花喰い娘と夢を喰う魔物

「すまない、花喰い娘。僕は君に嘘をついた」

 部屋に入った途端、魔物さんは悪びれる様子もなくさらりとおっしゃいました。

 わたしと騎士様は、呆気にとられました。

 あれからわたしたちは、塔の中へ戻りました。いいえ、戻ったと言うより逃げたと申した方が正しいかも知れません。

 あの切迫した空気の中、突然、魔物さんはわたしを抱き上げ走り出したのです。わたしは驚きで硬直し、騎士様が慌てて追いかけて来る姿が視界の端に映りました。遅れて使用人の引き止める声が聞こえましたが、そのとき魔物さんは塔の扉に手をかけていたのです。

 魔物さんは滑り込んだ騎士様に来なくていいのにと零し、睨まれておりました。

 その後の魔物さんの行動は大変素早かったです。扉に鍵をかけ、箒を立てかけたと思いきや、階段下の小部屋からいくつか物を運びだしました。扉を開けると、頭上からバケツが降ってくる罠を作るのだそうです。悪戯に近いと思いますが騎士様はずいぶんお気に召した様子で、二人で悪態を言い合いながら仕掛けを作っていました。男性はそういうものが好きなのだと小耳に挟んだことがあります。あながち嘘ではないかも知れません。

 使用人がバケツを被らないよう密かに願いながら、わたしたちは螺旋階段を上り、慣れ親しんだ部屋へと戻ると魔物さんは先程の言葉をおっしゃったのです。

「嘘ってなんの?」

 騎士様はきょとんとされました。

「まず、花喰い娘は声を失っていない」

「え」

 紅玉と焦げ茶の視線が、わたしに集まります。

 瞬間、肩が跳ね、心臓が早鐘を打ちました。無意識に指を組み、紙袋を探します。逃げ出せたらどんなに楽だったのでしょう。紙袋を被り外界を遮断すれば、わたしではない誰かになれるような気がしていたのです。騎士様に対して強い態度をとれたのも、顔を隠していたからだと気づいておりました。

「花喰い娘」

 穏やかに揺れ動く紅い瞳が、わたしを映していました。

「君の声が聞きたい」

 それは、魔法の言葉でした。

 息を吐き、二人を見返します。眼前にいるのは魔物さんと騎士様です。二人の目の中に、どうしようもないわたしが映っています。鏡が嫌いで、逃げてばかりのわたしがそこに立っていました。鏡が現実を見せつけるかのように、その眼の中にもわたしがいます。誰がどうわたしを映そうとも、わたしはわたしの姿をしているのです。

 例え紙袋を被っても、花を食べてしまっても、わたしは「わたし」でしかないのでしょう。

「はい、魔物さん」

 騎士様は目を丸くされました。

「す、すみません。あのとき、魔物さんは意図して嘘をついてくれたのです」

 カラカラ姫がわたしの声で話をしたときは、本当になくなったのだと思いました。

けれど、魔物さんが呪いをかけたと使用人に言い放ったとき、それは嘘だと気づいたのです。片目で目配せをした魔物さんには悪戯っぽさがありました。わたしを使用人から引き離すために、大言めいたことをおっしゃったのでしょう。

「じゃあ、どうしてカラカラ姫の声が姉ちゃんの声だったんだ?」

「そ、それは……」

 当然の疑問です。魔物さんは肩を竦めています。終わったからもういいのではないか。そういう顔をされておりました。

 騎士様に内緒で行ったこと。

 わたしは、大人しく白状しました。

「魔物さんにお願いしたのです。わたしの夢を渡す代わりに、カラカラ姫に声を与えて欲しいと。騎士様とカラカラ姫がお話できるように」

「姉ちゃんの夢を?」

「あの、その、わたしが勝手に決めたことなのです。魔物さんを責めないでください。それに、わたしは声を失ってはいません」

「どうしてそんなことをした!」

 だから、大丈夫です。開こうとした口は、怒声に遮られてしまいます。騎士様に詰め寄られました。

「あんたは本当に馬鹿だ! 何も知らないお嬢様だというのがよくわかった! どうしてそんなことするんだよ。自分を犠牲するなんて、お人好しにもほどがあるだろ!」

「騎士の子ども」

 割って入ってきた低い声に、騎士様は口ごもります。

「先に、言う言葉があるだろう?」

 魔物さんの鋭い視線が騎士様を射抜きます。

 騎士様は途端に黙り込み、俯いてしまいました。焦げ茶の髪から微かに海の香りがします。声をかけようかと迷っていたとき、それはするりと耳に入ってきました。

「……ありがとう」

 小さな感謝の言葉でした。

「それから、ごめんなさい。馬鹿は俺だ。結局、何もできていない。姫君を護るって言った癖に、何もできなかった。姉ちゃんたちに迷惑ばかりかけて、自分だけ目的を果たして」

 空笑いが漏れました。

「格好悪い」

 わたしはゆっくりと頭を振りました。

「いいえ、騎士様は格好悪くありません。わたしが決意できたのも騎士様のおかげなのです。騎士様が終わってしまった物語を否定したように、わたしはお二人の物語を書き換えてしまおうと足掻きました。自己犠牲だなんて綺麗事ではありません。自分のために、あなた方を踏み台にしたようなものです。愚かなのはわたしのほう。こういう形でしか終結できませんでした。謝罪しなければいけないのは、わたしです。申し訳ありません」

 頭を下げました。驚きで数歩引いた騎士様に、顔を上げて笑いかけます。

「それから、その。わたしのほうからも、感謝を言わせてください。機会を頂き、ありがとうございます」

「姉ちゃん」

 ぽかんとしてから、騎士さまはくしゃりと笑いました。朗らかな笑顔はとても温かく、普段はそういう表情をされる方なのだと感じました。

「なんか、やられてばっかりだな」

「そうでしょうか?」

「そうだよ。……でも、これでいい」

 笑う騎士様に胸を撫で下ろしました。想像した結末とは違いましたが、カラカラ姫と騎士様は会話ができたのです。カラカラ姫が声を返してくださったのか、変わりなくお話はできます。ただ、夢を失った不幸がどんなものなのかわかりませんでした。

 魔物さんに向き直り、率直に投げかけます。

「わたしの不幸はどういうものですか?」

「何を言っているんだい。花喰い娘」

 不思議そうな表情をされ、いつものように微笑みました。

「僕は、君の願いを叶えてないよ」

 どうやら、魔物さんの嘘というのはこのことだったようです。

「君の声を奪うはずがないだろう。会話ができなくなったら、どうするんだ」

 当然のようにおっしゃる魔物さんに、はぁと曖昧な返事しかできませんでした。

「何か大事なことを忘れていないかな。もし、夢を食べる前に願いを叶えられたのなら、僕はとっくに君の花喰いを止めさせているよ」

 確かに、それはおかしいです。初めてお会いしたとき、わたしは魔物さんに夢を見ていないと告げました。夢がなければ願いは叶えられない。夢を取り戻すために、魔物さんは花喰いをやめる協力をしてくださいました。

 それがいつしか形を変えて、色んな約束をしていきました。でも、わたしは花喰いのままです。このどこまでも花畑が続く、塔があるだけの広く小さな世界にいます。

 魔物さんがわたしの夢を食べていないのなら、別の誰かの夢を食べたということになります。誰かの夢を食べ、願いを叶えたからこそ、あの不思議な出来事が起こったのではないのでしょうか。

 それはまるで、魔法のような。

「見つけたんだ。カラカラ姫のこころを」

 君のこころがわからない。いつか聞いた魔物さんの言葉が、脳裏を掠めます。

「こころ?」

「そこにいたんだよ、カラカラ姫が。こころの欠片だったけれど、見つけることができたんだ。彼女は願ったさ。騎士の子と話したいとね。だから僕は願いを叶えたというわけ」

「俺には見なかったぞ。そのこころってやつが」

「形あるものが全て見えることができたら、どんなに楽だったのだろうね。でも、見えなくてもいいものだってあるんだよ。知らなくてもいいことがあると同じように」

 騎士様は複雑な顔をされていました。

「なぁ、お前が言うこころってなんだ?」

「何って、君たちが一番知っているものだろう。僕が知りたかったもの。そして、手に入れることができないとわかったものだよ」

 それは騎士様だけではなく、わたしにも向けられた回答でした。

「こころが何か知っていれば、君たちはこんなところにいないよ」

 使用人から逃げて魔物さんの腕に飛び込んだとき、優しい声がわたしに問いかけました。

『僕が誰だか、当ててごらん』

 魔物さんは、自分が誰か思い出すことができたようです。

 なぜ、そのような問いかけをしてきたのでしょう。喜ばしいことなのに、ようやく約束を果たせたのに、わたしは魔物さんの真意を見出せずにいました。

「カラカラ姫は騎士の子に会えないという不幸に落ちたけど、今まで願いを叶えた者のなかで不幸ではないと言った者は初めてだったよ」

 ぽそりと落ちた言葉の意味を、わたしは拾うことができませんでした。

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