守護天使タマ

押利鰤鰤 ◆r5ODVSk.7M

守護天使タマ


 1 


 そこは薄暗く、破棄された中世ヨーロッパの城の中を思わせる様な場所だった。


 巨大な岩を積み重ねて作られた壁は、至る所が崩れ落ちていて、盛者必衰の趣がある。


 実際のところは、僕が住む街の郊外に最近出来たばかりのショッピングモールの施設の一つであり、外見とは裏腹に中には高級ブランド店が入っているそうだった。


 「私達にはまったく関係ないですね」


 エスカレーターに乗りながら、目の前の廃城を見て彼女はそう言った。 


「そうだなぁ。稼ぎが倍になっても縁がない場所だなぁ」


 そもそも、着る物に関心のない僕が身に纏うのは勤め先の工場で支給されたグレーの作業服。 


稼ぎがいくら上がろうとも、お盆休みを利用して訪れた自分には、一生縁のない場所に思えてきた。 


「でも、ちょっとくらいオシャレしないとダメですよ。せめて、Tシャツくらいは毎日着替えないと」


 それはオシャレなのかと思ったけど、口には出さない。


 ツッコんだら負けのような気がするからだ。 


「わかったよ。安いのがあったら買うよ」


 エスカレーターを降りると僕たちは身の丈に合いそうな店を探して歩き出した。


 僕たちは恋人同士でもなければ、夫婦でもない。


 仲の良い友人同士というわけでもなく、兄妹でもなかった。 


 彼女は僕の守護天使。 


 僕の目の前に彼女が降臨したのは、ほんの一月ほど前で、それから共同生活が始まった。


 ちなみに僕はキリスト教徒でもなければ、イスラムでも、ユダヤ教徒でもない。 


 新興宗教団体に入っているわけでもなく、特定の宗教を信仰しているという自覚もなかった。 


 正月に一人で初詣に神社に行き、お盆には両親の墓参り、クリスマスは一人寂しく100円ケーキを食べるくらいである。


 そんな程度の、ごく一般的なこの国の住民の宗教観でしかない。 


 そんな僕の前になぜ守護天使が現れたのかは解らない。 


守護天使を自称する彼女に聞いてみたが「そういう運命なのです」と、天使の様な笑顔で答えただけだった。


 守護天使なのであるから、天使の様なというのは当たり前と言えば当たり前なのだけど、彼女の容姿は中学の頃に片思いをしていた山田珠子さんに似ていた。


 肩の所で揃えられた薄い栗色の髪は、天使の輪を輝かせていた。


 背中には、天使らしく二枚の羽が生えている。


 パッチリとした目は良く動き、表情に様々な彩りを与える。


 嬉しいときは嬉しい目で。 


 怒ったときは怒った目。


 彼女の目を見ればその時の感情というものがよく解る。


 今は大きく見開いて、ショッピングモールの中を見回していた。


 「珍しいのか?こういうところ」


 「えぇ、極楽浄土にはこんなに作り込まれた場所はありませんし。だいたい青い空と白い雲だけです」 


 「極楽浄土は仏教だろ? あけど、天使なら地上に降りたりできるだろう?」 


 「私は守護天使なので、特定の方の守護天使を拝命するまで、地上に降りる事は出来ません。それにあくまで守護天使であるので、あまり守護する方から離れる事も出来ません。だから、テレビで見たこの場所に連れてきて下さって、とても感謝感激雨霰です」


 「そんなに感謝されてもなぁ。 お金もなくて、何もしてあげられないけど」 


 「連れてきてくれただけで充分です。お金はないのはわかっていますし」 


 そう言った彼女の身なりは白い長袖のワンピースだった。


 地上10センチくらいに絶えず浮いているので、靴は必要ないらしく、裸足であった。


 浮いていても、僕より頭一つ低い身長の彼女、見ようによっては僕は犯罪者に見えるかも知れない。 


 しかし、僕と同じように、目の前に守護天使が現れた人は多いらしく、ショッピングモールの中でも守護天使の姿をよく見かけた。


 おなじことは世界中でも起こり、各国で対応が急がれている。


 この国でも、国民として扱うか、住民税を取るかどうかで揉めているという話をテレビのニュースで見た。


 食品売り場で今夜の夕食に必要なものを買いそろえる。


 「脂っこいものばかりはダメです。食物繊維もです。大事なのはバランスです」 


 彼女は、僕が買い物籠に入れようとするものを厳しくチェックする。


 知識は栄養士並みである。


 買い物も終え、僕らはアパートに帰る事にした。


 途中、靴屋の前に安いウレタン製の赤いサンダルが売っているのが目に入ったので、彼女に買ってあげる事にした。


 「必要ないんだろうけど」 


 そう言い終える前に彼女は礼を言い、すぐに履いてみせた。 


「ありがとうございます。一生大事にします」 


 天使の一生というのはどれだけの期間を指すのかわからないが、とりあえず喜んでくれて僕も嬉しい。


 手を繋ぎ、僕らは夕焼けの中、バスにも乗らずにアパートに向かって歩く。


 彼女は鼻歌を歌い、とても上機嫌である。


 思えば、彼女はまさに守護天使であった。


 12の頃、両親の交通事故による死によって、天涯孤独の身となり、施設で育ち、そこを18で出た後は、誰も知らない町で暮らしていた僕は孤独であった。


 愚痴を言う相手もいなければ、泣き言を言う相手もいないのである。


 嬉しい事も、楽しい事もそんなに無かったが、そのわずかなものさえ共有する相手もいなかったのである。


 今は彼女がいる。


 それだけで、どれだけ救われただろう。


 そう思うと、感情が高ぶり目頭が熱くなった。


 いつまで彼女との時が続くかわからないが、それは永遠であって欲しいと思った。



 2 彼女には名前がなかった。



 彼女によると、「村瀬浩一郎(僕の名前)の守護天使」というのが彼女の個体名らしく、それ以外の何者でも無いという。


 しかし、それでは呼び方にも困り、名前を付ける事にしたのである。


 外見が中学の頃に片思いをしていた山田珠子に似ていたので、タマと名付ける事にした。


 「にゃんこみたいで可愛い名前ですね」


 彼女も気に入ってくれた様だった。


 アパートに戻って夕食の野菜炒めを食べながら僕らはそんなたわいのない話をする。


 「ではどうぞ」


 どうやら僕に名前を呼んでみろと言う意味らしいかったので、僕は彼女の名前を呼ぶ。


 「タマ」


 「はい」


 「タマ」


 「はい。何か新婚さんみたいですね」


 どこから新婚さんの情報を得たのかは知らないが、タマはそう言って笑った。 


 「明日はどこに行こうか?休みは4日間しかないから、もっといろんな場所にいこう」 


 もうすでに盆休みの初日は終わろうとしている。


 僕はタマといろんな場所に出かけたいと思っていた。 


 だけど、タマは少し悲しそうな顔をして言った。


 「お父さんと、お母さんのお墓参りに行かないとダメですよ。もう、ずっといってないんでしょ?」


 僕は一瞬沈黙する。


 そうすると、タマがもっと悲しそうな顔をするので僕は口を開いた。


 「ずっとと言うか、葬式の後に骨を納骨してから一度も行ってないよ。そもそも場所を正確に覚えていない」


 「それなら問題ないです。私が情報を把握していますので、浩一郎さんが行こうと思えばご案内出来ます」 


 「じゃあ、酷い親だったってのも知っているんだよね?」


 「もちろんです」


 「二人が交通事故で死ななかったら、僕はきっと今の歳まで生きていなかったと思う」


 「背中のやけどは、お母さんに熱湯を浴びせられたからでしたね」


 「父さんには二度、腕を折られたよ。おでこの傷はビール瓶で殴られた痕さ。いま思えばあの交通事故も、何も食べさせてもらえなくて、死にかけた僕をどこか山奥に棄てに行こうとしていたときに起きたんだと思う。後部座席にのせられていた僕は奇跡的に助かっただけで」


 「でも大好きだったんでしょう?お父さんとお母さんのこと」


 「その当時はね。でも、今は死んでくれて良かったと思う。死んでも仕方のない奴はいると思う」


 「かわいさ余って憎さ百倍って言う奴ですね」


 「何か違うと思うけど」 


「雰囲気です。でも、お墓参りにいって憎しみを置いてきましょうよ。憎しみを抱いたままだと、未来は開けません。そうしましょう。明日はお墓参りに決定です」


 「いいけど」


 本当のところはお墓参りなんて行きたくないのだが、タマに押し切られる形で約束してしまった。


 産まれ育った町に帰るのは施設を出てから7年ぶりであり、良い事なんてほとんど無かったあの町に帰るのは気分が重い。


 その夜はタマに抱きかかえられて寝たのだが、見た夢はまだ父さんが経営する工場が儲かっていた頃で、僕と父さんと母さんが食卓を囲み笑顔で夕食を食べている夢だった



 3 墓参り



 朝早くタマに起こされ、アパートを出て電車に乗り、両親の墓がある場所に着いた頃には日が落ち始め、墓地はオレンジ色に染まっていた。


 移動だけでクタクタである。


 「すみませんね。言いだしたのは私なのに。空中移動で疲れ知らずでして」


 タマが申し訳なさそうに言う。


 「気にしなくて良いよ。行かないと言う選択肢もあったのに、来たわけなんだから」


 さすがにお盆だけあって、墓地はお墓参りの人で賑わっていた。


 駐車場に車を止めるための車列が延々と続き、お墓に水をかけるための柄杓と桶は無くなっていた。 


 「で、場所はどこだなんだい、タマ?」 


 「こちらになります」


 脳内GPSを駆使しているのか、事務的な口調になったタマに手を引かれ僕は両親の墓の前にたどり着いた。


 金がなかったのか、墓は石ではなく、木の板が土に刺さっているだけだった。


 その板には何か書かれていたのも知れないが、今となっては読みとる事が難しい状態になっていた。


 とりあえず、買ってきたロウソクと線香に火を付け、ペットボトルの水を木の板に掛け、手を合わせる。


 何か祈るわけでもなければ、何か思う事もなかった。


 横を見るとタマも手を合わせ、何か小さくブツブツと呟いていた。


 般若心経の様にも聞こえたが、お経など詳しく知らないので僕には解らない。


 「さて、帰ろうか。でも、今からじゃ、交通機関がないなぁ」


 「どうしましょう?このあたりにお泊まり出来る場所なんか無いですよね」 


「ないなぁ。駅前まで行って、ネットカフェで朝までコースしかないか」


 日はすでに沈み、薄暗くなったのだけど、人の多さで墓地とは言えど、寂しさは感じられない。


 「村瀬くん?」


 駅前まで戻るのに、墓地の中を歩いていると突然声を掛けられた。


 そこは無縁仏の碑が立つ場所で、声を掛けてきたのは僕と同い年くらいの美人の女性だった。 


 若い美人の女性に声をかけられる事など滅多にない僕がきょとんとしていると、女性が笑顔で言った。


 「山田珠子だけど、覚えてないかしら?」 


「あ!!」 


それは確かに山田珠子だった。 


 当時の面影はタマなのだが、その進化系が目の前にいる。



 4 再会



「さぁ、あがって。タマちゃんも遠慮しないでね」


 僕は遠慮しがちに、タマは遠慮無く山田珠子のアパートの部屋に通された。


 山田と話をして、今は遠くの町に住む僕らは帰りの手段が無くなったので、駅前のネットカフェ場所を聞いたりしたら、


 「それなら私の部屋に泊まればいい」


 と、山田は言ったのである。 


「いえいえ、若い年頃の娘さんの部屋に泊まるなんて滅相もございません」


 と、やんわり断ったのだが、取って食いはしないからと笑って山田は言った。


 「それにかわいい守護天使ちゃんもいるんだし、変な気なんて起こさないでしょう。私の守護天使もいるし」


 見ると、山田の足下には5歳くらいに見える男の子の守護天使がいた。


 「変な気を起こすと、ぶっ飛ばすぞ?我が拳は山をも砕く」


 山田の守護天使はそう言って僕を睨んだのだった。


 「ショウちゃん、お皿だしてね」


 ショウちゃんと呼ばれた山田の守護天使は、人数分の皿をテーブルに並べた。


 「カレーしかないけど、遠慮無くおかわりしてね」


 山田の好意に甘えてタマは遠慮無くおかわりをしていた。


 「あんな場所で会うなんて、世の中狭いわよね。ご両親のお墓参り?」


 「ああ。山田も誰かのお墓参り?」  


 「私ね、子供を降ろしたことがあるの。その子のお墓参り。お墓は共同の無縁仏だけど、男の子だったんだって」


 「……そう」


 「私は産むつもりだったんだけど、親に反対されちゃってね。産んでいればショウちゃんくらいになってたんだろうけど」


 「山田も色々あったんだな」


 「そうね。いろいろね。でも、いま考えれば、あの時に産んでいても、まともに育てられなかったと思う。だから、両親が正しかったのね。私一人が生きていくだけで、今は精一杯なんだもの」


 「おい、あんまり人の女の過去を詮索するんじゃねぇよ」


 カレーを食べている途中のショウちゃんに怒られた。


 「いいのよ。村瀬くんの過去を私も知っているし。私に三回告白したとか」


 「うわぁぁぁ!!」


  僕は思わず奇声を上げた。


 「認めたくないものだな。若き日の過ちとは」


 ショウちゃんは勝ち誇った顔で僕を見るとまたカレーを食べ続けた。


 「見た目が5歳児に言われたくねぇよ!」


 「おかわりいいですか?」


 タマは山田のカレーに夢中らしかった。


 寝る事になり、4人で川の字になって寝ることになった。


 間にはいるのはショウちゃんとタマで、両端に僕と山田である。


 灯りも落ちてしばらく達、僕は眠れずに天井の皺を数えていると山田が声をかけてきた。 


 「眠れない?」


 「もともと、こんなに早く寝ないから。タマが来てから早寝になったけど」


 「守護天使って何なのかしらね」


 そう言われてタマを見ると、幸せそうな顔をして寝息を立てていた。


 本来なら僕が寝付くまで起きているので、今は気を使って寝たふりをしているのかも知れない。


 「少なくとも、僕は救われている気がする」 


「私もよ。産んであげられなかった子供に許されている気がする。本当は許される事は無いんだろうけど」


 人の心の隙間を埋めてくれる存在。


 それが守護天使なのだろうか。


 だから、宗教も国家も人種を越えて存在しているのだろう。


 僕はそんな事を思いながら眠りについた。


 5 別れ


 「もう、こなくていいから」


 そうショウちゃんに言われ、山田に見送られながら僕とタマは電車に乗り自分たちの暮らす町へと帰る事になった。


 「メールでもちょうだい」


 と、山田が言うのでアドレスの交換をし、僕らは別れる。


 改札を通り、ホームに向かう僕らを、姿が見えなくなるまでショウちゃんと山田は手を振っていた。


 「タマって言う名前、あの人からもらったんですね」


 電車に揺られながら、向かいに座ったタマが何の表情もなくそう言った。


 「綺麗な人でしたね」 


 「まあな。変わっていたから、最初は解らなかったけどな」


 「昔は、今の私の姿だったんですか?」 


 「あぁ、当時の山田に今のタマはそっくりだよ」 


 「変化の無いところを見ると、この姿の山田さんが好きだったんですね」 


「そうなのか?今を知るとタマの今も変わるのか?」 


 「正確に言うならば、その人の理想の姿なわけですよ。だからショウちゃんは成長した姿になっていたじゃないですか」


 言われてみればそうなのかも知れない。


 山田は自分の子供が成長した姿を見れないと言う思いが、ショウちゃんの今の姿だとすると、僕は思い焦がれた中学生の山田珠子への思いがタマの姿を形作っているのかも知れない。


 「ロリコンなのですか?」


 僕はそんな言葉は覚えなくていいとタマに言った。


 自分のアパートの部屋に戻った時にはやっぱり夕方で、疲れ切っていた僕はすぐに布団に横になった。


 「何か食べないとお腹が空きますよ?寝るなら寝るで着替えないと」


 「何もする気力がない。疲れたよ」


 僕はそう言うとタマの手を握り引き寄せて抱きしめた。


 「ちょっ、本当にロリコンさんだったんですか?」 タマはバタバタと手を振り逃げようと暴れていた。


 「考えたんだ」


 僕の言葉を聞きタマは暴れるのをやめ聞き返した。


 「何をです?」


 「タマが現れなかったら、僕は一人孤独な日々を送り、両親の墓参りにも行かなかったと思う。そうすると、山田に会う事もなかったろうし、山田がどんな日々を送っているのかも知らなかったと思う」


 「それで?」


 「僕の所に来てくれて、ありがとう、タマ」


 「どういたしまして」


 タマはそう言うと僕の頭を優しく撫でた。


 そして僕は深い眠りに落ちた。 翌朝目を覚ますとタマの姿はなかった。


 アパートの六畳一間の真ん中にあるテーブルに、僕が買ってあげたサンダルが揃えておいてあり、その上に「もうだいじょうぶ」と一言書かれたメモが置かれていたのである。

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