第2話  転んだ後で斧


「とにかくお湯を沸かしてください、出来るだけ大きな器に、なるべく沢山!」

「は、はいっ!」


 女傑の掛け声に男どもが駆け出す。

 叩き起こされたアコットさんは疲れた顔ひとつ見せず、慌てた巡礼者達を一喝、彼らに役割を与えて走らせた。


「わたしも行ってきます。女手がいるかもしれませんから」

「お願いするわ」


 リーズは彼らを追いかけ、ナイトソンさんと僕は別命があるかもという事でまだこの場に控えている。


 降って湧いた出産騒動、僕は村での思い出と共に大きく頷いた。


「神官さんを頼るのは正解だよな」


 神官は冠婚葬祭のみならず、命の誕生を祝福する職。

 トート村でも幾つかの村々を担当する神官が産婆さんと共に立ち会う事が多かった。


「神官さんが居ない時はジェシカおばさんが張り切っていたっけ」


 村ではお産を手伝わされた事もあったが、出産の大事は女性の手に委ねられるのが常で男は外で肉体労働──その代表格が先の「お湯を沸かす」事だった。


 おばさん曰く、お産でもっとも重要なのは『清潔さ』らしい。

 生まれたての赤子は勿論、出産直後の母親も体力が低下していて非常に弱々しく、どちらも病魔に冒されやすい。

 だからこそお産では大量のお湯が必要とされるのだ。それは消毒のためであり、血と脂に塗れた身体を拭うためであり、体温を保つためであり。


「お待たせしました」


 一度テントに引っ込んだアコットさんが再び姿を見せる。埃に塗れた旅装ではなく、見るからに清潔な神官服で。


「行きましょう」


 どこかひび割れた声を残し、アコットさんが妊婦さんのいるテントへと足を向け


「アコット。君なら大丈夫だ」


 その足が止まる。

 不安に揺れた瞳が彼女の大事な人を捉える。 


「……ナイトくん」

「アコット、君なら大丈夫だ。この私が保証する」


 ほんの数秒見つめあう2人。

 互いに触れ合う事も抱きしめあう事もなく、ただそれだけ。


「ごめんなさい、行きましょう!」


 今度は力強く、100万の味方を得たような声で一歩を踏み出した。


 旅に疲れた母体、予定より一ヶ月以上早まった出産時期、そういった不測の事態がアコットさんに大きな不安を与えていたのは想像に難くない。

 しかし2人の絆は女神官になによりも勇気を与えたのだろう。


 僕は空気が読めるので「いつもこれくらいのやり取りならいいのに」と呟くのは自重した。


******


 僕達が巡礼者のテント周りに駆け込んだ頃、現場はてんてこ舞いだった。

 女衆は清潔そうな布を荷物からかき集め、男衆は火を絶やさないよう焚き木を拾い集めている。

 共通しているのは、それぞれ浮き足立った落ち着きの無さだろうか。


「妊婦さんの下に案内してください」

「は、はい!」


 アコットさんは一際大きなテントの中へと姿を消す。

 あれが主戦場にして、男には不可侵の場。


「では私達も周りの手伝いをするとしようか」

「そうですね」


 愛しい人の背中を見送ったナイトソンさんに同意した時、男衆の怒鳴り声が耳に飛び込んでくる。


「だ、駄目だ! 足りない!!」

「他に、他に何もないのか!?」

「ねえよ! 荷物は少なく軽くが鉄則だったろ!?」

「だが、このままではお湯が!!」


 騒々しさの中に潜む絶望の影。


「ちょっと、どうしたんです!?」


 慌てふためき、要領を得ない男達の中にリーズを見つける。


「リーズ、どうしたんだ?」

「ナイトソンさん、ブロウさん、大変です!」

「だからさっきから何を──」

「お湯の入れ物が、足りないんです!!」


 なるほどそうかと事態のまずさを理解する。

 村での経験上、お産で使うお湯は消毒用の熱湯と母子の清潔と保温などに使われる産湯に分けられる。

 それぞれ血で汚れるから大量に、そして温度が違うため分けて用意するのだが


「金属の鍋なんざもうねえよ!」

「水樽は!?」

「ばっかやろう! 冷水も要るんだよ!!」


 旅の荷物は少なく、が鉄則である。

 お産に適した一式など揃えているわけもなく、お湯を沸かしている食事用の鍋からお湯を移し貯め置ける器がないのだ。


「あ、穴を掘ってそこに」

「バカ! 泥なんか雑菌だらけだろ!」


 事は物理的な問題、物を用意できなければアイデアで解決する話ではない。


「リーズ、魔術で器を造ったりは出来ないのかい?」

「ご、ごめんなさい、創成系の魔術は専門外で」


 人間、出来る事と出来ない事がある。

 たとえば僕は斧で木を適切に切り倒す技術を持っているが、その木から桶やタライを作ったりは出来ないように。


「どうにか、どうにかならないかな」


 使える道具が無いか散々調べたせいだろう、あちこちに木製の食器が転がっている。

 木製なのは旅の荷物を少しでも軽くしようとしたためだろう、しかしどれも平らな皿で水を汲み置くのには役に立たない。


「木製の食器か。僕達はリーズのお陰で──」


 閃いた。

 もしかして、上手くいくかもしれない。


 手近に置かれたランプを掻っ攫い、周囲を見回す。

 ちょうどいい、オロオロしながら何も役に立っていそうにない若者を見つける。


「ちょっと、そこの人、僕を手伝って!」

「え、ええ、俺!? な、何を」

「いいから早く! 若奥さんを助けたくないのか!?」


 巡礼の一団はどこかの商人の若旦那ご一行らしい、とすると奥様は大店の夫人になるわけで、この言い方は丁稚には有効的なはず。


「わ、わかった。俺にどうしろと?」

「よし、じゃあそのランプを持って僕についてきて」


 僕のやろうとしている事は明かりがないと作業がやり難いし、運ぶのが大変だ。

 その辺りの事情を踏まえて作業員を確保、宿場の外れに走り出す。


 お供は明かり番の丁稚と、護身用の斧一本。


 妹よ、他人にも優しい妹よ。

 今夜ばかりは兄のため以外、彼らのためにお祈りしておくれ。


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