アステリオスの裔

入河梨茶

『変化の導師』の館にて

 襲ってきた吸血コウモリを斬り伏せると、部屋を見回す余裕ができた。

 奥の一隅に、埃にまみれた宝箱。

「テッド、よろしくね」

「はいはい」

 戦闘中は撹乱が主な役目だったテッドだが、盗賊の真骨頂は罠の解除。

 反対に魔法剣士の私は手持ち無沙汰になる。一応レイピアを構えて警戒はするけど、片田舎の幽霊屋敷なんて住み着いてる魔物も低レベルと相場は決まってる。

「開いたよー。中身はしょぼいけど」

 テッドの後ろから箱の中を覗き込むと、古ぼけた巨大な斧が入っていた。

「……武骨一辺倒。魔力もこもってない。どこからどう見ても、金にはならなさそうね」

 商人でも学者でもない私たち二人にも、そのくらいはわかる。

「シルヴィアの予備の武器にしたら?」

「こんな重くて大きな斧、持ち運ぶのが面倒よ」

 腕力に任せて武器を振るう戦士と違い、剣士はもっとスマートに戦うものである。

 戦闘でやや乱れた髪を整えながら、私はテッドに提案した。

「奥まで調べて、余裕があったら帰り道で回収しましょ」

 放っておこうと言えないのが貧乏な駆け出し冒険者のなさけないところ。


 私とテッドは幼なじみ。ともにヒューマンの十六歳。二ヶ月前に訓練所を卒業して、冒険者として生計を立てている。

 と言っても、私たちの住んでいる平凡な地方都市は平和そのもの。名をあげるための大事件も、腕を磨くための大冒険も、暮らしを楽にする大財宝も、とんと縁遠い。そして大きな都市や危険な迷宮へ行こうにも、そのための充分な旅費も実力もない。

 結果、私たちは、近隣の町村へ向かう商人の護衛などのような地道な日雇い仕事や、今回の幽霊屋敷みたいに他の冒険者が着目しない(=実入りの期待できそうにない)場所の落穂拾いじみた探索で、こつこつ路銀と経験値を貯めているところだった。


 空気の淀んだ廊下を歩きながら、ついつい愚痴をこぼしてしまう。

「世の中不公平よね。名の売れた冒険者は色んな依頼があちこちから舞い込んできたり有力なパーティに加入したりしてますます高度な経験を積んで強くなっていけるのに、無名な冒険者は半端仕事ばかりでいつまで経っても低レベルなまま」

 一度不利な状況に陥ると、不利な度合いはそこに留まってくれはしない。坂を転げ落ちるように、ますます物事は悪化していきがちだ。

 これは経験に基づく実感でもある。八年前に父が再婚して以来、唯一の連れ子たる私の家庭内での立場は見る見る悪化していったものである。

「まあまあ」

 隣を歩くテッドは、私をなだめるように声をかけてくる。子供の頃から何度となく繰り返されてきた、いつものやり取り。

「だからこうして一発逆転を狙ってるんでしょ?」

「……うん」

 この屋敷は、実は単なる場末の探索地とも言いきれない。

 ここの主は百年前に寿命を全うした偉大な魔術師だ。ゆえに、もし未発表の研究記録やアイテムが見つかったら、魔術師学会が高値で買い取ってくれること間違いなし。さらに歴史的な発見ともなれば、名を売るのにも役立つだろう。

 ここは彼が晩年を過ごしていた別宅で、没後何度となく家捜しはなされている。けれど誰も何も見つけられず、その頃の彼はボケが進んでいたという証言も多くて、いつしかすっかり見捨てられるようになっていた。

 でも、もしかしたら、何かが隠されているかもしれない。誰も何も見つけていない以上、秘密の研究室みたいなものが発見されたら、そこはすなわち宝の山だろう。

 そんな一縷の望みにかけて、私は仕事のないここ数日を利用し、この屋敷の探索に乗り出したのである。

 ちなみに『変化の導師』と呼ばれたその魔術師は、人間の変化に強い関心を持ち続け、様々な魔法のアイテムを作っていた。若返りや加齢をもたらす指輪。異性に変わる薬。また冒険者の職業を変える腕輪に、初心者を一瞬で熟練の冒険者に成長させる護符……。

 ある意味、この『熟練の護符』が二つ見つかってくれれば、未知の研究やアイテムよりも私たちには直接的にありがたいのだが。

 次に入った部屋は、何の変哲もない書庫に見えた。

 棚には本が並ぶが、すでに先達に漁り尽くされている。今でも本屋で買えるありきたりな小説本(登場人物が変身する話がやたらと多い)や、百年の間に学説が改められて今では役に立たない学術書などが、虚しく埃をかぶっている。

「テッド、どうしたの? 奥に行くわよ」

 隠し部屋などがあるとしたら、屋敷の構造上、一番怪しいとされている最奥部の寝室。

 そちらへ向かおうとした私だが、テッドがしきりに本棚を眺めている。

「テッド?」

「……これを捻って……こっちを動かして……」

 そのうち部屋中をちょこまかと動き回り、本棚の天板や側板に施された彫刻をせっせと弄り始めた。

 短期の仕事で一緒になった流れの冒険者から聞いたことがある。手先の器用さや身軽さ以上に盗賊に求められるのは、独特の勘だと。

 彼の話はそこから「けど一番欠かせないのは運だよな」と、同じ宝石を五回も盗む羽目になった不運な盗賊の笑い話へシフトしていったのだが、私は何だかテッドを褒めてもらえたようで凄く嬉しくて、本題の笑い話以上にその前振りを今でもよく覚えている。

 そして今、テッドの独特の勘は百年間見過ごされてきた大当たりを引き当てた。

 彼が各所の彫刻を動かし終えると、壁際の本棚が掻き消すように消え去った。

 そして台所との間を隔てている、薄いはずの壁に、ぽっかりと穴が開いたのだ。



「異空間を使った隠し部屋……『変化の導師』ってよほど強力な敵にでも狙われていたのかしら。それともそんなに用心したくなるほど凄い研究をしてたの?」

 百年間、恐らくは誰も訪れなかった部屋に足を踏み入れながら、私は呟いた。

「うーん……単純に恥ずかしかったんじゃないかな」

 私より少し先行しながら部屋のあちこちを探っていたテッドが、目を通していた数冊の本を私に差し出す。絵物語のようだ。

 全裸の美女が狂える魔術師の実験によっておぞましいキメラに姿を変えられる物語。清楚な美少女がクラーケンに襲われ、触手に犯され、やがて自らの姿もクラーケンに変わっていく物語。邪龍に国を滅ぼされ囚われた王女が、呪いによって次第に身も心も凶悪な龍になっていき、最後には邪龍と交わる物語。騎士と王女の魂が入れ替わったまま元に戻れず、最終的には本来の自分の身体と交わる物語。エトセトラ、エトセトラ……。

「……『変化の導師』って、要するに変態だったのね」

 数々の研究も、ただ自分の歪んだ趣味を本業に反映させていただけだったのか。

「必死に隠そうとしてた気持ちは理解できたでしょ」

「まあね」

 百年前に天に召された相手の性的嗜好をどうこう言っても始まらない。気を取り直して部屋の探索を手伝う。

 と、あるアイテムを引き出しから見つけた。

「これって……『熟練の護符』かしら?」

 職業訓練の際、魔法の習得のために通っていた魔術師学会。その所蔵本に載っていた『熟練の護符』の絵と、今ここにある二つの護符はかなり似通っている。

「身に着けて力を解放すればいきなりベテラン冒険者になれるっていう、あれ?」

「ええ。……ただ、彫り込んである字や図形がいくらか違ってるみたい」

 古代語は基礎の基礎しか習っていない。見知らぬ単語が出てきてはお手上げだ。

「試作品? それとも形だけ似てる別の何か?」

「私には判断がつかないわ。この場で使うのはやめといた方が良さそうね」

 いずれにせよ貴重な発見であることは確実だろう。テッドと一つずつ分け合って、しっかりと懐にしまい込んだ。

「あ、向こうにも部屋がありそうだね」

 テッドの言う通り、机や棚の陰に隠れて見えにくかったが、ドアがある。

「どうしようか?」

「もちろん調べるわよ。ここまで来た以上、覗かないわけないでしょ」

 何か勘が働いていたのかわざわざ伺いを立てるテッドに対し、私は無造作に答えた。

 ……それが私の一生を大きく狂わせる選択だとも知らずに。



 ドアを開けた瞬間、目指す部屋から重々しい地響きがした。誰もいないはずの部屋の中、うずくまっていた巨大な人型の影が、すっくと立ち上がってこちらへと歩き始めた。

「え……?」

 一瞬予想外の光景にぼんやりしてしまった私の腕を引き、テッドが鋭い口調で言う。

「シルヴィア、しくじった。逃げよう」

 その言葉に慌てて後退する。と、ほんのわずかに遅れて、私のいた空間を巨大な拳が通過した。

 ストーンゴーレム。魔術師によってかりそめの命を吹き込まれた石人形。主の命令を自身が壊れるまでいつまでも忠実に守り続ける番兵。

 それなりに経験を積んだ冒険者がやっと倒せるかどうかというモンスター。

 ひよっこに過ぎない私とテッドでは、絶対に勝てるわけのない相手。

 私の足はそれほど遅くないが、とりたてて速いわけでもない。

 なのに相手のストーンゴーレムは特殊な改良でもされているのか、巨体なのに鈍重どころかかなり身軽な足運び。はっきり言って、私より速い。

 百年目の初仕事に張り切る敵をまるで振り切れないまま、私たちは追い立てられていた。

 脱出方向に先回りしたゴーレムの強烈な蹴りを辛うじてかわす。

 ゴーレムに短刀を投げつけて牽制するテッド。多少は撹乱になっているけれど、もちろん倒すことなど期待できない。

 一か八か、膝の関節を狙ってレイピアを突き出してみた。しかし渾身の一撃はまったく効かず、おまけにレイピアは折れてしまった。

「くっ……!」

「さっきの斧!」

 いつの間にかあの宝箱の部屋までは戻っていたらしい。私は蓋を蹴り開けるとごつい斧を取り上げて構えた。それでも、慣れない武器と月並みな筋力ではストーンゴーレムに手傷を負わせるのは難しそうだ。

「テッド、あなただけでも逃げて助けを呼んで!」

 隣の書斎に走りながら、私は叫んだ。まだ屋敷の中央部ではあるけれど、テッドが自分のことだけ考えればきっと逃げられる。私が食い止めれば、必ず逃がすことはできる。

「そりゃ無理な話だよ。この近所に高レベルの冒険者がいるわけないじゃない」

 なのに彼は、床や机の上に転がるガラクタを手当たり次第に投げつけ、ゴーレムの足止めを図るばかり。

「だけどこのままじゃ、あなたまで無駄死にするだけよ!!」

 そんなのは絶対に嫌だ。

 人付き合いが下手くそで「家族」からも隣近所からも疎まれていた私と、たった一人普通に接してくれたテッド。

 自分が死ぬのは諦めもするけど、優しい彼まで巻き添えにするわけにはいかない。

「それならそれで本望だけどね」

 テッドが私には聞こえない小声で何か呟いた。

「え?」

「何でもないよ。それよりさっきのあれ、使ってみない?」

「この護符?」

 懐に収めた『熟練の護符』らしきアイテムの感覚を意識しながら、私は問い返した。

「それくらいしか対抗手段なさそうだしね。駄目なら駄目で、その時になってまた考えるってことで!」

 言いながら、彼は物がなくなって軽くなった床の上の絨毯をひっぺがす。その先にあった机がさらに本棚をも巻き込んで倒れ、ゴーレムと私たちの間に一瞬の壁を作り出した。逃げきる余裕はないけれど、護符を使う時間の猶予くらいは得られる壁を。

 他にできることは何もない。

 私とテッドはそれぞれ護符を握り、その秘められた力を解放した。



 その瞬間、私の全身を圧倒的な力が駆け抜けた。

 溢れんばかりの活力。湧き出す生命力。そしてまた、純粋なまでの筋力。これが成長の感覚なのだろうか。

 恍惚感に囚われ、私は危機的状況にありながらも思わず目をつぶっていた。

 みなぎる力は私の全身を包んでいた安物の装備を弾き飛ばす。全裸になった自分を恥ずかしいと思うよりも、解放感の心地好さが上回る。

 そして私は、自分の身体が大きく広がっていく快感を味わった。力強く床を踏みしめる充実感。握りしめた拳に、力を込めた腕に、エネルギーが蓄えられていく。

 不意に、私の胸が殴られた。

 目を開けるとストーンゴーレム。無防備に立ち尽くしていた私に攻撃を加えたのだろう。

 しかしその打撃は、さっきまで死にもの狂いで回避していたのが嘘のように、貧弱で情けない代物だった。私をよろめかせることすらできない。

 いや、いくらレベルアップしたとしても、これはおかしくないだろうか。

 私の身体はどうなってしまったのだろう。なぜあの巨大なストーンゴーレムと視線の高さがほぼ同じになってしまっているのだろう。

「ああ、こういうことだったんだ」

 私の耳のすぐそばで、高い澄んだ声がした。

 顔を向けると、可愛らしい少女めいた小さな妖精が、蝶のような羽を広げて飛んでいた。

「あなたは、誰?」

 自分が発した声にうろたえる。いつもの私の声とは違う、低く重たい声。

「説明は後。それよりさっさとゴーレムやっつけちゃってよ」

 妙に馴れ馴れしい口調だが、とにかく言われて我に返る。手にした斧は、さっきまでよりはるかに軽く感じた。

「こ、このおっ!!」

 振りかぶって無造作に叩きつけた斧は、たった一撃でストーンゴーレムを粉砕した。



「お疲れさま、シルヴィア」

 小さな妖精はそう言うと、私の周りを軽やかに飛んだ。

 私は周囲を見回す。さっきまでテッドがいた場所には、彼の装備と服装が乱雑に転がっていた。まるで、彼の身体だけが空気に蒸発したかのように。

「あなた……もしかして、テッド?」

「ご名答」

 妖精は全裸で優雅に一礼する。顔も声も身体の大きさもすっかり変わってしまったけれど、おどけた仕草と口調はテッドそのものだった。

「あの『護符』は……つまり……」

「使用者の種族を変える効果があったみたいだね。僕の場合は、盗賊としての技術も感覚も鈍っていない。職業とレベルはそのままっぽいよ」

 それは、まあいい。

「まあ、妖精になったのが僕でよかったね。この小さな身体なら、普通のサイズの罠はすごく簡単に外せるようになるはずだから」

 問題は。

「テッド……あの……私の『種族』は……」

 ストーンゴーレムに匹敵する身体の大きさ。その石像を一撃で破壊するほどの腕力。低い声。そして視界に入る、今までは見ないふりをしていた、前に突き出た鼻と両顎。

 どう考えてもこの身体は、ヒューマンのものではなくて……。

「…………向こうの部屋に、鏡あったよ」

 気まずそうに目を逸らして、テッドが言った。

 鏡を見た私は、壁が壊れそうな勢いで絶叫した。



「子供が見たら泣くね」

 私の肩に乗ったテッドが、耳元に囁きかけた。今は妖精向けに作られた小さな服をきちんと着ている。いかにも女の子向けのワンピースだが、今の自分にはこれが一番似合うからと、臆する様子もなく着こなしている。うらやましい。

「もう泣かせてるわよ」

 かなり遠くにいながらも、ズタ袋のような覆面をかぶる私を恐怖の眼差しで見つめて泣き叫ぶ幼い子。でもこの覆面を取ったらもっと激しく泣かれるに決まってるからやむをえない。

 私はつい足を速める。子供に泣かれるなんて、慣れてない。


 ストーンゴーレムが守っていたものは、あの『種族変化の護符』などに関する未知の研究成果だった。だが町の魔術師学会に提出しても、高度すぎて解析不可能と匙を投げられた。

 私たちが元に戻るには、首都かあるいは他国の、もっと進んだ研究施設に持ち込む他ない。その役目は私たちが自分で引き受けることにした。

 テッドはともかく、この姿になった私は地元で暮らすことなんてとてもできやしない。

 マントに包んだ巨躯。それは屈強な男の身体。だがそれは本質的な話じゃない。その程度の変化なら、身元をごまかせばまだ済む話だ。

 強い風が吹き、覆面が飛ばされそうになる。

 だが覆面は、頭から生えた角に引っかかって止まった。

 猛牛の頭を有するミノタウロス。それが今の私。市民権を得ている妖精はともかく、私がこの素顔で暮らしていたら討伐されること間違いなしだ。

「まあ、なっちゃったものはしかたないしね。元に戻れるまでは気楽に行くしかないよ」

「ほんと、テッドは呑気なんだから」

 それでも彼の言うことは間違っていない。

 テッドがついてきてくれることに内心で感謝しつつ、私は俯きそうになる顔を上げ、首都へ続く道を大股で歩き始めた。

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