2-2.陣、遊びを覚える

 了架の言う『茶屋』はいわゆる遊郭で、そういった場所とは無縁に生きてきた陣にとっては、そこは不思議な別世界だった。

 通りから脇道に逸れ、店の裏手から中に入る。


 着飾った艶やかな女性達。

 檻のような朱色の格子。

 蝋燭や提灯の淡い光が幻想的にそれらを彩る中、どこか中華風な小部屋が並ぶ廊下を進み、了架は二階の角部屋に入って行った。

 それに陣も続いて入ると、中には廊下ですれ違った女性達とは雰囲気の異なる女がいた。


 特に着飾っていないにも関わらず、着飾った女性達よりも美しく陣の目に映った。

 煙管キセルを片手に窓辺に足を投げ出して座す姿は妖艶で、思わず目を逸らす。


「声も掛けずに見知らぬ男連れで来るなんて、相変わらず失礼な男だねぇ」

 そう言って女は興味深そうに視線をゆっくりと上下させて陣を見た。


「失礼なのはお互い様でしょう。それに紹介も不要でしょう?」

 了架が言うと女はふっと笑みを浮かべ、煙管を置いた。

「陣だね?」

 名を呼ばれ、陣は途端に警戒心を全身に纏った。

「天涯孤独で剣の腕を磨くことしか頭にない。今までに斬った人間は数知れず。けれど殺した数は数人。強さをただ求めているにしては、妙な正義感を持っている。原因は大切な人を目の前で殺されたことが原因ってとこかねぇ? そんな奴を飼うなんてあんたも変わったねぇ。一体何があんたを変えたんだい?」

「なんっ……なんで俺のことをそんなに知ってやがる」

「あちきはこの国で一番の太夫でありんす。と言いたいところだけど、この店で一番ってとこかねぇ。花香はなか太夫って呼ばれてるけど、あたしはこいつと同じ、鬼狩りの一族なのさね」

「あんたも……鬼を狩るのか?」

 陣は思わず女の手足を見た。

 華奢で剣などとても扱えそうにない。


「まぁ、場合によっては。でもあたしが属するのは白家はくけだよ」

 鬼狩りには四つの家があると了架から説明を受けていた。

 が、自分が属する玄家げんけ以外についてはあまり覚えていなかった。

 陣がチラと了架に視線をやると、軽く溜息を吐いて「諜報活動」と短く答えた。


「了架、棗己そうきなら楼主のところだよ」

 目的の情報を得て了架が部屋を出ようとすると、女は陣の手を掴んで立ち上がった。


ぬしさんはその間、あちきとここで目隠し鬼で遊んでおくんなんし」


 その言葉に了架が足を止めて振り返ると、女は「棗己は飛脚だよ。すぐに行かなきゃ次はいつ会えるか……ああ、そうそう。東と北で面白い話を仕入れているらしいよ?」と笑みを浮かべた。

「……鬼ごっこはするなよ?」

「目隠し鬼だけで充分さね」

 そう言って了架を送り出すと、女は陣から手を離した。


「あちきに勝てたら名を教えていたしんしょう」

「名前ならさっき……」

「明かしたのは花魁の名だけ。鬼狩りの名は鬼狩りにしか明かさぬのが決まりでありんす」

「じゃあ了架って名は?」

「白家は諜報活動が主だと教えたでありんしょう? それ故、白家は名を二つ持つのが常。多い方では十もお持ちだとか。他の家は大抵一つでありんす」

「さっきの棗己って言うのは? なんで了架は直接会いに行かなかったんだ?」

「質問の多いお人だねぇ……せっかく太夫として雰囲気を作ってやろうとしてたのに。面倒になってきたよ」

 そう言って女は自身の帯を取って陣の目を隠してしまった。

 その素早い動きに陣は一歩も動けず、やはり鬼狩りなのだとようやく理解した。


「鬼の名がつく遊びはいろいろあるだろう? 目隠し鬼、鬼ごっこ、隠れ鬼……影踏みは鬼の字はつかないが鬼がいる遊びだ。あれらはね、鬼狩りの子供用なんだよ。鬼を狩る為の技を学ぶ為のね。これからやる目隠し鬼は視覚を奪われた状態で鬼と戦う術を学ぶ為のものだ。鬼は夜目が利く。夜は鬼の方が有利なのさね。だから視覚以外の五感を全て使って自由に動けるようになるのが目的だよ。鬼はあんた。初めてやるようだからあたしは武器は使わない。あんたはその腰の刀を抜いて良い。制限時間は了架が戻って来るまで。それまでにあんたがあたしに傷を負わせたらあんたの勝ち。できなかったらあたしの勝ち。簡単だろ?」

「それでも目が見えてるあんたの方が有利じゃないか?」

「こっちから仕掛けたりしないさ。最初は鬼は鈴をつけて居場所を知らせて人に触れることから始める。慣れたら鈴を外して人に触れる。それもできるようになったらお互い目を隠して殺し合う。生き残った者が鬼狩りとして生きる。これからやるのはその最初の部分さ。鈴の代わりにあたしが手を叩いてやるよ。あんたが鬼狩りになれるかどうか、試してやるのさ」

「なるほどな。で、俺がうっかりあんたを殺しちまったら?」

「あり得ない。が、万が一、そうなったら了架からあたしの名を訊きな」

「分かった」


 陣は目を閉じた。

 目隠しをされているが、その方が他の感覚を研ぎ澄ませるのに役立つと考えたからだ。


 まずは耳。

 女の衣擦れの音、息遣いを感じる。

 次に肌。

 空気の流れで女の動きを予測する。

 そして鼻。

 女の香りを追う。


 ゆっくりと刀を抜き、正眼に構えた。

 そして、ここだと思った場所へ突進しながら刀を薙ぎ払う。

 が、空を切っただけだった。


「鬼さん、こちら。手の鳴る方へ」


 女の笑う声と手を叩く音がする。

 その方向へ刀を振り下ろし、次いで薙ぎ払う。


「ふふっ。闇雲に刀を振るうだけじゃあたしに傷はつけられないよ?」


 くそっ、と陣は舌打ちした。

 刀を握る手に力が入る。

 首をゆっくりと左右に振って音を探す。


「鬼さん、こちら。手の鳴る方へ」


 その声は徐々に周囲に反響し、まるで囲まれているような感覚に陥った。

 声は前からするのに衣擦れの音は後ろから、息遣いは耳元で感じる。


「他に誰かいるのか?」

 思わず陣が問うと女が笑った。

「一つ感覚を奪われると、他の感覚が鋭敏になるのさね。狭い部屋で音が反響して、囲まれているように思うだろ? あんたは良い耳をしてる。が、耳に頼り過ぎだよ。それじゃあ、あたしの勝ちだね」

 そう言って笑う声が周囲で聞こえた。


 狭い部屋だ。

 とても走り回れるような部屋じゃない。

 そんな小さな部屋でも声や手を叩く音がこんなにも反響するとは思えない。

 陣は試しに走ってみた。

 すぐに壁にぶつかると思った。

 が、どこまでも走れた。


「どうなってるっ」

 思わず立ち止まって叫ぶ。

 自分の声は反響しない。

 真っ直ぐ前に向かって消えていくように感じた。


「バレてしまっては仕方ない。刀を振り回すんだから結界というものを張ってみたのさね」

「騙したのかっ。だから万が一なんて言ったのかっ」


「鬼狩りは鬼狩りの血を引く者の運命さだめ。幼い頃より特別な教育を受けて生きる。余所者よそものに乱されたくないんだよ。保守的で閉鎖的。だから誰からも疎まれる」

 聞き覚えのある声がして、一陣の風が目の前を過ぎ去る。


 目隠しが外されたのだと気づいて目を開ける。

 と、目の前に女のつまらなさそうな顔があり、その横に憮然とする了架の姿があった。

 床に視線を落とすと、斬られた帯があった。


 了架が刀を抜いて斬ったのだろう。

 だが、了架が部屋に入って来たのに気づかなかった。

 その上、了架が刀を抜いて納めたようにも見えなかった。

 それほど刹那の出来事だったのか、と陣は愕然とした。

 了架と自分との腕の差に。


「早いじゃないさ」

 女が文句を言うと、了架は背後を振り返った。

 そこには棗己と思われる飛脚の姿をした青年がいた。

 にこにこと笑みを浮かべ、騙されやすそうな男に見えた。

 足は速そうだが、陣が殴ればすぐに倒れて気絶しそうにも見えた。

 が、女がそうであったようにこの男も只者ではないと陣は警戒した。


「少し借りる。陣、行くぞ」

 冷ややかな視線に陣はぞわりとするものを感じた。

 猫が逆毛立てるような感覚だ。


「あら、残念。またおいでなんし」

 女はそう言って太夫の顔になった。

 結局、名を訊けぬまま、陣は中途半端にモヤモヤするものを抱えて店を後にした。

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