2章
「ハァッ!」
凛と澄んだ声と共に、剣から眩い光が一閃した。三メートルにもなる巨大なトロルは、その一閃を正面から受け、持っていた粗雑な大剣ごと真っ二つになる。断末魔すら上げず地に倒れ伏した。
フィリシアは右手で振り下ろした剣の構えを解き、顔を上げて辺りを見渡した。
自分が立っている海沿いの草原では、モンスターの群れと鎧姿の兵士達が、激しく武器を交えている。金属がぶつかる甲高い音、双方の叫び声、空中を走り飛ぶ魔術の光と炸裂する爆発。猛攻を受けるモンスターの群れは勢いを失い、おびただしい数のゴブリンやトロルの死骸が草原に転がっていた。こちらが優勢なのは明らかで、戦闘の終わりは近い。
そこへ突然、大きなゴブリンが血糊の付いた剣を手に、横から奇声を上げて襲い掛かってきた。フィリシアめがけ、剣が素早く突き出される。
切っ先があと数センチで届く必殺の距離まで迫り、ゴブリンは醜悪な笑みを浮かべる。
しかし次の瞬間、ゴブリンの目の前からフィリシアの姿が消えた。剣を突き出す動きは止まらず、目だけがそれを認識する。そして、最後にゴブリンが目にしたのは、眩い光が背後から一閃して自分の影が前方に伸びる
フィリシアは構えを解くと、左右に分断されたゴブリンの死骸を
「ここはもう、大丈夫そうね……」
戦況を
「報告します! 味方陣営より、我が軍の防衛域内、ほぼ全てのモンスターの排除を確認しました」
「それでは、全隊に通達! 交戦中の敵を殲滅後、味方本陣まで転進。以後、この地域の防衛はワスティタ国軍に引継ぎます」
流れる様な動作で腰の鞘に剣を収め、フィリシアは凛然とした口調で指示を出す。
「了解!」
兵士はフィリシアが馬に跨るのを見届けると、急ぎ伝令するため、待たせている馬へと走っていった。
フィリシアは、馬上から南の方をじっと見つめた。北東から南西に向かって、巨大な石壁の様に連なるロウス山脈が見える。その向こう側は自分達の国、ドナエストル国があった。
(ロウス山脈の向こう側、オリエ村の方角……。あの大きな力は一体……)
戦闘中フィリシアは、ほんの一瞬だけ南のオリエ村の方角から、得体の知れない大きな力を感じ取っていた。
(もしかして、昨夜の夢と関係がある?)
そして、昨夜の夢では見覚えのない女性が現れ、よろしくお願いね、と言われたのだ。夢とは思えない現実感があって、目が覚めた時、今が夢と現実どちらなのか分からないほどだった。姿はもう思い出せないが、女性の雰囲気をひどく懐かしく感じた事だけは覚えている。
フィリシアは胸騒ぎを覚え、掛け声と共に勢いよく馬を走らせた。
陽が落ちて暗くなる頃、自軍本陣に戻ったフィリシアは、馬を預けると指令部天幕へ向かった。天幕の入口には二人の近衛兵が直立不動で立ち、敬礼だけをフィリシアにする。灯りで照らされた天幕内は、紺色の絨毯が敷かれ、中央には七、八人が座れそうな円卓が置かれている。
そして男が一人、広げた地図を立ち上がって見ていた。男は二十代半ばくらいの年齢で、ワインレッドの短髪と同じ色の瞳を持ち、剛健な顔つきをしている。背丈は男性の中でも頭一つ出るほど高く、鍛え抜かれた体に青色の鎧を身に着けている。男の傍には、フィリシアの背よりも大きな、赤銅色の大剣が円卓に立て掛けてあった。
「お疲れ様」
「おう! フィリシアお疲れ!」
顔を上げた男は、片手を挙げて軽い調子に返した。
「ラガスは早かったのね」
フィリシアはラガスの横へ歩いて行くと、同じく地図を覗き込む。
「本陣の割りと近くだったしな。ワスティタに同盟の義理は果たしたし、さっさとドナエストルに帰ろうぜ! ここの酒は不味い! 帰ってゆっくり飲みてぇ」
そう言ってラガスは、思い切り伸びをした。場所を問わず相変わらずなラガスに、フィリシアは苦笑いを浮かべる。
「その帰還の事なのだけど、私の隊もラガスが連れて行ってくれない? 気になる場所があるから、一時私は隊を離れたいの。個人的な理由だし、少数の部隊だけでと思って」
伸びをした後、今度はゴキゴキと首を鳴らしているラガスに、フィリシアは自分の希望を伝えた。話を聞いたラガスは、腕を組んで逡巡する。
「まぁ構わねぇが、隊から離れて一体どこに向かうんだ?」
「ここからずっと南、オリエ村よ」
フィリシアは地図上に指を走らせ、現在のドナエストル国とワスティタの国境付近から、南下してロウス山脈を越え、ケラルス大森林の中にあるオリエの文字を指さした。
「気のせいかもしれないけど、オリエ村の方から一瞬大きな力を感じたの。その力から悪意や負の要素は感じなかったけど、様子を見に行きたい」
「大きな力か……。フィリシアの感覚は、ずば抜けて鋭いからなぁ」
ラガスは眉間に皺を寄せて地図を睨み、少し真剣な口調で続ける。
「……今回の遠征なんだが、どうもモンスター達が変だ。これから色々調査させるが、何となく統制が執れていて、今まで以上に組織的な動きをしてやがった。数もやたら多かったし、裏で何かが動いてるかもしれねぇ」
「ええ、確かにそうね……」
フィリシアは、昼間の戦いを思い出す。これまでモンスターは、数百匹の群れで街を襲う事はあっても、今回の様に数千匹規模で来る事は過去に例がない。その上、指揮官の様な素振りをするモンスターもいたのだ。
「一応、注意しておけよ」
「それは大丈夫よ。クレイヴも一緒だしね」
フィリシアはそう言って、腰に吊るされた剣の柄をやさしく撫でた。
「そうだったな! なるほど恐ろしいコンビ! 一騎当千の戦闘狂には、古代竜ぐらいじゃないとお相手にならないかな?」
「それはラガスの方でしょ! 私は全然大人しいです!」
「比べたら、な?」
「比べなくても!」
心外だと言ってふくれるフィリシアに、おどけたラガスは降参の手を挙げる。
「ハッハッハッハッ! すまん、すまん! 冗談は置いといて、腹が減ったからそろそろ飯にしようぜ! 少数とはいえ、今日は出発しないだろ? 今夜は食べたいだけ食べれるぞ」
ラガスは自分の剣を背中の剣帯に留め、円卓の上の地図を丸める。フィリシアは、まだ何か言いたそうにラガスを見るが、諦めて溜息をついた。
「そうね。兵士達も疲れてるだろうし、明日の朝に出発するつもりよ。あ、そうだ! 王都に戻ったら、テルラとソラに帰りが遅くなってごめんなさいと伝えて」
「ああ、わかったぜ」
二人は揃って大天幕を出ると、陣内の食堂に向かう。ほんのりと良い匂いが漂ってきた。
(……夢に出てきた女性の言葉……。よろしくお願いねとは、何の事だろう……)
フィリシアは歩みを遅くし、昨晩の夢の事を思い返す。やはり、オリエ村の方角から感じた力と関係しているのだろうか。
「何だ? まだなんかあるのか?」
前を歩くラガスが振り返る。
「……いいえ、何でもないわ」
(それこそ、行ってみれば解る事よね)
フィリシアはラガスに追いつくと、香ばしい肉と香草の香りに意識を向けたのだった。
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