3章 匣の噂

3-1. 飛んで火に入りたるは

 鬼狩りには四つの家がある。

 鬼狩りを育てる本家の玄家げんけ、生身の人が鬼に対抗する為に術を研究する青家せいけ、鬼によって傷ついた体を治療する紅家こうけ、そして主に鬼の情報を集める白家はくけ

 その四家が互いに連携して鬼を狩り、人々を守っている。

 が、鬼狩りは世間一般的には快く受け入れられていない。

 理由は鬼狩りがいるところに鬼がいる為、鬼を呼び込むと思われること、それから完全に鬼の姿に変化していない者を斬ると人殺しだと思われることが挙げられる。


 術などにより人にはできないことをし、その剣捌きは尋常じゃない速さと動きをする。

 その為、鬼狩りもまた人とは思われていない。

 故に鬼狩りは普段は素性を隠して生きねばならず、各家も鬼狩りの家とは見破られないようそれぞれ隠れ蓑を持っている。


 玄家は寺子屋と剣術道場を営み、青家は人里離れた山中に拠点がある。

 紅家は元より通常の町医者が鬼狩りに協力している形であるから特別隠れ蓑を持ってはいない。

 故に主要な町に点在し、他の家のような拠点はないが当主自体は存在する。

 また負傷した鬼狩りを治療する為の特別な隠し部屋を地下に持っている。


 そして白家の場合は個人単位では花魁や飛脚のような情報を得やすい職に就く者もいるが、家としては人宿ひとやどをこの国の中心で最も人の集まる街で営んでいる。

 情報が集まる場所というのはつまるところ人の集まる場所でもある。


 人宿というのはいわゆる雇入先の斡旋をする宿だ。

 口入れ宿、人置ひとおき桂庵けいあんなど様々な言い方があるが、雇入先の斡旋の他、その者の身元保証もし、就職先が決まるまでの宿として使われる。


 白家はこういった人宿を各町で営んでいる。

 様々な人間が出入りし繋がりを持つことで情報収集の場として重宝している。

 また他の家の鬼狩りも情報収集や気易い宿として利用する。


 火嶺も了架も見知った場所だ。

 だが陣は初めて訪れる場所だった。


 陣の善悪の基準で悪い奴から剣や拳で奪い取ることでしか金を得て来なかった為、仕事を探すという行為自体頭になかった。

 また宿代を払うよりも飲み食いに金を使う方が良いと考えるので宿に泊まったこともない。

 それ故、陣にとっては縁のない場所である。


 物珍しそうに見回す陣に火嶺は「敵陣やで」と窘めた。

 が、中に人の気配はない。

 土足で上がり込む火嶺に陣も続く。


 広い土間の脇に番台があり、その奥には長い廊下が続いている。

 廊下の左手は中庭があり、右手には障子で仕切られた部屋がある。

 廊下を突き当たると右に折れ、今度は左手に雨戸、右手はやはり障子で仕切られた部屋が続いている。


 宿とは思えぬ静けさに陣の脳裏に遊女の顔が浮かんだ。

 目隠し鬼の時と同じだ。

 狭い部屋だったのに走り回れた。

 それと香瑠の働く蕎麦屋での雰囲気に似ている。

 あの時、香瑠は結界を張ったと言っていた。

 ならばここは結界の中なのか。


「一つ、約束してくれんか?」

 ふと火嶺が立ち止まった。

「ここじゃ好きに暴れてええ。せやけど人は絶対殺したらあかんよ。相手が殺すつもりで来ても殺したらあかん。医者の手がいるような傷も駄目や」

「そんなの無理だろ。殺すつもりで来るのにっ」

「戦おう思うから駄目なんや。動きを封じよ思て動きや。ええね?」

「足を切り落とせばいいってことか」

 なるほど、と納得したように頷く陣の頭を火嶺は軽くはたいた。

「医者の手がいるようなことは駄目うたやろ」

「じゃあどうしろって言うんだよ?」

「自分で考え。考えて動かな成長せんで」

 ピシャリと言って火嶺は陣の片腕を掴んで引っ張った。

 直後、陣の横を一陣の風が吹き去る。


 陣が振り返ると飛脚が低い体勢で背を向けていた。

 それがゆっくりと立ち上がって向き直る。


「人を傷つけるなうて教えたはずやで、棗己そうき

 ゆっくりと振り返る火嶺を飛脚、棗己は不服そうに睨みつけた。


 茶屋で会った時とは別人のようだった。

 あの時は愛想の良い笑みを浮かべ、弱そうに見えた。

 が、今は真顔で緊迫した空気を纏っている。


「うちの阿呆を連れてったらしいやないの。返してくれへんか?」

「了架が自ら訪ねて来たんです。それにあいつは白家の生まれだから返せって言われる筋合いはないはずですが?」

「なんや誤解があるようやけど、ちと用があるさかい、連れ戻しに来ただけや。こない熱烈歓迎してくれはるとこっちも構えてまうがな」

「鬼が家の中に入って来たらそれなりのもてなしになるのは仕方ないでしょう?」


 鬼という言葉に陣はちら、と火嶺を見た。

 鬼と人との間に生まれたと聞いたが鬼には見えない。

 人間離れした強さもまだ見たことがない。

 でも了架もこの棗己という青年も火嶺を警戒している。


「青家でなら分かるんやけど白家でこないな歓迎される覚えないで?」

「白家は情報収集が仕事です。不確定ながらあなたに関する良くない情報があります」

「わしの? ああ、アレか。鬼の匣のことやろ?」

 火嶺の言葉に棗己は身構えた。


「なるほどなぁ。了架も……知っとるんやな。せやからここに逃げ込んだう訳やね。納得したわ。納得したけど承諾でけへんわ」

「否定、しないのですか?」

「しても信用せぇへんやろ? 白家は人の言に惑わされんよう訓練しとるし、そう教え込まれとる。わしも調べとる途中や。半分鬼やからな。昔からいろいろ言われとって慣れとるけど今回のはちっと悪質すぎるわ。で、わしはどのくらい疑われとるんかいな?」

「ほぼ黒です。香瑠も匣に入れるつもりで飼っていると睨んでいます」

「やっぱりそう思われとるんかぁ。ほな今、了架連れ帰るんは無理やんな?」

「お分かり戴けたみたいですね。なので大人しくお帰り戴きたい」

「せやかてこっちも急ぎやねん。玄家に人が足りひんのは知っとるやろ? それでも仕事はせなあかんやんな? せやから力尽くでも連れ帰らせてもらうで」

「そう仰ると思っていました」

 互いに身構えた瞬間、何が起こったのか陣には見えなかった。


 棗己がその場に倒れ伏し、火嶺の姿は棗己の傍らにあった。

 目に見えぬ速さとは正にこのことだ。


「わしに勝てる思うたんか? 舐められたもんやで」

 火嶺がそう呆れたように言い捨てると「舐めてなんかいませんよ」とどこからか声が降って来た。

「飛んで火に入るなんとやら。この結界は特別仕様です。息苦しいでしょう?」

 声の主を探して辺りを見回す陣に対し、火嶺はその場で目を閉じて黙した。

 その眉間に皺が寄った次の瞬間、火嶺の頭に角が生え、手の爪が鋭く伸びた。

 陣はこの時初めて火嶺が鬼の血を引いているのだと実感した。


 そしてゆっくりと開かれた目は金色に光っていた。


「鬼が鬼狩りだなんてあり得ないでしょう? 陣、あなたはこんな姿を見ても玄家に残りたいですか?」

 問われて陣はこれまでの日々を思い返した。

 まだ彼らのことを深く理解していない。

 分かり合えるほど深く付き合ってもいないし、それだけの時間を共にしていない。

 だが、それは白家の人間にも言える。


「さっきから何の話してんだか俺には全く分かんねぇよ。ただ俺は了架の強さを見て鬼狩りをやるって決めた。だから今は了架と会うことが先だ。家とかまだ分かんねぇし、鬼と闘ったこともねぇ。だから……」

 陣の言葉は何かが天井から降って来て遮られた。


「頭が悪いですねぇ。鬼を狩る側の奴が鬼を作ってるって言ってるんですよ?」

 火嶺と陣の間に降り立ったのは藍染めの着流しの男だった。


 背が高く、華奢な体躯。

 細い目がどこか蛇を思わせる顔つき。

 一つに束ねられた長い黒髪は絹糸のように滑らかに整っている。


「あんた、誰だよ?」

 突然現れた男に陣が全身で警戒する。


牙藍がらん……」

 火嶺が嫌悪するように男の名を口にした。

「白家にこない高度な結界は張れへん思たらお前の仕業やったんか」

 火嶺の言葉に男、牙藍はニッと細い目を更に細めて笑んだ。


「陣、玄家を出るならお手伝いしますよ? ですが、玄家に、火嶺に付くと言うならここから生きて出られませんよ」

 ニィッと笑む牙藍の顔に陣は背筋がぞわりとするのを感じた。

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紬 蒼 @notitle_sou

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