2-5.陣、天を知る

「飛脚に花魁。嫌な組み合わせやなぁ」


 陣は火嶺と共に蕎麦屋の前にいた。

 了架と別れた場所だ。

 そこに至るまでの道中で陣は火嶺にほぼ全て話した。

 が、目隠し鬼をした下りは話さなかった。

 女に負けるなんて話せない。

 陣の自尊心がそうさせた。


「あの二人はそんなに強いのかよ?」

「白家はな、要は忍びとおんなじや。身分を偽り、嘘も芝居も上手い。鬼相手より人相手の情報収集が主な仕事やけどな、臨機応変に何でも対処できるんは凄い思うで。青家ほどじゃないが術も使うし紅家ほどじゃないが医学の知識もある」

「なら白家が一番強いのか?」

「何に対してや? 人に対してなら白家が一番かもしれへんけど鬼相手やったら家関係なく個人の力量やで。今一番強い思うんは青家の女子おなごやな。あれは鬼より恐ろしい思うたわ。せやけどお前にあれを目指せとは言いとうないな。むしろああなるな。あんな強さは……絶対あかん」

「どういう意味だ?」

「人扱いされんわしから見てもあれは人やないで。あれ見たらわしは人やなって思えるな」

「そんなに強いのか?」

「……この話はしまいや。無駄口叩いとる間に準備ができたで」


 言われて陣が火嶺の手元を見ると白い紙で鳥が折られていた。

 それに火嶺が息を吹きかけると折り紙の鳥は一羽の白い鳥に変化し、空へ舞い上がった。


「あれを追え。その先に了架がおるはずや」

「火嶺は? 一緒に行かないのか?」

「わしはちっと寄り道せなあかんのや。はよう追わな見失うで」

 火嶺の言葉に急かされ、陣は火嶺の『寄り道』が気になりつつも鳥を追いかけて走り出した。


 鬼よりも強い女子。


 その言葉に陣は胸がざわつくのを感じた。

 自分がいかに狭い世界を生きていたのか思い知らされる出来事が次々と起きる。

 やはり了架について来て良かったと思うと無意識に笑みが零れていた。


 その直後、何かにぶつかった陣は額に手をやり前方を確認した。

「人込みで空を見ながら走るなんて危ないなぁ」

 気弱そうな書生風の青年に見下ろされ、陣は「急いでるんだ」と押し退けて走り出そうとした。

 が、青年に腕を掴まれ、その力の強さに立ち止まった。

 背が高くひょろりとして貧弱そうに見えたのに、と陣は掴まれた箇所に次いで青年の顔を見上げる。


「急いでいても人にぶつかったら謝るのが礼儀でしょう?」

 優しそうに笑んだ顔の裏に飛脚や花魁と同じ『何か』を感じ取る。

 ただの書生じゃない。

 反射的に陣は身構えた。

 が、瞬時に勝てないと悟り本能的に逃げる方向へと考えを改める。

「……悪かった」

 謝ると込められていた力が僅かに緩む。

「まあ、その程度の謝罪でも良しとしましょう。僕は寛大なので。それに注目を浴びるのはあまり好みません」

 青年の言葉に周囲に目をやると何事かと視線が集まっていた。

「とりあえずこの場を離れましょう」

 言うや否やぐい、と腕を引っ張られ、足早に細い路地の奥へと連れ込まれた。


「離せっ」

 全力で振り解こうと暴れるが、びくともしない。

「威勢の良い悪ガキ」

 突然の口調の変化に陣は動きを止める。

「君の評価はその程度です」

 やはり飛脚や花魁の仲間か、と陣は再び身構えた。

「なぜそんなガキをあの了架が相手にするのか理解し難い。普段は遊び人を気取ってへらへらしてますが、あいつは人に全く興味を持たない。僕は他人に興味津々ですがね」

 にこりと笑みを向けられ、陣は背筋がぞわりとするのを感じた。


「君の秘密は何かな? ただ強さを追い求めるだけのガキにしか見えないけど。それなら師匠の元にいるべきでしたね」

 

白家彼らの情報収集能力はえげつないネ」

 香瑠の言葉が脳裏をよぎる。


「師匠を……知ってるのか?」

「師匠に拾われて現在に至るまでのことはだいたい全て。拾われる以前のことがまだ不完全ですが君の知らないことも幾つか。例えば母親のこととか」

 物心つく前に両親は鬼に殺された。

 そう師匠に聞かされて育った。

 それを微塵も疑ったことはなかった。


「……何を知ってる?」

「師匠は嘘つきだってことだけ。不完全だと言ったでしょう? それに情報は時に金より価値があるものです。ロハでは教えられません」

「俺のことだ」

「だったら尚更ですよ」

「金は持ってない」

「金より価値があると言ったでしょう? 代価は常に金とは限りません」

「……何をすればいい?」

「とりあえず今は何も。君の母親が何者か答えが出るまではね」

「どういう……意味だ?」

「僕達は不確かなことが大嫌いなんです。憶測で話すことも嫌いです。僕達はね、白黒はっきりした世界で灰色のものをいずれかに分別して生きています。それでも中にはどちらにも分別できないものも存在します。そういったものをどうするか、なんとなく想像はつくでしょう?」

 青年はずっと笑顔のままだ。

 だが笑っている訳じゃない。

 そういう仮面なのだと陣は悟った。


「ところで」

 青年は陣の腕を放し、一歩後退した。

「鳥を見失ってこんなところで僕に捕まった。僕が何者かもなんとなく予測はついている。そんな状況で君はどうするのか、とても興味があるんですが……残念。保護者に追いつかれちゃいましたね」

 そう言って青年が空を仰ぐと陣もつられて空を仰ぐ。


「真昼間から人攫いやなんてええ度胸やなぁ、李仁りひと

 屋根の上に火嶺が両腕を組んで立っていた。

「嫌だなぁ、誤解ですよ。ただちょっと立ち話をしていただけです」

「立ち話ねぇ? ならついでに教えてもらおか」

「何をです?」

「嫌やなぁ。わしの知りたいこと言わんでも知っとるやろ?」

「それも誤解ですよ。うちに遊びに来てくれてるだけです。小さな子供じゃないんですから外泊しただけで大騒ぎしないでもらえますかね?」

「物は言いようやな。にわかの若造が随分と偉そうになったもんやで」

「『半分』にそんな風に言われるのは心外ですね。娘さんはお元気ですか?」

「喧嘩しに来たんとちゃうんやけどな」

 その瞬間、火嶺の『気』が変わるのが陣にも分かった。

 火嶺は屋根から一歩前へ出た。

 小さな段差を降りるような仕草で音もなく、陣の右隣に降り立つ。


「僕もあなたと喧嘩するつもりは毛頭ないのですが」

 さらに半歩、青年は後退した。

「白家だけが情報収集しとる訳やないんやで。灯台下暗し言うやろ? 集めた情報をしっかり番しとらなあかんで。それがあんたらのお家芸なんやし、今や本家なんやから」

「盗みは身内でも御法度。バレたら破門……いや、あなたの場合は死罪になるのでは?」

「せやな。けど、身内の情報売り買いするんも死罪やなかったか?」

「取引を持ち掛けているんですか? そんなものこの僕が応じる訳が……」

 言いかけて青年は押し黙った。


「せや。お前に言うとるんやないで。隅々まで見張るんは案外難しいもんや」

 火嶺は一歩踏み出し、青年の顔を覗き込む。

「なあ、白家の若当主? 分ったらさっさとうちの返してもらおか」

 火嶺の言葉で対峙しているのが白家の当主だと知り、陣は改めて青年を見つめた。


 出会った瞬間の異様な『何か』と掴まれた腕にかかる力、そして笑顔の奥に感じた恐怖。

 それら全てに納得した。

 だが、先程まで感じていたそれらが薄れかけていた。

 火嶺の前では青年の方が陣のようにすっかり大人しくなっている。


「まさか棗己そうきが……?」

「教える義理がどこにありますのん? そんな間柄やないやろ?」

「そうですね」

 青年は自嘲気味に頷いて観念した様子で「そこの角の人宿ひとやどにいますよ」と通りを指差した。

 今は白家が本家だが長年本家を務めていたのは玄家だ。

 その当主である火嶺はやはりこの青年とは格が違うと陣は感じ取っていた。


 青年をその場に残し、二人は人宿へ足を向けた。


「立ち話で何話しとったか聞かへんけど、白家は情報得る為に嘘もつく。真実に嘘を混ぜて話すさかい、惑わされんようにな。了架はひねくれとるけど奴らの口車にすぐ乗せられる純粋すぎるとこあるからなぁ」

 とても純粋そうには見えなかったが、と陣は思ったが口には出さなかった。

 代わりに足を止めて青年が言っていたことを話した。

「あいつ……俺の母親について調べてるって言ってた」

「悪いがそれはわしも調べさせてもろとる」

「えっ? なんで?」

「お前さんだけやないで。うちで預かるもんはな、全員親兄弟から親戚まで血筋調べるんや。素質を見る為もあるんやけどな、一番の理由はわしみたいに鬼の血が混ざるんを一族が嫌うからやな。せやからわしはかなりの嫌われ者なんや」

 ニッと笑って見せる火嶺を見、陣は陽気に見えて実はかなり厳しい立場にいるのだと理解した。

「……親は鬼に殺されたって聞かされてた。母は……生きてるのか?」

「まだ分からん。分からへんうちからあれこれ言うんは好かんのやけど、期待持たせるんも酷やからはっきり言うけどな。多分、死んどる思うで。母親もやけど父親も鬼に殺されたいうんは違うと思うとる。あの白家でさえまだ調べがつかんのは時間が経っとるからやない。少なからずわしら鬼狩りと接点があったか……もしくは身内やった可能性があるからや」

「母さんが……?」

「身内の話こそすぐ分かる思うやろ? 身内の不祥事は隠すんが上手いのも鬼狩りの特徴や。ま、可能性としてはあんたの血の濃さから察するに紅家やろね。あそこは元より当主以外は血関係あらへんし。ま、気になるやろけど今はこっち優先な」

 言われて陣は了架が危機に陥っていることを思い出した。


 了架と出会ったのは母親に導かれた運命だったのか。

 陣はふとそんなことを思った。


※ 人宿の説明は次話で。

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