花を喰らう君と星の海を泳ぐ姫君 -3
夕焼け空は引っ込んで、太陽は沈んでしまった。花畑に眠りの時間が訪れる。
塔に戻ろうとしたとき、騎士の子どもに約束の話はしないで欲しいと頼まれた。カラカラ姫と話す方法があるとだけ伝えればいいと。僕としては彼女の決意を知らしめたかったのに、頑なに首を振られ、言葉を飲み込んだ。どうやら僕は、だいぶ彼女に弱くなってしまったらしい。
「具体的な話をするとね。声をあげるというのは、カラカラ姫に君の声を移すということだよ」
「はい」
彼女の手を取って、渦を巻く螺旋階段を上る。かんかんと甲高い足音が暗い塔に響く。柔らかく簡単に潰れてしまいそうな手は紛れもない彼女のもの。薬指に口づけしたときに見た淑女ではない。僕が知る花に憑かれた花喰い娘がいる。
「いいのか」
歩く速度は緩めず、けれど彼女の手は離さずに眼前を見据えて尋ねた。ほんの少しだけ、小さな手に力がこもる。
「……はい」
「信じているんだね。姫君のこと。もしかしたら、声を返してくれないかも知れない」
声をあげると彼女は望んだ。
泡になった人魚の姫君は、声がだせなかったから想いを告げられなかったのだと。
それならば、いっそのこと声を与えてしまう物語に作り変えてしまえばいいと。
カラカラ姫と柩を護る騎士はそれでいいだろう。だが、与えた彼女はどうなるのだろう。
花喰い娘は誰とも会話ができなくなってしまう可能性だってある。
裂かれた恋人たちを結ぶため、犠牲になった登場人物にでもなるというのか。
「大丈夫ですよ」
軽く、穏やかな声だった。
「わたしが信じているのは、あなただけですから」
階段を上る足が、止まりそうになった。
「そう」
振り向きもせず、僕は素っ気なく答えた。
帰ってきた僕らを心配する余裕はあったのか、扉を開けると少年が走り寄って来た。
僕たちを見上げ、目を左右に泳がせる。ごめんと小さな謝罪が聞こえた。空っぽな頭なりに色々考えたらしい。これ以上迷惑をかけられないから他に救う方法を探すと言って、出て行こうとした。
そうすればよかったのに、引き留めたのは紛れもなく彼女だ。
「カラカラ姫と話す方法を見つけたんです」
笑う彼女を直視できなかった。
逸らした先に、花瓶の花が枯れているのに気づいた。花の水を換えていたのは彼女だろう。
観賞用、あるいは食料として。毎日、水を換えても枯れるものは枯れる。腐った白い花びらが、りんごのかごに落ちていた。
「本当にできるのか」
「本当にできるんです」
彼女は断言した。訝しがっていた少年の顔に輝きが満ちていく。しつこいくらいに本当かと尋ね、そのたびに彼女は律儀に頷いた。
「でもどうやって?」
「それは秘密ですよ。ね、魔物さん」
「ん、そうだね」
同意を求められて同じように笑ってみたけれど、少しも楽しくなかった。
「いつ、話せるんだ?」
彼女の視線がぶつかる。
「君はどうしたい?」
穏やかに問えば彼女から笑顔が消え、真摯な眼差しを向けられた。
「今はいけませんか」
彼女の固くなった根っこがとれないうちに。
「わかった」
これで物語が変わるのなら。
僕のこころが見つかるのなら。
君を不幸にできるのなら。
君の願いを叶えよう。
ねえ、これでいいんだよね。花喰い娘。
※ ※ ※
今だから話せるだなんて、ご都合的な前置きだけれど、僕はその定型句を使ってみようと思う。
今だから話すよ、花喰い娘。
僕が思うに、人は悲劇を望んでいる生き物だ。
声をなくして人の足を手にいれた人魚の姫君や、マッチに火をつけて雪に埋もれた少女にしても、それはここではないどこかだからこそ、他人事のように楽しめるのではないのかな。当人にとっては過酷で悲惨だけれど、他人にとってはどうでもいい話なんだよ。
話さえ面白ければいい。
所詮、物語というのは娯楽だ。
だから。
忘れられた塔と花畑があるどこまでも美しくも残酷な箱庭に、ぽつりと明かりが灯った。ひとつだけではない。ふたつみっつと炎は増え、塔を取り囲んでいた。
まずは、カラカラ姫に会いに行こうという話になった。ひとつは姫君のこころを捜すため、ひとつは少年の目的を達成するため、ひとつは彼女の願いを叶えるために、三人で塔の扉を開けた。
途端、物陰に潜んでいた人間たちが次々と現れた。松明を掲げた彼らは毅然としていた。
まるで、悪者退治をする勇者たちだ。
「お嬢様」
輪の中から一人の男が前に出る。
彼女が凍りついた。息すら忘れたように凝視していた。
「あなた……」
松明が痩せこけた男の頬を照らす。蒼白な顔色と棒のような身体は、強風に吹かれたら飛ばされてしまいそうだ。白と黒に彩られた使用人服はくたびれていた。
「戻りましょう。旦那様も奥様も、大変心配しておられます」
低い声は乾いたスポンジ菓子のよう。目は落ち窪み、澱んでいた。
「ここにいることを話したのですか」
「いえ。お約束した通り、お二方には話しておりません」
彼女が塔に住むと決めたとき、使用人がこっそりあらかたの物を運んできてくれたらしい。
その使用人が彼なのだろう。真面目で厳しい反面、心配性だと聞いていた。
「私はお嬢様の意志を尊重致しました。お嬢様は、いつか旦那様と奥様の元から離れる日が訪れるでしょう。これはそのための勉強のようなものだと考えておりました。ですが、これはいったいどういうことなのでしょう」
松明を持つ手が震えていた。
「お嬢様が、魔女にたぶらかされていたなんて」
魔女。
はっとして柩を見れば、柩の近くにも男たちが立っている。柩の中に眠る、人の姿とは明らかに違う姫君を見てしまったのだ。
「魔女にたぶらかされたなんて、旦那様が知ったらなんとお嘆きになるか。奥様は日に日に痩せていくばかりで、限界がきております」
白手袋の手が、僕を指した。
「しかも、隣にいるそれはなんですか。その煌々と光る紅い目は、魔女が使役する化け物のようです」
「言葉を慎みなさい!」
声を荒げた彼女に、使用人はぼそりと呟いた。
「お嬢様には、大変失望しました」
たったその一言に、彼女の怒りは打ち消された。
「お前、いい加減にしろよ!」
少年が吠えた。
「さっきから聞いていたら、旦那様が何やら奥様が何やらでちっとも姉ちゃんの話を聞いてねぇだろ! そうやってなんでもかんでも押しつけるから姉ちゃんはここにいるんだろ! そのくらい理解しろよ!」
「えぇ、存じております。ですから、この塔で住みやすいようお力添えをしたのです」
淡々と話す使用人は、明らかに少年を見下していた。少年は歯噛みする。今にも突進しそうな肩を掴んで、後ろに引かせた。
一歩、前に出る。
「彼女が、僕に何と呼ばれているから知ってる?」
「さぁ、存じておりません」
「花喰い娘」
わざとらしい溜息をつかれた。彼女が溜息に敏感な理由がわかった気がした。
「嘆かわしい話だ。それも魔女のせいなのでしょう。それとも、お前の仕業でしょうか」
「僕はいつだって、彼女をたぶらかしているさ」
僕は笑った。
使用人は睨んできたが、口角を釣り上げた。
「大丈夫ですよ、お嬢様。悪い夢は、すぐに醒まさせてあげましょう」
たった一言、命じた。
「魔女を、壊せ」
がたんと音がした。柩が開けられ、骨の姫君が晒される。一人の男が足を上げたとき、少年が咆哮した。
「やめろおおおおおおおおおおおお!」
カラカラ姫の骨が、踏み潰された。
僕の手をすり抜けて少年は走った。空っぽの剣を鞘ごと構え、男を叩き殴った。一瞬、男は怯んだが、所詮は大人と子どもだ。少年は捕らえられ、騎士の剣すらも奪われた。その間にも骨が砕ける音が響く。嫌でも耳に入ってくる音に、少年はもう嫌だと泣き喚くしかなかった。
動こうとした僕に、剣が突きつけられる。
傍にいた彼女は使用人に腕を捕られてしまった。崩れ落ちた彼女を使用人が支える。深い蒼い色の瞳から、大量の涙が零れていた。瞑ることもせず、傍観することしかできなかった。
「魔物さん」
騒がしい周囲の中、彼女の声だけが透き通って聞こえた。
「物語においての子どもの影響の善し悪しは、大人が決めるものでしたね」
子どもを抑制するのは、いつだって大人だ。物語を改変しようと行き進んだ子どもに、それはいけないと大人は忠告する。そのままがよいのだから、評価されるのだと。
磔にされ火に炙られた姫君は、全てを理解して受け入れていたのだろうか。それが人魚の姫君が望んだこころの形なのだろうか。
「……花喰い娘」
僕は目を閉じた。
夜の花畑に風が吹いた。
粉々になった骨の欠片が風に飛ばされた。ふわりと巻き上がり、鱗粉のように空へと舞い上がる。
誰もが空を見上げた。
白色の骨の欠片が舞い上がる様子は、人魚が泳いでいるように見えた。夜空に人魚が昇る。星の海を悠々と泳いでいた。
「カラカラ姫?」
涙と鼻水で顔を濡らした騎士の子どもが姫君を呼んだ。周辺を泳いでいた白色の人魚は下降し、少年へと手を伸ばす。日に焼けた頬を両手で包み込んだ。
『私は不幸ではないよ。お前を愛して、愛されていたのだから』
響いた声はよく知る彼女もの。彼女は自分の喉に手を当て、驚きを露わにしていた。
「あぁ、先に言われちゃったよ」
少年は笑い、カラカラ姫に自分の手を重ねた。
「好きだ。カラカラ姫。守れなくて、ごめん」
『あぁ、私もだ。許すも何もない。最後まで、私の騎士でいてくれてありがとう』
額を重ねた二人は、教会で誓いを交わす男女のように見えた。だが、何かひとつ足りない。とても大事なものが欠けている気がする。
約束の証。たとえば、僕と彼女がしたような。
何かが震えた気がした。
カラカラ姫は額を離し、空へと浮かび上がる。
少年は手を伸ばしかけたが、大きく手を振って見送った。
「さようなら、カラカラ姫!」
カラカラ姫は星空へと舞い上がり、やがて骨の欠片となって風に流され、霧散していった。
静まり返った場で、僕は口を開く。
「さて、魔法の時間はおしまいだよ。ねえ、人間。そこのお嬢様を離してくれないかな。悪い魔女はいなくなったから、それで満足だろう?」
僕は笑う。魔物の紅い瞳で。
「僕がどういう魔法を使ったかわかるよね。彼女の声を奪ったのさ。もう一生、話すことができない不幸に見舞われたけど、どうする?」
言葉を失った使用人に、さらに畳みかけた。
「人はそれを呪いというね。僕を殺せば呪いは解けると思う? いやはや残念。それはないよ。だって、彼女が望んだことだもの。もちろん、彼女をたぶらかしたのは僕だ。さっきも言っただろう?」
大仰な仕種で人間たちに辞儀をする。
「初めまして、僕は夢を喰う魔物。そこの素敵なお嬢様の夢はもらったよ」
片目で彼女に目配せを送ると、微笑みが返ってきた。
「おやおや、これは困った。可哀想なお嬢様は自分の愚かさにようやく気づいたようだ。優しい魔物は気紛れに、ひとつだけ機会を与えようか。声を返して欲しければ、僕の問いかけに答えることだ。回答権は彼女にしかあげないよ。声がないから答えられないって? 馬鹿言え。お嬢様は文字ぐらい書けるだろう」
彼女は頷いた。困惑する使用人の腕を離し、こちらに駆け寄る。躊躇いもなく、その体を抱きしめた。
「時間は今から明日の夜にかけて。一日だけ、お嬢様を借りるね。結果はお楽しみに。もし、邪魔をするなら彼女を喰らいつくすから」
「お前!」
「僕はお前じゃない。夢を喰う魔物さ」
彼女が僕を見上げる。金色の頭を撫で、耳元でそっと話しかけた。
ねぇ、花喰い娘。
最後に意地悪をしていいかな。
僕が誰だか、当ててごらん。
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