2章 陣という男

2-1.陣、目覚める

 陣はゆっくりと目を開いた。


 竹林の中を一陣の風が吹き抜ける。

 竹の葉が掠れてざわめく音。

 どこかでく鳥の声。


 五感をさらに研ぎ澄ませると、肌に触れる風の中に独特の異様な香りが微かにした。

 それに眉をしかめる。

 その直後、背後で空気の振動と鞘鳴りが聞こえ、瞬時に振り返り様に刀を薙ぎ払った。


「いい反応だ。この感覚を忘れるな」


 陣の刀を紙一重で上空に飛んでかわし、背後を取った了架が刀の切っ先を首筋に当てていた。

 これをここ数日何度も繰り返している。


 剣技と精神の鍛練だと言って。


 ひょんなことから了架という青年に出会った陣は今よりも強くなろうと必死だった。

 それ故、忌み嫌われている鬼狩りの一員になることに抵抗はなかった。


 不意に殺気を感じ、刀をぶつけ合っていた二人は同時に動きを止め振り返った。


「香瑠」


 そこには頬を膨らませ、仁王立ちで睨みつける香瑠がいた。

 怒っている理由を察した了架は刀をしまい、空を仰いだ。

 日は真上にある。

 陣は肩で大きく息をしながら、きょとんと二人を交互に見た。


「昼飯だ」


 ああ、と陣も納得して刀をしまう。

 飯時だというのに戻って来ない二人に、香瑠が怒って呼びに来たのだ。

「昨日も言ったネ! そんなに遊んでたいならずっとそこで遊んでろッ」

 そう叫んで香瑠は走って行った。

 その後に二人も慌てて従う。

 香瑠の剣幕も怖いがそれよりも家で待っている火嶺の方が何倍も怖い。


 陣は家族を知らずに育ってきた。

 物心ついた時には既に親はなく、鬼に殺されたと聞かされて育った。

 剣術道場の師範に拾われ、何不自由ない生活を送っていたが、些細な理由で家出をして放浪生活をしていた。

 陣は身体能力に優れており、型に嵌らない我流でも強かった。

 自分が強いと分かると生きる為に悪い奴らから奪うことを覚えた。

 それも畜生働きをする盗賊から奪うことを楽しんだ。

 悪い奴を懲らしめることで自分を正当化しようとしたのだ。


 それを全てこの了架に否定された。

 自分より強い人間がいる。

 その事実が陣の興味を引いたのだ。


 そして、この家族ごっこのような生活で人らしい生活を覚えているところだ。

 およそ人とは思えぬ人達の中で。


 鬼の血を半分引く火嶺が父親で。

 生粋の鬼狩りの血を引く了架が兄で。

 その了架から『鬼に片足突っ込んでる』と聞かされている香瑠が妹で。

 母親役のいないこの家では香瑠がそれも担っている。

 出会って数日だが、ずっと昔から家族だったような、なんとも不思議で温かで居心地が良かった。


「ほな、わしはまた数日留守するよって、家のことよろしく頼むな。くれぐれも馬鹿なことせんように」

 お前らにうとんのやで、と了架と陣の頭を小突いて昼過ぎに火嶺は貸本屋の姿で家を出て行った。


「リュウ、陣とちょっと出掛けて来る。飯も食べて来る」

「春日サンに馬鹿なことするな、言われたばかりネ。剣術も大事だけど座学も大事ネ。まだなぁんにも教えてないだろ」

「座学は雨の日にとってあるんだよ。晴れてる間は外で実践あるのみだ」

「馬鹿なことするな、は家にいろってことネ。遊び人止めたの良いことだけど、最近何かおかしいネ」

「……東の仕事がつまらなかったからな」

「ああ……子供だって春日サンから聞いたネ。それ、ずっと聞きたかったことあるんだけど、イイカ?」

「ん?」

「手遅れでも鬼に姿変えてなかったら助ける方法あるって聞いたネ。でも、了架は問答無用で斬る。なぜ?」

「あ? 助ける方法なんかないよ。姿が変わってなくても手遅れなら斬るしか道はない。鬼を人には戻せないからな」

「……春日サンは戻したネ」

「え? いつ、どうやって?」

「……春日サンには私が言ったの内緒ネ」

 そう香瑠は前置きし、自身がここに身を置くようになった経緯を話した。


 閉鎖的な山奥の村で起こった出来事。

 旱魃に流行り病で村人全員が酷い飢えに苦しんだ。

 隣人を殺して僅かな食料を奪っていたのが、それも尽きると親が食い扶持を減らす為に子を殺す家もあれば、親が自身の腕を切り落として子に喰わせる家もあった。

 村は地獄絵図と化した。

 負の感情が渦巻く場所では邪気の塊ができる。

 そんな場所で人肉を喰らえば人は簡単に鬼になる。

 そこに火嶺が呼ばれて鬼と化した村人を狩った。

 香瑠も狩られる対象だった。

 けれど、火嶺によって何か術を施され、完全に鬼とならずに人として生きている。


 香瑠は自分だけなぜそんなことをされたのか、他の鬼にはなぜしないのか、それがずっと疑問だったようだ。


「あの日のことは俺も覚えている。火嶺から半分鬼だと聞かされてたがそんな経緯は聞いてない。火嶺が訊くなと言ってたし、お前も訊くなって言いたがらなかったじゃないか。なんで急に話す気になったんだよ」

「春日サンの北の仕事、私の時と同じだったみたいネ。飢えた村人が互いを食べて生きてたって。誰も連れて帰って来ないところ見ると、全員斬って帰ったってことネ。了架サンも東の仕事、子供はまだ鬼に姿変えてなかった言ったネ。でも斬ったネ。なぜ私は助けて他は助けない? 理由が知りたくなったネ」

「火嶺の考えなんか俺が知るかよ。俺は単純にそんな方法知らないから斬るだけだし、そう教わってきた。助けられるなら助けてる。実際、邪気を吸い込んだ程度なら斬らずに助けてるし、紅家こうけ青家せいけに診せたりもしてる」

「……陣にもそれを教えるのカ?」

 香瑠のその言葉で了架は香瑠の意図をようやく理解した。


 新しく鬼狩りの一員となった陣を了架のようにしたくはないのだ。

 火嶺のように鬼を助けて欲しいと思っているのだと了架は理解した。

 陣があまりに剣術に傾倒し、強さを求めているので、そこを危惧したのだ。


「そういう方法があるなら陣にもそれを教える。火嶺が帰ったら鬼を人に戻す方法を聞いてみるよ」

 了架がそう香瑠の頭をぽんぽんと叩くと、香瑠は上目遣いに了架を見上げ、「私のことは内緒だぞ?」と念を押した。


「じゃ、行って来る」


 そう言って家を出たところで、今度は陣が了架に詰め寄った。

「さっきの話、さっぱり分かんなかったんだけど? 鬼ってそもそもどうやってなるんだ? 人を呪ったらなるとか鬼に傷をつけられたらなるとかって聞いたことはあるけどさ」

「そうだな、剣の腕を上げる前にまずはそこからだったな」


 根本的な話をまだ何もしていなかったことに気づかされ、了架は両手を胸の前でパンッと打ち鳴らした。

 途端に周囲の空気が変わるのを陣は感じた。


「人に聞かれるとマズイから結界を張った。これのやり方はまた今度教えてやるが、まずこの結界というのはざっくり言うと現実と切り離すことができる術だ。俺は術をあまり使えないからせいぜい二十畳分くらいの広さしか結界を張れない。青家の奴等なら町一つ分くらいは朝飯前だな。空間だから真四角の箱の形状で切り取ることができる。結界内で起こることは現実に影響しない。だからどんなに暴れて物を壊しても結界を閉じてしまえば現実には何も壊れていない」

「じゃ、この中で人を殺しても閉じれば生き返るのか?」

「いや。生き返らない。要は元からその場にあったものは壊れないが、その場に常にいない人の場合はその中で起こることは全て現実だ。それに結界内に入れる者は結界を張った人間が望んだ者だけだ。人を入れたまま結界を閉じれば中のものは消える。そうやって殺す方法もある。ま、その辺はまた結界を覚えたら教える。それより今は鬼についてだな」

「えっ、結界のやり方、教えてくれないのかよ?」

「ちょっと教えてすぐできるようになるもんじゃないからな。もう少しいろいろできるようになってからだ。それに鬼について知る方が先だ」

 確かに了架の言うことはごもっともだが、結界を張るこんなことが自分にもできるようになるなら早くやってみたいと陣はわくわくしていた。

 が、今ははやる気持ちを抑えて了架に従うことにした。


「鬼は邪気から生まれる。邪気は人の負の感情から生まれる」

「負の感情って怒ったり泣いたりってことか?」

「そうだ」

「それならそこら中鬼だらけになってるはずだろ?」

「邪気は負の感情がたくさん集まってできる。大きな塊にならない限りはすぐに霧散するものだ。だから邪気が育つ場所は戦場いくさばや飢饉に襲われた集落などだ。地獄は何も死んで行く場所だけではない。この世にもある」

「戦場で鬼を見たって話は聞いたことねぇが町に鬼が出たって話なら聞いたことあるぞ?」

「正確に言うと邪気が溜まるだけでは駄目なんだ。邪気の塊の中で人の心を失くした者が人の血肉を喰らって鬼に成る。戦場で人を喰らうことはあまりない。略奪によって食料を得ることが多いからな。それにどんなに鬼畜と呼ばれる行いをしたって人の心は残っている」

「あ? 鬼畜は人じゃないだろ」

「俺の言ってる人の心ってのは自我だ。倫理的なものじゃない。自分という存在を見失っていない限り鬼には成らない。だが、人の心が在っても鬼に成ることはある。人を鬼に変える術もあるが、鬼が自らの血肉を与えて仲間を増やすこともある。鬼の毒牙にやられればそれだけで鬼に成る」

「なら鬼狩りが鬼に成ることも?」

「ああ。だが、鬼から受ける傷が全てじゃない。それに鬼狩りは鬼に成らないように日頃から訓練している」

「訓練って……訓練すれば鬼に成らないなら……」

「過酷なものだ。普通の者はまず訓練に耐えられない。それに生まれた時からやってる」

「え? じゃあ俺は?」


 それに了架は笑みを浮かべて答えず、再度パンッと胸の前で両手を打ち鳴らし、「茶屋へ行こうか」と歩き出した。

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