでと思って」

 伸びをした後、今度はゴキゴキと首を鳴らしているラガスに、フィリシアは自分の希望を伝えた。話を聞いたラガスは、腕を組んで逡巡する。

「まぁ構わねぇが、隊から離れて一体どこに向かうんだ?」

「ここからずっと南、オリエ村よ」

 フィリシアは地図上に指を走らせ、現在のドナエストル国とワスティタの国境付近から、南下してロウス山脈を越え、ケラルス大森林の中にあるオリエの文字を指さした。

「気のせいかもしれないけど、オリエ村の方から一瞬大きな力を感じたの。その力から悪意や負の要素は感じなかったけど、様子を見に行きたい」

「大きな力か……。フィリシアの感覚は、ずば抜けて鋭いからなぁ」

 ラガスは眉間に皺を寄せて地図を睨み、少し真剣な口調で続ける。

「……今回の遠征なんだが、どうもモンスター達が変だ。これから色々調査させるが、何となく統制が執れていて、今まで以上に組織的な動きをしてやがった。数もやたら多かったし、裏で何かが動いてるかもしれねぇ」

「ええ、確かにそうね……」

 フィリシアは、昼間の戦いを思い出す。これまでモンスターは、数百匹の群れで街を襲う事はあっても、今回の様に数千匹規模で来る事は過去に例がない。その上、指揮官の様な素振りをするモンスターもいたのだ。

「一応、注意しておけよ」

「それは大丈夫よ。クレイヴも一緒だしね」

 フィリシアはそう言って、腰に吊るされた剣の柄をやさしく撫でた。

「そうだったな! なるほど恐ろしいコンビ! 一騎当千の戦闘狂には、古代竜ぐらいじゃないとお相手にならないかな?」

「それはラガスの方でしょ! 私は全然大人しいです!」

、な?」

「比べなくても!」

 心外だと言ってふくれるフィリシアに、おどけたラガスは降参の手を挙げる。

「ハッハッハッハッ! すまん、すまん! 冗談は置いといて、腹が減ったからそろそろ飯にしようぜ! 少数とはいえ、今日は出発しないだろ? 今夜は食べたいだけ食べれるぞ」

 ラガスは自分の剣を背中の剣帯に留め、円卓の上の地図を丸める。フィリシアは、まだ何か言いたそうにラガスを見るが、諦めて溜息をついた。

「そうね。兵士達も疲れてるだろうし、明日の朝に出発するつもりよ。あ、そうだ! 王都に戻ったら、テルラとソラに帰りが遅くなってごめんなさいと伝えて」

「ああ、わかったぜ」

 二人は揃って大天幕を出ると、陣内の食堂に向かう。ほんのりと良い匂いが漂ってきた。

(……夢に出てきた女性の言葉……。よろしくお願いねとは、何の事だろう……)

 フィリシアは歩みを遅くし、昨晩の夢の事を思い返す。やはり、オリエ村の方角から感じた力と関係しているのだろうか。

「何だ? まだなんかあるのか?」

 前を歩くラガスが振り返る。

「……いいえ、何でもないわ」

(それこそ、行ってみれば解る事よね)

 フィリシアはラガスに追いつくと、香ばしい肉と香草の香りに意識を向けたのだった。

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