1-3.了架、迷うのこと
町へ戻る頃には深かった闇も薄くなり始め、夜が明けようとしていた。
空には細い月がかろうじて薄く頼りなく浮かんでいる。
花街を避け、人通りのない道を選んで家に戻った。
が、戸を開けようとして止めた。
踵を返したところでその戸が開いた。
「入らないのカ?」
戸口に現れたのは香瑠だった。
「春日サン戻ってるヨ。機嫌悪いネ」
火嶺よりも先に戻る予定だった了架は舌打ちをする。
あんなに急いだのに一足違いだったとは運が悪い。
説明をする前に陣と庭のアレが見つかっているのもマズかった。
それに今は最古のことがある。
何もせずに戻って来たこともだが、火嶺に対して疑念のある了架は心の整理がつくまではまだ火嶺と会いたくなかった。
とはいえ、戻る場所はここしかない。
それに今は安全な場所に身を置きたいという気持ちで一杯だった。
なので、仕方なく家の中に戻る。
「うちはペットを飼う許可した覚えないんやけど。しかも二匹もな」
家の中に入るや否や火嶺のお小言が飛ぶ。
「外のはどういうつもりや? まだ鬼になりきれてへん、中途半端な気の塊やで? このままやと二月もせんうちに鬼にな……」
言いかけて火嶺は両腕を組んで、心底呆れた顔をした。
「まさかわしの真似事でもしよ思うたんやなかろうね?」
厳しい眼が真っ直ぐに了架に向けられた。
「迷いのある人間ができることやあらへん。それでもやるゆうんやったら、ちぃと仕置きが必要やな?」
「迷いを確かめるためにやるんです」
「確かめる? 人の命を道具として見るんか? せやったら出て行っとくれ。刀置いてな」
「道具とは思ってません。彼だからこの方法をとるんです」
「……それでも道具やと思うけどなぁ。外、片してきぃ。真似事するんはまだ早いわ。せやけど、邪気を用意しといたる。疑似的に造ったんやったら、お前でもやれるやろ。ホンマ強情な子やねぇ」
火嶺は呆れかえった顔で溜息を吐いた。
「……北はどうでした?」
了架は話題を変えた。
「ぼちぼちやったで。気ぃ悪ぃところや」
火嶺がそう言う時はあまり良い仕事ではなかったということだ。
鬼といえど感情はある。ただの化け物とは違う。
だから、時には後味の悪い想いもする。
「東もけったいなことやったらしいね」
その言葉に了架はドキリとした。
火嶺は地獄耳だ。
どこまで知っているのか。
「ほな、外から戻れたら飯にしましょか」
「戻れたら?」
「頑張りや」
ひらひら手を振って、火嶺は台所へと向かった。
「くそっ」
その意図を理解して了架は刀を抜いて庭に出た。
邪気は香瑠が造った『檻』の中で数十倍に成長していた。
俗に結界とかいう異質の空間。
香瑠が造る結界は馬鹿デカイのが特徴で塀の向こう、丸々町一個が結界の中に収まっていた。
結界には規則がある。
結界の大きさや強度は、それを張る人間の健康状態に左右される部分が大きい。
結界を張る理由は、現在の空間に影響を及ぼさないため、もしくは何かを閉じ込めたまま、結界を閉じて消すこともできる。
そして、結界内の時間を一時的に早めることも可能だ。
邪気はそれを利用して成長を早めた。
「くそっ」
了架は再度舌打ちをして、結界の中に踏み込む。
結界には相性というものがある。
相性が悪ければ弾き出されることもある。
了架は香瑠との相性があまりよくない。
それでも、香瑠に結界を張ってもらうことはしょっちゅうだったから、自然と香瑠の結界に溶け込む術を身につけざるをえなかった。
だが、それでも相性が悪いことに変わりない。
だから、了架としては長居はしたくなかった。
「さっさと終わらせようか」
そうは言ってみたが、そう簡単にいくはずがない。
なにしろ、これは火嶺が用意した仕置きなのだから。
「私を殺すの?」
鬼は大きく醜く成長していたが、その声はか弱い子供の声だった。
声音にだまされはしない。
物心がつく前からずっとこの世界で生きて来た了架だ。
外見や声音で判断はしない。
「殺さないでっ」
そう言って鬼は小さな子供の姿に変化した。
了架は刀を握る手に力を込めた。
一太刀。
血が舞う。
だが、狙いは外れた。
「死にたくないよ」
鬼も幼いなら、良き道へと導いてやれないのか。
だが、それは所詮無駄なことだと了架は知っている。
肉食獣を草食へと変えることはできないように。
人も肉を食べるのに。
人も犠牲を払って生きているというのに。
なぜ鬼だけを?
その疑問は物心がついた頃からずっと持っていた。
人に怪我をさせた時に人は駄目だと教えられた。
鬼以外を傷つけることは許されなかったからだ。
泣き声を上げながら鬼は了架に襲い掛かる。
爪が肌を掠める。
牙が襲いかかる。
だが、動きは鈍い。
故に紙一重でなくとも簡単に
なのに、了架はかすり傷とはいえ傷を負った。
了架の刀も迷いを映すように鬼を正確に捉えることができず、かすり傷程度の傷しか負わせることができない。
無我夢中で刀を振るい、なんとか鬼の首を落とすことはできたが、 肩で大きく息を吐き、立っていることさえやっとの状態だった。
「火嶺。どれくらい時間かかった?」
結界を出て縁側から家の中へと呼びかける。
「一週間もかかってへんよ。まあまあお前にしては上出来なんちゃう?」
火嶺がこざっぱりした様子で奥から顔を出した。
結界の中での時間と現実の時間は違うことがある。
数日時間が経過していたことを知って、了架は大きく息を吐いた。
「上出来ねぇ」
「不満か? ま、そりゃそうやろ。ここでずっと見とったけど、なんやの、あの無茶っぷりは? あれでわしの真似事しよ思うとったんが信じられへんわ。どっからそんな自信が湧いてくるんかねぇ?」
「予定は変更するよ。それでいいだろ?」
「おまけにちっともわしの意図すること汲み取ってへんわぁ。何のための仕置きや思うとんの? 迷いがあるうちは仕事に行かされへんし、外にも出されへん。そんな状態で邪気に憑かれてもうたら、どないなことになるか考えてみぃ。今のお前にペット飼う資格はあらへん。ちっとは自覚しぃや。目ぇ覚めたら出てってもろうて。一応、呪符は持たせて出しぃね」
「ま、待って下さいっ。あいつは俺達と……」
「それが何やの? あの程度の血ぃなら五万とおるわ。そんなんいちいち仲間にしとったらキリあらへんで。わしは世話するつもりあらへんし、お前が世話するんやったらお前も一緒に出て行き。それがわしの結論や」
有無を言わさぬ物腰で、火嶺は部屋を出て行った。
残された了架は縁側に倒れ伏した。
いくら人よりも鍛錬を積んで丈夫とはいえ、一週間以上飲まず食わずで刀を振るっていたのだ。
気を失うようにそのまま眠りへと落ちた。
そして、火嶺のことを思った。
いつでも何の迷いもなくいられるのは、火嶺が半分鬼だからだ、と。
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