2-3.陣、香瑠と会う

 茶屋を出ると日も落ちかけ、辺りは薄暗くなっていた。

 了架と棗己が並んで歩き、その後を陣が数歩遅れて従う。

 前を歩く二人は無言で、どこへ向かっているのかも知らされず、陣が訊ねようかと考えあぐねていると、足を止めることなく了架が振り返った。


「腹減らないか?」


 そう問われれば腹に意識がいく。

 陣は腹に手を当てて「まぁな」と答えた。


「じゃあコレで蕎麦でも食べててくれ」

 そう言って財布ごと投げられ、慌ててそれを掴んで何か言ってやろうと顔を上げた瞬間、二人の姿は目の前から忽然と消えていた。

 雑踏の中に二人を探すが、どこにもいない。

 近くの店にでも入ったかと入り口から覗くが、煙の如くその姿は見つからなかった。


 仕方なく、陣は一人近くの蕎麦屋の暖簾をくぐった。


「あ」


 入ってすぐ見慣れた人物の姿を見つけ、思わず声を上げる。


「あれま。珍しい人が来たヨ。了架サン、一緒じゃないのカ?」

 空の盆を手に走り寄って来たのは香瑠だった。

「ああ。ここで働いてるのか?」

「時々手伝ってるだけネ。了架サンが働かないから私がその分働いてる。それより注文は? 蕎麦だけカ? 酒もつける?」

「酒も」

 即答した。

 財布ごと渡して来たのは了架だ。

 好きなだけ飲み食いして良いと陣は受け取っていた。


 入口に近い隅の席に座って財布の中身を確認する。

 結構な大金が入っているのに陣は僅かばかり驚いた。

 鬼狩りという仕事が儲かるということとこんな大金を会って間もない人間にぽんと渡せることに。

 了架はもっと用心深く、慎重な男だと陣は思っていた。

 このままあの家に戻らないとは考えなかったのか。

 狡猾そうに見えて、実は単純で人を信用しやすい人間だったのかと思うと、少々落胆した。


「あい、酒ネ。これ以上は出さないネ。蕎麦もすぐ持って来る」

「俺はザルだぞ?」

「ザルでも何でもウチでは量が決まってるネ。晩酌は一合まで。食べ物は気をつけるネ」

「体動かす仕事だから?」

「違う。私が食事を管理してるからネ」

「あ? あんたは俺の母親かよ?」

「そんなに歳とってないネ」

「ただの冗談だろ。真に受けるなよ」

「冗談、分からないネ」

 不機嫌そうに眉間に皺を寄せて睨みつけ、その場を去ろうとする香瑠の手を取って引き留めた。


「……あのさ、目隠し鬼ってやったことあるか?」


 勝敗が有耶無耶なままなのが気になっていた陣は、そう切り出した。

 また機会が巡って来てやったとしても、今のままでは負ける気がした。

 何かコツを知りたかったのだ。


「了架サン、そんな遊び教え始めたのカ?」

 呆れたように溜息を吐く香瑠の言葉を陣はあえて否定しなかった。

 多分、あの茶屋でのことを了架は誰にも知られたくないのだと思ったからだ。


「鬼の遊びは順番があるネ。鬼ごっこ、隠れ鬼を先にやるべきで……目隠し鬼は最後ネ。新入りにそこから始めるの、春日サンいたら許さないネ」

「そうなのか?」

「でも感覚を研ぎ澄ませるには良い練習ネ。ただ目隠ししてじっとしてるだけでも違うネ」

「……鬼ごっこってどうやるんだ?」

「それも段階があるネ。基本は普通に追いかけっこネ。そこにいろんな要素を取り入れて、最後は目隠し鬼と鬼ごっこを一緒にしてやるネ」

「ふぅん。で、あんたもそれやってきたんだろ?」

「私はしないネ」

「でも全員それやって生き残った奴だけが鬼狩りとして生きられるって……」

 陣のその語尾は香瑠の平手打ちの音でかき消された。


「何すんだよっ」

 思わず立ち上がる。

 立ち上がって陣はハッと気づいた。


「鬼狩りのこと、外で話したら駄目って言ったネ。鬼は悪いモノだけど、それを狩る鬼狩りは英雄じゃナイ。鬼と同様、鬼狩りは忌み嫌われる存在ネ。もしバレたら生きていけないネ。最初にそれ、何度も念押ししたダロ。お前は鬼狩りをどう思ってた?」


 陣は今でも鬼狩りに良い印象はない。

 鬼狩りも人に在らず、と思われている。

 鬼ならば例え子供でも斬る、人の心を持たない殺し屋。

 それが鬼狩りだ。


「……悪かった。でも、誰もいなくて幸いだったな」

「違う。私のお蔭ネ」

「どういうことだ?」

「お前が来てから結界張ったネ。だから初めから誰にも聞かれてないネ。鬼ごっこの話も駄目。食事の話も危ないネ。普通の会話、意外と難しいネ。もう二度目はないネ。次こんなことしたら殺されても文句言えないネ」

「……悪かった。もうしない」

「ここを出て行くまで結界張ってるネ。でも鬼狩りの話を一言でも口にしたらお前ごと結界閉じてやるネ」

 そう言って香瑠が店の奥に行こうとするのを陣は再度引き留めた。


「じゃ、これだけ。了架の前じゃ聞きたくないから」

「……一つだけネ」

「鬼ごっこで生き残った奴だけが鬼狩りだって聞いた。俺が知ってる鬼狩りもこれから出会う鬼狩りも全員それをやって生き残ったってことか?」

「誰に聞いたネ?」

「了架」

「嘘吐くなら教えないネ」

「何で嘘だって分かるんだよ?」

「やっぱり嘘ネ。了架サン、そんなこと言わないネ」

「……多分内緒だから言えない」

「じゃ、こっちも教えられないネ」

 冷たく言われ、陣は掴んでいた香瑠の手をゆっくりと離し、椅子にすとんと座った。

 気落ちする陣を見下ろし、香瑠は再度不機嫌な表情になる。


「もうっ。そんなことするのは青家せいけだけネ。鬼狩り同士の殺し合いなんて普通しないネ。鍛錬中も怪我くらいはするけど命のやり取りが生じるような鍛錬は誰もしないし、させないネ」

「青家?」

「術の研究で頭おかしくなった連中ネ。どの家からも嫌われてるけど、彼らがいないと鬼狩りも困るネ。邪気払いも結界も彼らの研究の賜物ネ。特に今はピリピリしてるから、近づかない方が良いし、関わらない方が身の為ネ」

「ピリピリって?」

「質問は一つって言ったネ。このくらい了架サンにでも聞くと良いネ。さっさと蕎麦喰って帰れッ」

 ピシャリと言って香瑠は一度奥へ引っ込み、すぐに蕎麦を持って戻って来ると、無言で粗っぽく陣の前に置いて奥へと戻って行った。


 陣は店内をゆっくりと見渡した。

 店内には誰もいない。

 外の喧騒も聞こえない。

 目を閉じて意識を集中する。

 が、何の音も聞こえなかった。


 目を開けて、酒を一気に呷る。

 と、視界が揺れ、蕎麦の上に頭を突っ込んで倒れた。


「あれま。悪戯のつもりがちょっと手元狂ったネ」


 店の奥から顔を出した香瑠はそう言って頭を掻いた。

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